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■27841 / )  デイケアにサイコパス
□投稿者/ アートポット -(2022/12/10(Sat) 00:47:11)
    2022/12/10(Sat) 01:05:11 編集(投稿者)
    2022/12/10(Sat) 00:56:34 編集(投稿者)

    デイケアに精神異常者にて居てイチャモンつけてくるので次につきまとってにてきてにて、「貴方のようなサイコパスとは関わり合いになりたくないです。」って厳しく当たる予定。

    「ゴールデンバウムは、倒れた。」って話をにて突き放す。

    追記
    「ロイエンタール元帥への義理は果たした。」っていう予定にて。

    追記
    「宇宙には唯一無二の真理が存在し、貴方と和解できる方程式があるかもしれませんが、それに届くほどワタクシの手は長くはないのです。」って精神異常者に話す予定にて。
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■27840 / )  Re[32]: ソテツが
□投稿者/ flora -(2022/12/10(Sat) 00:16:34)
    No27830に返信(田秋さんの記事)
    田秋さん、こんにちは

    > 十年に一度と思ってたのに、ソテツにまた花が咲きました。二つ咲いています。これは花芽なんですか?それとも、もう花と言って良いんですか?

    花ですね・・・そして・・・写真を見ると今回は実がなっています。^^
    近くに雄花があったんでしょうか?

    愉しみですね^^



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■27839 / )  『 私 』 B
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/09(Fri) 23:41:42)
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■27838 / )  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/12/09(Fri) 23:39:28)
    悪魔ちゃん、こんばんは(^ ^)

    No27833
    > >認知とか判断のカテゴリーだと思ってるよ<
    > これを、「認識における判断」のカテゴリーってしちゃっていい?
    > わたしの持ち込んじゃって悪いけど、
    > 「カテゴリー」って「範疇」と同じ意味で、たぶんカントのことだから、「哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念」としての「カテゴリー」なんだとわたし見たんだけど、<

    ただカントの超越論的哲学の場合、認識に対象が従う、という哲学みたいだから、
    カテゴリーに沿って事象が生じる、というイメージをpipitはもってるけどね。


    > このようなカテゴリーが、カントの場合、
    >
    > 注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    > 第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    > 第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。
    >
    > っていうこと? っていうことを聞きたいの。<


    前に悪魔ちゃん、対象は感性の中で対象としてすでに総合されてる、みたいなこと言ってたやん?
    その時の総合を、カントの場合はカテゴリーで能動的に総合してる、って言ってるんちゃうかなと思ってるんよ。
    だから、カテゴリーに合わせて(総合されていない感性的直観を素材として)認識を成型してるイメージをpipitは持ってるよ。

    そして、その純粋悟性概念は判断の時に使用される概念だから、純粋悟性概念を使って、いろいろな哲学は構築され得る、けど、感性的直観抜きで概念オンリーで判断すると、エラーが出ることをカントとしては証明してるのが二律背反などの箇所だとpipitは思ってます。


    > 「直観の対象」とか「対象の現存」っていうのは横に置いて、わたし「カテゴリー」を「分類する・類」ってしてるななかで、
    > カントは「認識」を大きく二つに分類する・類して、「感性」と「悟性」だったよね。
    > これと同じように、「認識における判断」を大きく二つに分類する・類して、「数学的カテゴリー(類)」と「力学的カテゴリー(類)」とした、っていうことでいい?
    >

    いいと思うんだけど、
    ただ、分類はされてるけど、数学的と力学的カテゴリーがお互い排他的ということではなく、判断において同時使用されていることもあると思ってるよ。

    カテゴリー、pipitまだ理解できてなくて、誤解してたらごめんね。
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■27837 / )  Re[56]: ことわざ
□投稿者/ 田秋 -(2022/12/09(Fri) 22:35:31)
    ばんわ、悪魔ちゃん

    >「ブ」でも「ヴ」でも、「意味」は通じたのね。
    さすがに相手はボクの間違いに気が付くし、何と言いたかったのかもわかると思う。

    ソーセージWurstを「ブルスト」と言っちゃったのにはすぐ気が付いた。「ブルスト」が「おっぱい」だというのは家に帰って辞書で調べてわかった。それでオネイサンがちょっと笑った意味がわかった次第\(^o^)/

    あちらではソーセージなんか対で売ってます。この失敗談は本当の話だけど、笑い話としても秀逸。
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■27836 / )  Re[20]: pipitへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/09(Fri) 20:59:04)
    No27833、なんかTitleが「pipitへ」ってなってた。
    「さま」が抜けててごめん。
    わたしこういう言い方するひと、ヘイトする。


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■27835 / )  Re[55]: ことわざ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/09(Fri) 20:48:37)
    >オネイサンはちょっと笑って普通にソーセージをくれました<
    「ブ」でも「ヴ」でも、「意味」は通じたのね。
    ってすると、語の意味っていうのどういうの?ってあらためて考えなおしちゃいました。

    >気を利かせて、「これでいい?」って・・・出してはくれませんでした<
    田秋さん、これって、ひょとして期待してたの?たぶん、その時はそうじゃなかったんだと思うから、
    「ブ」なのか「ヴ」が分かったのはいつなんかしら?っていうのも気になるけど、これ不問にしとく。

    それにしても、外国で、外人さんと、外国語で、会話するっていうの、すごいね。


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■27834 / )  柄谷行人先生 バーグルエン賞受賞
□投稿者/ キティダニエル -(2022/12/09(Fri) 20:21:02)
    >米国のバーグルエン研究所は9日までに、世界の優れた思想家に贈る「バーグルエン哲学・文化賞」の今年の受賞者に、哲学者の柄谷行人さん(81)が決まったと発表した。アジアでは初の受賞という。賞金は100万ドル(約1億3千万円)。授賞式は来春、東京都内で開催予定。 同賞は慈善家ニコラス・バーグルエンさんが2016年創設。これまでにカナダの哲学者チャールズ・テイラーさんらが受賞している。 柄谷さんは「日本近代文学の起源」「世界史の構造」など著書の多くが英訳されており、日本を代表する思想家の一人として知られる。(共同)
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■27833 / )  Re[19]: pipitへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/09(Fri) 20:15:38)
    pipitさま、ありがと。
    もうちょっと聞いちゃいたいんだけど。

    >認知とか判断のカテゴリーだと思ってるよ<
    これを、「認識における判断」のカテゴリーってしちゃっていい?
    わたしの持ち込んじゃって悪いけど、
    「カテゴリー」って「範疇」と同じ意味で、たぶんカントのことだから、「哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念」としての「カテゴリー」なんだとわたし見たんだけど、
    このようなカテゴリーが、カントの場合、

    注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。

    っていうこと? っていうことを聞きたいの。

    「直観の対象」とか「対象の現存」っていうのは横に置いて、わたし「カテゴリー」を「分類する・類」ってしてるななかで、
    カントは「認識」を大きく二つに分類する・類して、「感性」と「悟性」だったよね。
    これと同じように、「認識における判断」を大きく二つに分類する・類して、「数学的カテゴリー(類)」と「力学的カテゴリー(類)」とした、っていうことでいい?

    ごめんね、わたしごとで。

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■27832 / )  Re[82]: :「意味」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/09(Fri) 19:51:38)
    No27822のつづきで〜す。

    No27792で、
    メルポンは、「色彩の名称に関する健忘症」の例を挙げて、健忘症のひとは、『眼の前に提示された色彩の名称を挙げることができない』ことについてNo27822 の(a)のように考えて見てるんだとわたし思ったのね。
    〔眼の前に提示された色見本〕(現前する物)―〔カテゴリー、範疇〕―〔赤とか青っていう色の名〕、との関係性について、
    ――わたし、〔カテゴリー〕〔範疇〕を「分類する・類」ってして、〔赤とか青〕っていう色の名を単に「語」ってして見て――
    簡単に言っちゃうと、現前するものを見てその名(語)を言う(発語できる)こと、と「分類する・類」との関係性について、考えてみたんね。
    でもね、
    健忘症の例は、赤色の何かを提示して、これは何色?って聞くと、そのひとはそれを「赤」っていう語を発することができない、っていうことなんだとわたし思ってるんだけど、これからわたしのお喋りはそれとは違うかも、っていうのをふまえといてね。

    ちなみにネットで調べたんだけど、
    【健忘症】:健忘症とは、記憶障害の一つです。わかりやすく言うと、「もの忘れ」が頻繁に起こることです。
    ってあった。「もの忘れ」、わたしもたまにある。認知症のも書いてあった。あ、また横道にそれちゃうから、これは横に置いといて、メルポンのを見てくことにする。

    で、
    「分類する・類」と「語」の関係性をわたしに見えるようにするために、ちょっと考えて見たよ。

    まず、次のような5つの具体的な現前する個々を考えて見たのね。
    (個々)――(dobe)、 (doce)、 (dode)、 (cafe)、 (cahe) ――って。
    括弧内のアルファベットは個々のもつ諸性質だとしてる。
    カッコ内のb、c、d、f、h、はそれぞれの個特有の性質としてる。
    こんなのつくったのは次のようなことを表現するためね。

    (dobe)、 (doce)、 (dode)、 (cafe)、 (cahe)、これらを共通する性質で分けるのね。
    @ 〔(dobe) (doce) (dode) 〕
    A 〔(cafe) (cahe)〕
    ってするね。この分け方は、@は(do)を、Aは(ca) を共通する性質として見て、それで括って分けたのね。これを(do)類と(ca)類に分類した、っていうことにするね。
    もう一つ、
    (e)はすべてに共通してる性質として見て、それで括ると、
    B 〔(dobe) (doce) (dode) (cafe) (cahe)〕
    これは(e)類っていうことにするね。

    超簡単に、こういうのが「分類する・類」っていうことだとして見たのね。

    ひとまずここではBは横に置いといて、@、Aという分類の仕方で見ていくことにするよ。
    ようするに、こういうこと、
    わたしが、個々の事物、(dobe) (doce) (dode) (cafe) (cahe)を経験するなかで、わたしのうちに、これらかのなかから共通の性質、(do)と(ca)が抽象されて、〔(dobe) (doce) (dode)〕と〔(cafe) (cahe)〕に括られ、分けられて、それぞれ(do)類と(ca)類っていうのがわたしのうちにできていく。

    こういうので、「概念」を見て見る。
    「概念」
    (1)本質的特徴により区別された事物の類,また類別する思考様式。
    (4)多様な経験をなんらかの基準により抽象化して類別し整序する機能を概念作用conceptionとよぶ。
    ってしたとき、なんか「分類する・類」に似てるよね。
    抽象された(do)と(ca)(類)を「概念」ってしてもいい?「意味」と「概念」が同義だとしたとき、(do)と(ca)が「意味」っていうことになる?ん〜ん、ここらへんはまだわたしのなかでは未確定。
    ただ、「概念」については、〔思考様式〕ってあるから、あくまでも“思考の領域における”「分類する・類」ということにしとく。

    あと、このときなにが起こってるかっていうと、(dobe) (doce) (dode) (cafe) (cahe)のなかから、共通する性質を抽象する、っていうことは、(be) (ce) (de) (fe) (he)が捨象されている、っていうことになるよね。正確には(b) (c) (d) (f) (h)が捨象されてるんだろうけど、いま見てるのは@、Aの分類の仕方だけで見てるからね。だからこのばあい(e)という共通性質で分類することがまだ隠されてるっていうことにしたよ。
    わたしに見えてきたのは、「分類する・類」は抽象と捨象が同時におこなわれている、っていうこと。
    ちなみに、フッサールは『捨象エポケー』みたいなこと言ってるけど。

    で、次に、ん〜ん、っていうか、ほぼ同時的にかな?
    (do)類、(ca)類に、それぞれに名(語)が付けられるのね。たとえば@に「イヌ」、Aに「ネコ」っていう名をつけるね。
    類に語がくっつくのね。こういう語をわたし〈類に付けられた語(名)〉ってう意味で「類語」って呼ぶことにしようと思ったんだけど、この語とその意味、既成のがあった。
    【類語】:意義の似通った語。類義語。
    って。
    わたしの意味はこういうんじゃないから、「分類語」ってすることにした。
    「イヌ」とか「ネコ」っていうのは分類語っていうこと。

    【普通名詞】
    1&#12312;名&#12313; (common noun の訳語) 名詞の下位分類の一つ。固有名詞に対して、ある類に属する個物のすべてに通じて適用される名称を表わす語。日本語では、固有名詞との間に、文法上の差異はない。(精選版日本国語大辞典)
    2名詞の一。同じ種類に属する事物を広くさすことのできる名詞。→固有名詞 (デジタル大辞泉)
    【固有名詞】
    名詞の一。同じ種類に属する事物から一つの事物を区別するために、それのみに与えられた名称を表す語。人名・地名・国名・書名・建造物・年号などの類。(デジタル大辞泉)

    っていうみたいだから、わたしの言う「分類語」っていうのは「普通名詞」のことになるのかな。
    でもこの解説では、「個」と「類」の関係で、「類」から「個」へ、っていうニュアンスが感じられる。素朴的経験的わたしにおいてはその逆、「個々」から「類」へ、っていうイメージ。あ、これ、ふと思っただけ。

    こういうふうなんから、「分類する・類」と「語」との関係性について、わたしに見えたのをまとめると、
    「分類する・類」の「類」に「語」がくっついて、「分類する・類+語」っていうことがわたしのうちでは起こってる、っていうことかな。


    犬飼ってる人はその犬に名前をつけてると思う。たとえば名前を「モモ」ってしたとき、その犬を呼ぶとき、「モモちゃん」って呼ぶんで、「イヌ」とは呼ばないと思う。この時点でその犬は「イヌ」じゃなくなって「モモちゃん」になるのね。ん〜ん、類から個へ、っていうことになるのかな。こういう感覚ってあるんじゃないかしら?「モモちゃん」は「イヌ」なんだけど、「モモちゃん」の意味と「イヌ」の意味は違ってくる、みたいな。

    こういうんで次にNo27822の(a)を見ていくことにしま〜す。

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■27831 / )  ことわざ
□投稿者/ 田秋 -(2022/12/09(Fri) 15:49:29)
    「失敗は成功のもと」

    体験談です。べつに大いなる成功を収めたわけではありませんが。

    ドイツにいたとき、ソーセージ屋さんのオネイサンに

    Ein paar Brust,bitte.

    と言いました。ボクとしてはソーセージを一対ちょーだい、といったつもりだったのですが、Brustはおっぱいのこと、ソーセージはWurstなんです。まだ「ブ」なのか「ヴ」なのかよくわかっていなかった。。。

    オネイサンはちょっと笑って普通にソーセージをくれました。

    気を利かせて、「これでいい?」って・・・出してはくれませんでした^^;

    とにかくこれ以後、間違えたことはありません。
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■27830 / )  ソテツが
□投稿者/ 田秋 -(2022/12/09(Fri) 15:19:34)
    おはようございます、floraさん

    十年に一度と思ってたのに、ソテツにまた花が咲きました。二つ咲いています。これは花芽なんですか?それとも、もう花と言って良いんですか?

    皇帝ダリアも咲いていました。レモンの木に近すぎてちょっと可愛そうです。
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■27829 / )  オリオン・マシーン
□投稿者/ 田秋 -(2022/12/09(Fri) 11:56:37)
    おはようございます、floraさん

    作曲 吉松隆 オリオン・マシーン
    演奏 箱山芳樹
    https://tvuch.com/social/592/

    箱山氏はは数奇な運命と供に日本フィル〜新日本フィル〜千葉交響楽団と渡り歩いているトロンボーン奏者です。この曲は箱山氏の為に書かれました。ボクも日フィル時代に2度一緒にこの曲を演奏しました。
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■27828 / )  授業
□投稿者/ アートポット -(2022/12/09(Fri) 11:27:10)
    2022/12/09(Fri) 11:38:11 編集(投稿者)

    県知事命令措置入院時の主治医にて、12月中旬に湖西市の新居にて授業を実施にて注目にて。
    湖西市のホームページに記載されてるにて。

    https://www.city.kosai.shizuoka.jp/kenko_fukushi/kenko/7165.html

    ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <珈琲飲むにてにょ。
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■27827 / )  『 私 』 A
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/09(Fri) 00:47:06)
    2022/12/09(Fri) 23:28:00 編集(投稿者)

    【 前回のあらすじ 】

    ・ 本当の自分、本来の自分 →
    NO21837,21831,21830,21817,21807,21806,21801,21781,21772
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――

    私はどっち? 

    ◆ 結合児の謎

    ★☆★

    両者は独立した人格を持ち、自分の手足を意のままに動かすことができる。
    しかし同時に、視覚や触覚、味覚などを共有し、
    互いの思考や感情さえ感じ取っているのだという。
    つまり、一方が視ている光景をもう一方が視ること、
    一方の意思によってもう一方の手足を動かすことも可能であるうえ、
    一方が身体をくすぐられると、もう一方もくすぐったく感じるのだ。
    さらに、言葉を交わすことなくジョークを言い合うなど、
    脳を通した会話も成り立っているという。

    ★☆★

    進化論を専攻した私から見ると…、
    ヒトがヒト型である理由はない、なぜならば、身体は土塊だから。

    目が4つある人と思えばいい。蜘蛛なんてもんはもっとある。
    目が退化した生き物もいる。
    不謹慎だが、彼女らがロボットならば、すぐに理解できるだろう。

    私が不思議だと思うのは、人格が別々である事。
    カントのいう所の、格率か…。
    行動が学習になってしまう点…。
    こうなっちまうと、多重人格、二重人格はあり得る話だよな(笑)

    脳が人格を分けている。
    人格を分けているのに、一方の指令で、もう一方の体を動かす事ができる…。
    ま、あり得る話かな…。
    事故などで脚が麻痺して動けなくなったのと、逆な感覚なんだろう。

    あれ、私の足が動かない! と あれ、私じゃない部分が動く!
    ま、神経がつながっているのなら、できるだろうな。
    けど、プライバシーが全くないね (笑)



    ◆ 双子の謎

    一卵性双生児は、確実に『 私 』は2人である。
    中にはミラーツインという双子がいる、左右に対照的な一卵性双生児だ。
    https://i.pinimg.com/originals/f0/c8/f8/f0c8f883bc6de6900bd0f3386e0a0b80.jpg

    全く同じ、私が…、2人です。
    しかし、結合児と違って、移動できる私達である。

    前スレにて、『 私 』とは、脳が判断した世界の中の位置の記号とした。
    双子は中身は全く一緒だけども、
    世界の中では自分の位置は違うので、やはり私と言うだろうね。

    ここもカントが関わってくるのか?
    全く同じならば、ア・プリオリもきっと一緒だ。


    ★動画 ノイバウアー社会実験
    https://www.youtube.com/watch?v=LhK4Yrb5YMA

    ま、遺伝子と環境の問題だよね。
    …、そんなに『 私 』とは関係のないはなしかもしれない。


    双子は、片方の自殺が多い事は知られている。
    ま、完全に2人いるから、片方が『 私を譲る行為がある 』のかもしれない。
    全く同じだから、混乱するかもしれない。
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■27826 / )  『 私 』 @
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/08(Thu) 20:33:45)
    2022/12/09(Fri) 00:33:54 編集(投稿者)

    前回のあらすじ

    ・ 本当の自分、本来の自分 →
    NO21837,21831,21830,21817,21807,21806,21801,21781,21772

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――

    はい、皆さん、こんばんわ。
    さて、ニークラに投降していると『 私 』ってのが疑わしくなってきた。



    私が感じる私は、『 ダンス 』の時だけである。
    ダンスの時だけは、私を感じる。
    自分が出せる…、自制が要らないと感じる。
    結構、バリバリ踊れるタイプのマジモンである。かつてだが…

    ♪ Hey Pachuco!
    https://www.youtube.com/watch?v=AdAXrKxCiLo
    ♪ Marquese Scottnnp
    https://www.youtube.com/watch?v=lGIs8JHXwI8
    ♪ AyaBambi
    https://www.youtube.com/watch?v=QNxWQSIy-_k
    ♪ WRECKING CREW ORCHESTRA
    https://www.youtube.com/watch?v=6ydeY0tTtF4

    身体は土塊、脳の中には『 私 』はいない、じゃ、どこが私か?
    髪の毛、爪、角質は、もう私ではない。
    なぜならば、それらは操作ができないから、髪の毛、爪、角質は私ではない。
    では、食材はどうだ?私が食べた食材は、私ではない。
    じゃ、私は足の裏から頭皮までが、まず、私の候補である。
    なぜならば、操作できるからだ。

    操作できるのは『 私 』か?


    操作できる事が私ならば、世界を支配した場合、それは『 我が世 』か?
    『 我が世 』なんてあるのかね?拡張自我?

    世界は支配できない、よって、我が世はない…、と思う。
    ま〜、この人間社会、誰かがトップで君臨している事は確かではありますが…。

    操作するにしても、どこまでが『 私 』なのか?
    たぶん、神経系とか精神だと思うんだけど、
    この私つー漢字を見ると、私とは、単なる文面の文字とも思える。



    身体は土塊、山にある腐葉土のようなもんで…
    では、肉や骨、血管を取り除くと、神経、脳、目玉が残される。
    ひとまず、『 私 』は神経系の内にある。
    この神経から電気信号が流れて、血肉を動かしているんだね。

    ♪ Interstellar
    https://www.youtube.com/watch?v=4y33h81phKU

    この電気信号は私…、の行動に繋がる何かだろう。
    しかし、この世の中、自分が実施した事を、実施していないという嘘つきもいる。

    Ψ 嘘と私 Ψ

    嘘の私は私なのか?本当の私は私なのか?どれが私なのだろうか?






    そもそも嘘って何?
    稲光のような閃きが、マジモンにとっての『 嘘 』なんですよ。

    閃きなくして、嘘はない。
    どっから、嘘はやってくるんだ…と言う事。

    本当ばかりでは私は維持はできんわな。
    ま、法学的な証拠にはなるけど、人間は『 ハッタリ 』なくして生きてはいけないよね。

    人間は、嘘を創り上げる想像力や閃きを持っている、ほんじゃ『 私 』って何?

    脳は私ではない、だから、私を失くして悪さをする。
    脳は細胞の塊である動物である。

    ★☆★ 脳が私を創っているのか?(当たり前だが…) ★☆★





    これ、答え出たね、『 私 』とは世界(社会)の中の位置だね。
    そう、脳みそが判断、創作しているんだと思います。

    ウォーリーを探…、さないで、アナタを探せと言った場合、誰を選びますか?
    https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/B1+z3Uvr77S.jpg
    正直、ウォーリー以外なら、誰でも良いんだわ。


    ふと、人を殺そうと思った人間は、同時に、殺される選択も産んでしまう。
    そのため、人を殺そうと思った人間は、やっぱり殺すべきという判断に至る。
    そして、透明人間に成る事を考え、ヒエラルキーの外にでて動機隠しをする。
    透明人間になった殺人犯に殺された者は、
    どういう理由で私は死ぬのか?も解らず、死んでいく。

    ……

    タコ、イカの進化(頭足類の進化)

    タコ、イカの先祖は、アンモナイトやオウム貝である。
    硬い貝をもったアンモナイトやオウム貝は逃げるのが遅く、進化するしかなかった。
    早く逃げるためには、硬く重い貝を捨てたのだが、
    今度は、身を守る貝が無くなってしまった。そして、さらなる進化をする。

    それは擬態である。

    自分を隠す擬態を手に入れ、今や、全世界の海に存在する。
    タコやイカは、自分を0(ゼロ・零)にする事ができる。
    昆虫もそうだ。擬態は私を0(ゼロ・零)にする。

600×600

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■27825 / )  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/12/08(Thu) 20:12:10)
    No27824に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔しま〜す。
    >
    > 注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    > 第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    > 第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。
    >
    > 「直観の対象」とか「対象の現存」っていうとは関係なく、カントのカテゴリーってなんのカテゴリーなの?

    こんばんは!
    pipitとしては、
    認知とか判断のカテゴリーだと思ってるよー
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■27824 / )  Re[17]: B110
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/08(Thu) 19:56:20)
    お邪魔しま〜す。

    注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。

    「直観の対象」とか「対象の現存」っていうとは関係なく、カントのカテゴリーってなんのカテゴリーなの?
返信/引用返信 削除キー/

■27823 / )  Re[16]: B110
□投稿者/ pipit -(2022/12/08(Thu) 19:40:50)
    2022/12/08(Thu) 19:48:41 編集(投稿者)

    みなさま、こんばんはー
    うーん、難しい。。。

    数学的カテゴリーは、直観の対象に向けられ使用される。
    数値化可能な対象の量と、質ということかなぁ。

    力学的カテゴリーは、対象と対象の関係、あるいは対象と主観の関係、、、
    存在に向けられ使用している概念ということ??
    存在は関係の上に生じるということ???

    No27817
    the first of which relates to objects of intuition---pure as well as empirical;
    (日訳)第一のクラス(量・質の純粋悟性概念)は、直感の対象-純粋なものであれ経験的なものであれ-に関係するものです。

    (感想)対象に関して、量・質のカテゴリーを使って総合が行われ、その認識に対象が従う、と。

    the second, to the existence of these objects, either in relation to one another, or to the understanding.
    (日訳)第二に、これらの対象が、互いに、あるいは悟性との関係において、存在することに関係する

    (感想)対象は、その他の対象との関係、あるいは、理解能力との関係において、対象の存在性が規定され認識される。

    かなぁ、ひとまずそのように思いながら読み進めます。

    (-_-)zzz

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■27822 / )  Re[81]: :「意味」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/08(Thu) 18:43:22)
    No27792でわたしがいちばん気になったのは、p292の、

    〔一つの対象の名を挙げるということは、それがもっている個性的なもの、それ独特のものから離れて、そこにひとつの本質、あるいはカテゴリーの代表を見ることだからである。患者が見本の名を挙げることができないのは、赤とか青とかという語の語心像を失ったからではなく、感覚的与件を一つのカテゴリーのもとに包摂する一般的能力を失ったからである。つまり、彼が範疇的態度から具体的態度に舞い戻ったからである。〕------(a)

    っていうところ。
    ここんとこを見ていくことにする。

    わたし「心像」を、「表象」「観念」「イメージ」ってしといた。
    だから「語心像」っていうのは、「語の表象」「語の観念」「語のイメージ」っていうことになるのかな。

    「範疇」は、
    (1)同じような性質のものが含まれる範囲。カテゴリー。
    (2)哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念
    ってあった。
    わたしのばあい、(1)の方にしとく。
    あと、
    (2)に「概念」っていうのあるけど、ネットで調べたたらいっぱいあったけど、簡単に、

    【概念】(英)concept (仏)concept(独)Begriff
    (最新 心理学事典「概念」の解説)
    (1)本質的特徴により区別された事物の類,また類別する思考様式。
    (2)本質的特徴とその連関を概念の内包connotation,intension,内包を共有する事物の集合を概念の外延denotationとよぶ。たとえば「少年」は,「年少」(おおむね5〜6歳から11〜12歳),「男性」という内包をもち,その外延は隣接する概念,「青年」などとを区切る境界をなす。
    (3)概念は判断・推理と並ぶ古典論理学の基本機能であり,思考作用はこの階層をなす三次元に沿って進行するとされたため,思考心理学でも基本概念となった(矢田部達郎『思考心理学1概念と意味,2関係と推理』1948〜49)。
    (4)多様な経験をなんらかの基準により抽象化して類別し整序する機能を概念作用conceptionとよぶ。

    あと、ネットで調べたのは、
    【具体】
    1.全体をそなえていること。
    2.物事が、直接に知覚され認識されうる形や内容を備えていること。
    これに関連して、
    【抽象】
    1.与えられた対象全体から、特定の性質や共通の徴表を分離し、抜き出す精神作用をいう。
    2.経験されたもののなかのある特性に注目してこれを取出し,ほかを捨てること。
    3.〈具体〉に対し,世界の中からある特性だけを引き離して思考の対象とする知性の働き。
    【捨象】
    物事の表象から、一つまたはいくつかの特徴を分けて取り出す抽象を行なう場合に、それ以外の特徴を捨て去ること。また、概念について抽象する場合、抽象すべき特性以外の特性を捨て去ること。抽象作用の否定的側面。
    だいたいこんなの。

    だいたいこんなところで(a)に出てくる語の下調べはいいかな。

    「分類」=事物を共通な性質に基づいて種類に分けること。
    ってして、
    けっきょく、「範疇」「カテゴリー」「抽象」「概念」っていうのは「分類すること→分類されたもの」にかかわってる感じ。
    「分類されたもの」を「類」ってして、「分類する・類」って簡単にしとく。

    No27763に、
    意味は、〔言語を中心とする、広義の記号の機能、用法、内容をいう。したがって、概念、命題(文)、命題が形成する文脈などはすべて意味をもつ。意味は人類の知的な範疇のなかで基本的なものの一つ〕
    ってあった。
    簡単に、
    「意味」は、言語を中心とする、人類の知的な範疇のなかで基本的なものの一つ。
    ってして見たんだけど、まだわたしにはよく分かんない。

    こんなこと考えながら、(a)のところについて、いろいろ考えてて、こんな感じかな?っていうのが見え隠れしてるんだけど、まだそれを上手に言葉で表現できないでいる。
    No27469にあるような、
    『言葉は発語する人にあって、既成の思想をいい表すのではなく、思想を完成(成就)するのである。』
    みたいなのかな。

    つづく

返信/引用返信 削除キー/

■27821 / )  本トピ設定20221208
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/08(Thu) 12:34:06)
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■27820 / )  Re[29]: 深沙大将
□投稿者/ 田秋 -(2022/12/08(Thu) 11:59:12)
    2022/12/08(Thu) 16:23:15 編集(投稿者)

    こんにちは、floraさん

    辰砂が三重の鉱物とは知りませんでした。多気の丹生鉱山というところも行ったことありません。今度行ってみます。
    伊勢神宮の何かにも何かの形で使われていたかもですね。

    金剛院の住職は深沙大将の《深沙》を《辰砂》に結びつけられていましたが、中野美代子氏は能「大般若」を引き、真蛇との結びつきを指摘されています。また深沙大将は神蛇大王と呼ばれることもあるようです。どちらにせよ深沙大将が腕に巻き付けている蛇が重要なポイントになります。

    住職は蛇からの連想で深沙大将が水の神ではないか、という説を立てられていますがボクもそうだと思います。

    深沙大将は多聞天の化身であるとされています(観音菩薩の化身とも)。多聞天は北方を守護する神で、五行で北に配されるのは水です。また玄奘がゴビ砂漠で水を失い、死を覚悟しているところに現われ、玄奘を叱咤激励したのが深沙大将であったというエピソードは、玄奘の人気と共に大変有名になりました。このゴビ砂漠は莫賀延蹟とよばれ、又、砂漠の砂が風で流れ波のような風紋が出来るところから流沙河と呼ばれていましたが、後の時代の中国、もっと南の砂漠を知らない人々の間でいつのまにか本当の河であるように思われました。写真右は西遊記で、観音菩薩が流沙河で沙悟浄に出会い、取経僧の供をするように勧めている場面です。流沙河は水の流れる河になっています。余談ですが沙悟浄の首にはドクロの瓔珞がみえます。

    このように多聞天が北方神で五行では北に配されるのが水であること、深沙大将が現れた流砂河がいつのまにか河という認識になったこと、深沙大将が身にまとう蛇が竜と繋がり、竜神が水神であるところから蛇神も水の神という連想が働き、深沙大将は水神という認識ができたのではないかと思います。

    写真左は高野山にいらっしゃる深沙大将ですが、台座をみると確かに波の上に立っていらっしゃいます。

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■27819 / )  Re[1]: Issue思考 ( 課題の確保 )4
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/08(Thu) 00:24:36)
    2022/12/08(Thu) 11:28:52 編集(投稿者)

    パニチェさん、次スレ作成ありがとうございます。
    悪魔ちゃんが心配なので、投降を続投します。

    悪魔ちゃんへ

    賢者が経験で学んでいると思っているのなら、
    今現在、悪魔ちゃんは、人生で足を踏み外している状態だぜ、きっと。
    その足を踏み外しているのなら、元に戻せばよい。
    踏み外しているもんで、経験から学んでいるんだよ。

    例えば、

    犯罪心理では、『 変な児童は、感電の経験がある 』と言われている。
    好奇心がゆえに、コンセントに針を刺して、感電するんだけど、
    感電すれば、人体にどんな影響がでるか、凡そ予想はできるよね。

    それと同じで、人は死を経験はできないよね。

    そういった意味で、
    ★☆★ 賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ ★☆★ ですよ。




    俺も、ニークラに来てから、賢さが3ステージぐらい上がったので、
    馬鹿だった時代を振り返ると…、脳が単純なんだよね。
    まるで、目の前の景色を、写真で撮ったかのように2次元にできている状態です。

    賢くあろうというする意欲がなかったと、自分の傲慢さのせいだけど。

    死ぬまで賢く、より賢く居続ける事は、まるでボディビルダーのようなもんだ。
    ボディビルに興味のない人は、そこに意味を見出せないと一緒だよ。
    賢くなるのは筋トレと一緒だ。

    とくに、人のQualityをやると、器を作っている状態だ。
    陶芸家が、納得いく器を何回も何回も作り直している状態だわ。
    とにかく、賢くなるってのは、結構しんどい事だ。

    賢くあろうと思わないってのは、筋トレをしなくなったのと同じ事だ。




    メンタルを病んだ若造共が、

    『 人を殺してみたかったとか、誰でも良かったとか、
      死刑になりたかったとか 』

    ってのは、愚者は経験から学ぶ、そのものだよね。
    って事は、この状態から脱するには、どうしたら良いか?と考える事だよね。
    考える事を放棄しているんだよね。
    なぜ、そこから考えを深めなかったのか?と俺は思うよ。
    だから、偉そうに、人を殺してみたかったとか言っている奴は、総じて馬鹿ですよ。



    賢さって筋トレと一緒だから、しないと衰えるんですよ。

    んで、60秒間、賢くあろうとする事は誰でもできるが、
    次の60秒間を継続的に、賢くあろうとする事が難しいんだよ。

    1日、賢くあろうとする事は可能だけど、
    次の日を継続的に、賢くあろうとする事が非常に難しい。

    ほんま、賢さだけは、右肩上がり1次方程式でよい。
    そんな事が出来るはずないじゃないか?と思うかもしれないが、それで良い。




    賢くなると、ステージがどんどんと上がっていくんだよ。
    段々畑のように。

    馬鹿の直感は、どんなけ閃いても当たりません。
    賢い人の直感は、高確率で当たります。

    それは、より賢くあろうとする人が、どんどんとステージが上がっているからです。
    馬鹿丸出しの人に、話しかけていく事自体が愚か。同じ穴の狢である。
    成功確率の平均は、30%だ。





    こんなけ言っても、人は賢くなろうと思わないんだな(笑)
    品質に関しては、アレルギーがある事は、私自身がよく理解できるが、
    賢明に成ろうと思わない人は、きっと、他人を何とかしてやろうと思っているんだ。

    悪さを考えるのは、『 脳 』である。

    理想の脳とは何だろうか?脳に『 私 』なんてもんはない。
    悪の研究より、『 私は思い出を持っているように思えるが、実は逆だ 』

    人を具体的に馬鹿にDoする輩はいる。洗脳とか、マインドコントロールとか、
    ま〜、そう言う人はいる、惑わされないように。
返信/引用返信 削除キー/

■27818 / )  B110
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 23:01:05)
    No27816に返信(pipitさんの記事)
    TABLE OF THE CATEGORIES

    > 1 ☆Of Quantity

    > 2 ☆Of Quality

    が、数学的カテゴリーで、相関者は持たずに、直観の対象に向けられる。

    ===========

    > 3 ★Of Relation

    > 4 ★Of Modality

    は、力学的カテゴリーで、相関者をもち、対象の現存に向けられる。

    現存に向けられるってどういう意味?

    また明日以降に御子柴善之先生の解説などを読んでみたいと思います。
    今日はおやすみなさい!☆彡(眠)
返信/引用返信 削除キー/

■27817 / )  Re[14]: 注1英訳
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 22:50:08)

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap37

    I. This table, which contains four classes of conceptions of the understanding, may, in the first instance, be divided into two classes, the first of which relates to objects of intuition&#8212;pure as well as empirical; the second, to the existence of these objects, either in relation to one another, or to the understanding.
    The former of these classes of categories I would entitle the mathematical, and the latter the dynamical categories. The former, as we see, has no correlates; these are only to be found in the second class. This difference must have a ground in the nature of the human understanding.
返信/引用返信 削除キー/

■27816 / )  カテゴリー表(英訳・一部省略)
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 22:47:13)
    TABLE OF THE CATEGORIES

    1 ☆Of Quantity
    Unity
    Plurality
    Totality

    2 ☆Of Quality
    Reality
    Negation
    Limitation

    3 ★Of Relation
    Of Inherence and Subsistence (substantia et accidens)
    Of Causality and Dependence (cause and effect)
    Of Community (reciprocity

    4 ★Of Modality
    Possibility-Impossibility
    Existence-Non-existence
    Necessity-Contingenc

返信/引用返信 削除キー/

■27815 / )  歴史と経験と閃き
□投稿者/ アートポット -(2022/12/07(Wed) 22:35:11)
    他トピにて盛り上がっている話に補足させていただきます。

    ゲームセンターのリアルバウト餓狼伝説2の時に全友(格闘ゲーム全国レベルの友人の略)が、ギース・ハワードのチョップ3回連続必殺技を発見にていて、

    僕「(どうやって発見にてにょ)」

    全友の手の動きを見て、

    僕「(なるほど)ねえ、この3回入力技。餓狼伝説3の時の潜在能力の赤いレイジングストームのコマンドを試しに入力にて発見にてでしょ。」

    全友「なんで分かったの。」

    僕「やっぱりアンタのほうが百枚も百五十枚も上手だよ。(負けた、悔しい。)」

    ていう、歴史と経験と閃きのエピソードにてにょ。
返信/引用返信 削除キー/

■27814 / )  B110
□投稿者/ pipit -(2022/12/07(Wed) 22:31:57)
    みなさまこんばんは!今日はB110の(注)から_φ(・_・

    No27714
    > B106-110の間に、カント哲学では有名なカテゴリー表が出てきます。
    >
    > wikiとかになんかあるかなーと検索したら、たまたま片山光弥さまのこんなpdfのページを発見↓
    > https://researchmap.jp/koyakatayama/presentations/31942198/attachment_file.pdf
    >
    > なんだろ?
    > おもしろそうだけど、今日はもう眠いので寝ようかな
    > σ(^_^;)
    >
    > B111から、カント自身によるカテゴリー表の註釈があるようなので、その注を読みながら、表も見ていこうかな、と、考えています。<
    --------------------------------
    (pipit読書)
    注1・・・カテゴリー表は二つの部門に分けられる。
    第一は、直観の対象に向けられ(数学的カテゴリー/相関者はもたない)、
    第二は、対象の現存に向けられる(力学的カテゴリー/相関者あり)。

    (pipit感想)
    ・・・・注釈になってるん???
    説明になってるん???
    (ー ー;)

    カテゴリー表は、、、
    日本語と英訳が混ざるとアクセス禁止になりやすい印象があるので、一旦ここまでで投稿します。次の投稿で、カテゴリー表についての英訳を投稿してみます。
返信/引用返信 削除キー/

■27813 / )  ★ 馬鹿と賢いの進化論 C ★
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/07(Wed) 21:43:57)
    2022/12/07(Wed) 23:49:49 編集(投稿者)

    私は品質をマスターしているので、その実績から
    『 全てはパズルのように連動し重なっている 』
    と言えるんだが、それには条件があって、酸素がある大気の中のみである。
    成功とは真逆の『 失敗 』が1つでもあれば、
    自分の頭の中にあるものは全て失敗の産物になる。

    これは悪魔ちゃんがいっているように、知っている方が馬鹿なのでは?に通じる。

    ある物事にチャレンジして、成功を納めたら、その成功から
    次の成功を導いていくMethodが正しいと思われる。

    賢い人の直感は当たり、馬鹿の直感はいくらやっても当たりません。



    俺が良く薦めているのは、★何か一つでもやり遂げる事が肝心だ★と思う。
    何にもやり遂げていない人は、おそらく馬鹿ですよ。

    当然、何もしないのは馬鹿ですよ。



    何でも良いんだ。

    今、マジモンは自炊をしているが、その日の夕食を作れたら、それは成功です。
    その成功から、全ての成功を導く事が出来れば良いのです。

    つまり、賢い人の直感はあたり(連想は当たり)、馬鹿の直感は何してもあたりません。








    『 愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ 』

    これが『 賢者は経験から学ぶ 』になっている人は、まず、自分の健康状態をチェックした方がいい。

    ちゃんと寝ているか?精神状態は良好か?ちゃんとバランスよく食事しているか?
    適度な運動をしてストレス発散をしているのか?
    自分のまわりに馬鹿がいて、その馬鹿に話しかけにいっているか?

    それらをClearすると、不思議なもんで『 賢者は歴史から学ぶ 』に確実に転ずるよ。



    賢者が経験から学んでいると感じるのは、そういう境遇だからだと思う。
    悪い境遇の中にいる事に気づいていないと思うよ。
    その悪い境遇、悪いスパイラル、悪習慣を脱する方法は、歴史・予測・巷の噂など参考にするしかない。



    もう一回いうけど、『 賢者は経験から学ぶと思っている人 』は、まず、健康チャックしてくれ。
    健康状態が確りと取り戻せたら、間違いなく、賢者は歴史から学ぶに転ずるよ。

    言い換えれば、今のアナタは不健康だから、『 賢者は経験から学ぶ 』と思っているよ。
    言い換えると、健康的な幸福を手に入れていないよ。



    例えばね、私の実母が、料理に毒を混ぜていた。
    実母が家から出て行ってから、私は自分で自炊をしているが、
    超絶、美味しいですよ。
    この瞬間、『 賢者は歴史から学ぶ 』に転ずるよ。







    もう一回言うぜ、仮に今現在、『 賢者は経験から学ぶ 』と思っているのならば、
    何かしらの不健康に陥っていると思う。
    健康な人間は、『 賢者は歴史から学ぶ 』になるよ。

    例えば、睡眠。

    忙しくて寝れません…、『 賢者は経験から学ぶ 』と思っているよ。
    良質な睡眠Methodを手に入れました、すると『 賢者は歴史から学ぶ 』になり、ゆるぎない真実になるよ。




    もう一回言うぜ。

    ★ 健康体を手に入れたら、『 賢者は歴史から学ぶ 』としか思えない ★

    もし仮に、『 賢者は経験から学ぶ 』と思ってるのなら、

    まだ、産まれて、このかた、一度も健康な状態になった事がないぞと断言したい。
返信/引用返信 削除キー/

■27812 / )  Re[96]: ★ 馬鹿と賢いの進化論 B ★
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/07(Wed) 20:08:25)
    2022/12/08(Thu) 00:14:55 編集(投稿者)

    No27811に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > はい、マジモンさん
    >
    > >馬鹿な人は、私は知っていると思っている人ではないか?その通りです。そのように、書いているつもりですが<
    > あら、そうだったの?わたし気づかなかった、ごめんね。
    >
    > >私も長い間、馬鹿と賢いを研究してきたが、結局の所、基はIQよ<
    > ん〜ん、「iQ」でなにがわかるのかよくわかんん〜い。

    俺はIQテスト受けたから、よくわかるよ。

    『 脳の機能 』だよ。


    > >俺は最近、『 愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ 』ってのが本当だと思っている<
    > わたしのばあい、
    > 「賢者は経験から学び、愚者は既存の知識から学ぶ」みたいな、ね。


    うん、じゃ悪魔ちゃん、馬鹿ですよ。

    『 愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ 』ってのが確実に正解。



    つい最近まで、俺も『 賢者は経験から学び 』だったが、
    今は、間違いなく、愚者が経験から学ぶと思っている。

    これ、想像力の問題なんだ。

    賢者の想像力は、歴史から経験を引き出すんだよ、きっと。





    精神が病んだ若者が、人殺しをする時、よく、
    『 人を殺してみたかった、誰でも良かった 』とか言うだろ?
    これはもう、愚者は経験から学ぶ、そのものだよ。
    しかし、賢者の場合、人殺しを歴史から、学ぶんだ。

    歴史から学べるの?と思うかもしれないが、
    条件が揃うと、実体験以上の鮮明な仮想世界を経験できるよ。

    賢者、常に仮想世界をモノにしているんだ。まるでアインシュタインのように。


    じゃ、なぜ、愚者は実体験に近い仮想世界を味わう事ができないのか?っていう疑問が浮かぶとするだろ。
    単純な話、不健康なんだよ、精神や脳が。




    人生を変えたければ、良質な睡眠、栄養バランスに富んだ食事、適度な運動は必須。
    でなければ、不健康な状態だと思った方がいいね。

    その不健康な状態では、きっと、『 賢者は経験から学ぶ 』と言う答えを出すだろう。
    健康な状態ならば、きっと、『 賢者は歴史から学ぶ 』と言う答えを出すだろう。

    また、上流階級は『 賢者は歴史から学ぶ 』と言うだろう。
    労働階級は、『 賢者は経験から学ぶ 』と言うだろう。
返信/引用返信 削除キー/

■27811 / )  Re[95]: ★ 馬鹿と賢いの進化論 B ★
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/07(Wed) 19:47:54)
    はい、マジモンさん

    >馬鹿な人は、私は知っていると思っている人ではないか?その通りです。そのように、書いているつもりですが<
    あら、そうだったの?わたし気づかなかった、ごめんね。

    >私も長い間、馬鹿と賢いを研究してきたが、結局の所、基はIQよ<
    ん〜ん、「iQ」でなにがわかるのかよくわかんん〜い。

    >俺は最近、『 愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ 』ってのが本当だと思っている<
    わたしのばあい、
    「賢者は経験から学び、愚者は既存の知識から学ぶ」みたいな、ね。






返信/引用返信 削除キー/

■27810 / )  ★ 馬鹿と賢いの進化論 B ★
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/07(Wed) 19:26:00)
    No27809に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔するよ、マジモンさん、
    >
    > No27803
    > >馬鹿は、『 解らない事が解らない 』単純にいうと、無知の知である。<
    > っていうところ、ちょっとひっかかたんで。
    >
    > 「無知の知」っていうのはね、単純に言うと、
    > 「私は何も知らない、っていうことを知っている」っていうことなんじゃない?
    > 結局、「私は知っている」って言ってる、っていうこと。
    > こう言う人こそあやしい。
    >
    > わたし、「馬鹿」がどのようなものかわたし知らない。
    > でも、バカな人って、「私は知ってる」って思ってる人なんじゃないかな〜って。
    > ニュース見てるとこういう人ウヨウヨ湧き出てきてる感じ。
    >
    > 「私は何を知っているのか?」って自問する人の方が賢い人のようにわたしには思えるのね。
    >


    はい、こんばんわ、悪魔ちゃん。

    ★ 馬鹿な人は、私は知っていると思っている人ではないか? ★

    その通りです。
    そのように、書いているつもりですが ( ´∀` )

    『 知っている事で、脳を埋め尽くしてはいけない 』と感じる。
    2次元的な表現だが
    マジモンにとっての無知は、シルエットで穴です。
    その穴が、無知の知だと思うよ。

    ま〜悪魔ちゃんと俺の言っている事をまとめると、全は一、一は全って感じかな。
    悪魔ちゃんは全のこと言っておって、俺は一の方をいっている。




    ま〜、私も長い間、馬鹿と賢いを研究してきたが、結局の所、基はIQよ。
    俺は最近、『 愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ 』ってのが
    本当だと思っている。
返信/引用返信 削除キー/

■27809 / )  Re[93]: ★ 馬鹿と賢いの進化論 B ★
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/07(Wed) 19:05:37)
    お邪魔するよ、マジモンさん、

    No27803
    >馬鹿は、『 解らない事が解らない 』単純にいうと、無知の知である。<
    っていうところ、ちょっとひっかかたんで。

    「無知の知」っていうのはね、単純に言うと、
    「私は何も知らない、っていうことを知っている」っていうことなんじゃない?
    結局、「私は知っている」って言ってる、っていうこと。
    こう言う人こそあやしい。

    わたし、「馬鹿」がどのようなものかわたし知らない。
    でも、バカな人って、「私は知ってる」って思ってる人なんじゃないかな〜って。
    ニュース見てるとこういう人ウヨウヨ湧き出てきてる感じ。

    「私は何を知っているのか?」って自問する人の方が賢い人のようにわたしには思えるのね。

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■27808 / )  ★ 馬鹿と賢いの進化論 B ★
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/07(Wed) 17:38:31)
    2022/12/07(Wed) 17:52:43 編集(投稿者)

    下画像まとめた。
    なるほどね…。

    傲慢、謙虚にもつながる所だろう。
    マジモンはニークラに来てから3段階から4段階くらい
    脳みそがアップデートしているから、これとはまた違う賢い脳なのだろうか?

    基本、人は、『 自分は馬鹿なんだ 』と思って、
    『 馬鹿という文字は発しない 』のが一番かなと思う。

    馬鹿は治らないってのは、本当だと思う。
    だって、痴呆症や認知症は治らないからね。



    ★映画紹介 『 Aliceのままで 』
    https://www.youtube.com/watch?v=0cu794RqOA4

    ま、こういう事なんだろう思う。
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■27807 / )  「史上最高の映画100」
□投稿者/ flora -(2022/12/07(Wed) 16:28:37)
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■27806 / )  Re[49]: 橋本環奈
□投稿者/ アートポット -(2022/12/07(Wed) 12:27:11)
    こんにちは、田秋さん

    独我論的かもしれませんが、僕は、手帳障害者ではない(何故か手帳を持つには早すぎると言われてて)ので年金証書を手帳の代わりに市役所に見せてヘルパー申請するので持ってきてって言われてて、

    「年金証書を見つけまにたが気分が進まず持って来ませんでにた。」

    にて逃げている状況が続いているにて。
    自立支援障害者と年金障害者にて、僕の参加にているデイケアは、障害者じゃないと登録出来ないので僕は百パーセント障害者なのですが、独我論的にドキュメンタリ撮影に巻き込まれているっていう妄想と、単純に凄く単純に風呂への不安と恐怖にて逃げている状況にてにょ。

    僕の半分の年齢でも手帳障害者の人もいるのに、奇妙にてにょ。

    手帳障害者にならなくて済むならなりたくないですって僕も話をにているけど。

    独我論? 現実世界にホントに居るの?

    ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <ホット珈琲飲むにて。
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■27805 / )  Re[48]: 橋本環奈
□投稿者/ 田秋 -(2022/12/07(Wed) 10:50:01)
    おはようございます、アートポットさん

    結局の所、お風呂に入らないことを選択したんですか?
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■27804 / )  橋本環奈
□投稿者/ アートポット -(2022/12/07(Wed) 04:40:10)
    風呂に入れないのがどれくらい深刻なのかというと、橋本環奈ちゃんや深田恭子ちゃんが恋人になってあげるから月一回風呂に入ってって僕に頼んでも入れないレベル。
    年金証書を持って福祉相談員とデイケアの日に隣の市役所に手続きに行く、これを断るレベルなんですにょ。湖西市の費用でヘルパーさんに身体を洗ってもらえる手続きが、怖くて出来ないレベルなんですよ。
    今までに好きになったアイドルが全員全裸で目の前に現れて風呂に入ってって僕に頼んでも断るレベルなんですにょ。
    18年給料もらえずに働いたっていうストレスと疲労は、言葉では言い表せないにて。
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■27803 / )  ★ 馬鹿と賢いの進化論 A ★
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/07(Wed) 03:19:24)
    2022/12/07(Wed) 12:08:58 編集(投稿者)

    馬鹿と賢い…、痴呆症と覚醒剤…、うまれつき脳の問題である。

    馬鹿は3人のうち1人は馬鹿である。
    下の偏差値を3つに区切れば、それは証明される。


    馬鹿が馬鹿を治す方法は…

    「 わかりません、教えてください 」と、人に聞く事。

    しかし、人は馬鹿に関わりたくないので、文書で対応する。
    問題は、馬鹿はその文書が読めないのである。
    ここに馬鹿を構築するスパイラルがあるのだろう。

    馬鹿は、『 解らない事が解らない 』
    単純にいうと、無知の知である。
    知っています、知りませんの分別がないのである。

    ヒトの絶対的な法則は、どんな人でも群れを成すという事。
    その群れを構成するために、馬鹿にならなければいけない人、
    賢くなければいけない人がいるだけである。

    馬鹿と賢いは生理現象である。



    馬鹿は馬鹿を見つけると喜びます。
    これも生理現象です。

    賢い人が賢い人をみつけると悲しみます。
    これも生理現象です。

    馬鹿な人を発見すると、心理学的に『 報酬 』と思うらしい。
    賢い人を発見すると、心理学的に『 宿敵 』と思うらしい。
    これは繁殖と関わっている。生理現象である。





    ★ 馬鹿と賢い、進化の全て ★

    @ 馬鹿と賢いは2次的なものである。
      まずは、群れを成すか、成さないかである。



    A 群れを成さない場合、それは孤独という。
      現代では、孤独でも生きていけるが、
      古代では、孤独になると死を意味する事になるので、
      まずは群れの中に入いる事が目的になる。
      独りになると猛獣に襲われるという事。



    B 群れの中で、馬鹿と賢いが産まれる。浮き彫りになる。生理現象より自ら告白する事になる。
      馬鹿は馬鹿である事に気づいていないが、馬鹿である事をアピールしている。
      群れを形成しなければ、馬鹿でも賢いでもないかもしれない。



    C 群れを成すと今度は繁殖・恋愛が始まる。
      そのため、馬鹿を発見すると報酬だと思い、賢い人を発見すると宿敵だと思うのが心理である。



    D 馬鹿は繁殖・恋愛のために、本来の自分よりも5倍も自分を過大評価している。これが馬鹿の2次的な素。
      馬鹿の1次的な素は、読解力、認知力、理解力の無さである。それは認知症や痴呆症と同じ。
      一方、賢い人は自分を小さく見せている、若干、自分の事を過小評価しているのである。



    E 馬鹿は解らない事が解らないのである。無知の知がないのである。
      解らない所と解る所の分別がないのである。
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■27802 / )  ★ 馬鹿と賢いの進化論 @ ★
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/07(Wed) 03:01:12)
    論文見つけちまったわ、馬鹿と賢いの進化論 (笑)
    馬鹿には遺伝子が関わっているので、どうしようもない (笑)

    賢い人は、自分を小さく見せる。
    馬鹿な人は、自分の大きく見せる。
    『 これが能ある鷹は爪を隠す 』である。

    これは生理現象である。
    根本的に人は群れを成す生き物で、
    その群れから追い出されないための生理現象である。

    賢い人が自分を小さく見せるものも、馬鹿な人が自分を大きく見せるのも、
    群れの形成に必要なのである。
    なので、群れの中には、賢い人と馬鹿な人が混同している。

    馬鹿が群れの中にいるためには、自分を大きく見せなければいけない。
    賢いが群れの中にいるためには、自分を小さく見せなければいけない。

    何をもって馬鹿なのか?というと、母国語の読み書きが出来ない事です。
    自分が生まれつき馬鹿の可能性は、30%である。
    すなわち、馬鹿は1/3の確率である。




    『 馬鹿は死ななきゃ治らない、馬鹿を治す薬はない 』

    馬鹿とは、根本的にどんな状態か?

    馬鹿は、文字がそもそも読めないので、学力などのテストが低いのである。
    実際のテストの点が低いのにも関わらず、結果がでるまで『 満点だ 』と思い込んでいる所が、
    馬鹿の特性である。

    賢いはその逆。
    実際のテストが高得点にも拘わらず、結果がでるまで『 低い点数だ 』と思い込んでいる。

    馬鹿は根本的に、自分の能力が、実際の能力よりも自分の能力が5倍は高いと思っている。
    これが馬鹿の科学である。

    賢い人は、自分の能力は、実際の能力よりも、やや低いと思っている。

    馬鹿に馬鹿といっても、理解はできず。
    なぜならば、自分を5倍も過大評価しているからである。




    馬鹿は最終的にどうなるか?
    無視される。
    3人のうち1人は馬鹿なので、その1人は無視されて終わる。それだけ。
    馬鹿は、解らない事が解らない状態である、原因は自分を5倍も過大評価しているから。

    馬鹿を治す薬はあるが、ここでは書けない。
    馬鹿は、根本的に認知能力が低い。痴呆症が文字通り、馬鹿なのである。
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■27801 / )  Mugen
□投稿者/ アートポット -(2022/12/06(Tue) 23:20:12)
返信/引用返信 削除キー/

■27800 / )  Re[80]: :
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/06(Tue) 19:38:45)
    わたしは、見えているものを描いている?
返信/引用返信 削除キー/

■27799 / )  Re[14]: 点と場
□投稿者/ bwv602 -(2022/12/05(Mon) 22:47:21)
    こんばんは、パニチェさん。

    > >>言語化つまり思考された対象は既に自我や自己という手垢が付いています、その時点で既に「観られるもの」と「観るもの」に分断化しています。
    > >>唯識で言うところの第六意識(末那識を土台として立ち起こる自我)が働く以前、西田幾多郎が言うとのころの「純粋経験」みたいなイメージで自己という色が付く以前の存在みたいな譬えとして「無色透明」と表現しています。
    > > 分かりました。ありがとうございます。

    > どういたしまして。これ蛇足なんですが。。。
    > 上記は永井均著『西田幾多郎〈絶対無〉とは何か』を購入するまでに返信したのですが、今、読み進んでみるとやはり永井さんの西田哲学に関する読解と凄く共通するところがあるようですね。


    そうですね。
    パニチェさんは「無色透明」とおっしゃいましたが、「透明」ということは以前から瞑想中に私も感じていたことで、まさに「透明」という語が思い浮かんだことも何度かあります。それは、自我の殻がどんどん薄くなっていって、全ての存在と地続きになっていくような感覚です。大袈裟に言えば「無我の実感」と言えるかも知れません。
    永井均さんは、無の場所というのは「悟りのごとき特別の境地を意味しているのではなく、単純にして卑近な事実を指している」(p.57)と言っていますが、それと同じように無常や無我も、ブッダが生まれる前からあった自然の法そのものなので、それは特別な境地によって到達されるようなものではなく、ただそれを真に「実感」できるかどうかが問題なのかも知れないと思います。
    永井均さんも最後のところで、「その単純あたりまえのことを真に実感するのには、もはや、ある種の『境地』が必要とされるのである」(p.99)と書いていますね。

    (私が上記のように無我を実感するのは、集中〔止観の止〕に重きを置いた座る瞑想をしている時です。他方、観察〔止観の観〕に重きを置いた歩行瞑想をしている時には、自分の身体と心を外側から観ることによって無常と無我を知ることを目指しています。どちらも無常と無我を《真に実感する》ことを目指しているのは同じですが、止と観は方向性が全く違っており、私は両者の関係性がまだはっきりとは分かっていません。)


    > 上記のようなところが打ち出されている箇所は『存在と時間』ではどの辺にありますか?


    〈現存在〉を、存在が現成する空け開けた〈場〉とする見方は、『存在と時間』よりも、『形而上学入門』以降の著作に強くあらわれていると思います。とくに「真の主著」とも言われる『哲学への寄与(性起について)』では、「空開処(Lichtung)」が重要語の一つになっていると思います。
    ハイデガーは、「主観」としての人間が、存在者を「客観(対象)」として「表象する(フォア・シュテレン=自分の前に・像として立てる)」ような従来の哲学の態度(存在者の主人)では存在そのものは露わにならないとして、〈現存在〉は存在の到来を見守る「存在の牧者」でなければならないとしています。

    『形而上学入門』の後書きで訳者の川原栄峰氏が、難解なハイデガーを読むコツを書いているので、その一部を引用します。
    「この『形而上学入門』全体を理解するためのコツのようなものがあるので書き足しておく。・・(中略)・・『形而上学入門』の全体はこの『存在(ある)=眼の前に既にある』との闘いだと解する・・・これがコツである。いま闘いと言ったが、ハイデッガーがこの世で最も嫌うものはこのフォアハンデンハイトであろう。別の講義で彼はこれを『哲学の不倶戴天の敵』とまで呼んでいる。・・・フォアハンデンハイトとは通俗的だけでなく哲学的にも自明事とされてしまっている存在の意味のことであり、この語を直訳すると『手前性』となるが、今日では『直前性』という訳語が定着しかけている。とにかく『ある』のでなければ始まらない。しかる後にそれを人が道具として、邪魔者として、客観として、さらにはカンケイナイものとしてそれへと関係しうる。そういう関係が可能になるためにも、とにかくまず『ある』のでなければならない。この『ある』の意味、つまり《存続的現存性》、これがフォアハンデンハイトである。これは実は派生した、平坦化された、通俗的な、退落的な存在の意味、いわば存在の意味のなれの果てなのだか、それにもかかわらず、通俗的にも哲学的にもこれが基本的な存在の意味と思い込まれ、こともあろうにこれが人間つまり現存在の存在の意味にまで逆流してきて、人間の存在も《主観》とか《自我》とかと規定されるに至っている。だが事態は逆である。人間の現存在の実存における根源的時間性の時熟こそは存在の意味のいわば根なのである。・・(中略)・・
    なお『空開処』(Lichtung)は普通は『空き地』を意味する。山林の一部を伐採して空き地を作ると、そこへ日光が射し込み雨が降り注いで作物が育つ(焼き畑農業? 漢字の『無』の字がそのことをかたどっている)。ハイデッガーはこのことを承知のうえで『空開処』の語を術語として用いる。ハイデッガーにおいては『空開処』は人間の現-存在の『現』という場処のこと、空いている、開いている、明いている場処のことであって、ここで存在が自らを人間に委ね、ここで存在の非隠蔽性つまり真理が現成する。『存在の牧者』としての人間の本質のいわば深奥の場処である。」


    > すみません。何故。西田が「一つの点ではなく一つの円でなければならぬ」と述べているのか私には分かりません。
    > 「物ではなく場所でなければならぬ」というのは何となく分かります。極論すれば世界の全ても含まれるわけですから(一即一切一切即一)、〈場〉と表現されているのでしょうね。
    > これは想像ですが物は特定の位置を持つものであることから、それに対比させ〈点〉としているのかな?と考えました。


    そう思います。それ自身は現象世界の内部にあるものではなく、しかも現象世界の内部のものの全てを「包むもの(p.52)」という意味で「円」という表現になっているのではないかと思います。永井均さんの解釈では、その「円」はp.93の図のようなイメージになるのだと思います(この図には「汝」も出てきますが)。


    > 特異点など〈点〉としているのは無限小であるからで、無限小であるから世界と合一するのであって、この点においては西田の「絶対無」とも相通じるのかな?と考えています。

    「無限小であるから世界と合一する」というところをもう少し説明していただけますか?


    > なるほど。ひょっとすると。。。
    > アドヴァイタ的な表現を用いれば〈場〉と表現するのはブラフマン(宇宙=世界)をフォーカスしており、〈点〉と表現するのはアートマン(真我)をフォーカスしているのかな?と思いました。


    そうですね。「世界を開く〈点〉」というと、「世界(存在)」よりも〈点〉の方に主導権があり、「世界が現成する〈場〉」というと、〈場〉よりも「世界(存在)」の方に主導権があるように私には感じられます。

    自らは空(空っぽ)になって存在が自ら立ち現れるのをただ見守る「存在の牧者」の態度は、主観性を克服できていない人間中心的な従来の哲学の態度への批判になっていると思います。





返信/引用返信 削除キー/

■27798 / )  Re[79]:「 世界」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/05(Mon) 20:35:04)
    ふと、こころにうつりゆくこと、書きとめとく。

    ここでは外人さん(外国で暮らす日本人?も同類)には理解できないこと。

    「世界」っていう語。
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■27797 / )  Re[28]: 深沙大将
□投稿者/ flora -(2022/12/05(Mon) 17:52:32)
    No27787に返信(田秋さんの記事)
    > 2022/12/04(Sun) 15:51:40 編集(投稿者)

    田秋さん、こんにちは、今回も楽しそうなご旅行、良かったですね!^^

    > 対岸には元伊勢籠神社、真名井神社、成相寺などがあります。コロナになる前、日フィルの先輩たちとここへ来たことがあり、殆ど忘れていましたが、記憶が色々蘇ってきました。いま、伊勢神宮に奉られる天照大神や豊受大神は元々この地にいらっしゃったそうです。
    > 夕方舞鶴へ移動しました。
    >
    > 3日はまず金剛院へ赴き、深沙大将さまにお目にかかってきました。ここの深沙大将は快慶の若い頃の作で、足の何処にそれを示す墨書があります(高野山の深沙大将が快慶作とわかったのは割と最近です。因みに高野山の深沙大将は快慶後年の作です)。深沙大将の特徴である髑髏の瓔珞や蛇はありまぜんが(作られたときにはあったものが取れて紛失した様で、それらがつけてあった小さな穴の痕跡があります)、膝の象や表情から紛れもなく深沙大将です。
    >
    > 住職さんと共にお堂にはいると、阿弥陀如来、多聞天、増長天、執金剛神、そして深沙大将がいらっしゃいました。びっくりしたのは住職が般若心経を唱えられ、その後に唄を歌われたことです。歌われたと言っても演歌やJポップスではなく声明のようなものです。その後、仏像の説明もして頂いたのですが、この住職、深沙大将の研究をなさっているそうで、話を聞いていると、造詣も深く独自の説もお持ちで(深沙は硫化水銀のことではないか?蛇からの連想で深沙大将は水の神ではないか?など)うれしくなりました。

    住職さん、硫化水銀の元である辰砂から深沙を連想なさったんじゃないですか。ただ、硫化水銀はほとんど水に溶けないそうなので、水とは関係ないような気もしやんす^^;

    ちなみに日本地質学会の「県の石」リストによると、三重県の石は辰砂だそうですよん♪

    http://geosociety.jp/name/content0144.html

返信/引用返信 削除キー/

■27795 / )  北条政子
□投稿者/ キティダニエル -(2022/12/05(Mon) 11:59:29)
    施餓鬼に出かけて武士や貴族階級の苦しみなど、庶民の苦しみに比べれば何と言うこともない

    ことを知る北条政子。民衆のたくましさに啓発された政子は強大な尼将軍となって鎌倉幕府に

    君臨する。
返信/引用返信 削除キー/

■27794 / )  日記
□投稿者/ pipit -(2022/12/04(Sun) 23:19:33)
    すみません、うましかさんの文章読んでて、ふと、量のカテゴリーを思い出して、思いついたことがあるので、日記とさせていただきます。

    No27790
    > カントは「和」の概念とは「両者の数をひとつの数へと統合すること」だとしていますが、複数の数を、"ひとつの数"へと「統合」するという、この考え自体が、例えば数7に続いて、8,9,10,11,12という5回カウントするという手続きなんじゃないかなーなどと考えています。<

    量のカテゴリーは、
    単一性
    数多性
    全体性

    これに対応してる判断は
    全称的
    特称的
    単称的

    これ、訳者の先生によっては、対応箇所間違えてるんじゃない?的に表現したり、いや対応してる、など様々な解釈があるようで、例えば御子柴善之先生の解説本では対応させて説明されてます(角川選書、p134)

    それで、pipitも対応してる的な解釈を先程思ったのですが、

    すべてのAはBである。は、すべてのAをBに単一的に統合してると思ったんです。
    全称判断から見出される純粋悟性概念は『単一性』となっていますが、
    例えば、それを『単位』的に考えたらどうでしょう?

    同種の対象を時間をかけながら(時間を作り出しながら)総合していく(付け加える)ことを5回繰り返す→5という単一性。
    同種の対象を時間をかけながら(時間を作り出しながら)総合していく(付け加える)ことを7回繰り返す→7という単一性。

    このとき、5に使用された同種の対象と、7に使用された同種の対象が、同種か否かは概念上では決定されてない。概念と結びつけられている直観により、直観を媒介にすることで、5に使用された同種対象と、7に使用された同種対象が共有できる(同種)として、新たな単一として統合できる。

    そんなふうなことを思いました。

    まぁ、普通に考えたら、数は同種の対象の量をそれぞれ表す、というようなことが暗黙のルールとして最初から組み込まれてると捉えるのが自然だと思いますけど
    ( ̄▽ ̄;)

返信/引用返信 削除キー/

■27793 / )  ゾンビが好き(笑) B
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/04(Sun) 20:12:59)
    死は、『 もたらす事 』
    Aが登場すると、Bをもたらす事。
    もたらすモノは死とは限らず…、
    AとBの組合せであり、それは個人それぞれ違う。

    死は転がっている…、時と場合で、もたらすものが違う。

    ★ 死とは順番である ★

    死ぬ順番を自分で判断して、それに反応しているだけ(もたらす)
    死に美談などないが‥、美しい世界を好むのがヒトであると思う。



    ★映画紹介 REC/レック
    https://www.youtube.com/watch?v=YzoM3jqJSHo

    ゾンビはフィクションなのに…、恐い。
    ゾンビ映画怖くて面白いが、これは脳内で創作してるだけだ(もたらす)
    単純にいうと、少年が少女漫画に興味がないようなもんだ。

    ☆ 少年の少女漫画全否定(笑) ☆

    それと同じだ。
    少女漫画をみても、少年の中には何ももたらさない。





    死の概念は自由である。
    何でも良いのなら、考えたい事がある。

    Ψ 生者は死を恐れるが、死者は生をどう思っているのか? Ψ

    最後にこれを考えようと思っている。


返信/引用返信 削除キー/

■27792 / )  Re[78]: 「意味」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/04(Sun) 17:57:37)
    〔失語症における経験主義と主知主義、いずれも説明としては十分ではない〕
    の一部を写して見ます。

    ************
    p290語の調音の障害たる構語不能不全(anarthrie)から、知能障害を必ず伴う真正の失語症が確認され、――事実上第三人称的な運動現象にすぎない自動的言語のほかに、大多数の失語症において問題となる唯一の機能たる意図的言語が見分けるようになったとき、失語症ならびに言語の理論は完全に一変したかと思われた。「語心像」の個体性は事実解体した。患者が喪失した正常人が所有しているものは、語の一定の貯蔵ではなく、それを使用する一定の仕方である。

    自動的言語の平面においては患者の思うがままになる同じ語が、動機なく自由にしゃべる言葉(langage gratuity)の平面においては彼から逃れる。――例えば医師の質問を拒むためには、すなわち現実に体験された否定を意味するときには、「否」という語を造作なく見いだす同じ患者が、感情的な生活的な興味のない言語行使においてはそれを発音することができないのだ。したがって語の背後に一つの態度が、つまり語を条件づける発語(パロール)の機能が発見されたのである。行動の道具としての語と、欲得を離れた単なる呼称の手段としての語とが区別された。「具体的な」言語は依然として第三人称的な過程であったが、動機のない自由な言語(langage gratuit)、本来の呼称は、思惟の現象となったのである。そして若干の失語症の起源は、ほかならぬ思惟の障害のなかに求められなければならないとされた。

    p291例えば色彩の名称に関する健忘症は、患者の全体的な行動のなかに戻してみると、いっそう一般的な障害の特殊な現れとして見えてくるのであった。眼の前に提示された色彩の名称を挙げることができない患者は、またこれらの色彩を与えられた命令に従って分類することも、同様にできないのだ。例えば色の見本を基調となる色あいに従って分類することを求められると、彼らは正常なひとよりゆっくりと細心にやることが、まず観察される。彼らはひと目で「和合する」色を捉えるのではなくて、比較すべき見本をいちいち互いに近づけてみる。そのうえ、多数の青いリボンを正しく集めたあげくに、彼らは不可解な誤謬をおかすのである。例えば最後の青いリボンがうすい色調のものであれば、彼らはこれに続いて「青」の集まりにうす紫やうすばら色を加える。−―あたかも、指定された分類原理を維持し、終始一定の観点から見本を観察することができないかのようである。それゆえ感覚の与件を一つのカテゴリーのもとに包摂し、いくつかの見本を青という形相の事例としてまとめて見ることが、彼らには不可能になったのだ。実験の初め彼らが正しい処置をしているときでさえ、彼らを導いていたのはいくつかの見本が一つの理念にあずかっているということではなくて、直接の類似の経験である。彼らが見本を互いに近かよせて比較した後に初めて分類できるというのは、このためである。

    p292分類の実験は患者におけるある根本的な障害の存在を示しているのであって、色の名称に関する健忘症は、そのもう一つの現れにすぎないであろう。なぜなら一つの対象の名を挙げるということは、それがもっている個性的なもの、それ独特のものから離れて、そこにひとつの本質、あるいはカテゴリーの代表を見ることだからである。患者が見本の名を挙げることができないのは、赤とか青とかという語の語心像を失ったからではなく、感覚的与件を一つのカテゴリーのもとに包摂する一般的能力を失ったからである。つまり、彼が範疇的態度から具体的態度に舞い戻ったからである。これらの分析、その他の同様な分析は、一見、語心像の説の正反対にわれわれを導くように見える。というのも、言語は今や思惟によって条件づけられたものとして現れるからである。
    ************

    いろいろ分かんない語があるけど、
    いくつか調べて見たよ。

    【経験主義】
    @ 哲学で、あらゆる認識の源泉は経験にあり、経験的事実だけが真理の基準であると考える立場。
    経験論。⇔合理主義。
    A 物事を理論より経験に基づいて考えようとする態度。
    (精選版 日本国語大辞典精選版)

    【主知主義】
    @ 一般に知性を重んじる立場。主知説。
    (イ) 認識論で、感覚主義や経験主義に対し、真理は理性によって得られると説く合理主義の立場。プラトン、アリストテレス、デカルト、カントの立場。
    (ロ) 感情、意欲、行動よりも思惟と認識をより優位に置く立場。プラトン、スピノザのたぐい。
    ※学生と読書(1938)〈河合栄治郎編〉読書の意義〈河合栄治郎〉六「学問の為の学問といふ立場は、〈略〉学問の価値が唯一にして最高だとすることが多い、而して此の立場が所謂主知主義(Intellectualism)と称せられるものである」
    (ハ) 倫理学で、知性や理性によってすべての行動を導こうとする主張。ソクラテス、カントのたぐい。
    (ニ) 心理学で、知性が精神生活の第一義的なもので、他の精神作用はこれに基づくとする説。スピノザのたぐい。
    A @の哲学的根拠に基づいて、知性的表現に重点をおく文学、またはその運動。特に、イギリスの、一九世紀後半のビクトリア王朝時代にあらわれた女流作家ジョージ=エリオットの作品に代表される。
    (精選版 日本国語大辞典精選版)

    【心像】image
    (1) 一般的には,外界の刺激対象なしに,つまり感覚器官に刺激作用が与えられることなしに再現された感覚的体験ないしは映像のこと。この意味では表象とほぼ同義。種々の感覚様相に応じて視覚心像,聴覚心像,触覚心像がある。一般に,現前した刺激対象に基づいて生じる知覚体験より具体性に欠けて不鮮明かつ不安定であるが,幻覚の場合のように知覚像と区別しえないこともある。 (2) より抽象的には,思考作用の過程で再現された,ないしはその過程を支持している具体的意識内容を意味し,象徴機能の一つの側面を示す。観念とほぼ同義。
    (3) 事物,事象に対して人のもつ包括的な概念,判断,嗜好,態度などの印象の全体をさす。この場合特にイメージという用語が多く用いられる。

    【包摂】
    一つの事柄をより大きな範囲の中に包みいれること。

    【範疇】(英)category (独)Kategorie
    1 《「書経」洪範の「天乃ち禹に洪範九疇を錫たまう」から》同じような性質のものが含まれる範囲。カテゴリー。
    2 哲学で、あらゆる事象をそれ以上に分類できないところで包括する一般的な基本概念。
    &#13008;アリストテレスで、あらゆる存在者がその下に包摂される最高類概念。実体・量・質・関係・場所・時間・位置・状態・能動・受動の10項目。
    &#13009;カントで、純粋理性概念(理念)から区別された純粋悟性概念。思惟能力としての悟性の先天的形式で、これによって悟性は対象を認識へと構成する。量(単一性、数多性、総体性)、質(実在性、否定性、制限性)、関係(付属性‐自存性、原因性‐依存性、相互性)、様相(可能性‐不可能性、現存在‐非存在、必然性‐偶然性)の4項12目。
    [類語]ジャンル・種類・種・品種・類・たぐい
    (デジタル大辞泉)

    「意味」を問題としてるから、わたしに分かんない語をネットで調べてそれをコピーしといた。

    語の意味を知ろうとするとき、辞典を見るんだけど、そこにはある語の解説として、やはり語で書かれてる。
    語の意味が語で書かれてる、っていうことね。そして解説のなかにまた分からない語が出てくるとまたそれを調べる。そしてまた…・。こういうふうに限りなく続く場合もあるかも。
    あと、語の意味にはいろんなのがあるみたい。どの意味を採用するかは人によって異なっていることもあるかも。っていうか、既成の語、そしてその意味で、っていうんじゃなくて、素朴的経験的私の意味、っていうのもあるんじゃないかな〜、って。なにも既成の意味に従わなくてはならない、っていうことでもない気がする。
    No27553でメルポンが言ってるように、
    『われわれは言葉が制定されている世界のなかに生きている。』なんだけどね。

    ちょっと長くなっちゃんで、
    ここんところからわたしに見えてきたものは後で。

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■27790 / )  Re[14]: 7に5を足すという謎沼(;´・ω・)
□投稿者/ pipit -(2022/12/04(Sun) 15:55:32)
    うましかさん、こんにちは!

    No27785に返信(うましかさんの記事)
    > pipitさん、こんばんはー
    >
    > おひさしぶりですー( ノД`)シクシク…<

    書き込みすごーく嬉しいですヨ
    (o^^o)♪

    > あいかわらずカントに戻れない日がつづきますが
    >
    > 今夜はpipitさんご紹介の論文を読みながら、おもったことなどを…
    >
    > *******
    >
    > ■No27715に返信(pipitさんの記事)
    >>『カントにおける規則としての数概念と算術的判断の総合性』
    >>片山光弥さん
    >>http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant23/02_ronbun_katayama.pdf
    >>
    > *******
    >
    > 片山の論文16頁には、カントの以下のような引用があります。
    >
    > >なるほど、はじめは次のように考えられるかもしれない。7+5=12という命題は単に分析的な命題であり、この命題は七と五の和の概念から矛盾律に従って生じる、と。
    >
    > うましかは、そもそもこれがわからない(´;ω;`)ウゥゥ
    >
    > 「命題"7+5=12"は、7と5の和の概念から矛盾律〔Aでありかつ非 Aであることはない:〜(A∧〜A)〕に従って生じる」とはどういうことなのか?
    >
    > カントは「はじめは、次のように考えられるかもしれない」と述べていますが、これはそのように考えることが(少なくともカント以前から同時代に至る考えでは)一般的だろうと言っているように、私には読めますが、実際どう論じられていたのかなあ(;´・ω・)<

    第二版序論を見返すと、B14から17あたりに、『数学者の推論はすべて矛盾律にしたがって進行すること(略)が知られていたので』とか、『[数学の]原則もまた矛盾律によって認識されるであろうと信じ込まされていたから』などの文言(宇都宮芳明先生訳、上、p55-)がありました。

    カント自身の矛盾律の定義が、純理の時点でどのようなものかはpipitにはわからないのですが、純理以前に書かれた論文『判明性』では、真なる〈否定判断〉の最高原理として矛盾律を「いかなる主語にも、それと矛盾する述語は属さない」と定式化したとありました。
    (『カント事典』弘文堂、p496、497【矛盾律】参照)

    7+5=12は、アプリオリな分析判断...
    7+5に12は含み済み、と、当時(も現在も?)みなされてた(る)ということなのかな??

    矛盾律に従う数学では、
    7+5に矛盾しないのは、12の時、
    7+5=12は真の命題ということなのかな??

    ( ̄  ̄)?


    > あと、
    >
    > >7 と 5 の和の概念は、両者の数をひとつの数へと統合することより多くのことは含んでおらず、このことによっては、両者をまとめるこの単一の数がどのようなものであるかは断じて思考されないことが分かる。十二という概念は、私が単に七と五のかの統合を考えるということによって既に思考されているわけでは決してなく
    > 〔同,16頁〕
    >
    > カントは「和」の概念とは「両者の数をひとつの数へと統合すること」だとしていますが、複数の数を、"ひとつの数"へと「統合」するという、この考え自体が、例えば数7に続いて、8,9,10,11,12という5回カウントするという手続きなんじゃないかなーなどと考えています。<

    そうですねー、とりあえず、7の中身と5の中身の統合を、片山光弥さまは、

    「@@@@@@@*****」と表現されてましたね。

    それを、

    『ひと続きにたとえば「oooooooooooo」という形象を構成するというものであり』

    として、同種の数え上げに変換する。
    この変換が直観を介して行われてるということなのかなぁ??


    今、西先生の文言を思い出したんですけど、
    『「3に2を加える」というのは作業の指示にすぎません。』(『100分de名著 カント純粋理性批判』西研、p53)
    と、『指示』という表現をされていました。

    統合せよ、と指示が出て、うましかさんもpipitも悪魔ちゃんも?一応同じ答えが出るとするなら、どの場でどのようにカウントしているのか、という共通環境が、各個人の純粋直観という場なのである、というのがカント流の考え方なのかなぁと、今のところ思いました。


    > そもそも「和」の概念といったって極端にいえば、任意じゃないかな、と、、、<

    ルールとして設定されるもの、な気がしますもんね。

    > さんすうの苦手なうましかはそうおもうのでした。。。(;´・ω・)沼<

    わたしもさんすう苦手なのですが...わからないのですが....カント先生のユニークさはおもしろいなぁと思っています
    (о´∀`о)沼

    うましかさん、ありがとうございます。
    寒くなるのでどうぞご自愛くださいませ!
返信/引用返信 削除キー/

■27789 / )  Re[77]: 間奏
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/04(Sun) 15:27:33)
    「失語症」の例をメルポンは見てるようなんだけど、わたしその実際のを知らないし、しかも『知覚の現象学』は1945年の本だし、いまの失語症の説明とは異なるのかもしれないし、そこらへんはよく分かんない。

    ふつうに言葉を喋ったり、聞いたり、読んだり、書いたりすることがあたりまえ(自明なこと)にできてること、から、そうではない状態(このばあい、失語症)を見ることによって、逆にあたりまえになっていることが見えてくるのかもしれない。

    No27573、 
    フッサールの『デカルト的省察』の訳注に、
    〔フッサールは『論理学研究』においてもこう述べていた。「哲学者はまさに《自明なこと》の背後に最も困難な諸問題が隠れていることをも当然承知していなければなるまい。逆説的ではあるが、しかし深い意味をこめて、哲学とは平凡な事柄についての学であるとさえ言えるほどである」と。〕

    っていうのを想いだした。

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■27788 / )  Re[76]: 「意味」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/04(Sun) 15:18:22)
    「意味」に焦点を当てて、
    メルポンのを見てくことにしま〜す。

    (Y)「表現としての身体と言葉(パロール)」のとこの見出しは、

    (1)〔失語症における経験主義と主知主義、いずれも説明としては十分ではない〕
    (2)〔言語は意味をもっている〕
    (3)〔言語は思惟を予想するのではなく、それを成就する〕
    (4)〔言葉における思惟〕
    (5)〔思惟は表現である〕
    (6)〔身振りの了解〕
    (7)〔言語的身振り、自然的な記号も、また純粋に約束的な記号も存在しない〕
    (8)〔言語における超越性〕
    (9)〔失語症における現代理論による確証〕
    (10)〔言語と世界とにおける表現の奇蹟〕

    です。

    No27469は、(3)の一部を、
    No27553は、(5)の一部を、
    を書き写したのね。

返信/引用返信 削除キー/

■27787 / )  深沙大将
□投稿者/ 田秋 -(2022/12/04(Sun) 12:35:08)
    2022/12/04(Sun) 15:51:40 編集(投稿者)

    おはようございます、floraさん

    ワーグナーのドラマ(?)ありがとうございます。言葉が英語、字幕がイタリア語で理解するのに悪戦苦闘しています(T_T)。

    12月2〜3日、天橋立と舞鶴へ行ってきました。今回の眼目は舞鶴の金剛院にいらっしゃる深沙大将拝観です。

    2日昼前に天橋立に到着、モノレールで丘の上まであがり、恒例「股のぞき」で天橋立を見てきました(写真は普通に撮ったものです)。何故このようなことをするかについては以下のような記事がありました。
    「この点について、20年以上前に天橋立の股のぞきの景色に魅了された立命館大学の東山篤規教授や、大阪大学の足立浩平教授などが学術的な研究を行い「股の間から風景をのぞくと小さく見え、遠近感がつかみづらくなる」ということが2006年学術論文で発表され、2016年にイグノーベル賞知覚賞を受賞し、世界に知られるようになりました。」
    https://japanesehistoryexplorer.com/amanohashidate-matanozoki-776
    ボクの隣のおばさんは「なんでこんなことするの?」と訝っていました。

    このあと天橋立を歩き向こう側まで行ってみました。約50分かかりましたが良い運動です。途中井戸があります。こんなところの井戸なのに真水が出るのです。不思議と言えば不思議です。

    対岸には元伊勢籠神社、真名井神社、成相寺などがあります。コロナになる前、日フィルの先輩たちとここへ来たことがあり、殆ど忘れていましたが、記憶が色々蘇ってきました。いま、伊勢神宮に奉られる天照大神や豊受大神は元々この地にいらっしゃったそうです。
    夕方舞鶴へ移動しました。

    3日はまず金剛院へ赴き、深沙大将さまにお目にかかってきました。ここの深沙大将は快慶の若い頃の作で、足の何処にそれを示す墨書があります(高野山の深沙大将が快慶作とわかったのは割と最近です。因みに高野山の深沙大将は快慶後年の作です)。深沙大将の特徴である髑髏の瓔珞や蛇はありまぜんが(作られたときにはあったものが取れて紛失した様で、それらがつけてあった小さな穴の痕跡があります)、膝の象や表情から紛れもなく深沙大将です。

    住職さんと共にお堂にはいると、阿弥陀如来、多聞天、増長天、執金剛神、そして深沙大将がいらっしゃいました。びっくりしたのは住職が般若心経を唱えられ、その後に唄を歌われたことです。歌われたと言っても演歌やJポップスではなく声明のようなものです。その後、仏像の説明もして頂いたのですが、この住職、深沙大将の研究をなさっているそうで、話を聞いていると、造詣も深く独自の説もお持ちで(深沙は硫化水銀のことではないか?蛇からの連想で深沙大将は水の神ではないか?など)うれしくなりました。

    1時間ほど金剛院にいた後は、舞鶴湾内の遊覧船巡りや世界で唯一のれんが博物館の見学、後は市場へ行き、沖ギス、はたはた、サバのへしこ、丹波の黒豆などを買って帰りました。
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■27785 / )  7に5を足すという謎沼(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2022/12/04(Sun) 02:26:39)
    pipitさん、こんばんはー

    おひさしぶりですー( ノД`)シクシク…

    あいかわらずカントに戻れない日がつづきますが

    今夜はpipitさんご紹介の論文を読みながら、おもったことなどを…

    *******

    No27715に返信(pipitさんの記事)
    > 『カントにおける規則としての数概念と算術的判断の総合性』
    > 片山光弥さん
    > http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant23/02_ronbun_katayama.pdf
    >
    > これもおもしろそう!
    > 7
    > また目を通すだけでもチャレンジしてみたいです!

    *******

    片山の論文16頁には、カントの以下のような引用があります。

    >なるほど、はじめは次のように考えられるかもしれない。7+5=12という命題は単に分析的な命題であり、この命題は七と五の和の概念から矛盾律に従って生じる、と。

    うましかは、そもそもこれがわからない(´;ω;`)ウゥゥ

    「命題"7+5=12"は、7と5の和の概念から矛盾律〔Aでありかつ非 Aであることはない:〜(A∧〜A)〕に従って生じる」とはどういうことなのか?

    カントは「はじめは、次のように考えられるかもしれない」と述べていますが、これはそのように考えることが(少なくともカント以前から同時代に至る考えでは)一般的だろうと言っているように、私には読めますが、実際どう論じられていたのかなあ(;´・ω・)

    あと、

    >7 と 5 の和の概念は、両者の数をひとつの数へと統合することより多くのことは含んでおらず、このことによっては、両者をまとめるこの単一の数がどのようなものであるかは断じて思考されないことが分かる。十二という概念は、私が単に七と五のかの統合を考えるということによって既に思考されているわけでは決してなく
    〔同,16頁〕

    カントは「和」の概念とは「両者の数をひとつの数へと統合すること」だとしていますが、複数の数を、"ひとつの数"へと「統合」するという、この考え自体が、例えば数7に続いて、8,9,10,11,12という5回カウントするという手続きなんじゃないかなーなどと考えています。

    そもそも「和」の概念といったって極端にいえば、任意じゃないかな、と、、、



    さんすうの苦手なうましかはそうおもうのでした。。。(;´・ω・)沼




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■27784 / )  ゾンビが好き(笑) A
□投稿者/ マジカルモンキー -(2022/12/03(Sat) 23:27:43)
    2022/12/04(Sun) 17:29:26 編集(投稿者)

    ★ 映画紹介 Resident Evil
    https://www.youtube.com/watch?v=wk2MkU1trkg&t=212s

    バイオハザード実写なんだけど、このシーンはワクワクしたな。
    ふと、思ったんだが、もしかして脳って映像なんでもいいんじゃない?

    フィクションだろうが、ノンフィクションだろうが、
    脳はそれをOKとするんじゃないのか?
    脳は私ではないので、『 見てはいけないもの 』と『 見た方が良いもの 』があるんじゃないか?


    ★☆★ どの景色を見ればよいか? ★☆★

    1日24時間、24枚の景色があるとして、
    人生87.6万枚の景色があるとする。

    ★☆★ 87.6万枚の景色は何にするべきか? ★☆★


    この景色はNG、この景色OKなんざ、正直できないと思う。
    NG、OKは飽くまでも計画段階の予想図である。
    フィクションの景色をみてしまったら、それは自動的に脳に入り込んでしまうわね。

    自動的に入り込んでしまったフィクションの景色が、
    自分の脳に何をもたらすか?は、それは自分ですらわからないわ。



    『 もたらす 』

    死体とは何ぞ、それはもたらすもの。合掌、南無〜。
    では、走るゾンビは何ぞ、それももたらすもの。……しかし、合掌ではない。
    走るゾンビは、あの世にいってないから。

    死んだら、あの世に行くから、合掌、南無〜なわけやろ?
    ま、死後の世界があると思うから、合掌するわけで…。

    ……『 死のあたり 』ってかなり曖昧だよね。

    目の前に、死ってのが登場したら、何でもいいんじゃないのか?



    ★☆★ 何が登場したら、何がもたらされるのか? ★☆★

    これって個人差がだいぶ有りそうだよね?

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




    死は、もたらすもの。
    大抵の一般ピーポーは、合掌、南無となる。

    『 死体 』を見ると、脳内で『 天国 』が登場して、仕草に変わる。

    これは個人差があると思う。

    『 A 』をみると、脳内で『 B 』がもたらされて、仕草に変わる。

    たかが、AとBの組合せだろうね。




    ヒトは死を理解できるのだろうか?

    『 いつか死にます 』というのは、『 その時は生きている事 』である。
    『 もうすぐ死にます 』というのは、『 残り時間が少ない事 』である。

    じゃ、デスゲームはどうだろうか?

    ★ドラマ紹介 イカゲーム
    https://www.youtube.com/watch?v=GqTrpTNjVhk

    命をかけたギャンブルゲームです。
    命をかけるので、負けたら死にます。

    『 命をかけたギャンブルゲームで、負けたので死 』ってのは、何をもたらすのか?
    『 白目、口から泡ふいて、ビギャー! 』って状態か? (爆笑)

    命をかけたギャンブルゲームをしなければ、
    寿命がやってきて、安らかな死がやってくるだろうが…

    命をかけたギャンブルゲームの場合、突然の死がやってくる。
    人生は無理ゲーである。

    どこかで負ける。どっかで負けろ。

    そうなると、

    『 A 』をみると、脳内で『 B 』がもたらされて、仕草に変わるってのは…
    非常に『 B 』が重要だよな。





    マジモンがよくいう、成功確率とか、時代の最先端は、
    このイカゲームの第5ゲームである、飛び石ゲームを題材にすると解りやすい。
    私は最上の人生は、この飛び石ゲームのようなもんだと思ってる。

    人生、崖っぷちが時代の最先端であり、
    普通のガラスを選ぶか、強化ガラスを選ぶかである。
    希望とは、脆くて見えなくてペラペラなものである。
    完璧とは、己が機能を全て発揮する事であるが、そんなもんは実現できない。

    主人公が1番のゼッケンをとるか、16番のゼッケンをとるか?悩んだ時、
    どこかのおっさんが、1番のゼッケンを譲ってくれと言ってくる。

    17:23あたりか?

    「 まともに生きてみたいんです… 」

    これが生の享受だろうね。




    世の中の『 クソ共 』というのは、
    この飛び石ゲームのように死を恐れて前に進まない。
    命をかけたギャンブルゲームにおける死は、
    『 白目、泡ふき、プギャー! 』をもたらすから、美しい死ではないからだ。

    研究畑出身のマジモンは、こういう崖っぷちを『 時代の最先端 』であるとし、
    狂気の世界で戦っていた。

    悪の研究より、『 一寸先は闇 』
    一寸先は闇は、逆に、生がもたらしてくれる事だろうね。

    この飛び石ゲームで理解できる事

    @ 先駆者は死に、後から来るものは生き遺る。
      人は、多くの死によって生きている。

    A 物真似師は存在する (笑)
      先駆者がたどった道を歩けば、生き遺れるので、真似をするんだけど
      どの道、先頭へ行く事になり、そこで『 何もしないダンゴムシ 』になるんだね。

    B 白目野郎(笑)
      人を崖から突き落として、道があるか、確かめている(笑)
      安全な位置にいる時は人に優しいが、危険になると豹変する(笑)
      ※ 真面目な人間は馬鹿をみる。


    ゼッケン1番を手に入れたおっさんは、
    『 まともに生きたいんです… 』
    といってゲームに参加、bェ若い方が不利ゲームだが、
    2枚目のガラス板で落下して死んだ。
    たった、これだけでも、まともに生きたと思います。
    これが人生。

    つまり、死って、『 順番 』である。
返信/引用返信 削除キー/

■27783 / )  Re[7]: 純粋経験
□投稿者/ パニチェ -(2022/12/03(Sat) 21:12:56)
    No27781に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No27779
    > あらそうだったのね。パニさん宛だったらなおさらね、
    > >おそらく返信にはなってないとは思うけど。<
    > うん、そうね。

    せやろ。^^

    > >「大いなる正午」とは超人が誕生するやがてくるであろう時のこと。<
    > >ユダヤ・キリスト・イスラム教的な<は既得の、でわたしにとってはどうでもいいんだけど、ニーチェの言う<超人>って、<人>、〈人間〉っていうことでいいかしら?

    そそ。ニーチェ的な達観に達した人です。

返信/引用返信 削除キー/

■27782 / )  Re[26]: 過去ログ
□投稿者/ flora -(2022/12/03(Sat) 20:42:35)
    No27750に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんにちは

    > 最近過去ログを読み返して楽しんでいます。下はワーグナーとニーチェとの関係が話題になっていた時の、ボクの書き込みです。今読み返しても面白いです(特に妄想部分)。
    >
    > ===
    > ワーグナーが俳優であるという解釈はNo16218の投稿に引用されている訳注にもあり、その中に
    > 「大衆に賞賛され、媚を売り迎合するワーグナーの姿に失望し絶縁することになる」
    > とあります。
    >
    > そこに触れる前に・・・
    >
    > 飯森泰次郎という指揮者がいます。長くバイロイト音楽祭の助手を務め、日本では新国立劇場音楽参与や同芸術監督などをなさっている指揮者です。ま、日本ではワーグナーに最も造詣の深い指揮者ということになっています。
    > 飯森先生がうちのオケに来られ、リハーサルの時
    > 「ワーグナーは夜逃げの名人だった」と仰るのです。どういうことかというと借金を踏み倒すのです。では何故借金をするのかと言うと、オペラ(彼の場合は楽劇)を上演するには莫大なお金がかかるからです。自分の貯金だけでは到底上演できません。パトロンが必要なのです。また劇場建築にも莫大な費用がかかります。
    > そういうわけで、パトロンやお金持ち貴族には踏み倒したいい訳やら踏み倒してもまた援助してもらうための猛烈なおべんちゃらが必要だったのではないかと思います(ここは、ボクの妄想99%です)。
    >
    > 「お、社長ー、お忙しいでしょうに、よくぞおいでくださいました!いやあ、助かりましたでゲスよ、あん時は。いえいえ、社長にとっちゃほんのはした金にチゲーありませんが、ワチキにとっちゃ大金でさあ。また宜しく頼んますヨ」
    > 「あのソプラノを気に入ってもらえたでゲスか!。なかなかいいでしょ。え?声もいいがお尻もいい?コノコノ、さっすが目のつけどころが非凡でゲスな、大将。今度お酌させますよ」
    > 「これはこれは、皇后さま、いつにも増してお綺麗で。え、ワチキの愚妻?いや、もう皇后さまに比べりゃドブ亀以下でさあ。ひひひ」
    >
    > ワーグナーがどの程度幇間ぶりを発揮し、どんくらい迎合しまくりだったのかはわかりません。が、役者が舞台が終わった後、楽屋に来たお客に「いや、どうもどうも、よくお出で下さいました。本当にありがとうございます」とか、指揮者がコンサート後に自分のCDを買ってくれた観客と握手して「ありがとうございます」と言いCDにサインするとか。もしも、それさえもニーチェには不純なものに見えていたとしたら、ちょっと潔癖過ぎかな?と思っちゃいます。自分の書いた書物を今は誰も読んでくれなくてもいい!とニーチェは考えていたかもしれませんが、やはり俳優や音楽家は観(み)に、聴きに来てくれてこそ、という思いがあり、そのために愛想よくするのまで「不純だ」と言われると、ワーグナーさんでなくとも「何言ってんだ。青臭すぎるぞ、若造」と言っちゃうような気がします。
    リチャード・バートン(リズ・テーラーの夫の一人)はTV番組用に制作された[ワーグナー」を演じましたが、なかなか面白かったです。

    https://www.youtube.com/watch?v=mMNvcaYWNvM

    革命の片棒を担いで亡命したり、その後にエスタブリッシュメントの頂点にいるバイエルン王ルートヴィヒ2世をスポンサーとして得て、望んでいた自分の劇場、バイロイト祝祭劇場を手てることができましたね。

    今では超有名なワーグナー、しかし、金銭的には大変なことの繰り返しだったのでしょうね。時にはスポンサーに媚びをうることだって、音楽を残すためなら必要だったと思います。

    > ===
    > 写真は昨日の夕食です。メインは蒸し鯛です。塩焼きも美味しいですが蒸した鯛もうま味が出てきて美味しいですね。うま味という点では蒸すのが一番かも。今回はフライパンに水と酒を50ccずつ入れて昆布を敷いた上に鯛を載せ、蓋をして強火2分弱火8分調理しました。丁度10分で水気がなくなり、さすがレシピ!と感じ入りました。
    >
    > 後はダシと梅干しで煮たダイコン、山芋、柚明太子です。

    おいしそうですね〜。そういう日本食が食べたいなあ〜。こちらではまず無理!

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■27781 / )  Re[6]: 純粋経験
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/03(Sat) 19:56:00)
    No27779
    あらそうだったのね。パニさん宛だったらなおさらね、
    >おそらく返信にはなってないとは思うけど。<
    うん、そうね。

    >「大いなる正午」とは超人が誕生するやがてくるであろう時のこと。<
    >ユダヤ・キリスト・イスラム教的な<は既得の、でわたしにとってはどうでもいいんだけど、ニーチェの言う<超人>って、<人>、〈人間〉っていうことでいいかしら?



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■27780 / )  善悪の彼岸&大いなる正午
□投稿者/ パニチェ -(2022/12/03(Sat) 19:28:43)
    No27778に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > もうちょっと。

    > ニーチェの「善悪の彼岸」「大いなる正午」って、
    > 〈そこ〉も〈ここ〉もない世界なんじゃないかしら?

    「善悪の彼岸」というのはユダヤ・キリスト・イスラム教的な善悪二元論道徳(ニーチェは奴隷道徳とも表現する)の彼岸ということ。

    「善悪の彼岸」をキリスト教的ドグマから見ればニーチェ用語の「アンチクリスト」かつ「インモラリスト」になる。

    「大いなる正午」とは超人が誕生するやがてくるであろう時のこと。
    プラトンの影(背後世界)が払拭される時、これを最も影が短くなる正午とかけてる。

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■27779 / )  Re[4]: 純粋経験
□投稿者/ パニチェ -(2022/12/03(Sat) 19:19:29)
    こんばんは、悪魔ちゃん。レスありがとう!

    No27777に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > あ、ごめん、永井ちゃん宛でパニさん宛じゃなくなっちゃみたい。

    先のカキコは永井さんの引用ではなくて、私ことパニチェのカキコです。
    だから悪魔ちゃんのレスは私宛になります、

    > お邪魔しま〜す、パニさん。
    >
    > No27776、ちょと思っちゃたんだけど、

    あいよ。

    > 永井ちゃん、なに言ってるのかしらね。

    わし、わしw

    > 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」、「古池や 蛙飛びこむ 水の音」は、
    > その人が身をおいた自然の風景のなかで、その人に感じられたものを、その人の「私」の精神的景観をめざし、それを言葉で表現した、っていうことなんじゃないかしら?

    普通に読むとそうなるね。
    本では「国境の云々」に主語がない(日本語の特徴でもあるんだけど)ことから永井さんは主客が分れる以前の純粋経験に結びつけてます。

    パニチェからすれば「古池や 蛙飛びこむ 水の音」の方が分かりやすい。
    これ言葉ではなかなか説明しんいくいんだけど見性体験っぽい句だと思う。
    ある光景を思い浮かべた時にそれを見ている主体の存在が薄まっているというか景色や音と一体化しているように読めるってこと。

    > これって、たしかに「経験」のうちで、ってわたし思ってるんだけど、「純粋」っていうのをわざわざ付ける必要がどこにあるのかしらね、って。

    西田哲学の純粋経験ってのは悪魔ちゃんが考えている意味と少し違うと思うよ。
    仏教用語で言えば何かに没頭しているような三昧ってことになる。
    >
    > >それを見る主体と見られる(経験対象となる)ものとが不分離であり、そこに経験と分離した我や私はいない、経験に私が、あるいは〈私〉に経験が融け込んでいるということ。<
    > って言っておきながら、
    > >雪国の景色、蛙が飛び込んだ古池、水の音だけがそこにある。<
    > だって〜?、なにこれ。

    分からないだろ〜な。^^

    > 永井ちゃん、
    > <雪国の景色>、<蛙が跳び込んだ水の音>、感じてるのはだれ?
    > <そこにある>っていうんだったら<ここ>もあるはずよね。
    > 〈そこ〉も〈ここ〉のない状態っていうのは見ないのかしら?

    ちょい説明しにくいけど「ここ」「今」ってことであって、「そこ」とか「過去」ではない。
    見性体験に近い表現ってこと。
    おそらく返信にはなってないとは思うけど。。。

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■27778 / )  Re[4]: 純粋経験
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/03(Sat) 19:09:17)
    もうちょっと。

    ニーチェの「善悪の彼岸」「大いなる正午」って、
    〈そこ〉も〈ここ〉もない世界なんじゃないかしら?

    永井ちゃんの言う、
    >それを見る主体と見られる(経験対象となる)ものとが不分離であり、そこに経験と分離した我や私はいない、経験に私が、あるいは〈私〉に経験が融け込んでいるということ。<
    それすらもない、っていうこと。


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■27777 / )  Re[3]: 純粋経験
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/12/03(Sat) 18:19:13)
    お邪魔しま〜す、パニさん。

    No27776、ちょと思っちゃたんだけど、

    永井ちゃん、なに言ってるのかしらね。

    「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」、「古池や 蛙飛びこむ 水の音」は、
    その人が身をおいた自然の風景のなかで、その人に感じられたものを、その人の「私」の精神的景観をめざし、それを言葉で表現した、っていうことなんじゃないかしら?

    これって、たしかに「経験」のうちで、ってわたし思ってるんだけど、「純粋」っていうのをわざわざ付ける必要がどこにあるのかしらね、って。

    >それを見る主体と見られる(経験対象となる)ものとが不分離であり、そこに経験と分離した我や私はいない、経験に私が、あるいは〈私〉に経験が融け込んでいるということ。<
    って言っておきながら、
    >雪国の景色、蛙が飛び込んだ古池、水の音だけがそこにある。<
    だって〜?、なにこれ。

    永井ちゃん、
    <雪国の景色>、<蛙が跳び込んだ水の音>、感じてるのはだれ?
    <そこにある>っていうんだったら<ここ>もあるはずよね。
    〈そこ〉も〈ここ〉のない状態っていうのは見ないのかしら?

    あ、ごめん、永井ちゃん宛でパニさん宛じゃなくなっちゃみたい。



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■27776 / )  純粋経験
□投稿者/ パニチェ -(2022/12/03(Sat) 17:02:38)
    永井均著『西田幾多郎〈絶対無〉とは何か』の冒頭に紹介されている川端康成の『雪国』の書き出し。

    「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は「古池や 蛙飛びこむ 水の音」と同じく純粋経験的な記述である。

    それを見る主体と見られる(経験対象となる)ものとが不分離であり、そこに経験と分離した我や私はいない、経験に私が、あるいは〈私〉に経験が融け込んでいるということ。

    雪国の景色、蛙が飛び込んだ古池、水の音だけがそこにある。


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■27775 / )  Red Garland
□投稿者/ rest -(2022/12/03(Sat) 10:34:59)
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■27774 / )  パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2022/12/03(Sat) 10:30:33)
    No27773に返信(パニチェさんの記事)

    > 全然、関係のない横ですが。。。
    > ほんと幾つになっても知らないことを知るってのは面白いですね。
    > 自分が知る(認識する)世界の面積が広がります。^^

    パニチェさん、こんにちは。
    もう師走です。 早いですよね。。

    本を読んだりできる環境にいることを感謝しないといけないなぁ、とふと思ったり、ほんとに少しずつでも知っていけることも楽しかったりしてます。
    (昨日、バラエティー番組でたまたま、シベリア抑留経験のある90代の方お二人のお話などを元に作られたのだと思う過酷な映像を観て、自分のいる環境の有難さを再度痛感したのです。)

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■27773 / )  横レス御免!>みのりさん
□投稿者/ パニチェ -(2022/12/03(Sat) 09:25:27)
    No27770に返信(みのりさんの記事)
    > シリーズ世界の思想『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』古田徹也 著
    > を読みます。
    > 本日はp81〜。

    > 前回は、思考と論理像についてでした。

    > ======
    > 三・〇二 思考は、思考されうる状況が可能であることを含んでいる。
    >      思考しうることは可能なことである。
    >
    > 三・〇三 我々は非論理的なことを思考できない。
    >      というのも、仮にそれができるすれば、その場合我々は非論理的に
    >      思考しなければならないからである。
    > =====
    > p79の『論考』からのを引用させていただいておきます。


    > 三・〇二で言われている「可能」というのは、あくまで論理的に可能であることを意味する。
    > 前回、私が例として考えて提示した「天の川の上にオムライスが乗っている」というのもそれに当たります。
    > 蓋然性が低くても論理的には可能ということ。

    > 一方、三・〇三で言われているのは。
    > 非論理的なことについてです。

    > 例えば、「@,@,そPDに5かU」のようなランダムな文字列は、何も描き出していないし像ではない。
    > 非論理的な命題を語ることはできないし、思考もできない。

    > こうした文字列は、論理空間にも入らない、でいいんだよね、と思い・・・。
    > 復習として前に戻り、p48に・・・
    > =====
    > 論理空間は論理的に可能な事態をすべて含んでいる。
    > =====
    > とあり。 やはりでした。

    全然、関係のない横ですが。。。
    ほんと幾つになっても知らないことを知るってのは面白いですね。
    自分が知る(認識する)世界の面積が広がります。^^

返信/引用返信 削除キー/

■27772 / )  私的言語
□投稿者/ パニチェ -(2022/12/03(Sat) 09:21:26)
    ウィトゲンシュタインが私的言語の可能性を否定したか肯定したかはともかく。。。

    私的言語は成立する。

    その象徴が〈私〉という表記である。
返信/引用返信 削除キー/

■27771 / )  点と場
□投稿者/ パニチェ -(2022/12/03(Sat) 09:15:13)
    2022/12/03(Sat) 10:18:52 編集(投稿者)

    おはようございます、bwv602さん。レスありがとうございます。

    No27704に返信(bwv602さんの記事)
    >>言語化つまり思考された対象は既に自我や自己という手垢が付いています、その時点で既に「観られるもの」と「観るもの」に分断化しています。
    >>唯識で言うところの第六意識(末那識を土台として立ち起こる自我)が働く以前、西田幾多郎が言うとのころの「純粋経験」みたいなイメージで自己という色が付く以前の存在みたいな譬えとして「無色透明」と表現しています。
    > 分かりました。ありがとうございます。

    どういたしまして。これ蛇足なんですが。。。
    上記は永井均著『西田幾多郎〈絶対無〉とは何か』を購入する前に返信したのですが、今、読み進んでみるとやはり永井さんの西田哲学に関する読解と凄く共通するところがあるようですね。

    >>ちなみにハイデッガーが言うところの「現存在」というのはbwv602さんはどのように理解されていますか。
    > 「現存在」の「現(Da)」は、存在(世界)がそこに現成する〈場〉を意味しており、それは「空き地」を意味する「空開処(Lichtung)」、つまり〈空(空っぽ)の開けた場所〉という意味を持つと思われるので、西田幾多郎の〈無の場所〉にかなり似ていると思います。
    > パニチェさんが「特異点」の説明であげられた3つのこと(「そこから世界が開闢している」こと、「他者の地平の彼方に位置すること」こと、「科学(唯物論)の対象になりえない」こと)は、どれも「現存在」にもあてはまると思います。

    やはり、そうなんですね。なんとなくそういうことも含意されてるのかなぁ〜と思っていましたが確信できずペンディングしてました。
    上記のようなところが打ち出されている箇所は『存在と時間』ではどの辺にありますか?

    > 『西田幾多郎〈絶対無〉とは何か』は10年ぐらい前に読んだ本なので、今、もう一度読み直しています。
    > 私は「サティ(気づき)の主体は何か?」あるいは「サティ(気づき)という働きの出どころはどこか?」というような問題意識をもってこの本を読み直しています。
    > 読みながら、いくつか気になったところがあります。その一つは、西田幾多郎とハイデガーは〈場〉と表現しているのに対して、パニチェさんと永井均さんは〈点〉と表現していることです。それは何故なのか、そしてその違いは大きいのか、そうでもないのか・・・(西田幾多郎は「一つの点ではなく一つの円でなければならぬ」と言っています。p.54)

    > 永井均さんが〈私〉を〈点〉と見ていることは、『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU』の中の「他者性と〈私〉という矛盾」という節にある吹き出しのような図にも現れていると思います。また、その本の中で永井均さんは〈私〉のことを「世界を開く原点」であるとしています。
    > ハイデガーは(対象化を嫌う人なので)「世界を」というふうに「世界」を対象化する表現をせずに、《「現(Da)」という空け開けた〈場〉に、存在(世界)が現成する》というような言い方をすると思います。
    > 世界を開く〈点〉なのか、世界が現成する〈場〉なのか・・・?

    すみません。何故。西田が「一つの点ではなく一つの円でなければならぬ」と述べているのか私には分かりません。
    「物ではなく場所でなければならぬ」というのは何となく分かります。極論すれば世界の全ても含まれるわけですから(一即一切一切即一)、〈場〉と表現されているのでしょうね。
    これは想像ですが物は特定の位置を持つものであることから、それに対比させ〈点〉としているのかな?と考えました。

    『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU』のP.77の「眼」が描かれた左上の図のことであれば、あれはウィトゲンシュタインが『論理哲学論考 5.6331』で用いた図を引用しています。
    特異点など〈点〉としているのは無限小であるからで、無限小であるから世界と合一するのであって、この点においては西田の「絶対無」とも相通じるのかな?と考えています。

    > 「サティ(気づき)」という私の問題意識にとっては、それを〈点〉と言ったほうが良いのか、〈場〉と言ったほうが良いのか・・・。今のところは〈場〉のほうがしっくりくる感じがしています。
    > スカトー寺のプラユキさんは、「サティ」は英語でいえば「awareness(覚醒)」に近いと言っているので、それも考え合わせると・・・

    なるほど。ひょっとすると。。。
    アドヴァイタ的な表現を用いれば〈場〉と表現するのはブラフマン(宇宙=世界)をフォーカスしており、〈点〉と表現するのはアートマン(真我)をフォーカスしているのかな?と思いました。
    上記のような発想は、今回のbwv602さんとのレス交換で触発され、気付かされたり、自分の探究が進展したことでもあり有難いです。

    > 《サティの力が高まり「覚醒」することによって、今まで無自覚にハマり込んでいた「自我」が手放されると同時に、これまで世界を見ていた「自我」というフィルターが取り外されることによって、あるがままの存在(世界)が、あるがままに、「現(Da)」という空け開けた〈場〉に立ち現れてくる》・・・そのように今は思っています。
    > (なお、基本的な説明を忘れていましたが、八正道の中の「正念」の「念」のパーリ語が「サティ」です。なので、「サティ」を重要視していることは、八正道の中でも特に「正念」を重視しているということになります。)

    そうですね、同意です。
    私も八正道は仏教の根本的な教説のひとつであると思っています。

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■27770 / )   論理哲学論考 10
□投稿者/ みのり -(2022/12/03(Sat) 07:31:25)
    シリーズ世界の思想『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』古田徹也 著
    を読みます。
    本日はp81〜。

    前回は、思考と論理像についてでした。

    ======
    三・〇二 思考は、思考されうる状況が可能であることを含んでいる。
         思考しうることは可能なことである。

    三・〇三 我々は非論理的なことを思考できない。
         というのも、仮にそれができるすれば、その場合我々は非論理的に
         思考しなければならないからである。
    =====
    p79の『論考』からのを引用させていただいておきます。


    三・〇二で言われている「可能」というのは、あくまで論理的に可能であることを意味する。
    前回、私が例として考えて提示した「天の川の上にオムライスが乗っている」というのもそれに当たります。
    蓋然性が低くても論理的には可能ということ。

    一方、三・〇三で言われているのは。
    非論理的なことについてです。

    例えば、「@,@,そPDに5かU」のようなランダムな文字列は、何も描き出していないし像ではない。
    非論理的な命題を語ることはできないし、思考もできない。

    こうした文字列は、論理空間にも入らない、でいいんだよね、と思い・・・。
    復習として前に戻り、p48に・・・
    =====
    論理空間は論理的に可能な事態をすべて含んでいる。
    =====
    とあり。 やはりでした。
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