□投稿者/ うましか -(2023/05/29(Mon) 01:04:09)
| 2023/05/29(Mon) 01:04:54 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
試しに読んでみたけど、だめだ今アタマに全然入ってこない〜(ToT)/~~~
とりあえず中山元訳2のp.285〜を読んでますが… 御子柴善之泉(注:『カント 純粋理性批判』,角川選書)p.127も参照しようかな (;´・ω・)
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T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学 第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕 第一篇 概念の分析論 〔略〕
第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕 〔略〕
□全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き 第二節 (第九項) 判断における悟性の論理的機能について〔§9 Von der logischen Funktion des Verstandes in Urteilen〕
◆ もし私たちが判断一般の全ての内容を捨象し、判断における単なる悟性の形式だけに注目するならば、私たちは判断における思考の機能が四つのタイトル〔Titel〕に分けられることができ、それぞれのタイトルが三つの契機〔Momente〕を自身の下に含んでいることを見出すだろう。それは次の表で適切に示されることができる。
1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕 ・全称判断 〔Allgemeine〕 〔すべてのAはBである〕 ・特称判断 〔Besondere〕 〔あるAはBである〕 ・単称判断 〔Einzelne〕 〔ある一つのAはBである〕
2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕 ・肯定判断 〔Bejahende〕 〔AはBである〕 ・否定判断 〔Verneinende〕 〔AはBでない〕 ・無限判断 〔Unendliche〕 〔Aは非Bである〕
3 〔判断の〕関係=kRelation.〕 ・定言判断 〔Kategorische〕 〔AはBである〕 ・仮言判断 〔Hypothetische〕 〔もしAがBなら、CはDである〕 ・選言判断 〔Disjunktive〕 〔Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである〕
4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕 ・蓋然的判断〔Problematische〕 〔AはBかもしれない〕 ・実然的判断〔Assertorische〕 〔AはBである〕 ・確然的判断〔Apodiktische〕 〔AはBでなくてはならない〕
◆ この区分は、たとえ本質的な点ではないとしても、いくつかの点で、論理学者たちの慣れ親しんだ手法とは違っているように見えるから、心配されるような誤解を防ぐために以下のような注意をしておくのも無用ではないだろう。 ◆ 1 論理学者たちが、「理性推論〔Vernunftschluessen〕において判断する際、単称判断〔einzelnen Urteile〕は全称判断〔allegemeinen (Urteile)〕と同じものとして取り扱われる」と言うのは正当である。 というのも、単称判断は全く外延をもっていないというまさにこの理由で、単称判断の述語が主語の概念の下に含まれているものの幾つかとだけ連関し、他の幾つかからは排除されるということはあり得ないからである。 それ故、その〔単称判断の〕述語は主語の概念に例外なく妥当するが、それは、あたかもこの〔単称判断の〕主語の概念が一つの外延をもつ全称的な〔gemeingueltiger〕概念であって、この外延の全ての意味〔Bedeutung〕にその述語が妥当するかのようである。 これに対して、私たちが単称判断を単に認識として、その量からみて全称判断〔gemeingueltigen〕と比較するならば、単称判断の全称判断に対する関係は、単一性〔Einheit〕の無限性〔Unendlichekeit〕に対する関係と同様である。それ故、単称判断はそれ自体としては全称判断から本質的に区別されている。 従って、私が単称判断(judicium singulare)を、単にその内的な妥当性〔innnern Gueltigkeit〕によってのみならず、認識一般として、それが他の諸認識との比較においてもつ量によって評価するならば、単称判断はもちろん全称判断〔gemeingueltigen Urteil〕(judicia communia )から別されている。 だから〔単称判断は、〕思考一般の諸契機を示す完璧な表においては、(たとえ単に判断の使用相互の関係にのみ制限される論理学においてはそうでないことは言うまでもないとしても、)一つの特別な位置を占めるに値するのである。
--- No.30542,30550からの続き ---
◇ 2 同様に、超越論的論理学においては、無限判断〔unendliche Urteile〕≠ヘ肯定判断〔bejahenden (Urteil)〕≠ゥらやはり区別されねばならない。たとえ無限判断が一般論理学においては肯定判断に数えられ、その区別の特別の項を成さないのが正当であるとしても、そうである。
◇ つまり、一般論理学では述語のあらゆる内容を(たとえ述語が否定的であっても)捨象し、はたして述語が主語に付加されるのか、或いは主語と対立するか〔ということ〕にだけ注目するのである。
◇ しかし、超越論的論理学は、判断を、単に否定的な述語を媒介とするこの論理的肯定の価値または内容にしたがっても考察し、この論理的肯定がその全認識に関していかなる利得をもたらすかを考察する。
◇ 〔例えば、仮に〕私が霊魂について「霊魂は死ぬものではない〔sie ist nicht sterblich〕」と言ったとすると、私は否定判断〔verneinenden Urteil 〕によって少なくとも一つの誤謬を防いだことになる。
◇ ところで、私は、「霊魂は死なないものである〔die Seele ist nichtsterblich〕」という命題によっては、霊魂を不死なる存在者の無制限な外延の内に置くので、なるほどその論理的形式から言えば実際に肯定したのである。
◇ だが、死ぬものは可能的存在者の全外延の一部分を含み、死なないものは他の部分を含むので、私の命題によって主張されているのは、霊魂とは、私が死ぬものをことごとく除去しても残存するところの、無限に多くの諸物のうちの一つであるということ以外の何ものでもない。
† 原佑訳上巻、p.214〜p.215参照。 † その他に、中山元訳2、p.57〜p.58、石川文康訳上巻、p.128〜p.129を参照。 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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X−1 No.30542、X−2 No.30550、V−3 No.30874 W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529 V−1 No.29992、V−2 No.30063 U−1 No.29963 T−1 No.29833、T−2 No.29850
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第一部 No.29833,29850 第一篇 No.29963 第一章 No.29992,30063 第一節 No.30139,30154,30529 第二節 No.30542,30550,30874
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