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No30139,30154,30529 の記事


■30139 / )  超越論的分析論W−1
□投稿者/ エイプリルうましか -(2023/04/01(Sat) 21:34:52)
    2023/04/01(Sat) 21:36:37 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー
     
    毎度お馴染み? 4月のうましかです(;゚Д゚)(゚Д゚; )

    満開の桜の下、そろそろ花散る夜の沼面にダイブいたします!


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕

    ◆ 認識能力を活動させると、色々なきっかけから様々な概念が現れるが、それらの諸概念は、その認識能力を識別し得るものにし、相当長く、或いは相当鋭く観察された後では、集められて多少とも十分まとまりあるものとなる。どこでこの研究が完結するに至るかは、こうした言わば機械的な手続きによっては決して確実には決められない。また、このように偶然的にしか見いだされない諸概念は、秩序立って体系的な統一を成して発見されることもなく、結局は類似性に従って組み合わされ、単純なものからもっと複雑なものへと、その内容の多少に応じて系列付けられるしかないが、この系列とて、たとえ或る種の仕方で方法的に立てられるにせよ、決して体系的なものではない。
    ◆ 超越論的哲学は、その諸概念を一つの原理に従って探し出すという利点を持っているが、しかしまた、このことによって拘束されてもいる。というのも、それらの諸概念は、絶対的な統一としての悟性から純粋かつ混じり気なく発現し、それ〔ら〕自身が、一つの概念或いは理念に従って、互いに脈絡し合わなければならないからである。しかし、そうした脈絡は、それぞれの純粋悟性概念にその位置を、また全ての純粋悟性概念のことごとくにその完璧性を、ア・プリオリに規定し得るところの一つの規則を与えるが、そうでなければ、こうしたこと全ては勝手気ままなものとなり、或いは偶然に左右されるものとなるに違いない。

    --- No.30063 からの続き ---

    全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第一節 論理的な悟性使用一般について〔Von dem Logischen Verstandesgebrauche ueberhaupt〕

    ◇ 先に、悟性は一つの非感性的な〔nichtsinnliches〕認識能力として単に消極的に〔negativ〕説明された。ところで私たちは、感性に依存せずにはいかなる直観〔Anschauung〕にも与ることはできない。従って、悟性は直観の能力ではない。

    ◇ しかし、直観の他には概念〔Begriffe〕による認識以外のいかなる認識様式もない。従って、あらゆる悟性の認識は、少なくとも人間の悟性の認識は、概念による認識なのであり、直覚的〔*1〕ではなく〔nicht intuitiv〕、思弁的〔diskursiv〕なのである。

     *1 原佑訳では “intuitiv”は「直覚的」と訳されるが、中山元訳、石川文康訳では「直観的」と訳されている。

    ◇ 全ての直観は感性的なものとして触発〔Affektionen〕に基づいており、〔これに対して、悟性による〕概念は機能〔Funktinen〕に基づいている。私の理解する機能とは、しかし、様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付ける働きの統一のことに他ならない。

    ◇ 従って、概念は思考の自発性〔Spontaneitaet des Denkens〕に根拠付けられており、それは、感性的な直観が印象の受容性〔Rezeptivitaet der Eindruecke〕に根拠付けられているのと同様である。


    † 原佑訳上巻、p.210参照。
    † その他に、中山元訳2、p.49〜p.50、石川文康訳上巻、p.125を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−1 No.30139
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139

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■30154 / )  超越論的分析論W−2
□投稿者/ うましか -(2023/04/03(Mon) 21:37:40)
    2023/04/03(Mon) 21:38:33 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    No.30140(pipitさん)

    >働きの統一 って何気に難しい言葉だなぁ
    >秩序付けの統一?

    確かに、、、読めば読むほど、、、(。´・ω・)?沼

    手持ちの翻訳をいくつか読み比べてみましたが、結局うましかは「様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付けるような働きという統一」と読んでみたいとおもいました〜間違いかもですが(´;ω;`)ウッ…

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕
    〔略〕

    全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第一節 論理的な悟性使用一般について〔Von dem Logischen Verstandesgebrauche ueberhaupt〕

    ◇先に、悟性は一つの非感性的な認識能力として単に消極的に説明された。ところで私たちは、感性に依存せずにはいかなる直観〔Anschauung〕にも与ることはできない。従って、悟性は直観の能力ではない。しかし、直観の他には概念〔Begriffe〕による認識以外のいかなる認識様式もない。従って、あらゆる悟性の認識は、少なくとも人間の悟性の認識は、概念による認識なのであり、直覚的〔intuitiv〕ではなく、思弁的〔diskursiv〕なのである。全ての直観は感性的なものとして触発に基づいており、〔これに対して、悟性による〕概念は機能に基づいている。しかし、私の理解する機能とは、様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付けるような働きという統一〔die Einheit der Handlung〕のことに他ならない。従って、概念は思考の自発性に根拠付けられており、それは、感性的な直観が印象の受容性に根拠付けられているのと同様である。

    --- No.30139 からの続き ---

    ◇ところで、こうした諸概念を、悟性は、それがそれら諸概念によって判断する以外には使用することはできない。ただ、直観以外のいかなる表象も直接的にその対象と関わることがないから、概念が直接的に連関付けられるのは対象とではなく、対象についての何らかの他の表象(その表象が直観であるせよ、それ自身が既に概念であるにせよ)とである。

    ◇ それ故、判断は、対象の間接的な〔mittelbare〕認識、従って対象の表象の表象である。あらゆる判断の内には多くの諸概念に妥当する一つの概念があり、この概念はそれら多くの諸概念の内に一つの与えられた表象をも含んでおり、そこでこの表象がその対象と直接的に連関付けられる。

    ◇ それで、例えば、全ての物体は分割され得る〔alle Koeper sind teilbar.〕≠ニいう判断においては、「分割され得る〔Teilbaren〕」という概念は様々な他の概念と連関し、しかも、これらの諸概念の内でこの「分割され得る」という概念は、この場合は特に「物体」という概念と連関付けられているが、この「物体」という概念は、私たちに現われる或る種の諸現象と連関付けられている。

    ◇それ故、これらの諸対象は「分割され得る」という概念によって間接的に表象される。従って、全ての判断は、私たちの諸表象の間を統一する機能〔Fanktionen der Einheit〕であって、つまりそこでは、直接的な〔unmittelbaren〕表象の代わりに、この直接的な表象及び若干の諸表象をそれ自身のうちに含む一つの高次の表象が、その対象を認識するために使用され、多くの可能な認識が、このことによって一つの認識においてまとめあげられるのである。


    † 原佑訳上巻、p.210〜p.211参照。
    † その他に、中山元訳2、p.50〜p.51、石川文康訳上巻、p.125〜p.126を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

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    W−1 No.30139、W−2 No.30154
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

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    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154

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■30529 / )  超越論的分析論W−3
□投稿者/ うましか -(2023/05/02(Tue) 00:26:34)
    2023/05/02(Tue) 00:27:54 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    久しぶりのカント沼来訪ですm(__)m

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    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕
    第一篇 概念の分析論
    〔略〕

    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕□
    〔略〕

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第一節 論理的な悟性使用一般について〔Von dem Logischen Verstandesgebrauche ueberhaupt〕

    ◇ところで、こうした諸概念を、悟性は、それがそれら諸概念によって判断する以外には使用することはできない。ただ、直観以外のいかなる表象も直接的にその対象と関わることがないから、概念が直接的に連関付けられるのは、対象とではなく、対象についての何らかの他の表象(その表象が直観であるせよ、それ自身が既に概念であるにせよ)とである。
    それ故、判断は、対象の間接的な認識、従って対象の表象の表象である。あらゆる判断の内には多くの諸概念に妥当する一つの概念があり、この概念はそれら多くの諸概念の内に一つの与えられた表象をも含んでおり、そこでこの表象がその対象と直接的に連関付けられる。
    それで、例えば、全ての物体は分割され得る〔alle Koeper sind teilbar.〕≠ニいう判断においては、「分割され得る〔Teilbaren〕」という概念は様々な他の概念と連関し、しかも、これらの諸概念の内でこの「分割され得る」という概念は、この場合は特に「物体」という概念と連関付けられているが、この「物体」という概念は、私たちに現われる或る種の諸現象と連関付けられている。それ故、これらの諸対象は「分割され得る」という概念によって間接的に表象される。
    従って、全ての判断は、私たちの諸表象の間を統一する機能〔Fanktionen der Einheit〕であって、つまりそこでは、直接的な表象の代わりに、この直接的な表象及び若干の諸表象をそれ自身のうちに含む一つの高次の表象が、その対象を認識するために使用され、多くの可能な認識が、このことによって一つの認識においてまとめあげられるのである。

    --- No.30154 からの続き ---

    ◇ しかし私たちは、悟性の全ての働きを判断に還元することができ、従って悟性≠ヘ総じて判断する能力≠ニして考えられ得る。なぜなら、悟性は、前述の通り、思考する能力だからである。思考は概念による認識である。しかし概念は、可能的な判断の述語として、まだ°K定されていない対象についての何らかの表象と連関する。

    ◇ そこで〔例えば〕「物体」という概念は、この概念によって認識され得る或るもの、例えば「金属」を意味する。それ故「物体」という概念は、この概念を元に他の諸表象を含んでいて、それらの諸表象を介してこの概念が諸対象と連関し得ることによってのみ概念となるのである。

    ◇ それ故「物体」という概念は、可能的な判断、例えば「あらゆる金属は物体である」という判断のための述語である。従って悟性の機能は、判断における統一の機能が完璧に示されることができるならば、ことごとく見いだされ得るのである。このことが遺憾なく成就されるということは次節が明示するであろう。


    † 原佑訳上巻、p.211〜p.212参照。
    † その他に、中山元訳2、p.51〜p.52、石川文康訳上巻、p.126を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

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    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529

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