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No37244 の記事


■37244 / )  超越論的分析論\−7
□投稿者/ うましか -(2024/05/05(Sun) 11:35:24)
    2024/05/05(Sun) 11:36:06 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    お久しぶりですm(__)m


    あーもう五月にはいってしまった、、、やっとカント沼に浸かれる時間が、、、でもまた明日から、ジゴクの日々…(´;ω;`)ウゥゥ


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について

    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について

    ◆ 私たちは、今や既に二種類の概念を持っている。この二種類の概念とは、種類は全く異なるが、それでも、両者とも完全にア・プリオリに〔全ての経験に完全に依存せずに 〕対象と連関するという点においては互いに一致している。
    それら〔二種類の概念〕とは、つまり、感性の形式としての空間及び時間の概念と、悟性の概念としてのカテゴリーである。
    これらの諸概念〔空間・時間、カテゴリー〕について、経験的〔経験による〕演繹〔根拠づけ、権利づけ〕を試みようとすることは全く無益な仕事であろう。というのも、これらの諸概念〔空間と時間、カテゴリー〕の本性の特質とは、これらの諸概念〔空間と時間、カテゴリー〕が己の対象を表象するために、何ものかを経験から借りてくること無しにその対象と連関するという、まさにこの点にあるからである。
    それ故、もしこれらの諸概念〔空間と時間、カテゴリー〕の演繹が必要ならば、それはいつでも超越論的〔な演繹〕でなければならないであろう。

    ◆ しかしながら、私たちは、これらの諸概念についても、全ての認識についてと同様、それらの可能性の原理を探し出すのではない場合には、それらの産出の機会因をやはり経験において探し出すことができる。その時には感官の印象が、これらの諸概念に関する全認識能力を活動せしめ、経験をせしめる最初の機縁を与える。
    この経験は、二つの極めて異種的な要素、すなわち、感官に基づく認識のための実質〔質料〕≠ニ、純粋な直観〔作用〕及び純粋な思考〔作用〕の内的源泉に基づきこの実質〔質料〕を秩序づける、或る種の形式≠ニを含んでいる。こうした純粋な直観〔作用〕と純粋な思考〔作用〕は、実質〔質料〕を機会として、まず活動をはじめ、そして概念を産み出すのである。
    私たちの認識力〔Erkenntniskraft〕が、個々の知覚から普遍的概念へと高まろうとする最初の努力をこのように跡付けてみることは、疑いなく極めて有益なことであり、そのための道が初めて開かれたのは、あの有名なロック〔John Locke, 1632-1704〕≠フおかげであるとしなければならない。
    しかしながら、ア・プリオリな〔全ての経験に完全に依存しない 〕諸純粋概念〔空間と時間、カテゴリー〕の演繹〔根拠づけ、権利づけ〕≠ヘ、ロックの開いた道によっては決して成功することはない。何故なら、ア・プリオリな諸純粋概念の演繹は、徹頭徹尾この道にはないからである。
    というのも、経験には全面的に依存してはならないそうしたア・プリオリな諸純粋概念の将来の使用について、これらの諸純粋概念〔空間と時間、カテゴリー〕は、経験からの血統を示す出生証明書を示すことができなければならないからである。このような生理学的な〔physiologische〕導出の試みは、事実の問題(quaestionem facti)に関するので、そもそも演繹〔根拠づけ、権利づけ〕とは全く呼ばれることができないのである。なので、私はそうした導出を純粋認識の所有〔Besitzes〕≠フ説明と呼ぼうと思う。
    従って明瞭なのは、この純粋認識については超越論的演繹〔根拠づけ、権利づけ〕のみがあり得るのであって、経験的演繹は断じてあり得ないということであり、また、経験的演繹は、ア・プリオリな諸純粋概念に関しては、空しい試み以外の何ものでもなく、そうした試みに携わることができるのは、こうした純粋認識の極めて特異な本性を理解していない人だけでしかあり得ないということである。

    ―― No.36646,36657,36908 の続き ---

    ◇ ところが、たとえア・プリオリな純粋認識の可能的演繹の唯一の様式、つまり超越論的な道をたどる演繹の様式が認められるとしても、このことによってはまさしく、この様式がかくも不可避的に必然的であるこということは明白ではない。

    ◇先に私たちは、空間及び時間の概念を超越論的演繹によってその源泉にまで追求し、そのア・プリオリな客観的妥当性を説明し規定した。

    ◇ にもかかわらず、幾何学は空間という根本概念の純粋で合法則的な素性に関して哲学に証明書を懇願するまでもなく、自身の確実な歩みを純然たるア・プリオリな認識を通じてたどっているのである。

    ◇ しかしながら、この概念の使用はこの幾何学において〔も〕外なる感性界〔aussere Sinnenwelt外的感覚界〕にのみ関わるのであり、外なる感性界については空間はその直観の純粋形式であり、故にこの外なる感性界〔外的感覚界〕においては、全ての幾何学的認識はア・プリオリな直観に根拠づけられているので、直接的な明証性を持つ。また、その〔幾何学の〕諸対象は、その認識自身を通じてア・プリオリに(その形式に関して)直観において与えられるのである。

    † 原佑訳上巻、p.238〜p.239参照。 原典はMeiner, p.167〜p.168
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.96〜p.97、石川文康 訳 上巻,p.147〜p.148
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

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    \−7 No.37244
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    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
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    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
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    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

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    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244

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