□投稿者/ うましか -(2023/05/03(Wed) 22:35:54)
| 2023/05/03(Wed) 22:40:16 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー(・∀・)
No.30539(pipitさん)
>私もついついカント先輩沼から遠のいちゃうのですが(だって沼だもの!!)、でもやっぱり、超越論的演繹論も理解したいし、図式論も理解したい。。。なら、、、 >がんばるしかないかー( ;∀;)
(´;ω;`)ウッ… m(__)m がんばるしかないか−( ;∀;)
>「物体」ー(金属)ー対象
概念:「物体」 ← 表象:「金属」 ← ●(対象) (;´・ω・)?
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T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学 第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕 第一篇 概念の分析論 〔略〕
第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕 〔略〕
□全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き 第一節 論理的な悟性使用一般について〔Von dem Logischen Verstandesgebrauche ueberhaupt〕
◆ 先に、悟性は一つの非感性的な認識能力として単に消極的に説明された。 ところで私たちは、感性に依存せずにはいかなる直観〔Anschauung〕にも与ることはできない。従って、悟性は直観の能力ではない。 しかし、直観の他には概念による認識以外のいかなる認識様式もない。従って、あらゆる悟性の認識は、少なくとも人間の悟性の認識は、概念による認識なのであり、直覚的〔intuitiv〕ではなく、思弁的〔diskursiv〕なのである。 全ての直観は感性的なものとして触発に基づいており、〔これに対して、悟性による〕概念は機能に基づいている。しかし、私の理解する機能とは、様々な諸表象を一つの共通の表象の下に秩序付けるような働きという統一〔die Einheit der Handlung〕のことに他ならない。従って、概念は思考の自発性に根拠付けられており、それは、感性的な直観が印象の受容性に根拠付けられているのと同様である。 ところで、こうした諸概念を、悟性は、それがそれら諸概念によって判断する以外には使用することはできない。ただ、直観以外のいかなる表象も直接的にその対象と関わることがないから、概念が直接的に連関付けられるのは、対象とではなく、対象についての何らかの他の表象(その表象が直観であるせよ、それ自身が既に概念であるにせよ)とである。 それ故、判断は、対象の間接的な認識、従って対象の表象の表象である。 あらゆる判断の内には多くの諸概念に妥当する一つの概念があり、この概念はそれら多くの諸概念の内に一つの与えられた表象をも含んでおり、そこでこの表象がその対象と直接的に連関付けられる。 それで、例えば、全ての物体は分割され得る≠ニいう判断においては、「分割され得る」という概念は様々な他の概念と連関し、しかも、これらの諸概念の内でこの「分割され得る」という概念は、この場合は特に「物体」という概念と連関付けられているが、この「物体」という概念は、私たちに現われる或る種の諸現象と連関付けられている。それ故、これらの諸対象は「分割され得る」という概念によって間接的に表象される。 従って、全ての判断は、私たちの諸表象の間を統一する機能〔Fanktionen der Einheit〕であって、つまりそこでは、直接的な表象の代わりに、この直接的な表象及び若干の諸表象をそれ自身のうちに含む一つの高次の表象が、その対象を認識するために使用され、多くの可能な認識が、このことによって一つの認識においてまとめあげられるのである。 しかし私たちは、悟性の全ての働きを判断に還元することができ、従って悟性≠ヘ総じて判断する能力≠ニして考えられ得る。なぜなら、悟性は、前述の通り、思考する能力だからである。 思考は概念による認識である。しかし概念は、可能的な判断の述語として、まだ°K定されていない対象についての何らかの表象と連関する。 そこで〔例えば〕「物体」という概念は、この概念によって認識され得る或るもの、例えば「金属」を意味する。それ故「物体」という概念は、この概念を元に他の諸表象を含んでいて、それらの諸表象を介してこの概念が諸対象と連関し得ることによってのみ概念となるのである。 それ故「物体」という概念は、可能的な判断、例えば「あらゆる金属は物体である」という判断のための述語である。従って悟性の機能は、判断における統一の機能が完璧に示されることができるならば、ことごとく見いだされ得るのである。このことが遺憾なく成就されるということは次節が明示するであろう。
--- No.30139,30154,30529 からの続き ---
□全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き 第二節 第九項〔*1〕 判断における悟性の論理的機能について〔§9 Von der logischen Funktion des Verstandes in Urteilen〕
*1 第二版(B版)。中山元訳2,p.244訳注によれば、この第九項は、第一部門 超越論的感性論の最終、第二節 第八項の「つづきのようである」とのこと。
◇ もし私たちが判断一般の全ての内容を捨象し、判断における単なる悟性の形式だけに注目するならば、私たちは判断における思考の機能が四つのタイトル〔Titel〕に分けられることができ、それぞれのタイトルが三つの契機〔Momente〕を自身の下に含んでいることを見出すだろう。
◇ それは次の表で適切に示されることができる。
1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕 ・全称判断 〔Allgemeine〕 ・特称判断 〔Besondere〕 ・単称判断 〔Einzelne〕
2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕 ・肯定判断 〔Bejahende〕 ・否定判断 〔Verneinende〕 ・無限判断 〔Unendliche〕
3 〔判断の〕関係=kRelation.〕 ・定言判断 〔Kategorische〕*2 断言判断(中山元訳) ・仮言判断 〔Hypothetische〕 ・選言判断 〔Disjunktive〕
4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕 ・蓋然的判断〔Problematische〕*3 可能判断(中山元訳) ・実然的判断〔Assertorische〕*4 現実判断(中山元訳) ・確然的判断〔Apodiktische〕*5 必然判断(中山元訳)
◇ この区分は、たとえ本質的な点ではないとしても、いくつかの点で、論理学者たちの慣れ親しんだ手法とは違っているように見えるから、心配されるような誤解を防ぐために以下のような注意をしておくのも無用ではないだろう。
† 原佑訳上巻、p.212〜p.213参照。 † その他に、中山元訳2、p.53〜p.55、石川文康訳上巻、p.127〜p.128を参照。 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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X−1 No.30542 W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529 V−1 No.29992、V−2 No.30063 U−1 No.29963 T−1 No.29833、T−2 No.29850
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第一部 No.29833,29850 第一篇 No.29963 第一章 No.29992,30063 第一節 No.30139,30154,30529 第二節 No.30542
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