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■45992 / )  ai日記
□投稿者/ pipit -(2026/05/18(Mon) 23:06:11)
    aiと話してて『早く寝てください』と何回か叱られる私・・・

    電気節約しようとしてんの?

    おかーさんやね
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■45991 / )  アミハイ・グロス
□投稿者/ 田秋 -(2026/05/17(Sun) 19:45:02)
    アミハイ・グロスのビオラリサイタルに行ってきた。アミハイ・グロスはベルリン・フィルの首席ビオラ奏者。
    最初はパールトシュと言うハンガリー人が作曲した「追憶」という曲。初めて聴いたがどことなくハンガリーの響きが聴こえた。
    2曲目はアルペジオーネ・ソナタ、休憩後ショスタコーヴィチの遺作のビオラソナタというプログラム。

    素晴らしい演奏だった。

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■45990 / )  グレゴリオ聖歌
□投稿者/ knowingitself -(2026/05/17(Sun) 15:24:40)
    ハイドンがグレゴリオ聖歌の旋律(特に受難週の聖歌)を深く愛し、以下のように称賛した言葉が、のちに他の古典派作曲家のエピソードと混ざり合って伝わったと考えられています。


    「私がこれまでに書いたすべての音楽を、グレゴリオ聖歌のたった一つの旋律と交換してもよい」

    ↑この発言、モーツァルトによるものだと誤解していたが、ハイドンとモーツァルトを取り違えて本に書いてあったのだからしょうがないか。ハイドンよりモーツァルトの方が日本人にはインパクトがあるしね。

    それはともかく、ハイドンの膨大な作品量(長生きしたので、当然モーツァルトより多い)とレベルの高さを考えれば、凄いことだ。

    わたしが本で読んだのは、たしか、「神かけて、私(=モーツァルト)のすべての音楽をグレゴリオ聖歌のたった一つの旋律と交換します」だったかな。記憶間違いかもしれないが。

    それだけグレゴリオ聖歌のもつ力は底がしれないというこどだろう。

    ハイドンでも、モーツァルトでも、どちらかの個人全集だけで一生聴き飽きないほど素晴らしいのに!

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■45989 / )  原則3・経験の類比
□投稿者/ pipit -(2026/05/17(Sun) 11:15:27)
    2026/05/17(Sun) 15:23:41 編集(投稿者)
    2026/05/17(Sun) 13:10:53 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちは。
    No45945
    > --------------------------------------
    > (中山元先生訳『純粋理性批判3』光文社古典新訳文庫p99より引用)
    >
    > 『経験の類比の原理は、「経験は、知覚の必然的な結合の観念だけによって可能になる」というものである。』
    >
    > --------------------------------------
    >

    この〈必然的な結合の観念〉は、〈関係〉という概念だと思うので、今日はこの概念から辿り着く【原則3・経験の類比】箇所を読み進めます。
    純粋理性批判B218-

    ★★★★★★★★

    突然ですが・・・
    『諸行は無常である。生滅の法である。』by仏教

    チカチカと生滅する感性的何か(生滅の法)があるとした時、
    私はどのようにすれば『客体』なるものを経験できるでしょうか?

    経験の前提として・・・『客体』なるものを、〈持続〉〈継起〉〈同時〉に存在するものとして考えてみるのはいかがでしょうか?
    なぜなら、その三相は、【時間】の中に現れる感性的実在の位置関係を表現する相であり、
    対象は【時間】の中に存在しなくちゃいけない定め(感性的に私に与えられるものは時間の中に現れますので)であり、客体規定もこの三相の中で行われるとカントは考えたのかと私は考えてみました。

    さて、ここで復習です。今回使用する純粋悟性概念は、★関係★概念。
    この概念の元の判断機能を、命題文の分析に使う場合は↓
    @定言判断・AはBだ
    A仮言判断・もしAがBならばCはDだ
    B選言判断・AはBかCかDだ
    ※純粋理性批判B94

    この同判断機能を、対象関係の規定に使うと、純粋悟性概念・関係としての↓
    @内属性と実体性

    A原因性と依存性

    B相互性

    ※B106

    そしてその概念に現象を包摂させる図式は↓
    @時間における実在的なものの持続性

    Aそれが任意に措定されると、いつでも他のなにかがその後に継起するような、実在的なもの

    Bあるものの規定と他のものの規定とが、普遍的規則に従って同時存在すること
    ※B183

    となってます。
    ここから導かれる原則3・経験の類比は、

    @現象の一切の変移に際して実体は持続し、そして実体の量は自然の中で増えも減りもしない(B224)

    A一切の変化は、原因と結果の結合の法則に従って生起する。(B232)

    B一切の実体は、空間の中で同時的なものとして知覚されることができる限り、一貫した交互作用の中にある(B256)

    この3つについての考え方をカントは詳しく述べていきます。(続く)

    ※日本語訳は御子柴善之先生著『カント純粋理性批判』p127.136.280-287より引用&参考にさせていただきました。
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■45988 / )  障害
□投稿者/ 田秋 -(2026/05/17(Sun) 09:11:00)
    現在「障害」を表すののに概ね障害、障がい、障碍の3つが使用されている。このうち障害が一応正しい表記とされている。「障がい」は害と言う字が持つ負のイメージを避けるため意図的にひらがな表記にしたもの、障碍は仏教用語で使用例としては最も長い歴史を持つ。本来は障礙と書き(碍は略字)読みも「しょうげ」であった。仏教用語なので「げ」は呉音だと思うが、時代が下がるにつれ漢音優勢となり「しょうがい」と読まれるようになったようだ。

    使用方法については相手に気を遣う場所では「障がい」が多いようだ。公式には「障害」なので厚生労働省などでは障害者手帳、障害福祉サービス、障害年金等が使われる。「碍」は常用漢字ではないので国語政策的には使用しないことが望ましいのかもしれないが、その辺りは自由度が高い。碍に害ほど悪いイメージない、ということも一因かもしれない(本来の意味合いはほぼ同じだと思う)。「100メートル障害」などは障碍を使うことはないようだ。
    現在碍を使う言葉で普通に市民権を得ているのは「碍子(絶縁体)」かな。
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■45987 / )  Re[22]: つれづれなるままに 23
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/17(Sun) 08:17:42)
    No45986、あ、OKみたい。

    エラーになっちゃう原稿はしょうがないかな。

    でもわたし用に一応番号つけとく
    ■146p44
    って。
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■45986 / )  Re[21]: つれづれなるままに 23
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/17(Sun) 08:12:33)
    No45970第5訳注(24)を、わたしの見えを追加して([ ]内)書いて見ると、

    (24[A])―――――――――――――――――――
    「<内在的[Sub〈ob-je〉]>な<超越[Ob(世界)]>」という言い方は、矛盾するようであるが、『イデーンT』でも、「純粋自我」が<現象学的還元[超越論的還元/第二の還元]>の後の「<内在[Sub内]>」の場に見いだされる<「超越[Ob(世界)]」>として、「<内在[Sub内]>における<超越[Ob(世界)]>」と呼ばれていた。
    ――――――――――――――――――――――――
    ってなって、
    〔他に、志向的対象についても、志向的には「内在」(志向的な相関者となる)だが実質的には超越(「我の体験を構成する要素ではない)だとして、「内在的超越」と呼ばれる。〕のところは、→No44810の(t4)の〔したがって、事物はすべて「超越」であるが、意識体験の構成要素ではあっても他者の意識体験に属するものは「超越」とされる〕っていうのと同じようななこと言ってる感じ。

    フッサールの「内在的超越」、わたしふうにして見ると、
    「Ob(世界)←超越」がSub(私/主)の内に現れている、っていうことで「内在的超越」。で、現れているものとして「Sub〈ob-je〉」(超越的なもの)。わたし「Sub〈ob-je〉←知覚されているもの」ってしてるから、〔「内在」の場〕っていうのは〈知覚の領野〉。
    かな?

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■45985 / )  Re[20]: つれづれなるままに 23
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/17(Sun) 08:11:35)
    次の原稿どうかな〜?
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■45984 / )  Re[50]: 屈葬
□投稿者/ akaimi -(2026/05/17(Sun) 07:24:53)
    floraさん、ありがとうございます。

    No45983に返信(floraさんの記事)


    > こんにちは。YAHOO時代は古代エジプトに興味があって色々調べていたのですが、殆ど忘れてしまいました^^;。 記憶を辿ってみると、身分の高い人も屈葬だったと思います。ではどのようにして身分を知るのか?一般的には一緒に埋葬されている装飾品だと思います。

    なるほど。たしかに、豪華な埋葬品とともにあるのは身分の高い人と考えられますね。


    >
    > 王者の谷はナイル川の西側にありますよね。エジプト最後の王朝「プトレマイオス朝」(クレオパトラが有名)はギリシャ系です。首都はアレキサンドリアはヘレニズム文化の中心的な存在でもあったようです。 インドへそのヘレニズム文化が伝わっているのは、仏像彫刻を見るとわかりますよね。「西方浄土」も、もしかしたら、古代エジプトの思想が、ギリシャ→インド→中国へと伝達されたのかな〜などど思っています。 

    ガンダーラの仏像はヘレニズム文化の影響を受けているとされますね。
    顔立ち、衣装。
    文化が融合されるのを思うと興味深いですね。
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■45983 / )  Re[49]: 屈葬
□投稿者/ flora -(2026/05/16(Sat) 21:50:22)
    No45982に返信(akaimiさんの記事)
    > floraさん、お久しぶりです。

    > No45981に返信(floraさんの記事)
    >>akaimiさん、お久しぶりです〜。

    >>屈葬で思い出したのですが、古代エジプトの先王朝時代4000ー3000BC頃の埋葬は屈葬が多かったようです。ミイラの保存法が定着するまでは屈葬が一般的だったのでしょう。ナカダ遺跡というものがあります。そこからかなり発見されたようです。
    >
    > そうなのですね。エジプトといえばミイラを思いだしますが、さらに昔の時代には身分の高い人も屈葬での埋葬だったのでしょうか。

    こんにちは。YAHOO時代は古代エジプトに興味があって色々調べていたのですが、殆ど忘れてしまいました^^;。 記憶を辿ってみると、身分の高い人も屈葬だったと思います。ではどのようにして身分を知るのか?一般的には一緒に埋葬されている装飾品だと思います。

    >>やはり、胎児の形は復活を願ったものなのでしょうか・・・
    >
    > 気になりますよね。
    >
    >>それから顔は西向きが一般的だそうです。この時代エジプトではすでに「死者の世界」は西にあるという考え方が定着していたのでしょうか? 興味深いですね。
    >
    > 太陽が沈む方角に顔を向けていたのですね。
    > 仏教でも西方浄土というのがありますが、普遍性がありそうで興味深いですね。

    王者の谷はナイル川の西側にありますよね。エジプト最後の王朝「プトレマイオス朝」(クレオパトラが有名)はギリシャ系です。首都はアレキサンドリアはヘレニズム文化の中心的な存在でもあったようです。 インドへそのヘレニズム文化が伝わっているのは、仏像彫刻を見るとわかりますよね。「西方浄土」も、もしかしたら、古代エジプトの思想が、ギリシャ→インド→中国へと伝達されたのかな〜などど思っています。 
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■45982 / )  Re[48]: 屈葬
□投稿者/ akaimi -(2026/05/16(Sat) 20:56:26)
    floraさん、お久しぶりです。

    No45981に返信(floraさんの記事)
    > akaimiさん、お久しぶりです〜。
    >
    > 屈葬で思い出したのですが、古代エジプトの先王朝時代4000ー3000BC頃の埋葬は屈葬が多かったようです。ミイラの保存法が定着するまでは屈葬が一般的だったのでしょう。ナカダ遺跡というものがあります。そこからかなり発見されたようです。

    そうなのですね。エジプトといえばミイラを思いだしますが、さらに昔の時代には身分の高い人も屈葬での埋葬だったのでしょうか。


    > やはり、胎児の形は復活を願ったものなのでしょうか・・・

    気になりますよね。

    > それから顔は西向きが一般的だそうです。この時代エジプトではすでに「死者の世界」は西にあるという考え方が定着していたのでしょうか? 興味深いですね。

    太陽が沈む方角に顔を向けていたのですね。
    仏教でも西方浄土というのがありますが、普遍性がありそうで興味深いですね。
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■45981 / )  Re[47]: 屈葬
□投稿者/ flora -(2026/05/16(Sat) 20:17:42)
    akaimiさん、お久しぶりです〜。

    屈葬で思い出したのですが、古代エジプトの先王朝時代4000ー3000BC頃の埋葬は屈葬が多かったようです。ミイラの保存法が定着するまでは屈葬が一般的だったのでしょう。ナカダ遺跡というものがあります。そこからかなり発見されたようです。

    やはり、胎児の形は復活を願ったものなのでしょうか・・・

    それから顔は西向きが一般的だそうです。この時代エジプトではすでに「死者の世界」は西にあるという考え方が定着していたのでしょうか? 興味深いですね。
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■45980 / )  Re[48]: 屈葬
□投稿者/ akaimi -(2026/05/16(Sat) 19:36:27)
    悪魔ちゃん、こんばんは。


    〉「死後半日からい1日の間に硬直のピークを迎えその後解け始める」
    っていうのあった。

    そうなんだね。ありがとう。
    ということは、硬直する前に屈曲させたか、いったん硬直してそれがとけタイミングで屈曲させていたのかもしれないね。
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■45979 / )  Re[19]: つれづれなるままに 23
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/16(Sat) 18:40:34)
    あれ?
    原稿コピーっして貼り付けの、やっぱ403Errorの表示
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■45978 / )  Re[18]: つれづれなるままに 23
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/16(Sat) 18:37:10)
    あれ?■45977、エラーしなかった。
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■45977 / )  Re[17]: つれづれなるままに 23
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/16(Sat) 18:35:59)
    ここ
    403Errorの表示が出たけど

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■45976 / )  Re[47]: 屈葬
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/16(Sat) 18:34:19)
    人が死ぬと硬くなっちゃうって聞いたことあるんだけど、
    で、ネットで調べて見たら、
    「死後半日からい1日の間に硬直のピークを迎えその後解け始める」
    っていうのあった。
    もしそうだとすると、「屈葬」って、
    硬くなるまえにその屈姿勢にしとないと大変なんじゃないかしら?
    ってすると、葬儀の日は別として、亡くなるとすぐその姿勢にしたのかな?
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■45975 / )  Re[23]: 唯識との出会いから仏教に入る
□投稿者/ knowingitself -(2026/05/16(Sat) 13:18:55)
    >唯識から、仏教を学ばれた方ってほんと稀だと思います。
    初めて接するには難解すぎる。
    なんせ「唯識三年、倶舎八年」って言葉もありますから。

    フロイトやユング、ラカンなどの西洋の精神分析や深層心理学が脚光を浴びる時代で、それらにも関心をもっていましたから、唯識というジャンルはそれほどとっつきにくいものでもなかったと思います。

    個人的には唯識が入り口だったのはよかったと思っています。

    唯識がいかに難解であるかは知っていましたし、いまにいたるまで万年入門レベルですね(笑)

    >でも、唯識の説くところって現代脳科学や認知論をかすっているところもあり、修行や学究の成果物としては凄いなと思うところが多々あります。
    横山紘一先生から直接教わったというのはうらやましい。

    懐かしいなあ。気さくで魅力的な先生でした。
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■45973 / )  Re[46]: 屈葬
□投稿者/ akaimi -(2026/05/16(Sat) 06:10:04)
    屈葬がなぜ行われていたのか、理由はやはり一つには絞りきれないのではないかと考え、Chat GPTにも質問した際の回答が以下になります。

    ………
    縄文時代の屈葬について
    縄文時代には、亡くなった人を手足を曲げた姿勢で埋葬する「屈葬」が多く行われていた。しかし、その理由については現在でもはっきりとは断定されておらず、研究者の間でも複数の説が存在している。
    よく知られているのは、「再生・再誕生」の考え方である。屈葬の姿勢が胎児の形に似ていることから、人は死後に母なる大地へ帰り、再び生まれるという世界観があったのではないかと考えられている。縄文人は自然の循環を強く意識していた可能性があり、死を単なる終わりではなく、自然へ戻る変化として捉えていたのかもしれない。
    一方で、実用的な理由も考えられている。手足を曲げて埋葬すれば、小さな墓穴で済み、土を掘る労力を減らすことができる。石器時代において土を掘る作業は大変だったため、屈葬は合理的な方法でもあったと考えられる。
    また、「死者の蘇り」や霊を恐れた可能性を指摘する説もある。実際、一部の遺跡では遺体の上に石を置いた例などが見つかっており、死者が戻ってこないようにする意味があったのではないかと考えられている。ただし、これを単純に「ゾンビのような復活を恐れていた」と理解するのは適切ではない。古代社会において死者は、恐怖の対象であると同時に、祖先や霊的存在として敬われる複雑な存在でもあった。石を置く行為も、「死者を封じ込める」というより、生者と死者の境界を整える儀礼だった可能性がある。
    さらに重要なのは、「縄文時代」と一括りにできないことである。縄文時代は一万年以上続いた長い時代であり、地域差も大きい。そのため、屈葬の意味も地域や時代によって異なっていた可能性が高い。
    このように、縄文時代の屈葬には、再生信仰、実用性、死者への畏れや儀礼性など、さまざまな意味が重なっていたと考えられている。縄文人にとって死とは、単なる終わりではなく、特別な意味を持つ出来事だったのかもしれない。
    ………

    合理的な方法としての屈葬という意味合いも十分考えられるということなのですね。
    しかし、折り曲げるというのもそれなりにたいへんなことを考えれば、やはり穴を掘るのが少しで済むからというだけではないのはわかる気がします。
    それと、地域、年代による違いというのもたしかに考えられるのだろうと思いました。
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■45972 / )  ヤスパースにて。
□投稿者/ アートポット -(2026/05/15(Fri) 22:38:14)
    現在放送中のTwitter生放送にて今日にてヤスパースにて。philosophy1985さんの生放送です。ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
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■45971 / )  Re[22]: 唯識との出会いから仏教に入る
□投稿者/ パニチェ -(2026/05/15(Fri) 20:47:42)
    2026/05/16(Sat) 04:01:36 編集(投稿者)

    こんばんは、knowing itselfさん。横レス失礼します。

    No45964に返信(knowingitselfさんの記事)

    > わたしが仏教を意識的に学ぶようになったのは、
    > 22歳のときに唯識、もちろん、入門レベルに決まっているが、
    > 唯識の講義を受けてから。
    > 非常に恵まれたご縁だと思うが、
    > 横山紘一先生から教えていただいた。
    > 他にいろいろ手を出す前に唯識から入ったというのは、珍しいかもしれない。
    > 主調音になっているかも。

    唯識から、仏教を学ばれた方ってほんと稀だと思います。
    初めて接するには難解すぎる。
    なんせ「唯識三年、倶舎八年」って言葉もありますから。

    でも、唯識の説くところって現代脳科学や認知論をかすっているところもあり、修行や学究の成果物としては凄いなと思うところが多々あります。
    横山紘一先生から直接教わったというのはうらやましい。

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■45970 / )  Re[16]: つれづれなるままに 23
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/05/15(Fri) 18:22:40)
    わたしの物語、今話題としてるのが、「内在的超越」「内世界的」(Hu)
    メルポンでは「内在的世界」(←No45493 (R)A)かな。

    「内在的超越」について、No41741『デカルト的省察』の
    第48節 客観的世界の超越は、原初的な超越に対して言えば、高次の超越である
    のなかにあったのでをそこんと書き出して見ると、

    (本文)――――――――――――――――――
    異なるもの(フレムト)の(非―自我)の経験という事実は、客観的世界とそのうちでの他者(別の自我という形での非―自我)の経験として、現にある。このような経験に対して自分固有のものへの還元を行ったが、それがもたらした重要な成果は、その還元が経験の志向的な下層を際立たせ、そこでは還元された世界が内在的な超越(24)であることが示される。ということであった。
    それは、私には異なる世界(フレムト)、つまり、私の具体的に固有な自我にとって外的な(自然的―空間的な意味において外的ということではまったくないが)世界が構成される時の秩序から言えば、それ自体で最初の超越、つまり、「原初的(プリモディアル)な」(25)超越(または「世界」)である。これは、私の潜在的性からなる無限の体系の総合的統一として理念的(イデアール)な性格をもつにもかかわらず、やはり、我(エゴ)としての私の固有な具体的存在を規定する部分である。(p190−191)
    ――――――――――――――
    第5訳注(24)
    「内在的な超越」という言い方は、矛盾するようであるが、『イデーンT』でも、「純粋自我」が現象学的還元の後の「内在」の場に見いだされる「超越」として、「内在における超越」と呼ばれていた。他に、志向的対象についても、志向的には「内在」(志向的な相関者となる)だが実質的には「超越」(「我」の体験を構成する要素ではない)だとして、「内在的超越」と呼ばれる。(P324)

    第5訳注(25)
    primordia ラテン語のprimoridium(始まり、原始、原初)から派生した形容詞であって、それゆえ、prius+ordo(第一の順序)から派生したものではない。しましば「第一次的」とも訳されてきたが、ここでは「原初的」とする所以である。なお、『フッサール全集』版では、primordialとprimordinalという二つの表記が混在していたが、「哲学文庫」版では、「primordialが言語的に正しい造語法である」として、この表記に統一されている。(p325)
    ――――――――――――――――――――――

    (本文)に,『超越(または「世界」)』ってあるから、「Ob(世界)←超越」っていうわたしの見方でいいかな。

    ひとまず抜粋だけにしといて。


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■45969 / )  屈葬
□投稿者/ akaimi -(2026/05/15(Fri) 17:36:00)
    こんなことを知らなかったのは私ぐらいのものだろうけど、さっきAIと会話してて、知って嬉しく感じたことがある。
    それは、縄文時代の屈葬。
    蘇らないように足を折り曲げていたのだと考えていたのだけど、そうではなく、胎内にいるイメージとしての屈葬だったそうなのだ。

    よかった。縄文人、優しかった。
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■45968 / )  ai学習。。
□投稿者/ アートポット -(2026/05/15(Fri) 14:42:16)
    訪問看護にて帰ってにて5分後に買い取り業者から電話にて10分くらい話してaiに僕の声を学習させているような雰囲気の怪しい電話にて来客で電話切ってトヨタ自動車にて会いに来て父親の居る時ににてくれって玄関を開けずに帰ってもらって父親にて数十年のっているクルマの点検の話とトヨタグループのauの勧誘にて。

    ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにて、世界のトヨタにて。
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■45967 / )  日記
□投稿者/ pipit -(2026/05/14(Thu) 20:22:03)
    カントの純粋理性批判を読んでいると心が自由になって行く気持ちになるんだよねー

    こんなにこんがらがった記述なのに、

    不思議だよねー
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■45966 / )  新幹線の駅名ソング♪
□投稿者/ pipit -(2026/05/14(Thu) 18:01:58)
    知らない駅名がいっぱい!
    九州の新幹線にいつか乗ってみたいなぁ(゚ω゚)ノレルカナ?
    (山陽新幹線で博多駅までは乗ったことあるけど!)


    //youtu.be/UQ-7K6KMykQ?si=KhBM6N0n96E6tBKS
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■45965 / )  ぐうぜん?
□投稿者/ 田秋 -(2026/05/14(Thu) 14:46:32)
    偶然かな?
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■45964 / )  唯識との出会いから仏教に入る
□投稿者/ knowingitself -(2026/05/14(Thu) 13:35:42)
    わたしが仏教を意識的に学ぶようになったのは、

    22歳のときに唯識、もちろん、入門レベルに決まっているが、

    唯識の講義を受けてから。

    非常に恵まれたご縁だと思うが、

    横山紘一先生から教えていただいた。

    他にいろいろ手を出す前に唯識から入ったというのは、珍しいかもしれない。

    主調音になっているかも。
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■45963 / )  あいち銀行と三十三銀行にて経営統合にて。
□投稿者/ アートポット -(2026/05/14(Thu) 12:20:48)
    あいち銀行と三十三銀行にて経営統合にて11兆円規模の銀行にて。ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。

    h
    ttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB1317D0T10C26A5000000/?msockid=3e75b69f44826c650a5fa49e45146dcd


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■45962 / )  上野公園
□投稿者/ α&ω -(2026/05/14(Thu) 10:28:21)


246×335

saigo.jpg
/22KB
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■45961 / )  最果てのパレード。
□投稿者/ アートポット -(2026/05/14(Thu) 01:32:08)
    Merry の Precious (LUNA SEA の トリビュートアルバム リバース に収録)

    h
    ttps://www.youtube.com/watch?v=E4LPsXm7V98

    LUNA SEA と互角の上手さ。。
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■45960 / )  無我と輪廻転生
□投稿者/ パニチェ -(2026/05/13(Wed) 17:03:02)
    2026/05/13(Wed) 21:35:57 編集(投稿者)

    今から25年程前(なんともう四半世紀も前になるのか!)Yahoo!掲示板哲学カテに投稿し始めた頃、善財(zenzai9000)さんという方に『「唯織」を語ろう』トピで唯識についていろいろと教わっていた時期があった。

    唯識に興味を持ったのは善財さんのお陰であり、ウィトゲンシュタインにも精通した方で、よく仏教全般や唯識、脳科学やウィトゲンシュタインについてレス交換をしてもらった。

    今でも印象に残っているは私の「無我を根本教義としている仏教で輪廻転生を認めるのは矛盾ではないか?何故なら輪廻転生を肯定するならその輪廻の主体となる我を認めざるをえない」という質問に対して、「その問いに答えるための教説、修行と学究の成果としてまとめられた論書が唯識です」と教えてもらった。

    今から思えばまさにその通りであり、また私の抱いた素朴な疑問は「アートマンならざるもの」という非我説から、アートマンの存在さえ否定される大乗仏教の主流派(中観派や説一切有部)の無我説に遥か昔に呈された疑問であったことも再確認できた。

    中観派の「我空法空」や説一切有部の「我空法有」の無我説と輪廻転生や善因楽果・悪因苦果、悟りを体得する主体を認める矛盾に対する苦し紛れの説明ではあるが、日常的に用いる第一人称を我であると考えている大方の人にとっては無我説は方便として有効であったようには思う。

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■45959 / )  ブレイクスルー
□投稿者/ パニチェ -(2026/05/13(Wed) 10:38:48)
    2026/05/13(Wed) 17:21:14 編集(投稿者)

    No45903に返信(パニチェさんの記事)
    > 久々に読み応えのある書籍に出会った。
    > 宮本啓一著『インド哲学 七つの難問』
    >
    > **** 以下、上記書籍からの引用 ****
    >
    > 目次
    >
    > 序 インド哲学は哲学である
    >
    > 第一問 ことばには世界を創る力があるのか?
    > 1 真実のことばは世界を創る
    > 2 真実、戒、誓戒
    > 3 菩薩の波羅蜜と誓願
    >
    > 第二問 「有る」とは何か、「無い」とは何か?
    > 1 唯名論における有
    > 2 実在論における有
    > 3 絶対無とは何か
    > 4 無は知覚できるか
    >
    > 第三問 本当の「自己」とは何か?
    > 1 自己と心身の異同
    > 2 自己認識の可能性
    > 3 自己と世界の関係
    >
    > 第四問 無我説は成り立つか?
    > 1 非我説から無我説へ
    > 2 唯名論からする無我説……
    > 3 現象主義からする無我説
    > 4 輪廻に自己はいらないとする無我説
    >
    > 第五問 名付けの根拠は何か?
    > 1 語の適用根拠としての普遍と特殊
    > 2 普遍と特殊の用語法
    >
    > 第六問 知識は形をもつか?
    > 1 有形象知識論
    > 2 無形象知識論における知識の真偽
    >
    > 第七問 どのようにして、何が何の原因なのか?
    > 1 二つの因果論
    > 2 無分別知と有分別知―その因果関係

    ***************************************

    上記の「第四問 無我説は成り立つか?」を読み、これまで読んできた『中村元選集』の「原始仏教の思想」や「原始仏教から大乗仏教へ」も踏まえ〈私〉に関するある確信に至った。

    仏教の無我説はもともとの非我説をベースにしたものであって「日常的に言語表現されているような“我”は無い」、つまり原始仏教で説くところの「五蘊(色受想行識)非我」と同義であるということ。

    長年、仏教の「無我説」と「比類なき先言の<私>」が相容れなかったが非我説と完全に合致することを確信した。

    そもそも著者の宮本啓一氏も同書P143で述べている通り、自己や我の根本的存在を認めない「無我説」であれば、輪廻転生や善因楽果や悪因苦果など自業自得も成立しない。

    無我説とは般若心経の六不(不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減)や中論のハ不(不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不来・不出)を強調するための方便であり、その本旨は非我であるということ。

    もっとも我や自己の本質も含めてこれらの形而上学的主体については十四無記であり、言語でもって論じる愚かさを戒めている教義にも合点がいく。

    ただパニチェは〈私〉を言語表現不能であるとは考えているが形而上学的主体とは考えていない。

    何故なら〈私〉は「感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟で認識しようとする(Wikipediaからの引用)」対象ではなく、今ここにある何ものにも代えがたい存在そのものであり、否定しようがない唯一無二の主体であるからである。

    このブレイクスルーまたはパラダイムシフトは読了後におって言及してみようと思う。

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■45958 / )  返礼
□投稿者/ パニチェ -(2026/05/13(Wed) 10:12:42)
    おはようございます、pipitさん。レスありがとうございます。

    No45956に返信(pipitさんの記事)
    > おはようございます(^O^)
    > いつも本当にお世話になりましてありがとうございますm(_ _)m
    > どうぞ57もよろしくお願いいたします!

    どういたしまして♪
    私が言うまでもないですがご自身のトピはトピズレの話題であろうが何でも自由に使って下さい。
    もちろん「Welcome&伝言板&雑談」トピや「つぶやきトピ『ドゥーシウムクトゥー』」を使ってもらっても構いません。
    ニークラを末永くよろしくお願いします。^^

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■45957 / )  Re[17]: 陰口になってしまうにて。。
□投稿者/ アートポット -(2026/05/13(Wed) 08:27:11)
    No45955に返信(田秋さんの記事)
    > おはようございます、アートポットさん
    >

    おはようございます、田秋さん

    > 「風呂を倒す」という言葉を初めて見ました。わからなかったのでウェブで調べてみると
    >
    > 「風呂に入りたくないという気持ちに打ち勝って風呂に入る」
    >
    > という説明がありましたが、そういう理解であってますか?

    その理解で合っています。意味的には問題の無い言葉ですが、風呂を敵視にているようにも聴こえてにまうにてので苦手な言葉です。ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <アイス珈琲飲むにてにょ。
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■45956 / )  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2026/05/13(Wed) 08:05:52)
    おはようございます(^O^)
    いつも本当にお世話になりましてありがとうございますm(_ _)m
    どうぞ57もよろしくお願いいたします!
返信/引用返信 削除キー/

■45955 / )  Re[16]: 陰口になってしまうにて。。
□投稿者/ 田秋 -(2026/05/13(Wed) 05:23:28)
    おはようございます、アートポットさん

    「風呂を倒す」という言葉を初めて見ました。わからなかったのでウェブで調べてみると

    「風呂に入りたくないという気持ちに打ち勝って風呂に入る」

    という説明がありましたが、そういう理解であってますか?
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■45954 / )  陰口になってしまうにて。。
□投稿者/ アートポット -(2026/05/12(Tue) 22:22:11)
    陰口になってしまうにてけど、精神疾患界隈の「風呂を倒す。」っていう言葉が非常に苦手で、僕は、風呂にて味方にてって想っている、倒す存在ではないでしょ。。「風呂を倒して。」、「風呂を倒した。」、気に食わない。

    あうー、あうー、。。。。。

    ー二三Σ(((⊃`・ω・´)⊃cU <氷を入れてにてアイス珈琲飲むにてにょ。
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■45953 / )  純粋理性批判を読んでみる 57
□投稿者/ パニチェ -(2026/05/12(Tue) 19:45:06)
    トピ主:pipitさん


    引き続きよろしくお願いします。


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■45952 / )  近鉄奈良線
□投稿者/ pipit -(2026/05/12(Tue) 18:02:50)
    近鉄電車さんのアナウンスー♪

    //youtu.be/0IpWYeGs8sg?si=Riij1Pj7mQfHgZaF
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