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Re[56]: つれづれなるままに 14
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/06/07(Fri) 19:27:01)
| 【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の第50,51,52節からわたしが抜粋したところを、 No37372 No37384 No37392 のようにして見て、 No37439のように見たところで、
私に現前するものが「他者(人)」のばあいを見て見ることにする。 いまは乳幼の頃に遡ってそのうちで見ようとしてるから、「私」っていうのは、 No37367で見たDの、 乳幼の頃の「私」=〈自と体〉あるいは〈自+体〉 で見る。 あと、「私」と「他者」の区別がはっきりしてない状態のとして、これらを( )で括ることにする。 こういうのを、 〈(私の)自と体〉、これを〈(私の)自〉と〈(私の)体〉に分節。 ってして表すことにするよ。
で、わたし次のような物語り作って見た。
@〈(私の)自〉と〈(私の)体〉が結びついて、〈(私の)自+体〉が覚知される。 まずこれあるのね。
A(私に)現前しているもの(他者/人)は、(私の)端的な知覚においては、見えるものである身体や身振りが捉えられてる。 これを〈(他者の)体〉って表すよ。見えるものである(他者の)身体や身振りが〈端的な知覚-されてるもの〉のことね。 これ(p)ね。
B見えないものである〈(他者の)自(分)〉は端的な知覚-されてないのね。 ちなみにわたし、 (私に)現前してる(他者/人)の意識として、乳幼のばあいは〈(他者の)自〉、大人のばあいは〈(他者の)自分〉ってしてる。
C(p)が〈(私の)自〉に現れてきて、(p)は〈(私の)体〉と似ている――「類似」、って感じるのね。 そして、〈自〉の想像によって、(p)に〈(私の)自〉がくっつくのね――「付帯」とか「準現前化」。 こうして、(p)と〈(私の)自〉が対(ペア)になって――「対化」、〈(他者の)体+(私の)自〉が構成されるのね。 これ(p+ap)ね。 想像による〈(私の)自〉を(ap)ってしてる。
Dこんどは、〈(他者の)体+(私の)自〉(p+ap)が〈(私の)自〉に現れるのね。 ここで、〈(他者の)体+(私の)自〉と〈(私の)自+体〉が比べられるのね――「対比」。
Eこのとき、〈(私の)自〉は、〈(他者の)体〉(p)は、〈(私の)体〉“ではないもの”、って覚起されるのね。 そして、 〈(私の)体〉“ではないもの”を「ほかのひとの」、〈(私の)自+体〉を「わたしの」、って“言う”ようになってく。
No37412の訳注(38)の、 〔「対になること」によって初めて、「私の」と「他者の」が言わば同時に生成してくるわけである。〕 っていうのはこういうこと言ってるんじゃないかしら?って。 No15252のなかに、 「類比化的統覚」ってあるけど、これを@〜Dのようなもの、ってわたし見たのね。
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