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第一部 超越論的分析論V−2
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□投稿者/ うましか -(2023/03/25(Sat) 00:05:33)
| 2023/03/25(Sat) 00:06:58 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんはー
『純粋理性批判』を読んでみる。47、よろしくお願いいたします!(`・ω・´)ゞ
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T 超越論的原理論 第二部門 超越論的論理学 第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕 第一篇 概念の分析論 〔略〕
第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて〔Von dem Leitfaden der Entdeckung aller reinen Versatandesbegriffe〕
◆ 認識能力を活動させると、色々なきっかけから様々な概念が現れるが、それらの諸概念は、その認識能力を識別し得るものにし、相当長く、或いは相当鋭く観察された後では、集められて多少とも十分まとまりあるものとなる。どこでこの研究が完結するに至るかは、こうした言わば機械的な手続きによっては決して確実には決められない。また、このように偶然的にしか見いだされない諸概念は、秩序立って体系的な統一を成して発見されることもなく、結局は類似性に従って組み合わされ、単純なものからもっと複雑なものへと、その内容の多少に応じて系列付けられるしかないが、この系列とて、たとえ或る種の仕方で方法的に立てられるにせよ、決して体系的なものではない。
--- No.29992 からの続き ---
◇ 超越論的哲学は、その諸概念を一つの原理に従って探し出すという利点を持っているが、しかしまた、このことによって拘束されてもいる。
◇ というのも、それらの諸概念は、絶対的な統一としての悟性から純粋かつ混じり気なく発現し、それ〔ら〕自身が、一つの概念或いは理念に従って、互いに脈絡し合わなければならないからである。
◇ しかし、そうした脈絡〔Zusammenhang〕は、それぞれの純粋悟性概念にその位置を、また全ての純粋悟性概念のことごとくにその完璧性を、ア・プリオリに規定し得るところの一つの規則を与えるが、そうでなければ、こうしたこと全ては勝手気ままなものとなり、或いは偶然に左右されるものとなるに違いない。
† 原佑訳上巻、p.209参照。 † その他に、中山元訳2、p.48、石川文康訳上巻、p.124〜p.125を参照。 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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V−1 No.29992、V−2 No.30063 U−1 No.29963 T−1 No.29833、T−2 No.29850
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第一部 No.29833,29850 第一篇 No.29963 第一章 No.29992,30063 第一節 No.
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