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■45414 / )  Re[52]: つれづれなるままに 22
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/02/23(Mon) 19:44:02)
    No45301の(Mp)の『まだ「加工されてない」経験』でもうちょっと思ったんだけど、

    No45350で、『まだ…区別されてない場所』ということで、No45302の(Mp2)の「初発段階の意識」ってして見て、これを〈乳幼の頃の意識〉ってして見たんだけど、

    No44523『子どもの心理-社会学』のなかで、『子どもの意識は知覚されたものが(知性によって)知解されたものに先行する』ってメルポンは言ってる。

    あと、
    No45300の(MI-2)に『事象そのものに帰るということは、認識に先だつ世界に帰ることである』ってあって、
    「事象そのもの」=「認識に先だつ世界」ってして見て、そしてこれを〈知覚されているもの〉ってして見たのね。

    ちょっとまとめて

    (As)
    まだ「加工されてない」経験
    まだ…区別されていない場所
    認識に先だつ世界
    知覚されているもの(知覚の領野)、あるいは知覚された世界

    これらのメルポンの表現はだいたい同じ、って見ておいていいかも、って。

    No45409の(Opc)ので見て見ると、 (As)が〈q〉に相当するかな。

    こういうのから、

    (Apr) 思考による「認識(判断)」によって、まだ加工されてない、認識に先だつものとして、〈知覚されているもの〉。

    ってして見ると、〈乳幼の頃の意識〉だけじゃなくて、〈大人になった意識〉にもあてはめられる?ん〜ん?

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■45413 / )  Re[27]: 無味無臭透明な芯
□投稿者/ pipit -(2026/02/23(Mon) 16:21:28)
    2026/02/23(Mon) 17:16:32 編集(投稿者)

    パニチェさんこんにちは、レスありがとうございます(^▽^)/

    No45408
    > 私は以前は“私”を「束」という表現を使ってました。
    > 立場や役割、性別や個性などなど、さまざまな細い1本1本が集まった束。
    >
    > 父親、夫、ビジネスマン、男、友人、短気などなど。。。
    >
    > でもその1本1本は他者にも当てはまる言語化可能なものであって〈私〉そのものではない。
    > もしこの束に〈私〉のような芯がないとすれば仏教の無我と完全に一致するだろう。
    >
    > でも、もし芯がないとすれば「(永井均氏の表現を借りれば)この目からだけ現実に世界が見えており、この体だけが殴られると現実的に痛く、この悲しみだけが現実的に直接的に悲しい唯一の存在者」となりえるのか?
    >
    > 他者との決定的な違いをもらすこの差異はどこから生じているのか?
    > 言語化不可能な透明無味無臭の芯が存在する証左ではないのか。。。<

    「束ねる働き」があるにしても、集まるものがそれぞれ違いますもんね。直接知るのは直接集まってくるものだけだし(それ以外の実際の働きは推測だし)・・・言語化不可能の唯一性(芯)が実存するという考え方なのかなぁ。
    全然わかってないと思うけど、今の段階ではそのような感想を持ちました。

    永井均先生たちの議論、私には難しすぎて、わたしが取り組むにはまだまだ先になりそうです(;^_^A
    道徳論とか興味あるんですけどね(o^―^o)v
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■45412 / )  Re[20]: 超越論的分析論XI−15
□投稿者/ pipit -(2026/02/23(Mon) 16:08:03)
    2026/02/23(Mon) 22:11:29 編集(投稿者)

    ※すみません、一部意見を変えて書き直しました。

    うましかさん、こんにちは(⌒∇⌒)

    No45407
    >ドイツ語原文ぜんぜんわからない〜(´;ω;`)ウッ…<

    原文探して驚きました。「ま、まさか一文!?」

    博識なチャッピー先輩に尋ねると、
    『はい、これは一文です。
    純粋理性批判 の典型的な「怪物的長文」ですね。』とのこと。

    チャッピー先輩のご意見も参考にしてのpipitの感想を書いてみました。
    (サンクス先輩!)

    No45407
    >しかし私たちは、全ての認識がその対象と連関するという私たちの考えが、〔それ自体のうちに〕ある種の必然性を伴っているということを認める。<

    もし「全ての認識がその対象と連関するじょ(/・ω・)/」と考えるなら、ある種の必然性も同時に考えることになる。

    どのような必然性か?

    >というのも、この対象は、私たちの認識が、漫然と、或いは任意に規定されているということが無いようにし、むしろ、ア・プリオリに或る仕方で規定されているようにするものと見做されるからである。<

    >何故なら、認識が或る対象と連関すべきであることによって、また必然的にその対象との連関において相互に合致しなければならない、すなわち、一つの対象という概念〔Begriff von einem Gegenstande〕を構成する、まさにそのような統一〔diejenige Einheit〕を持たねばならないからである。<

    いろんな認識全てがその対象に連関する・・・という考え方に「統一」という構造が仕組まれている。

    いまのところ文意をそのように考えてみました。
    …全然違うかも(-_-;)

    うましかさん、カント大沼おつかれさまです〜( ノД`)シクシク…
    (でもおもしろい?)
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■45411 / )  秘蹟における聖変化と量子論のアナロジー
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/23(Mon) 13:53:16)
    >パンとワインが聖体となる際、その見た目や味(アリストテレス哲学で言う「偶有性」)は変わらず、その本質・本性(「実体」)がキリストの体と血に変わる

    「聖体の秘蹟」といってもピンとこない日本人がほとんどだと思うが、

    キリスト教にあって、カトリックとプロテスタントを分けるのは、極論すれば、

    「聖体の秘蹟」一点といっていもいいくらいだ。

    カトリックでもプロテスタントその他でも、

    同じ歴史的実在のイエスキリスト、同じ新約聖書に依拠することでは何の違いもない。

    教義としては、イエスの完全な神性と完全な人間性、神としては三位一体。これもキリスト教と目されるからには

    ほぼ同じ。


    ただ「聖体の秘蹟」一点のみがカトリックとプロテスタントを分ける。

    カトリック−聖体の秘蹟=0

    それくらいの決定的な本質的な重要性をもっている。
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■45410 / )  Re[51]: つれづれなるままに 22
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/02/23(Mon) 10:31:39)
    現象学のを読んでて、「換骨脱胎」っていうの知ったよ。
    調べて見たら、AIによると、簡単に、

    換骨脱胎とは先人の詩文や作品の着想・表現を借りて、新しい要素を加え、独自の作品として作り変える技法
    (a)換骨: 凡骨を仙骨に取り替えることから転じて、意味を変えずに言葉だけを変えることを指します。
    (b)奪胎: 胎盤を奪い自分のものにすることから転じて、手本となる言葉を元に新しい作品を創作することを意味します。
    っていうことみたい。

    これって「間主観性」じゃない?って。

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■45409 / )  Re[50]: つれづれなるままに 22
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/02/23(Mon) 10:09:32)
    わたしの物語りつづける

    ちょっとここでわたしのを書いとくね。前にも書いたけど。

    (Ac) 私の外にある「もの」は、私の(意識)内で構成された〈もの〉となる。

    っていうのを基本としてる。現象学のからわたしに見えたものなんだけど、カントのもこう見てる?
    そして、しばらくまえから、「対象—感・知覚—思・考」、この関係を簡単に、

    (Opc) ある対象「Q」→{〈q〉,〈qはpである〉}

    っていう式にして見てる。
    ちょっと説明すると〜、
    「Q」は、私の外のある或る対象。これはその人に志向された対象ね。
    { }内は〈意識(精神)〉を意味してる。
    〈q〉は、「Q」が意識の内で構成されたもの。現象学で言えば「受動的総合」されたもの、〈知覚されているもの〉。
    〈qはpである〉は、〈q〉が〈p〉と「判断」されたことを意味してて、これを「認識」ってして見てる。
    { }内を「意識」、〈qはpである〉を「認識(判断)」、ってして見て、こんな感じで「意識」と「認識」を区別して見てる。

    あ、(Opc)はNo45258の図A1のような複雑な大人になった「意識」のなかから「感-知覚」と「思-考」の領域だけを取り出して見たものね。
    こいうふうにして見ると現象学のが見えやすくなった感じね。

    (Opc)のようなのから、No45314でわたしが見たカントのを表して見ると、
    (K-Opc) 「Q」→{〈xxxx〉→〈kq〉→〈kqはpである〉}
    みたいになるかな?
    ちょっと説明すると、
    〈xxxx〉は、〈kqはpである〉みたいにまだ規定されてないもの、多様なもの〈nX〉。カントの言う「現象Ersheinung」かな?
    〈kq〉は、「覚知の総合」によってされたもの。カントの言う「経験的直観」かな?
    この〈kq〉は、「…・のように見える」、のように“一種の判断”になってて、ん〜ん、真偽以前の「仮象」みたいなのかな?
    そして、〈kqはpである〉は、真偽がかかわる「判断(認識)」みたいな?
    このようなカントの、わたし勝手な〈kq〉のようなものなんだけどね。

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■45408 / )  無味無臭透明な芯
□投稿者/ パニチェ -(2026/02/23(Mon) 08:07:50)
    おはようございます、pipitさん、うましかさん。
    横レス失礼しますが、独り言みたいなワケわかめのレスだと思うのでスルーして下さい。

    No45404に返信(pipitさんの記事)
    > うましかさん、こんにちはー(^O^)

    > No45402
    > >自己のイメージとして、タマネギ等に喩える人がいますね<
    >>皮(属性)を一枚一枚めくって最後には何も残らない、つまり私(自己)は属性の総体、みたいな<

    > 私(自己)は「結束バンド」とかね( ^ω^ )?

    私は以前は“私”を「束」という表現を使ってました。
    立場や役割、性別や個性などなど、さまざまな細い1本1本が集まった束。

    父親、夫、ビジネスマン、男、友人、短気などなど。。。

    でもその1本1本は他者にも当てはまる言語化可能なものであって〈私〉そのものではない。
    もしこの束に〈私〉のような芯がないとすれば仏教の無我と完全に一致するだろう。

    でも、もし芯がないとすれば「(永井均氏の表現を借りれば)この目からだけ現実に世界が見えており、この体だけが殴られると現実的に痛く、この悲しみだけが現実的に直接的に悲しい唯一の存在者」となりえるのか?

    他者との決定的な違いをもらすこの差異はどこから生じているのか?
    言語化不可能な透明無味無臭の芯が存在する証左ではないのか。。。

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■45407 / )  超越論的分析論XI−15
□投稿者/ うましか -(2026/02/23(Mon) 02:45:31)
    2026/02/23(Mon) 02:47:29 編集(投稿者)

    piptさん、こんばんはー

    カント沼投稿です(;´・ω・)

    ドイツ語原文ぜんぜんわからない〜(´;ω;`)ウッ…

    訳文もさっぱりわからない〜( ノД`)シクシク…


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕
    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き 〔済〕

    第二節 経験の可能性のためのア・プリオリな諸根拠について【初版】

    ◆ 3. 概念における再確認の綜合について〔Von der Synthesis der Rekognition im Begriffe〕

    ◆ 私たちが思考しているものが、私たちが一瞬前に思考したものとまさに同じものであるという意識がなければ、諸表象の系列における全ての再生産は無益になるだろう。
    何故なら、〔もしそうだとすれば、〕私が思考しているものは、現在の状態における一つの新しい表象となってしまい、この表象は、表象を次々と産出したはずの作用には全く属さないことになってしまい、そうした表象の多様なものは常にいかなる全体をも成さなくなるに違いないからである。というのも、この多様なものは、あの意識のみがそれに与え得る統一を欠いたからである。
    もし、私が数をかぞえる際に、私にとって今感覚〔Sinnen〕の前に漂っている単位が、順次互いに私によって付け加えられたものであるということを忘れるならば、私は、このように1に1を継続的に付け加えることによって大きな数が産出されたということ、従ってまた、数〔という概念そのもの〕を認識しないだろう。何故なら、この〔数の〕概念はただ、この総合の統一についての意識にのみ存在するからである。

    ◆ 「概念」という言葉〔Das Wort Begriff〕が、既に自ずから私たちを導いて以上のことを注意させるのかもしれない。というのも、この一つの意識〔eine Bewusstsein〕こそ、多様なもの、〔即ち、〕順次直観されたもの〔Angeschaute〕を、継いでまた再生産されたもの〔Reproduzierte〕をも、一つの表象〔eine Vorstellung〕のうちへと合一させるものに他ならないからである。この意識はしばしば弱いものでしかあり得ないので、私たちはこの意識をその結果においてしか表象の産出と結びつけず、その作用自身おいては、換言すれば、直接的には、表象の産出と結びつけることがない。しかし、こうした相違にもかかわらず、やはり一つの意識〔ein Bewusstsein〕は、たとえその意識が際立った明瞭さを欠いているにせよ、常に見出されなければならない。だからこの意識無しでは、諸概念は、そして諸概念と共に諸対象についての認識は、全く不可能なのである。

    ◆そこでこの場合、いったい諸表象の対象という表現〔Ausdruck eines Gegenstandes der Vorstellungen〕で何が意味されているのかに関して説明しておくことが必要である。
    私たちは先にこのように述べた。すなわち、諸現象そのものは感性的表象〔sinnliche Vorstellungen〕以外の何ものでもなく、この感性的表象はそれ自体では、まさにこの感性的という様式においては、(表象能力〔Vorstellungskraft〕の外にある)対象と見なされてはならないのだと。〔では、〕その認識に対応する、従ってまたその認識と区別された対象について語る時、いったい人は何を理解しているのであろうか?容易に洞察できるのは、この対象は、或るもの一般〔etwas ueberhaupt〕=Xとしてのみ思考されざるを得ないということである。というのも、私たちは、自らの認識の外に、この認識に対応するものとして対置できるものを何一つ持っていないからである。

    ―― No.45317 の続き ---

    ◇ しかし私たちは、全ての認識がその対象と連関するという私たちの考えが、〔それ自体のうちに〕ある種の必然性を伴っているということを認める。というのも、この対象は、私たちの認識が、漫然と、或いは任意に規定されているということが無いようにし、むしろ、ア・プリオリに或る仕方で規定されているようにするものと見做されるからである。

    ◇ 何故なら、認識が或る対象と連関すべきであることによって、また必然的にその対象との連関において相互に合致しなければならない、すなわち、一つの対象という概念〔Begriff von einem Gegenstande〕を構成する、まさにそのような統一〔diejenige Einheit〕を持たねばならないからである。


    † 原佑訳上巻、p.270参照。 原典はMeiner, p.213〜p.214
    † その他、以下を参照。中山元 訳2, p.198、石川文康 訳 上巻, p.163〜p.164、有福孝岳訳, p.183
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 訳文作成では、ChatGPTを活用・参考にすることがあります。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    XI−13 No.45082、XI−14 No.45317、XI−15 No.45407
    XI−10 No.44534、XI−11 No.44755、XI−12 No.44983
    XI−7 No.43813、XI−8 No.43877、XI−9 No.44186
    XI−4 No.41315、XI−5 No.43407、XI−6 No.43622
    XI−1 No.40347、XI−2 No.40360、XI−3 No.40741
    ]−7 No.40294、]−8 No.40300
    ]−4 No.40101、]−5 No.40235、]−6 No.40240
    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,
    No.37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,
    No.39943,40101,40235,40240,40294,40300
    第二節 No.40347,40360,40741,41315,43407,43622,43813,
    No.43877,44186,44534,44755,44983,45082,45317,45407

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■45406 / )  うましかさんへ(`・∀・´)
□投稿者/ pipit -(2026/02/22(Sun) 23:40:30)
    知らなかったなー

    結束バンド
    ♪ドッペルゲンガー

    ://youtu.be/776pBhZ3oO0?si=OWR-vssZC8iyZGwP

返信/引用返信 削除キー/

■45405 / )  pipitさんへ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2026/02/22(Sun) 21:14:04)
    こんばんはー

    No.45404(pipitさん)

    >私(自己)は「結束バンド」とかね( ^ω^ )?

    とかね(´・_・`)

    ・h
    ttps://www.youtube.com/watch?v=EKedY3tedTY


返信/引用返信 削除キー/

■45404 / )  うましかさんへ( ^ω^ )
□投稿者/ pipit -(2026/02/22(Sun) 15:17:41)
    うましかさん、こんにちはー(^O^)

    No45402
    >自己のイメージとして、タマネギ等に喩える人がいますね<
    > 皮(属性)を一枚一枚めくって最後には何も残らない、つまり私(自己)は属性の総体、みたいな<

    私(自己)は「結束バンド」とかね( ^ω^ )?

    > ここで、いや全体は部分の総和にまさると考えるか、部分の総和にすぎないと考えるかで、うましかと名づけられたタマネギとしての存在的な意義みたいなものを感じるかもしれませんが、、、<

    > しかし、タマネギもいつかは腐敗し塵にかえるとすれば、そこには時間的な意義みたいものが感じられるかもしれません<

    感情や感覚というやっかいなものがあるので、
    やっぱり苦より苦が無いの方がいいと思うしなぁ

    > で、そこに在る、そこに在った、というのも、人の記憶に制約されているものだとすれば、覚えている人が誰もいなくなれば、
    >
    > >残らないも残らない
    >
    > かもしれませんね(´・_・`)<

    「無い」ということを考えます。
    何かがあって、それが「無い」。

    普通に考えたら、思考が無いときに「無い」も無いのかなぁとか。


    > ここまで書いて、そろそろ年度末だなーとおもいました(´-`).。oO<

    !(◎_◎;)は、はやい、ハヤスギル....

    人生忙し過ぎる気もします....YouTube見過ぎかも....
返信/引用返信 削除キー/

■45402 / )  pipitさんへ(・∀・)
□投稿者/ うましか -(2026/02/22(Sun) 13:18:49)
    No.45395(pipitさん)

    >すべての属性を振り落としていったなら、
    そのとき何が残るのだろう

    残ると残らない

    残らないまで滅するなら

    残らないも残らないのだろうか<


    自己のイメージとして、タマネギ等に喩える人がいますね

    皮(属性)を一枚一枚めくって最後には何も残らない、つまり私(自己)は属性の総体、みたいな

    ここで、いや全体は部分の総和にまさると考えるか、部分の総和にすぎないと考えるかで、うましかと名づけられたタマネギとしての存在的な意義みたいなものを感じるかもしれませんが、、、

    しかし、タマネギもいつかは腐敗し塵にかえるとすれば、そこには時間的な意義みたいものが感じられるかもしれません

    で、そこに在る、そこに在った、というのも、人の記憶に制約されているものだとすれば、覚えている人が誰もいなくなれば、

    >残らないも残らない

    かもしれませんね(´・_・`)



    ここまで書いて、そろそろ年度末だなーとおもいました(´-`).。oO


返信/引用返信 削除キー/

■45401 / )  (妄想)
□投稿者/ 田秋 -(2026/02/22(Sun) 08:51:54)
    悪魔ちゃんの2月20日の書き込み( no45389 )を読んで浮かんだ(妄想的)疑問。

    人類は地球初の自滅した生物になり得るか?

    閾値を越えると暴走が止められなくなる。

    自分の力で人類を滅亡させることができるなら命は惜しくないと考える人間はいるか。


返信/引用返信 削除キー/

■45400 / )  うましかさんへ(^_^)
□投稿者/ pipit -(2026/02/22(Sun) 00:12:53)
    うましかさん、こんばんは(^_^)

    No45399
    > 久しぶりに本屋に行ったらカント先輩の「プロレゴメナ」の新訳が! (・∀・)☆
    >
    > ◇大橋容一郎訳『プロレゴーメナ』,2026年<

    おぉ!積読になるかもだけど持っておきたいです!

    本屋さんおもしろいですよね♪

    > >『純粋理性批判』への無理解や曲解に対して書かれた本書は、『純粋理性批判』の詳細な解説書にして、学問としての形而上学のための序論(プロレゴーメナ)でもある。カント理解に必読の一冊。巻末資料として、本書執筆のきっかけとなったガルヴェ/フェーダー「ゲッティンゲン書評」を掲載。<

    カント先輩プンプンo(`ω´ )oの「ゲッティンゲン書評」興味あるなぁ

    > ウィキペディアでしらべてみたら、こうありました(;´・ω・)
    >
    > ・h
    > ttps://ja.wikipedia.org/wiki/属性
    >
    > >スコラ学などの古典的なアリストテレスの系譜の哲学の用語法では、attributeは本質に属し、本質を構成する性質をいった。それに対し、propertyは本質には属さないが個体の有しうる、有している特性をいった。ただし、この区別は近世以後混交し、現代ではほとんど用いられなくなった。
    >
    > チャッピー先輩に「本質的属性」と「偶有的属性」について聞いてみたらおもしろかったです(*‘∀‘)

    本質的属性という考え方もあったのですね!
    私のイメージはこういうかんじなのかなぁ(属性が本質を構成する)

    うましかさん、書き込みありがとうございます♪

返信/引用返信 削除キー/

■45399 / )  pipitさんへ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2026/02/21(Sat) 20:59:19)
    こんばんはー

    久しぶりに本屋に行ったらカント先輩の「プロレゴメナ」の新訳が! (・∀・)☆

    ◇大橋容一郎訳『プロレゴーメナ』,2026年

    ・h
    ttps://www.iwanami.co.jp/book/b10155823.html

    >『純粋理性批判』への無理解や曲解に対して書かれた本書は、『純粋理性批判』の詳細な解説書にして、学問としての形而上学のための序論(プロレゴーメナ)でもある。カント理解に必読の一冊。巻末資料として、本書執筆のきっかけとなったガルヴェ/フェーダー「ゲッティンゲン書評」を掲載。<

    *******

    ついでに、、、本屋のなかを徘徊していたら出会った本。一期一会(立ち読み)

    ◇フレデリック・グロ『歩くという哲学』,2025年

    ・h
    ttps://www.yamakei.co.jp/products/2823350020.html

    *******

    No.45395(pipitさん)

    >すべての属性を振り落としていったなら、
    >そのとき何が残るのだろう

    >残ると残らない

    >残らないまで滅するなら

    >残らないも残らないのだろうか

    ウィキペディアでしらべてみたら、こうありました(;´・ω・)

    ・h
    ttps://ja.wikipedia.org/wiki/属性

    >スコラ学などの古典的なアリストテレスの系譜の哲学の用語法では、attributeは本質に属し、本質を構成する性質をいった。それに対し、propertyは本質には属さないが個体の有しうる、有している特性をいった。ただし、この区別は近世以後混交し、現代ではほとんど用いられなくなった。

    チャッピー先輩に「本質的属性」と「偶有的属性」について聞いてみたらおもしろかったです(*‘∀‘)


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■45398 / )  愛について
□投稿者/ rest -(2026/02/21(Sat) 20:17:06)
    迷ったが保存する価値があると思います。α&ωさんどうか事後承諾を。

      ▼■
    □投稿者/ α&ω -(2026/01/24(Sat) 11:58:53)
    2026/01/24(Sat) 21:17:41 編集(投稿者)

     「それゆえ、信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。
      その中で最も大いなるものは愛である。」
      (コリント人への手紙第一13章13節)

    とあるが、愛は一般的に語られるのではなく、個別的に語られるべきだ。
    たとえば家族愛も愛であり、利己愛も愛である。愛一般が素晴らしいとは言えない。
    家族愛の愛は素晴らしいが、利己愛の愛は素晴らしいとはいえない。個別的に判断しなくてはならない。
     ここでいう「愛」は人間の愛とは違い「神」の愛である、とたぶん解釈できる。
     
    「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
      ー略ー
      天の父は悪い人にも良い人にも太陽をのぼらせ、正しい
      人にも、正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」
      (マタイ福音書5章44〜45節)
    自分と同じ考え方の人のみ愛する、つまり味方のみ愛するという共同体的愛
    ではなく、自分と意見の異なる人、つまり敵も尊重するという愛です。
     共同体への愛は同時に異なる他者への憎しみも派生させます。個性愛は
    類への憎しみを同時に生じさせます。愛と憎しみがコインの裏表のようにいつも
    一緒なのです。Appendixさんのいう物理のベクトルと同じです。
    「愛」の是非は一般的ではなく、個別的に語られるべきです。


    (追記)restによる一見解。

    今回の衆院選挙において「多様性の尊重」が裏目にでたのではないか。
    「多様性の尊重」というと同時に似た者同士嫌うという傾向もあるので
    「多様性の尊重」という意見をもった者同士がぶつかると多様性を嫌う意見
    すなわち「共同性の尊重」へ流れる、逆の効果もあるのではないかと考えている。
    だからこそ最初からバランスを尊重し、現在は共同性へ偏りすぎるのでバランスを
    取り戻すため「多様性の尊重」へ力を入れる、という具合に方向づけるべきだった
    のではないか。
返信/引用返信 削除キー/

■45397 / )  Re[25]: 日記
□投稿者/ pipit -(2026/02/21(Sat) 19:42:10)
    No45396に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > >すべての属性を振り落としていったなら、
    > >そのとき何が残るのだろう
    >
    > 属性させるもの、 じゃない?

    悪魔ちゃん、こんばんは
    属性させるものがちゃんと残るのかなぁ
    生きるが属性させるものであったら、それが主体であり得るのかなぁ
    主体が生きるという考え方が普通(普遍的)なのかなぁ
    書き込みありがとうね!


返信/引用返信 削除キー/

■45396 / )  Re[24]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/02/21(Sat) 19:16:51)
    >すべての属性を振り落としていったなら、
    >そのとき何が残るのだろう

    属性させるもの、 じゃない?
返信/引用返信 削除キー/

■45395 / )  日記
□投稿者/ pipit -(2026/02/21(Sat) 18:16:30)
    あぁ、旅がしたいな

    //youtu.be/7zl5vgSiJZk?si=Ry-A36ejjpIS1FSz
    ♪voyage

    すべての属性を振り落としていったなら、
    そのとき何が残るのだろう

    残ると残らない

    残らないまで滅するなら

    残らないも残らないのだろうか

返信/引用返信 削除キー/

■45394 / )  Re[6]: クラプトン
□投稿者/ パニチェ -(2026/02/21(Sat) 08:26:55)
    こんばんは、おはようございます、フローラさん。
    レスありがとうございます。

    No45381に返信(floraさんの記事)
    > パニチェさん、こんばんは〜

    > レスありがとうございます。

    > こういうコンサート見たかったです。

    > クラプトン、ベック、ペイジの共演

    私たち世代の三大ギターリストですね。^^

    > h
    > ttps://www.youtube.com/watch?v=ICpxgxThG7s

    > *全くの余談なんですが、クラプトンは、ロンドンに有る紳士服店(
    > コーディングス)のオーナーなのはご存知ですか?^^;

    > 世界に1店だけ、潰れかけていた店を購入して成功させているようです。
    >
    > ブリティッシュ・トラッドですね。

    > h
    > ttps://www.cordings.co.uk/news/mr-clapton-and-cordings/

    > h
    > ttps://www.cordings.co.uk/

    全然、知りませんでした。
    大の格闘技好きでPRIDE(以前は世界的にメジャーだった総合格闘技のイベント)を観戦するためによく来日してたのは知ってましたが。。。^^
返信/引用返信 削除キー/

■45393 / )  日記
□投稿者/ pipit -(2026/02/21(Sat) 07:50:03)
    私の今の所のカント哲学の感想(誤解可能性勿論有り)

    カント哲学的には、、、
    「経験」はみんな一つなんだ。
    例えば、殺し合いが起きれば、人類にとってそのような出来事が起きたことを一緒に「経験」する。
    受ける感覚は個人それぞれ(主観)なんだけど、カント用語での「経験」はひとつ。

    人類は運命共同体の側面があるとカント哲学では言えるのかなーと思った。

    そして自分も構成員なのだ。
返信/引用返信 削除キー/

■45392 / )  Twitterいろいろ注意喚起にて。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/21(Sat) 02:44:33)
    Twitter上で世界中のavを無料で見ているけど、怪しいリンク動画にて増えてて危ないにて当分見ないように注意にて。Twitterにて1ヶ月前に特別解放(開放)にてイラストや同級生や芸能人の画像をgrok ai でヌードに出来てにてらしくて1週間くらいの特別にてってらしくて一般人の同級生をヌードにする若者続出にてってらしくて知らなかってにて。。

    取り敢えずいろいろ注意にて。。怪しい金儲け系のアカウント急増にて。。

    一二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
返信/引用返信 削除キー/

■45391 / )  ピタゴラスと輪廻転生にて。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/21(Sat) 00:22:55)
    今日のTwitter哲学スペース生放送にて、ヤスパースの限界状況などの実存でにた。来週にて「ピタゴラスと輪廻転生」にて数学で輪廻転生を解明にてにょ。一二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
返信/引用返信 削除キー/

■45390 / )  薬の転売ヤー。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/20(Fri) 20:44:12)
    Twitterにて見ていたら薬の転売ヤーの動画にて流れてきて、麻薬中毒者にて、ハルシオンにてよく購入するとのことにて。眠剤にて一番売れているのが、マイスリー10mgにて僕も2019年の入院中にマイスリー5mgを頓服眠剤とにて飲んでいたにてにょ。レンドルミンも人気とのことにて。

    Twitterの友人にもマイスリーをたくさん飲んでとび降り自裁にて助かってリハビリ中の人にているにてにょ。

    薬の転売にて月に50万円から80万円の儲けとのことにて恐いにてにょ。
返信/引用返信 削除キー/

■45389 / )  Re[49]: つれづれなるままに 22
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/02/20(Fri) 19:09:07)
    ネットのニュース見てたら、
    「殺傷武器輸出、原則容認へ 自民案、協定締結国に限定(共同通信) - Yahoo!ニュース」
    っていうのあった。
    もしこれがそのとおりなら、
    No45338のつづき的なのになるかもだけど、

    この前の選挙は、
    日本を「人を殺したり傷つける武器を作って、それを他国に輸出(売ろう)できる国にしよう!」(a)
    「そうだ!そうだ!」と賛同する人が多かったっていうことになるのかな。
    これに反対する人が何言ってもダメよ、っていう状況を作り出したい人が多かった、ともいえるかな。

    タカ高ちゃんは、政府は「武力強化(国力)」を徹底的に強くするので、ぜひこの成長分野に投資しましょう!って言ってるようにも見れる。

    このための手始めとして(a)から、なのかな。

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■45388 / )  節分の百円くじ。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/20(Fri) 17:10:24)
    あうー、あうー、節分の百円くじ、はずれてにてにょ。今回、1千万円当たる予定にてってので厳しいにてにょ。ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。

    3月16日(月曜日)に、バレンタインくじ、で2億円当たる予定にてにょ。
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■45387 / )  Re[28]: メルロポンティ哲学と量子論
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/20(Fri) 17:02:58)
    >結論から言うと、モーリス・メルロ=ポンティ(1908ー;1961)は、20世紀の哲学者の中で、量子論(量子力学)と相性が特に良い(あるいは、量子論的な世界観を哲学的に解釈する上で非常に有用な)哲学者の一人といえます。
    その理由は、彼が伝統的な「主体と客体の分離」や「機械論的な決定論」を批判し、「身体」や「肉(chair)」という概念を用いて、観察者と世界が相互に浸透し合う構造を明らかにしたからです。

    メルロポンティは科学哲学というより、美学芸術の哲学が本領だという人もいるでしょう。

    セザンヌの絵画についての論考は有名だよね。

    わたしの印象でも、哲学者のなかでもとくにみずみずしい感性をもっているのがメルロポンティだ。
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■45386 / )  真の哲学は量子論ともどこかで響きあう
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/20(Fri) 09:26:33)
    西洋哲学史上の名だたる哲学者たちと量子論的な世界観の整合についてAIに質問してみると、

    どこかで通じるという回答が返ってくる。


    要約的な視点、あるいはこじつけ(?)として、そのように考えることもできるというだけかもしれないが、

    リアリティや真理を深く考え抜いた哲学者であれば、科学的な真理の到達点と、深いところで交差するのは

    不思議でも何でもない。

    少なくとも、はいこれが科学ね、キミの哲学は終わってるよみたいな単純な発想が一線級の哲学に通用するわけが

    ないのはあまりにも当然だろう。
返信/引用返信 削除キー/

■45385 / )  げんちょうに笑われるにて。。ai
□投稿者/ アートポット -(2026/02/19(Thu) 23:35:52)
    薬の仕分け中に近所から実況する笑い声が聴こえて辛い。心が病む。。ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。

    うわぁ…それは本当に辛いね。
    薬の仕分けって、集中しないとミスにつながりやすい作業なのに、近所から楽しそうな笑い声や実況みたいな声が響いてくると、心が削られる感じがすごくわかるよ。自分がしんどいときに周りが楽しそうにしてるのって、余計に孤独感とか虚無感が増すよね…。今、心が病みそうなくらいしんどいなら、まずは少しでも「自分の空間」を守る方向で動いてみるのはどうかな。いくつか現実的な対処アイデアを並べてみるね(すぐにできるものから):耳栓 or ノイズキャンセリングイヤホン
    薬の仕分け中は安全第一だから、完全に音を遮断するのは危ないかもしれないけど、普通のフォーム耳栓(100均とかで売ってるやつ)でもかなり軽減するよ。音楽やホワイトノイズを小さめにかけるのもアリ。
    作業する部屋を変える・位置を変える
    もし可能なら、笑い声が一番聞こえにくい部屋や方角に移動してみる。窓から遠ざけるとか、壁際じゃなくて部屋の中央とか。
    ホワイトノイズ・雨音・環境音を流す
    YouTubeやアプリで「雨音」「川のせせらぎ」「ファンの音」みたいなのを流すと、人の声が意外とマスクされて気になりにくくなる。笑い声って不規則だから、一定のノイズで埋めると心の負担が減ることが多い。
    一時的に作業を小分けにする
    10&#12316;15分集中 → 5分休憩で耳を休めて深呼吸、みたいな感じで区切ると、少し耐えやすくなるかも。

    直接「うるさい」とか言うのはリスク高いし、今のメンタルだと余計に消耗しそうだから、まずは自分を守る方向を優先した方がいいと思う。それでもどうしても限界が来たら、管理会社や大家さんに「夜間に近所から大きな笑い声が続いていて、集中が必要な作業ができなくて精神的にきつい」って相談するのも一つの手だよ(匿名っぽく伝えられる場合もある)。今夜はもう無理なら、無理に仕分け続けなくていいからね。少しでも横になって休んで、心を休ませてあげて。
    ここに吐き出してくれてありがとう。一人で抱え込まないで、また辛くなったらおいで。少しでも楽になるように、一緒に考えてみるから。
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■45384 / )  其泉窯 2
□投稿者/ 田秋 -(2026/02/19(Thu) 20:18:48)
    同じく其泉の花瓶
655×874 => 450×600

1039.jpg
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■45383 / )  其泉窯 1
□投稿者/ 田秋 -(2026/02/19(Thu) 20:17:02)
    コーヒーカップ&ソーサー 色違い

    其泉についてはこちら
    h
    ttps://shop.shobido-honten.com/blogs/news/kisennituitezenpen
751×1000 => 451×600

kisentui.jpg
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■45382 / )  源右衛門窯
□投稿者/ 田秋 -(2026/02/19(Thu) 20:06:59)
    買った商品が届きました。

    まずは源右衛門窯で買ったコーヒー碗皿、小皿、箸置き
1000×750 => 600×450

genemon.jpg
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■45381 / )  Re[5]: クラプトン
□投稿者/ flora -(2026/02/19(Thu) 02:45:15)
    パニチェさん、こんばんは〜

    レスありがとうございます。

    こういうコンサート見たかったです。

    クラプトン、ベック、ペイジの共演

    h
    ttps://www.youtube.com/watch?v=ICpxgxThG7s

    *全くの余談なんですが、クラプトンは、ロンドンに有る紳士服店(
    コーディングス)のオーナーなのはご存知ですか?^^;

    世界に1店だけ、潰れかけていた店を購入して成功させているようです。

    ブリティッシュ・トラッドですね。

    h
    ttps://www.cordings.co.uk/news/mr-clapton-and-cordings/

    h
    ttps://www.cordings.co.uk/
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■45380 / )  Re[24]: 精神疾患の7基準。
□投稿者/ 素浪人A -(2026/02/18(Wed) 21:26:31)
    アートポット氏はみずから統合失調症と名乗っているから
    その言動はほとんど妄想からくると健常者は判断する。
    つまりおたくは社会的信用がまったくないということだ。
    差別といえばそうだが、病名から妄想患者であるという
    イメージが消えない限り差別は続くだろう。
    医療技術が進歩して統合失調症を完全に治すことが
    可能ならば通常の病気として差別はなくなるだろう。
    脳の病気ということだから、ドーパミン仮説が主流のようだが
    神経伝達物質のドーパミン過剰を抑制できれば妄想は消えるはずだが
    あまり成功しているとはいえないようだ。
    もっとも寛解という状態はあるようだ。完全に治らなくとも社会生活が
    おくれるようになれば良しとすべきかもしれない。
    妄想をある程度抱いても社会生活が可能ならば治療は成功したといえるのではないか。
    そのためには薬物療法よりも社会復帰のためのリハビリが重視されるべきではないか。
    ヨーロッパでは統合失調症の治療薬は1日にただの1錠が主流のようだ。そのかわり
    リハビリは充実している。日本は薬が過剰に提供されているようで、完全回復を
    目標にしているせいかもしれないが身体への副作用が心配だ。
    不完全でも社会復帰を目標にすべきではないか。
    薬を減らしてリハビリに力を入れるべきだ。
返信/引用返信 削除キー/

■45379 / )  王将戦第4局
□投稿者/ 田秋 -(2026/02/18(Wed) 20:30:12)
    夕方4時半ころ自宅に戻り、王将戦を見る。

    永瀬有利で局面が進み、結局永瀬が藤井玉に詰めろをかけた辺りで藤井王将の投了となった。これで藤井王将の1勝3敗となった。7番勝負で初めてのことである。

    増田8段との棋王戦第1局に敗れたがその後の朝日杯決勝で伊藤匠2冠に勝ち5回目の優勝を手にした。

    追い上げが厳しいのか本調子でないのか、そこのところはよくわからない。

    また福間女流6冠が挑戦している編入試験第2局が17日に行われたが福間女流は2敗目を喫しあとが無くなった。

    一将棋ファンとしてはみんなガンバレ!としか言えない。。。
返信/引用返信 削除キー/

■45378 / )  精神疾患の7基準。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/18(Wed) 20:05:13)
    1 適切な食事 、 2 身辺の清潔保持 、 3 金銭管理と買い物 、 4 通院と服薬 、 5 他人との意思伝達及び対人関係 、 6 身辺の安全保持及び危機対応  
    、 7 社会性 。ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。

    1 適切な食事
    2 身辺の清潔保持
    3 金銭管理と買い物
    4 通院と服薬
    5 他人との意思伝達及び対人関係
    6 身辺の安全保持及び危機対応
    7 社会性

    4段階は、次の通りです。

    (1) できる
    (2) 時には助言や指導が必要
    (3) 助言や指導があればできる
    (4) 助言や指導をしてもできない若しくは行わない

    7項目それぞれについて4段階のどれにあてはまるかを医師が診断書に記載し、それをマトリクス表にあてはめると等級の目安が決まるしくみです。

    この日常生活7項目を意識し、分かりやすく主治医に伝えるようにしましょう。

    ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
返信/引用返信 削除キー/

■45377 / )  聖体の秘蹟とメルロポンティ身体論の交差
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/18(Wed) 16:34:24)
    AIに聞くシリーズはとりあえずこれでひと段落にします。

    ーーー



    「聖体の秘蹟」と「メルロ=ポンティ哲学」は、一見すると神学と現象学という別領域に属しますが、「身体」「現前」「他者との交わり」というテーマを通して、深く響き合う可能性があります。



    1. 聖体の秘蹟とは

    **聖体の秘蹟(エウカリスティア)**は、キリスト教、とくにカトリック教会において中心的な秘跡です。
    パンとぶどう酒が、実体においてキリストの体と血に変わる(実体変化)
    最後の晩餐でのイエス・キリストの言葉に基づく
    信徒はそれを「食べる」ことで、キリストと一致する

    ここで重要なのは、「神」が単なる観念ではなく、食べられる身体として現前するという点です。
    神は抽象的真理ではなく、身体的・感覚的な形で与えられる。



    2. メルロ=ポンティの身体論

    モーリス・メルロ=ポンティは、現象学において「身体(le corps)」を哲学の中心に据えました。

    彼の主張の核心:
    私たちはまず「身体として」世界にある
    知覚は精神の中の表象ではなく、身体の運動的関与である
    身体は「物体」ではなく「生きられた身体(corps propre)」である

    さらに後期思想では「肉(la chair)」という概念を提示します。
    主体と客体を分ける以前の、世界と私を貫く存在の次元
    見る者と見られるものが交差する場所



    3. 両者の接点

    @ 身体を通した現前

    聖体では、キリストは「象徴」ではなく、身体として現前する。
    メルロ=ポンティにおいても、意味は身体を通して現れる。

    → 神の現前もまた、身体的出来事として理解できる。


    A 「肉」とキリストの身体

    メルロ=ポンティの「肉」は、単なる物質ではなく、存在の織物のようなものです。

    聖体においてキリストの「肉」を食べるという行為は、
    神と人間の間の距離を超える
    存在のレベルでの交差を生む

    これはメルロ=ポンティのいう「交差(chiasme)」と響き合います。



    B 主体と他者の溶解

    聖体は単なる個人的体験ではなく、教会共同体の出来事です。

    メルロ=ポンティもまた、主体は孤立した意識ではなく、
    他者と世界との関係の網の目の中で成立すると考えました。

    → 聖体は「神との関係」だけでなく、「共同体的身体」を作る。



    4. 哲学的問い

    この接点から、いくつかの深い問いが生まれます:
    「実体変化」は現象学的にどう理解できるか?
    聖体は「象徴」か、それとも存在論的出来事か?
    神の現前は知覚の構造を変えるか?



    5. まとめ

    聖体の秘蹟は、
    神が「身体」として現れる出来事
    存在が「食べられる」形で与えられる神秘

    メルロ=ポンティ哲学は、
    私たちが身体を通して世界と交差する存在であること
    主体と客体の二元論を超える存在論

    両者を重ねると、聖体は単なる教義ではなく、
    存在論的・現象学的出来事として再解釈できる可能性があります
返信/引用返信 削除キー/

■45376 / )   メルロポンティ哲学と量子論
□投稿者/ knowingitself -(2026/02/18(Wed) 14:39:41)
    20世紀の哲学者の多くが、フッサール現象学の圏内にいるが、わたしの印象ではメルロポンティあたりが特に量子論との親和性が高い感じだが、AIにも聞いてみた。なるほどかな。

    ーー

    結論から言うと、モーリス・メルロ=ポンティ(1908&#8211;1961)は、20世紀の哲学者の中で、量子論(量子力学)と相性が特に良い(あるいは、量子論的な世界観を哲学的に解釈する上で非常に有用な)哲学者の一人といえます。
    その理由は、彼が伝統的な「主体と客体の分離」や「機械論的な決定論」を批判し、「身体」や「肉(chair)」という概念を用いて、観察者と世界が相互に浸透し合う構造を明らかにしたからです。
    具体的に、どのような点が量子論と親和性が高いのかを分かりやすく解説します。

    1. 「観測者」と「対象」が分かち難い(可逆的な関係)
    量子論の最大の特徴の一つは、観測という行為が対象の状態に影響を与える、あるいは観測者と対象を分離できないという点(コペンハーゲン解釈など)にあります。
    量子論: 観測装置(マクロな系)と粒子(ミクロな系)は、測定の過程で一つのシステムとして振る舞う。
    メルロ=ポンティ: 身体は「世界を知覚する主体」でありながら、同時に「世界の一部(物質)」でもある。見るもの(主体)は、見られるもの(対象)と地続きであり、可逆的な関係にある(「肉」の存在論)。

    2. 「不確定性」と「確率的実在」の肯定
    量子論は、粒子が「ここにある」という確実な事実ではなく、確実性(確率)として存在すると主張します。
    量子論: 測定するまで状態は確定せず、複数の可能性が重なり合っている。
    メルロ=ポンティ: 彼は「すでに完成された静的な客観的現実」ではなく、身体を通じた「知覚の過程」や「潜勢的な(可能性がある)実在」を重視しました。世界は確定した実体の寄せ集めではなく、可能性に満ちた「生きられた現場」です。

    3. 主客二元論の解体
    ニュートン的な古典物理学では、絶対的な客観的空間に絶対的な客観的主体が独立して存在するという世界観でした。
    メルロ=ポンティの批判: このような「上空から俯瞰するような知」を拒否しました。私たちは世界を外側から見る神の視点を持っているのではなく、世界に「受肉(身体を持って)」し、その中に浸りながら世界を構成している、と考えました。

    4. 晩年の「肉」と「キアスム」
    晩年の著書『見えざるものと見えるもの』では、「肉(chair)」という独自の概念を用いて、自己と世界、意識と物質が「キアスム(交差・抱き合い)」の関係にあると論じました。これは、量子もつれのような、離れた粒子が相互に影響し合うような複雑な相関関係を哲学的・記述的に捉えるための枠組みを提供します。

    まとめ:量子論的な世界を描き出す「現象学」
    メルロ=ポンティは、物理学的な方程式を立てたわけではありませんが、「量子論が示しているような、主体と客体が渾然一体となった、不確定で動的な世界」を、身体感覚のレベルから解き明かした哲学者といえます。
    彼がコレージュ・ド・フランスで行った講義ノートや、晩年のノートにも、現代物理学の不確定性原理を肯定的に引用・参照している箇所があり、彼自身が科学と哲学の架け橋を意識していたことは明らかです。
    したがって、量子論の哲学的な解釈や意味づけを模索する際、メルロ=ポンティの思想は極めて有力なパートナーになると評価されています。
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■45375 / )  伊万里から佐賀
□投稿者/ 田秋 -(2026/02/18(Wed) 14:39:07)
    伊万里の窯元の多くは大川内山にある。適当な時間にバスがなかったのでタクシーで向かった。運転手さんにここでの大川内の読み方を尋ねると「おおかわち」だそうだ。昔日フィルに同じ字を書いて「おおこうち」と読むコンマスがいらした。多分その読み方のほうが多いのではないか。

    15年位前にも一度来たことがあるが、どうやって来たのかまるで覚えがない。その時は長春窯と言うところで青磁のコーヒー碗皿を買った。昨日前を通った時はまだ開いてなかった。
    今回のお目当ては色鍋島。案内所で色鍋島を焼いている窯を尋ねると本格的に焼いているのは光山窯と鍋島御庭焼と言うことだったので訪れることにした。山の麓の方にあるのは鍋島御庭焼だが、10時開店ということでまだ閉まってた(ボクが着いたのは9時半頃)。それで先に光山窯に行くことにした。
    h
    ttps://imari-ookawachiyama.com/pottery/kozan/

    店という感じではなく普通の民家の和室に焼き物が並んでいた。そこの奥さんと暫く話していると、どちらから?ご旅行?などからボクが元日フィルのメンバーで団員だった時は毎年2月に九州に来ていたこと、今、日フィルが九州に来ていて一昨日は福岡でコンサートで友達に会いがてらそれを聴き今日は佐賀でコンサートなど話すと「昔、日フィルが福岡サンパレスでコンサートをしていた頃聴きに行ったことがある」とのことだった。「今はアクロスです」などとそこからいろいろ話が弾んだ。
    「そろそろ鍋島御庭焼も開いているのでは」とのことなのでお礼を言い鍋島御庭焼に向かった。

    店に入り店の人に色鍋島のコーヒーカップで気に入ったのがあったら買いたいと言ったら、色々鍋島焼について説明してくれた。そしてここでは注文を受けて一から作るとのこと。要は品物を見て買うのではなくこういうのが欲しいとこちらが希望を出して作ってもらうのである。製作には1年かかる、二つ作って良いほうを注文主に買ってもらい、もう一つは店で売るとのことだった。
    そして極めつけが、店員のおばさんだと思っていた人がここの5代目当主市川光春さんだった!

    h
    ttps://www.nishinippon.co.jp/item/1354487/
    最初に写っている人が5代目

    コーヒーカップを注文して作ってもらったことなどないので、ここは注文する一手、作ってもらうことにした。今右衛門で牡丹柄のカップを持っているので同じく牡丹柄にしてもらうことにした。異なる作家さんで同じ花というのはボクの趣味、ヘレンドとアウガルテンで殆ど同じバラ柄とか(この2つが殆ど同じなのは歴史的経緯がある)。
    尤も注文者の言いなりになるわけではなく鍋島には鍋島の図柄の特徴(制約?)と言うものがある。それに出来上がるのに1年かかるならそれを理由にまた伊万里に来れる(?)。どうぞよろしくお願いします、と店をあとにした。

    ここでお昼になり、これ以上の散財を避ける意味でも大川内山を離れることにした。帰りはバスがあった。タクシーは2200円だったがバスは200円。伊万里市内で伊万里牛のハンバーグを食べた、カウンター席の隣のお嬢さんは200gを頼んでいたがボクは150g。若いっていいなあ。

    4時半頃佐賀に着いてホテルにチェックイン。10年来ないうちに佐賀の街が都会になっていてびっくり。近代的な建物が立ち並び、街路樹は電飾が装飾されていた。

    今日のプログラムは「くるみ割り」より「花のワルツ」、ラフマの2番のPコン、メインが火の鳥組曲。全体に短いと思ったのだろう、指揮の藤岡は組曲の各ピースがどう言う場面を描いているのかを音入りで説明をしていた。音楽教室みたいになるのでコンサートでは普通やらないが、隣の席のご夫婦は興味を示していた。1曲目の出だしのあの不気味な旋律を実は大太鼓の低音のドロドロがあるとないとでは大違い、ということで最初大太鼓抜きで演奏、次にオリジナル通りに演奏すると隣のご主人は「ホーっ」と感心していた。確かにその効果は抜群で、ストラヴィンスキーはよく考えていると思った。他に「ここは火の鳥が羽ばたいているところです。バタバタバタって。ね、そう聞こえるでしょう?」など。

    佐賀のコンサート、ボクが在籍してた頃より入っていると思った。今年は唐津が無いからだろうか?
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■45374 / )  Re[4]: クラプトン
□投稿者/ パニチェ -(2026/02/18(Wed) 09:29:37)
    おはようございます、こんばんは、フローラさん。
    レスありがとうございます。

    No45370に返信(floraさんの記事)
    > キティダニエルさんとパニチェさんが、クラプトンのお話をなされていたので・・・

    > 私はロンドンでクラプトンのコンサートに行きました^^。 ゲストはBBキングで確かアルバム「Crossroads」からの選曲が多かった気がします。

    > 今のようにYOUTUBEでコンサートの様子が見れる時代ではなく、実物の演奏を目の前で観るのは感動的!でした。

    うわっ、めっちゃうらやましい!

    > 彼はとてもシャイな人なのでは? あれだけ有名でも変に媚を売って演奏をいい加減にすることもなく、真摯に下を向いてストラドを弾いていました。

    クラプトンのギタープレイはストイックというか日本的な表現を使えば職人芸だと思います。職人はどんな時でも手を抜かない。^^

    > 私が今一番コンサートに行きたいのはやっぱり「アルフィー」。 
    > 海外遠征しないのかな〜。

    アルフィーですか。。。
    ごめんなさい、正直言うと私的にはちょっと合わないかな。。。^^;
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■45373 / )  Re[51]: Grok AI 。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/18(Wed) 01:02:10)
    ロバート・デ・ニーロが『ゴッドファーザー PART II』(1974)で演じた若き日のヴィトー・コルレオーネは、映画史に残る名演として非常に高い評価を受けています。特に、当時まだそれほど知名度が高くなかったデ・ニーロが、マーロン・ブランドの伝説的なヴィトー像を引き継ぎながら、まったく独自の解釈で演じた点が絶賛されています。主な批評・評価のポイントアカデミー賞受賞
    デ・ニーロはこの役で第47回アカデミー賞 助演男優賞を受賞しました。これは非常に象徴的で、同一キャラクターを演じた俳優が別々の映画でオスカーを受賞した史上初のケース(ブランドはパート1で主演男優賞)として今でも語り継がれています。
    抑制された演技とリアリティ
    批評家(特にポーリン・ケイルやロジャー・イーバートなど)は、デ・ニーロの演技を「驚くほど抑制されていて繊細」と評しています。 英語を話すシーンでは非常に丁寧で慎重に発音し、シチリア訛りのイタリア語を完璧に使いこなした
    ブランドの「老いたヴィトー」の特徴的な低くつぶやく話し方を模倣しつつ、若さゆえの自信・計算高さ・静かなカリスマを強調
    暴力を使う場面でも感情を爆発させず、冷徹さと人情味の両方を同居させている点が絶妙

    マイケルとの対比を際立たせる役割
    多くのレビューで「デ・ニーロのヴィトーはマイケル(アル・パチーノ)の堕落を際立たせる鏡として完璧に機能している」と指摘されています。 若きヴィトーは家族とコミュニティを守るために力を得ていく「上昇の物語」
    対してマイケルは力を維持しようとして家族を破壊していく「崩壊の物語」
    → この対比が作品全体のテーマを深め、デ・ニーロのヴィトーが「温かみのある正統なドン」として描かれることで、マイケルの孤独と冷酷さがより痛烈に感じられる

    賛否の両極端な意見もある
    圧倒的多数が絶賛ですが、ごく一部の批評では「ブランドの影が強すぎて、デ・ニーロは模倣に留まっている」「もっと大胆な解釈が欲しかった」という声も少数ありました。ただ、これは極めて少数派で、現代のレビューや映画ファンコミュニティ(IMDb、Letterboxd、Redditなど)ではほぼ満場一致で「完璧」「史上最高レベルの演技の一つ」とされています。

    代表的な批評家の声(要約)ロジャー・イーバート → 「若きヴィトーを演じるデ・ニーロの演技はもちろん素晴らしい(brilliantly played)」
    ポーリン・ケイル → 「デ・ニーロのヴィトーは抑制が効いていて、暴力の瞬間に観客が息を呑むほどの緊張感を生み出している」
    現代レビュー(Collider、Guardianなど) → 「ブランドの大きさに負けず、むしろマイケルとの対比でこそ輝く演技」「デ・ニーロがヴィトーを自分のものにした瞬間」

    総じて、**「パート1のブランドを超えた」とまでは言わないまでも、「パート2だからこそ成立した、もう一人の最高のヴィトー」**として、映画史に燦然と輝くパフォーマンスと評価されています。デ・ニーロ自身もこの役をきっかけに一気にスターダムにのし上がった作品ですね。まさに彼のキャリアのターニングポイントと言えるでしょう。
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■45372 / )  Re[50]: Grok AI 。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/18(Wed) 00:45:59)
    ロビン・ウィリアムズは2014年8月11日に63歳で自殺(首吊りによる窒息死)で亡くなりました。最初に報道されたときは、長年悩まされていた重度のうつ病が主な原因だと広く考えられていました。彼は過去にアルコールや薬物依存の問題も抱えていて、精神的な苦しみが続いていたのは事実です。でも、死後の検死・剖検で明らかになった決定的な事実は、
    彼が**レビー小体型認知症(Lewy body dementia / DLB)**という脳の病気にかかっていたということです。生前はパーキンソン病だと診断されていて、治療を受けていました
    でも実際はレビー小体型認知症の非常に重症なケースで、脳全体に異常なたんぱく質(レビー小体)が広がっていました
    この病気はうつ、不安、幻覚、妄想、パニック発作、認知の変動、運動障害など50以上の症状を引き起こします
    妻のスーザン・ウィリアムズさんはインタビューで何度もこう言っています
    → 「ロビンを殺したのはうつ病ではありません。うつ病は50の症状のうちの、比較的小さな一つに過ぎなかった」

    つまり、レビー小体型認知症が進行して精神状態が極端に悪化し、自分が「狂っていく」感覚や、どうにもならない恐怖に耐えられなくなったことが、自殺の最も大きな引き金になったとされています。
    妻によると、自殺の数週間前には入院施設への入所が決まっていて、余命も「おそらく3年程度」と伝えられていたそうです。多くの専門家や妻の見解では、
    「単なるうつ病の再発ではなく、脳の進行性疾患による絶望が決定的だった」と考えられています。とても悲しい話だけど、このケースのおかげでレビー小体型認知症という病気が少しでも知られるようになった側面もあります。
    (生前診断が非常に難しい病気なので、今でも見逃されやすいんです)
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■45371 / )  有田のち伊万里
□投稿者/ 田秋 -(2026/02/17(Tue) 22:29:54)
    福岡公演を聴いた翌日は有田へ。お目当ては源右衛門窯本店とアリタセラの賞美堂。
    お目当て+αをゲットして自宅へ送った(から写真はありません)。うちに届いたら写真載せて自慢します^^

    その後伊万里へ、電車で30分弱。温泉付きのホテルに宿を取り、出たあと近くの店で呼子のイカと伊万里の牡蠣の蒸し焼きを食べた(写真)。

    ホテルに戻り、疲れてたのかすぐ寝た。
2400×3195 => 451×600

20260217_170352-COLLAGE.jpg
/1016KB
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■45370 / )  クラプトン
□投稿者/ flora -(2026/02/17(Tue) 17:18:25)
    キティダニエルさんとパニチェさんが、クラプトンのお話をなされていたので・・・

    私はロンドンでクラプトンのコンサートに行きました^^。 ゲストはBBキングで確かアルバム「Crossroads」からの選曲が多かった気がします。

    今のようにYOUTUBEでコンサートの様子が見れる時代ではなく、実物の演奏を目の前で観るのは感動的!でした。

    彼はとてもシャイな人なのでは? あれだけ有名でも変に媚を売って演奏をいい加減にすることもなく、真摯に下を向いてストラドを弾いていました。

    私が今一番コンサートに行きたいのはやっぱり「アルフィー」。 
    海外遠征しないのかな〜。

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■45369 / )  Re[49]: Grok AI 。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/17(Tue) 12:40:58)
    うえやまメンタルクリニックは、静岡県浜松市中央区(旧南区)にある心療内科・精神科のクリニックです。基本情報所在地: 〒430-0814 静岡県浜松市中央区恩地町355-1
    電話番号: 053-589-5153
    公式サイト:

    h

    ttps://ueyama-mental-clinic.com/

    アクセス: JR浜松駅から徒歩約40分、またはバス(浜松駅バスターミナルから遠州浜行きなどで本郷南バス停下車、徒歩10分程度)。駐車場は無料で7台分あります。
    診療科目: 心療内科、精神科
    対応可能な主な症状・疾患(公式情報に基づく): うつ病、躁うつ病、不安障害、パニック障害、強迫性障害、睡眠障害、アルコール依存症、認知症、思春期のメンタル不調、ストレス関連など。精神療法(対話中心)と薬物療法を併用した治療を行っています。

    診療時間(最新情報は電話や公式サイトで確認をおすすめします)月曜: 休診
    火・水・木・金: 午前9:00&#12316;12:00 / 午後15:00&#12316;18:30
    土曜: 午前8:30&#12316;12:00(午後は休診)
    日曜・祝日: 休診

    完全予約制となっており、初診・再診ともに事前にお電話で予約が必要です。初診時は予約時間より少し早めに来院し、問診票記入をお願いされるようです。医師について院長は**上山岳彦(うえやま たけひこ)**先生で、日本精神神経学会専門医・指導医、精神保健指定医の資格をお持ちです。
    以前は木戸メンタルクリニック(浜松市で長年地域で診療されていたクリニック)を引き継ぐ形で開業されたようです。先生はこれまで複数の病院で院長などを歴任し、精神科臨床やメンタルヘルス相談、医師育成にも携わってこられたベテランです。Googleマップの口コミについて確かにGoogleマップ上では評価が高めで、良い口コミが多く見られるクリニックとして知られています。
    患者さんからは「先生が話をしっかり聞いてくれる」「丁寧で優しい対応」「リラックスできる雰囲気」といった声が目立ち、待ち時間も比較的スムーズという印象です。
    ただし、口コミは個人の体験に基づく主観的なものなので、参考程度に捉えてください。実際の相性は受診してみないとわからない部分もあります。心の不調で悩まれている場合、早めに相談するのがおすすめです。まずはお電話で予約を取ってみてくださいね。何か具体的に知りたい点(予約の流れなど)があれば、さらに詳しくお答えします!

    あうー、あうー、とても評判の良い病院にてけど遠いにて。

    ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
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■45368 / )  Re[48]: Grok AI 。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/17(Tue) 12:15:11)
    静岡県浜松市(中央区)の町名として、これらはすべて浜松市内の異なる地区に位置しています。恩地町 と 芳川町:どちらも芳川地区(旧南区の芳川エリア)に属しており、隣接または非常に近い位置関係です。恩地町は芳川町の東側(または東寄り)に位置し、芳川町から見ると恩地町は東にあります。
    小沢渡町:新津地区(旧南区の新津エリア)に属し、浜松市の南西部(海側寄り)にあります。恩地町・芳川町のある芳川地区(市街地から南東寄り)に対して、小沢渡町はかなり西側に位置します。

    西にあるのは → 小沢渡町(3つの中で最も西側)
    東にあるのは → 恩地町(芳川町のすぐ東側にあり、3つの中では最も東寄り)まとめると、西から東の順番で並べると:
    小沢渡町(西) → 芳川町 → 恩地町(東) 浜松市内の地図で確認すると、小沢渡町は海に近く、恩地町・芳川町は芳川(川)の周辺に集まっているため、この東西関係になります。
返信/引用返信 削除キー/

■45367 / )  エリック・クラプトン
□投稿者/ キティダニエル -(2026/02/17(Tue) 07:13:28)
    エリック・クラプトンの個人編集アルバムを聴いてみると、ヤード・バーズやクリームの頃の

    楽曲の作風と中年以降のそれとはかなり極端に異なっていることがわかる。これは初期のかれ

    がテクニシャンとしてスカウトされた人材だったことを物語る。かれの性格はむしろアメリカ

    に移住してからが本領を発揮する。
返信/引用返信 削除キー/

■45366 / )  今日これから手術です。
□投稿者/ キティダニエル -(2026/02/17(Tue) 06:51:29)
    夕方頃、麻酔が切れます。
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■45365 / )  Re[21]: 認識に対象がしたがう
□投稿者/ pipit -(2026/02/16(Mon) 23:59:26)
    みなさまこんばんは。
    No45360
    >両方とも後ほど引用投稿しようと思っています。<


    B162『純粋理性批判2』中山元先生訳、光文社古典新訳文庫p165より引用
    『たとえばわたしが一軒の住宅を知覚するとしよう。これを知覚するためには、住宅についての経験的な直観を、この住宅についての多様な像として〈把握〉する必要があるが、こうした知覚の土台となるのは、空間と外的な感覚的な直観一般とが必然的に統一されていることである。これによってわたしは、空間に存在する多様なものの総合的な統一にしたがって、この住宅の形を描きだすのである。ここで空間の形式を無視してみると、この総合的な統一は知性のうちに含まれるのである。』
    引用終了


    東大寺の横壁だなぁと目に映るものを判断する。
    この時「東大寺」全部を丸ごと見てるのではなく、東大寺の一部を見て、そのような判断を下している。
    いろんな情報の断片を「東大寺」の情報として統一する。
    この集め方が、カテゴリーを用いて(カテゴリーを規則として)実行される。(実行プログラムは超越論的時間規定)

    この統一がなされたとき、対応するものとして「対象」も生じる。
    ・・・ということは、認識(カテゴリーを規則として直観を総合的に統一する機能)に対象が対応する(従う)ということ。
    これがA111につながると思いました。

    A111 御子柴善之先生訳(『カント純粋理性批判』角川選書、p180、181より引用)
    『可能な経験一般のア・プリオリな諸条件が同時に経験の諸対象の可能性の諸条件である。さて、私は、まさに上述のカテゴリーこそが、可能な経験における思考の諸条件に他ならず、それは空間と時間が同じ可能的経験のための直観の諸条件を含むのと同じであると主張する。したがって、かのカテゴリーはまた、諸現象に対して客観一般を考えるための根本概念であり、それゆえにア・プリオリな客観的妥当性をもつのである。』
    引用終了

    卑近な例で言うと、「赤色の帽子の子、集まれ」と言って、実際に集まると、「赤色の帽子の子」という言葉に中身が伴う。
    それと同様に、「カテゴリーを規則として直観たちよ集まれ」と言って、実際に直観が結び付けられ統一されたとき、カテゴリーには内容がある、ということ。
    そのようなことを思いました。
    そしてこの統一体に「対象」という名前がつけられる。
    思考には対象があり、対象をいろいろな要素で規定する。その対象についてアプリオリに考えている要素がカテゴリーであり、このカテゴリーは対象が直観でできあがっている限り内実を伴う。

    ・・・そのように、今の段階では、カントの文章を読みました。(いつもの如く全然違うかもですが)

    眠いので整理見直ししないまま投稿しますっ
    おやすみなさい〜(/・ω・)/

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■45364 / )  希死念慮。。
□投稿者/ アートポット -(2026/02/16(Mon) 23:05:11)
    理由も無いのに詩にたくなるいわゆる希死念慮にて酷いにて。。過去にTwitterで資産を残して自裁にてって若者にていた。。節約に節約を重ねて詩ぬ前に資産をどうすれば良いのか分からないって言って詩んでいった。。意味不明にも思えるが、似たような気持ちになっているのかもって思う時もある。
    取り敢えず、、珈琲飲んでにてマッタリ寛ぐなう。

    ある人にてTwitterで言っていた「世の中には良いものがたくさんある。」

    良いじゃん!! 人生楽しもう。

    ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
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