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No36127 の記事


■36127 / )  超越論的分析論[−4
□投稿者/ うましか -(2024/01/10(Wed) 23:33:59)
    2024/01/10(Wed) 23:35:12 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    No.36124 (pipitさん)

    カント沼、あいかわらず霧の中を彷徨わされている感覚なのですが、pipitさんに倣って例(「リンゴ」という概念)を通して考えたほうが分かりやすくなるのかな…(´;ω;`)ウッ…

    的外れな悩みかもしれないけど、当時のスコラ哲学者の知的ベースを形成していただろう論理学の知識が私に無いので、カントが言っていることがほとんど分からないまま先に読み進めなければならないのは、正直とても苦痛...

    苦痛なんですが…(*‘∀‘)

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十二項) 

    ◇ しかし、古人の超越論的哲学のうちには、純粋悟性概念を含んでいるもう一つの章が見出される。

    ◇ それらの純粋悟性概念はカテゴリーのうちには数え入れられないにも関わらず、彼らによれば、対象についてのア・プリオリな概念とみなされるべきであるが、しかし、その場合にはそのためにカテゴリーの数は増大してしまうことになり、これはあり得ないことである。

    ◇ このような諸概念を述べているのはスコラ哲学者のうちでは極めて有名な命題、即ち、「何であれ、存在するものは、一、真、善である」という命題である。

    ◇ ところで、この原理を使用したところで得られる結論(これは純然たる同語反復の命題しか与えなかった)が極めて乏しいものに終わったため、近代においてはほとんど単に、体面上、形而上学のうちで挙げられるのが常であるほどであるにせよ、このように長い期間保存されてきた思想は、どれほどそれが空虚なもの見えようとも、常にその起源を研究してみる価値はある。

    ◇ だから、この思想は何らかの悟性規則のうちにその根拠を持ってはいるが、しばしばあることだが、その根拠が、誤って解釈されたに過ぎないのではなかろうか、と推測されてよい。

    ◇ 超越論的な述語と思い誤られたところの、物≠フこれら〔一、真、善である等〕の諸述語は、諸物一般の全ての認識≠フ論理的要求と標識〔基準〕以外の何ものでもない。

    ◇ これらの諸述語は、量のカテゴリー、即ち、単一性=A数多性=A全体性≠フカテゴリーをそうした認識の根底に置くが、彼ら〔スコラ哲学者〕はただ、本来実質的に諸物自身の可能性に属するものと解されなければならなかった、これらの諸カテゴリーを、実際は形式的な意味においてのみ、あらゆる認識に関する論理的要求に属するものとして使用し、しかも思考のこれらの諸標識〔基準〕を、軽率にも、諸物自体そのものの固有性足らしめたのである。

    ◇ すなわち、客観〔客体〕のあらゆる認識の内には、概念の単一性≠ェある。

    ◇ この単一性は、それが認識の多様なものの総括の単一性とのみ考えられる限り、質的単一性≠ニ名付けられ得るが、これは例えば、演劇、演説、寓話における主題の単一性と同じものである。

    ◇ 第二には、帰結に関する真理性≠ェある。

    ◇ 或る与えられた概念から導き出される真なる帰結が多ければ多いほど、その概念の客観的な実在性の目印もますます多くなる。これは、共通的な根拠としての一つの概念に属するところの(その概念において量として考えられるのではないところの)、徴表の質的数多性≠ニ名付けられ得るかもしれない。

    --- No.36113,36085 からの続き ---

    ◇ 最後に第三には、完全性≠ェある。

    ◇ この完全性は逆にこの数多性がひっくるめてその概念の単一性へと還元され、いかなる他の概念にでもなく、この概念に完全に一致するということにあるのであって、これは質的完璧性=i総体性)と名付けられ得る。

    ◇ このことから次のことが明らかとなる。すなわち、
    認識一般の可能性を示すこれらの論理的な諸標識〔基準〕は、
    量をうみだす時の単一性がそこでは一貫して同種的と想定されなければならない量の三つの〔一、真、善という〕カテゴリーを、
    ここでは、意識の内での異種的≠ナすらある諸認識要素を結合しようとだけ意図しており、原理としての認識の質によって変容させるということである。


    † 原佑訳上巻、p.233〜p.234参照。
    † その他に、中山元訳2、p.88〜p.89、石川文康訳上巻、p.143、熊野純彦訳 p.130を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    [−4 No.36127
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,

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