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■684 / )  Re[4]: 無縁仏三郎さん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/21(Sun) 10:11:46)
    2018/10/21(Sun) 10:14:56 編集(管理者)

    2018/10/13 21:27 同

    要するにあらゆる手段を使ってこのクズ宇宙を叩き潰すか脱出しようというのがおれの動機だ。

    宇宙など巨大な刑務所にすぎない。

    哲学とは削岩機や火炎放射器であり日本舞踊や高級ワインではないと知れ!
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■683 / )  Re[3]: 無縁仏三郎さん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/21(Sun) 10:06:25)
    2018/10/17 23:30

    哲学で言葉や記号や数式を並べたくなる心理は安心したい欲求だ。

    家を汚泥や砂の上でなく硬い岩盤の上に建てたいのと同じ。最も単純な分野である数学では無矛盾性や完全性を求めることは無理であり、限られた公理と規則に数学全体を押しこめることが不可能であるとわかっている。つまりどこを切っても未完成。現代物理なども精神原始時代の悪あがきとして行き当たりばったりに思い付きを出してるだけ。だから世界はヒモだ、膜だ、ホログラフィーだ、マルチバースだなんだといくら並べても未来の笑い話。

    哲学の場合は岩盤だと思ってたら液状化したり砂が鉄板になったり原始哲学が実は最先端などとなんでもあり。数学などと違い単純なルールで展開するわけではないし用語の恣意性もあるし扱う話題が複雑なのでこんなことが起こる。むろん概念の生成に終わりはないので誰かの全集買ってきてそれ読めば終わりなんてことはない。それらを起点にさらに概念を生成する作業が待っている。

    宗教で安心したりすべてがわかったつもりになる怠惰な精神には近寄るな! 宗教というのは死んだほうがましと思える状況下の個人を支えるための鎮痛剤。ぶったるんだ日常を送るウスノロが他人裁きのために使うものではない。

    宇宙に土下座させてもう一度やり直せと罵倒するくらいの勢いで生きろ。
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■682 / )  Re[2]: 無縁仏三郎さん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/21(Sun) 10:04:58)
    2018/10/19 22:03 同

    文芸評論という毒にも薬にもならない分野は全日空の機内誌やセレブ用婦人雑誌の片隅に食い物エッセイと並んで置かれたりするアクビしかでない代物というイメージがある。

    しかし「群像」で連載が始まった佐々木敦の「全体性と有限」は期待できそうだ。ヒュームの懐疑、メイヤスーのハイパーカオスをかみくだいて説明してくれている。ザコみたいなJ-文学の分析は読み飛ばして哲学的議論だけ読むと楽しいぞ。
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■681 / )  無縁仏三郎さん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/21(Sun) 10:03:14)
    2018/10/20 01:05 ARCANE 17

    このエロガッパの無理やり現実肯定も役に立たないこともない。

    地球収容所のの悲惨、絶望、不安、破滅、狂気ばかりを直視していると息苦しくなり毎日異次元ワールドをさまようことになってしまう。おれがひねり出した現実逃避の技術は番場が分身魔球、星が大リーグボール3号を投げるくらい消耗する。努力と感謝と念仏をとなえながら女のケツでも眺めていればいいエロガッパとは大違い。

    だがエロガッパが用もないはずのこのスレを読んでしまう深層心理からは恐怖と不安が見えるね。もちろんエロガッパは否定するだろうが…
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■680 / )  Re[10]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:33:31)
    2016年5月4日 09:06 同

    > ハイデガーの「×」にはいろいろ意味が込められているようですが、その中でも重要なのは、「対象化(表象)できない」という意味でしょう。

    その×について何も知りません。後期の著作はあまり読んでないです。


    > その<実存>に関しては、「対象化(表象)できない」という意味での「語りえなさ」について、川原栄峰という人が分かりやすい説明をしているので、少し長くなりますが引用します。

    実存というのはかなり語られているという印象を持っています。ハイデガーを持ち出して「語り得ない」というのが理解できないんですが。

    ただ頽落と実存を比べるという文脈で、頽落が「語りすぎ」ということは確かにありましょう。その意味では実存は無言に近いかもしれません。なるほど、頽落というのをそう見たか。

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■679 / )  Re[9]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:31:16)
    2016年5月4日 08:50 同


    入れ替わるということ自体が無理なんじゃないかな。これは身体を容器として考えているが、中身がその容器に引きずられる以上、容器を離れるわけにはいかない。私の精神を私の精神にしているのは遺伝情報などの容器であって、私は詫間守のように無差別殺人などできない。
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■678 / )  Re[8]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:24:10)
    2016年5月3日 11:45 同


    > 語りえないものは〈私〉に限ったことではないでしょうね。
    > ただ〈私〉は存在とか実在、さらに拡張すれば実存主義や、ひょっとすると宗教的なアプローチではないところの魂のようなものを暗示している何かである可能性のもあるように思えるのです。

    ざっくばらんに申しますと、私はその「塊」性というのは物質の振る舞いだと思うのですよ。そしてこの塊性を哲学も科学も説明してないと思います。たとえば、この石を石にしているのは、一体どういう原理なんでしょう。石ですら個性を持つということは、生物的な原理ではないでしょう。分子間引力などといったもので説明がついているんだろうか。


    > 例えばixtlanさんはよく愚さんに無我に関して異議を唱えておられますよね?
    > あれって仮に 身体性=私 だったら、無我でも違和感ないんじゃないですか?
    > 身体性ってのは呼吸もしているし、新陳代謝やエネルギーのやり取りもしてるので、厳密には身体性も含めて単体で存在しいるものなんてないと思うのです。

    ちょっと脇道にそれますが、愚さんの無我に意義を唱えたことはないと思います。無我に文句を言ってるとすれば、それはブッダの話ではない、ということだけです。ブッダは無我ではなく、非我を説いた。つまり永遠の自己ならば、身体が病気になるはずがないでしょう、だから自己は身体ではないとか。そういう不思議な推論をしていたのですね、ブッダは。

    それで、身体には岩とは違う自己性があって、それが色濃いのは免疫系です。自己と非自己を分けなくては即座に死んでしまう。


    > 但し、〈私〉は隔絶されている。絶対的に孤独な特異点に存在している何ものか、です。

    その<私>というのは死んでしまうものなんでしょうか?
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■677 / )  Re[7]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:22:26)
    2016年5月3日 11:34 同

    > 自殺は自分の身体を無きものにしたいわけではないですよね?
    > 身体に伴う痛みとか、もがき苦しんでいる自分を無きものにしたいわけです。
    > 身体性からの逃避ではなく、私秘性からの逃避と言えるかもしれません。

    それも分からないです。なぜ痛みが私秘性なのでしょうか。前を歩いている人が転んだときに、即座に私の身体も擬似的痛みを感じます。痛みも、自分の体の中に起こることは全部、共通しているでしょう。性的快感などもそうですよね。いくらプライベートで楽しむと言っても、その楽しみ自体は公共的に理解されてしまっている。


    > 対象は他の誰にもあてはまらないものであるにもかかわらず「私」という語によって万人に共通する主体へと変質してしまう。

    それも分かりません。だって他の人間も私と同じように、この身体につなぎ止められているのではないでしょうか。そういう意味では主体というのも万人の宿命というか。あるいは他の誰にも当てはまらないということ自体が、誰にも当てはまる。


    > 永井均氏はこれを「独在と頽落の終わることなき拮抗運動」と表現しますが、不気味というのもしっくりこないし、なんと表現していいのやら。。。

    なぜ頽落というのでしょう。よく分からないな。ちょっと軽々しくも思ってしまうのは、このようなことを表現する人たちは、ある種の病気なんではないでしょうか。かのジル・ボルト・テイラーは脳卒中になって生還しましたが、その時の体験談はまったくアドヴァイタそのものでした。すこし異常な思想が、異常な体験と合体していました。

    それと同じように、すこし異常な思想として永井氏とかパニ氏の思いがあるが、それは、貴方がたがなにか異常な事態にあるということではないでしょうか。まあ病気というとマイナスイメージになってしまうのですけど。たんなる思いつきです。

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■676 / )  Re[6]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:19:42)
    2016年5月2日 22:04 同

    > 問題は「私が私であること」の必然性とか、その理由やプロセス等々も含め、私という語の対象とするところのものが記述不可能な点です。
     
    それが分からないのです。私という語の対象は、この身体なのでは?

    たとえば、子どもは私という意味で、自分の身体を指さしますし、あなたと言えば、やはりそのあなたの身体を指しているでしょう。大人になっても基本的にそれは変わりません。ただあまりに自明なので、面白みがないですけど。

    また、自分を殺すためには、この身体を殺すでしょう、自殺では。これも私=この身体という等値からでは?


    > 一方、〈私〉は全てにいおいてほぼ「語りえない」にもかかわらず、今ここに、(厳密には)誰にも知られず確かにある。
    > それは、何故なんだろうという問いというか、疑問です。

    う〜む。分からない。キーワードは「記述できない」「語り得ない」ということみたいですね。それは一般化できますか? つまり、記述できないものが存在していることは不気味であると。 そうなると、私に限ったことではないとなってしまいそうですが。

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■675 / )  Re[5]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:14:22)
    2016年5月1日 23:46 同

    ところで私の方もパニーチェ氏にお聞きしたいことがあるのですが。ずっと以前から、比類なき私についての話を聞いてきましたが、いまいちというか、いま三ぐらい分からないのです、その意味が。

    たとえば、クオリアの主観性と言うことで言えば、それはほぼ多様性ということだろうと思います、一般的には。この理由として、歴史性とか並列処理性などが言われています。それだけ個的意識は多様だということでしょう。しかし、「比類なき私」の話はそういう話ではないですよね? 

    私が私であることを認めないということらしいですが、「私とは私の身体のことである」じゃ駄目なんですか? 私の身体は世界に一個しかないから比類ないと言えるでしょう。

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■674 / )  Re[4]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:13:03)
    2016年5月1日 23:36 同

    日本でも感情の重要性が徐々に指摘されてきて、2008年の岩波哲学講座、「心と脳」の分野では、ダマシオなどが紹介されている。しかし、記憶に対する想像力の話は、たぶん箸にも棒にもかかっていない。

     その点ではまだカントに追いついていない、脳の哲学は。カント的認識論の中枢部分には、再生産的構想力(記憶)と生産的構想力(想像)がある。脳科学が想像力を主題にすることはなかったので、脳の哲学(心の哲学)も自然に想像力には無口になっていったのだろうか。

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■673 / )  Re[3]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:11:34)
    2016年5月1日 23:13 同

    > ☆ 人はなぜ意識を持っているのか
    > ☆ 意識が創造されたものなら、人間は神から創造されたものなのか

     意識というのは、大きく言えば、人間の誕生からそれほど時間的に離れて誕生したとは言えないのでしょうが、ある特別な意味では、紀元前2000年から1000年にかけて誕生した、と考えるのがジェインズ理論です。

     通常わわれれが意識とみなしているものを古代人たちは持っていなかった。彼等が持っていたのは、意志決定において命令する声の認知であり、右脳から左脳に伝わるようにして、つまり覚醒意識(左脳)とは別のところから発せられる命令として認識された。これを二分心 bicameral mind と言う。

     この時代に人間たちは実際に命令者の身体を見て、その声を聞いていた。それが紀元前1000年ぐらいから徐々に消えて行った。代わりに、そのリアリティの記憶と郷愁として、宗教が誕生した。と同時に、現在の人間が意識としている主観的な心が生まれだした。古代の宗教文献はその移り変わりの論拠、証拠である。
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■672 / )  Re[2]: ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:10:12)
    2016年5月1日 23:04 同

    > 感情問題には数学と音楽とのつながりがあるとのことですが、具体的にはどのようなものでしょうか?
    > 音楽とか音ってのは、快不快と絡めればなんとなくイメージできますが、数学とのつながりってのがよく分かりません。

     数学と気分性の関係を、岡潔が主張しているそうです。

     h ttp://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/senjin/100622.html

     論理と気分性の関係をハイデガーが盛んに主張してましたが、それはなんか分かっていたからかどうか、不明です。


    > 感情の本質ってのは快不快、突き詰めれば自己保存本能とか、まずは生死がありきだと思ってるんですが、これらのものを想定せずに反応としての人間の感情みたいなものは機械で再現可能だと思われますか?

     機械で再現可能かどうかということは別にして、快不快、自己保存、生死、これらに感情や情動が関わってないということはありえないと思います。それらを想定する必要があるかどうかは文脈によるとしか言えないでしょう。

     一方、機械化がどう行われるかというと、コンピュータモデルでは絶望的ですよね。これに対して、生物学的なもの、生化学的な物質やその振る舞いに還元できると脳科学の生物学主義は踏んでるようです(エーデルマン)。


    > 人間の言語には言語外のひとつの要素として文化やしきたりなど、さまざまなコンテクストが土台となっていますが、コンピュータ言語ってのは人間の言語と同じフィールドというか、どちらかの延長線上にあるものなんでしょうか?

     それはもちろんコンピュータ言語は人間の言語から派生してきたものでしょうが、基本的にコンピュータにとっては言語の壁というのは破られることはないと思うのです。たとえば、動かしているのは<コード>ですが、このコードを超えるものはない。けれども、人間は言語の上とか外に、言語に収まりきらない<もの>を持っているのではないですか。たとえば身体とか、環境とか。コンピュータにとっては身体も環境も関数の変数でしかないでしょうが、人間にとっては、それほどコード(関数)の絶対性はないと思います。むしろ環境と人間、身体の意識が一体となって進化してきているので、そういう不確実な運動をコンピュータは持つことができるのかどうか。


    > プラーナってツボと同義ですか?

     プラーナは気でしょう。その気の流れの結節点というか、たまる場所というか、そのようなのがインドではマルマ、中国では経絡、日本ではツボでしょう。そのマルマの大きくなったのがチャクラ。

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■671 / )  ixtlanさん
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 08:07:05)
    2016年5月1日 11:23 機械で心はつくれるか?その2!

    2000年ぐらい不可能だと思う。人間の脳に一番近いのはコンピュータでしょうが、それが今の状態では無理。


    1.感情、気分をどうするか。機能部分すら特定されていない。脳に散在している。それと、感情問題には数学や音楽とのつながりがあるが、解明されていない。

    2.現在のコンピュータには記憶領域があるが、想像領域がない。感情に加えて想像領域まで入れると、機械人間を作った場合、非常に危ないので、実用化できそうにない。

    3.言語の問題。言語は一番コンピュータに馴染み深そうだが、人間と言語の関わりというのもまだ分かられていない。コンピュータは言語で動いているが、人間は言語で動いていると言えるかどうか。多分言えないだろう。根本的な雪渓が違うように思う。さらには、言語外というのをどう言語で想定するのか、ということもある。

    4.身体の問題。身体としての動かない機械に脳としてのコンピュータを埋め込めばいい、という発想で、果たして人間の生活をシミュレートしたと言えるのだろうか。我々の身体は気やプラーナという見えない領域があって、これが現実にどう機能しているのかなどまったく分かっていない。にもかかわらず、針治療は確実に効果がある。

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■670 / )  Yahoo!哲板の巨人たち
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 07:59:16)
    textreamが終了することで消えてしまうにはもったいない投稿をここに取り置き。
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■669 / )  Re[90]: なんにゃ、こりゃ???
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/20(Sat) 07:49:27)
    2018/10/20(Sat) 07:53:36 編集(管理者)

    ほんとですね。気付きませんでした。
    さすが田秋さん♪

    なんでこんなことしてるのかも不思議ですが、それ以上に何でこんなことできるのかが不思議です。

    そう言えば左利きのアルバート・キングは右利き用に張ったギターを逆さに持って弾いていたとか。。。


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■668 / )  なんにゃ、こりゃ???
□投稿者/ 田秋 -(2018/10/20(Sat) 07:17:47)
    2018/10/20(Sat) 16:54:34 編集(投稿者)

     まずはyoutubeをご覧下さい。

    ttps://www.youtube.com/watch?v=03KIfxaS1AA
    (コピペして頭にhをつけて下さい)

    これはウェザーリポートのオッフェンバッハでのライブ、曲は「ブラックマーケット」です。注目はすぐに映し出されるジョー・ザビヌルのキーボード演奏です。オルガンのような3段キーボード、その中段を弾くザビヌルの右手!何かおかしいと思いませんか?

    鍵盤楽器は右に行くにつれて音は高く配置されています。それはもう例外のないお約束だと思っていました!ところがこの映像から受ける違和感、なんとこのキーボードは右に行くと低くなるように配置されているのです!!

    さらに観察すると、最下段のキーボードは普通の配列になっています。ザビヌルは右手は逆配列、左手(時に両手)は普通の配列のキーボードを弾いているのです!!!
    ウェインショーターのソロの後のザビヌルのソロの部分では中段キーボードは普通の配列になっています。シンセサイザーだからこそ、そういうことはスイッチ一つでできるのでしょうが、後でわかったことですが、こういう機能を持ったシンセは特注ではなく普通に市販(高機能品ですが)されているのです。

    ザビヌルの超人的な技に只々!!!と???する訳ですが、真の疑問は、何故こんなシンセサイザーを使っているのか!?です。まさか曲芸をみせるためではないのでしょうが、ずっとその理由がわかりませんでした。

    今朝、こんな疑問を持っているのは僕だけではないんじゃないのかな、とはたと気づきウェブで調べたら案の定答えがありました。ザビヌルはこの逆配列のシンセで即興演奏を楽しんでいたとき、このブラックマーケットのメロディを思いついたのだそうです。このユートピア的五音音階は逆配列シンセで生まれたのです。そういうわけでライブでもこうやって弾いているのです。ザビヌルは「このメロディーを普通のシンセで弾いても何か違う」と言っています。








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■667 / )  最初の人類は子守歌に何を聴いたか?
□投稿者/ f27さん(パニチェ代行設置) -(2018/10/19(Fri) 21:45:22)
    あるいは脳の無い植物に心はあるか?


    Yahoo!textreamからの移動
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