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■37958 / inTopicNo.1)  Re[73]: 対応原理
  
□投稿者/ akaimi -(2024/07/22(Mon) 04:05:37)
    2024/07/22(Mon) 04:31:48 編集(投稿者)
    パニチェさん、投稿ありがとうございます。

    No37952に返信(パニチェさんの記事)
    > 2024/07/21(Sun) 18:46:58 編集(投稿者)
    >
    > 1点だけ、横レス失礼します。
    >
    > 素粒子の集合体であるマクロ物質の波動性はほぼ無視できるほどのものです。
    >
    > https://note.com/quantumuniverse/n/nbbd78aa0dd99
    >
    >
    > 対応原理
    >
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%8E%9F%E7%90%86

    wikiのほう、まず抜き出しておいてみますね。
    ===
    物理学における対応原理(たいおうげんり、 英: correspondence principle)は、量子数が極端に増加したときに、量子力学によって記述される系(system)の性質は、古典力学での結果に対応するという原理である。

    つまり、電子軌道(orbital)とエネルギーが大きい場合に量子力学による計算結果は、古典力学での計算結果と一致しなければならないというものである。[1]
    ===

    『量子力学の多世界解釈』p132に、
    量子力学は、原子の現象も日常的な物体の運動もどちらも記述できる普遍的な原理になっている。
    日常的な物体の運動の場合には、わざわざ量子力学をもちださなくても従来の古典力学で十分なのだが、原子のようなミクロな話になると量子力学をもちださないとならなくなる、 とあります。

    また、p134に、
    一般に電子のような軽いミクロな粒子では、存在する領域の広がりを気にしなければならないが、日常のマクロな物体に対しては、そのように心配は無用であることも確かめられる。
    厳密にはマクロな物体に対しても存在領域の広がり(曖昧さ)はゼロではないのだが、その広がりはあらゆる観測も不可能なほど小さい、 とあります。

    『厳密にはマクロな物体に対しても存在領域の広がり(曖昧さ)はゼロではないのだが、その広がりはあらゆる観測も不可能なほど小さい』
    この部分が、パニチェさんの書いてくださった

    > 素粒子の集合体であるマクロ物質の波動性はほぼ無視できるほどのものです。

    に当たるのかな、と考えました。(自信はないけど。。)


    貼っていただいたnoteの記事のほうから、
    ===
    一方で、量子力学ではそういう自由度の閾値はないことを前提にしています。粒子が何個に増えようと、それは量子力学に従う対象なのです。マクロ的な古典的な振る舞いも、量子の法則で創発している2次的な概念だと考えます。厳密には近似的な存在に過ぎません。

    ただしその創発概念である「マクロな実在」はとても良い近似であって、そのため古典力学は日常でも十分に有効なわけです。たとえば空に月があると確認した後、しばらく月から目を逸らして、次に自分が目を向けるときに、空のどこにその月が観測されるのかは、近似理論の古典力学でも完全に無視できるくらいに小さな誤差の範囲で、答えを与えてくれるのです。
    ===

    こちらを拝見し、本のほうとも合わせてみて、
    量子力学と古典力学との間に対応原理がある、いわば互換性があるのが量子力学ともいえるのかな、と考えてみました。
    (ただ、量子力学での計算はとても複雑になるので、マクロな物体については古典力学を使ったほうが簡単にできると本のほうに書かれていました。)

    つまり、わざわざ量子力学をもちださなくてもマクロな物体についての場合にはその運動についての計算が古典力学ででき、量子力学で計算した場合の数値と完全に無視できるくらいに小さい誤差の範囲で答えが出てくる、ということなのかな。

引用返信/返信 削除キー/
■37957 / inTopicNo.2)  Re[73]: 対応原理
□投稿者/ 時 -(2024/07/22(Mon) 00:45:22)
    パニチェさんへ。こんばんは。

    No37952に返信(パニチェさんの記事)
    > 1点だけ、横レス失礼します。
    > 素粒子の集合体であるマクロ物質の波動性はほぼ無視できるほどのものです。
    > https://note.com/quantumuniverse/n/nbbd78aa0dd99

    > 対応原理
    > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E5%8E%9F%E7%90%86

    アドバイスをありがとうございます。と言いましても、私には知識不足で、アドバイスいただいたことと多世界解釈の関係性が理解できないのです。すみません。

    よろしければ、その関係性を教えていただけると幸いです。m(__)m

    〜〜〜〜

    感覚的にまとめてみます。

    量子は、波の状態から波動関数の収縮により、確率的にその粒子としての位置が決まる。

    では、その収縮は、いつどのように起こるのか?

    それは、観察者が認識したときにその収縮が起こるのではないか?

    それでは、各装置を組み込んだ箱の中に猫を入れたとき、観察者が認識するまでは、生きている猫と死んでいる猫が確率的に共存していること(重ね合わせ)になるが、これはおかしいのではないか?

    多世界解釈ならば、波動関数の収縮は考えずに、箱の中では、生きている猫と死んでいる猫の2つの世界線に分岐しており、観察後もそのマクロな世界での2つの世界線も、当然、互いに干渉しない。

    生死の猫として2つの世界線に分岐しているのであれば、それを観察している2つの世界線の観察者がいるという事でしょう。→有限の分岐を繰り返す。→並行世界のことですよね。

    どうも私の場合には、意識、認識という説に無意識に偏りがあるようです。東洋系の思想に関係があるのでしょうか?分かりませんが。

    ここで、ギブアップです。
引用返信/返信 削除キー/
■37952 / inTopicNo.3)  対応原理
□投稿者/ パニチェ -(2024/07/21(Sun) 17:57:14)
引用返信/返信 削除キー/
■37947 / inTopicNo.4)  Re[71]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ 時 -(2024/07/21(Sun) 16:55:26)
    akaimiさんへ。こんにちは。

    No37940に返信(akaimiさんの記事)

    > シュレーディンガーの猫の思考実験。考えてみると奇妙な話じゃなくごく当たり前のことを奇妙だと言ってるように思えます。

    > 生死が半々の確率の重ね合わせで箱の中にいる猫。
    > その生死は箱を開けて観測した時に決定するというのはおかしいというのですがそうかなと。
    > 生死が箱の中でいずれかの時点で決定していても、観測されるまでは知りようがないのは当たり前だと思うのです。

    そうそう、当たり前ですよね。(笑)私にも当たり前の事のように思えます。

    この箱の中には、果物のリンゴかバナナが入っています。どちらでしょうか?
    答えは、リンゴとバナナの重ね合わせの状態であり、その確率は、50%50%でそれらは波の状態なのだ!そしてあなたが箱を開けてそれを認識した時に、そのどちらかの果物に実際に収縮して物質として現れるのだ!なんてお話の様にも思えますしね。

    > 人間が観測したことが猫の生死に影響を与えたというのなら奇妙な話ですが、そういう話ではないですよね。

    はい。そうではないと思います。

    > 生死が重ね合わせの言わば確率の状態にあるのは、実験上の猫に限らず、そのへんの猫も人間にしても同じで、死んだことを観測した時に初めてそうわかることだと思います。

    > 人間にしても量子であり波でもあるけれど、人間の目には人間の形としてしか認識できないし、波が収縮して身体としての物体としてしか認識できない、見えない分もあるのでしょうけれど見えないものは仕方ないです。

    ある日、飼い猫が家出したとします。猫自身の体の状態や周りの環境や時間的変化という条件があるにしても、うちの猫は、今(家出中)波の状態で、言うならば、生きている状態と死んでいる状態が50%づづつの重ね合わせの状態なのだ!・・・科学的に表現すればそうなのかもしれませんが、このような飼い主は、いるのでしょうか?(笑)ただ、それを人が認識した瞬間にそれが認識されたというトートロジーに集約されると思えます。

    > 多世界解釈だと、生きていると今ここで見えている自分が死んでいる世界もあると考えます。
    > そんなことあるんだろうか。。

    これも興味深いお話ですね。
    第三者目線での思考実験では、生きた猫と死んだ猫が登場しますが、同じ量子の世界で私という一人称を当てはめたときには、死んだときの私というものは想像すらできないのではないでしょうか?それ以降もその世界線で進んでいくというのであれば、葬式が行われ埋葬されと・・続くという事でしょうか?そのようなことはないと思いますが・・分かりません(笑)

    No37944に返信(akaimiさんの記事)

    > 人間の目、観測されたものには、収縮されたものしか映り得ない、それしか見えないってことなんじゃないのかな。
    > 人間の認識によって波の収縮が起きるのではなく、何らかの理由で、収縮した状態しか認識できないということ。。

    夜空に月が在ろうとなかろうと、夜空を見上げてそれがあれば月があり、夜空を見上げてそれがなければ月はない。あればあり、なければない。というトートロジーに帰結するでしょうか。

    > 俗に、棺桶に片足をつっこんでるなんてのがあるけど、そのうち、あなたの今日の時点での生存確率なんていうのを教えるアプリが出てこないとも言えないんじゃ?^^;

    近い将来的に、アップルウォッチあたりでそのようなアプリが組み込まれるかもですが、そのような大きなお世話時計は、私には必要ありませんかね。なぜならば、本来的に時間は、実在しないと考えているからです。一時期真剣に時間を探したことがありますが、結論は、概念としてしか存在しませんでした。^^

    波と粒子の問題等、なにやら奇妙なことを研究されている多くの科学者に、この分野の解明を託すしかないのではないでしょうかね。・・・しかし・・解明されるのでしょうか?(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■37944 / inTopicNo.5)  Re[71]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/21(Sun) 15:35:04)
    2024/07/21(Sun) 15:41:18 編集(投稿者)

    シュレーディンガーは、ノイマンという人の、波の収縮は人間の認識によって起こるという説のおかしさを示すためもあり、この思考実験を考えたのでした。
    今、思い出し確認しました。

    たしかに、人間の認識によって波の収縮が起きるというのはどうかと思うし、それとして一つ前にも書きました。

    人間の目、観測されたものには、収縮されたものしか映り得ない、それしか見えないってことなんじゃないのかな。
    人間の認識によって波の収縮が起きるのではなく、何らかの理由で、収縮した状態しか認識できないということ。。

    俗に、棺桶に片足をつっこんでるなんてのがあるけど、そのうち、あなたの今日の時点での生存確率なんていうのを教えるアプリが出てこないとも言えないんじゃ?^^;
引用返信/返信 削除キー/
■37940 / inTopicNo.6)  Re[70]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/21(Sun) 14:36:52)
    今ちょうど時さんの投稿を拝見したところでした。
    ありがとうございます!
    本を離れたところで自分の思うところを書いてみようと思い、開けたところでした。

    シュレーディンガーの猫の思考実験。考えてみると奇妙な話じゃなくごく当たり前のことを奇妙だと言ってるように思えます。

    生死が半々の確率の重ね合わせで箱の中にいる猫。
    その生死は箱を開けて観測した時に決定するというのはおかしいというのですがそうかなと。
    生死が箱の中でいずれかの時点で決定していても、観測されるまでは知りようがないのは当たり前だと思うのです。

    人間が観測したことが猫の生死に影響を与えたというのなら奇妙な話ですが、そういう話ではないですよね。

    生死が重ね合わせの言わば確率の状態にあるのは、実験上の猫に限らず、そのへんの猫も人間にしても同じで、死んだことを観測した時に初めてそうわかることだと思います。

    人間にしても量子であり波でもあるけれど、人間の目には人間の形としてしか認識できないし、波が収縮して身体としての物体としてしか認識できない、見えない分もあるのでしょうけれど見えないものは仕方ないです。

    多世界解釈だと、生きていると今ここで見えている自分が死んでいる世界もあると考えます。
    そんなことあるんだろうか。。




引用返信/返信 削除キー/
■37936 / inTopicNo.7)  Re[69]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ 時 -(2024/07/21(Sun) 13:43:35)
    分岐した世界線は、互いに干渉を起こすのか?

    見えないゴリラの実験での多世界解釈での考察です。

    ・結果的に、ゴリラを認識した人数と認識できなかった人数が50%づつに分かれたとします。
    ・ゴリラを認識したグループをA、認識できなかったグループをB、それを見ている時の主観的視点をCとします。
    ・実験後、参加者に認知心理学での非注意性盲目の実証実験だったという事を伝えずに解散したとします。

    シュレディンガーの猫の思考実験では、コペンハーゲン解釈の様に波動関数の収縮は起こらず、箱の中の猫は、生きている猫と死んでいる猫が確率的に共存しているという解釈になるのでしょう。そして結果として猫が生きていた場合には、死んだ猫の世界線とともにそれぞれが分岐していくというものが多世界解釈だとします。

    これを見えないゴリラの実験に当てはめてみると、ゴリラを認識したグループをA(猫の実験での生きている猫)、ゴリラを認識しなかったグループをB(猫の実験での死んだ猫)、そしてそれを見ている時の主観的視点をCとすると・・

    Aのグループには、BもCも存在しませんので、そのままの世界線で進むことになります。
    Bのグループには、AもCも存在しませんので、そのままの世界線で進むことになります。
    Cは、AとBの実験結果の状態を見ていますので、そのままの世界線で進むことになります。

    猫の実験で生きている猫だった場合、同時存在として死んだ猫の世界線も分岐するというのが、多世界解釈でした。逆も同じ事です。勿論この時の観察者はC(猫の実験を観察している観察者の主観世界)です。

    これを見えないゴリラの実験に当てはめると、この実験を観察している人の視点はCですので、AグループとBグループにその世界が分離していることが分かります。なぜならば、ゴリラを認識したグループAと認識しなかったグループBに分かれたからです。

    そしてこの実験が非注意性盲目の実証実験だったという事を伝えずに解散した場合は、Aはビデオの中でゴリラがいたという認識を持ったままの世界線を生きることになります。そしてBは、単にバスケットのビデオを見ただけだという認識での世界線を生きることになります。この時、AとBの世界線は互いに干渉しません。

    しかし、C(見えないゴリラの実験を観察している観察者の主観世界)では、一見すると干渉が起きているように見えるものの、実際には、AとBの世界が干渉しないことを認識できます。これが、Cの世界線です。

    ここでC(見えないゴリラの実験を観察している観察者の主観世界)が分岐する場合の世界を考えてみると、そのCの認識において、AとBの認識が分離したという世界線から分岐した、AとBの認識が一致した世界線になるのでしょう。つまりは、Cの主観的視点での世界線で、ゴリラを認識したAグループと認識できなかったBグループが存在しつつ、ABともにゴリラを認識した、あるいは、ABともにゴリラを認識できなかったという世界線は、同時存在できません。

    > 分岐した世界どうしは干渉しあわないとはされていますが。。

    ですので、Aグループ、Bグループ、Cは夫々の世界線を進みますので、互いに干渉を起こ差ないというのが結論です。

    これを猫の実験で考えてみると、観察者Cの視点でしかないという事でしょう。つまりは、生きているのか死んでいるのかは、その確率でしか分からないという事になるでしょうか。

    単なる素人考察ですので、ご返信は不要です。^^

引用返信/返信 削除キー/
■37928 / inTopicNo.8)  Re[68]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/21(Sun) 08:17:05)
    時さんへ。 記事と動画も拝見しました。
    ありがとうございます。

    No37921に返信(時さんの記事)
    > https://ssaits.jp/promapedia/glossary/inattentional-blindness.html
    > https://www.youtube.com/watch?v=IGQmdoK_ZfY
    >
    > 見えないゴリラの実験というものが、1999年に実施されたようですが、目的は、認知心理学での非注意性盲目の実証だという事のようです。
    >
    > 非注意性盲目とは、人間が特定の課題や刺激に集中することで、その他の周囲の情報や刺激を認識できなくなる現象の事のようですが、この実験では、参加者はバスケットボールをパスする人のビデオを見ながら、一方のチームが行ったパスの数を数えるように指示されましたが、その途中で、ゴリラの着ぐるみを着た人がビデオに登場して中央に立ち、胸を叩いて画面から出て行くというものだそうです。

    > 結果は、参加者の約半数が、9秒間のゴリラの登場時間にもかかわらず、それを認識できなかったという事ですが・・もしかすると、ゴリラの存在を認識できなかったグループと認識できていたグループでは、その世界線が、その時違っていたのかもしれないなぁと考えていました。

    ゴリラが登場してくるというのを知った上で私も動画を観ましたが、パスの回数を数えるのに一杯で何か黒いものが通っていった気がするぐらいにしかわかりませんでした。
    ゴリラが登場すると知らずに観たなら、黒いものが通っていったことにさえ気づかなかったと思います。
    それとカーテンの色も変化したようですね。
    昔流行ったアハ体験を思い出します。

    パスの回数を正確に数えられた上にゴリラの通過も見つけられた人(ゴリラの登場を未然に知らずに)は、動体視力と観察力に優れた人なのかな。
    例えば、大谷翔平さんなら可能かも。

    > これはもしかして・・ゴリラが登場した世界線と登場しなかった世界線の2つの世界が、その時干渉したのでしょうか?(笑)

    分岐した世界どうしは干渉しあわないとはされていますが。。

    > もしもこれが、直後に非注意性盲目の実証実験だったと明かされず、そのまま参加者が解散となったのであれば、ゴリラを認識したグループと単にバスケットのビデオをみたというグループのそれぞれの参加者のその後は、並行世界としてそれぞれの世界線で進んでいくことにならないでしょうか。面白いですね。

    多世界解釈を素材にいろいろと考えてみるとおもしろいみたいですね。^^

    本を読んで少しでもどういう理論で多世界解釈は説明されているのか知りたいと思う反面、どうも私は、解釈問題を解決させるために考え出されたもののような気がしてきています。

    そうは言っても、説明をどこまで理解できるのか、自分の能力に不信でしかたないですが(笑)、少しでも理解できるといいなと思ってます。


    No37915
    >私のような素人の思考実験としては、大変面白いです。

    >では、適当なところで読書の方をお続けくださいね。^^

    はい、ありがとうございます。<m(__)m>
引用返信/返信 削除キー/
■37921 / inTopicNo.9)  Re[67]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ 時 -(2024/07/21(Sun) 00:24:58)
    https://ssaits.jp/promapedia/glossary/inattentional-blindness.html
    https://www.youtube.com/watch?v=IGQmdoK_ZfY

    見えないゴリラの実験というものが、1999年に実施されたようですが、目的は、認知心理学での非注意性盲目の実証だという事のようです。

    非注意性盲目とは、人間が特定の課題や刺激に集中することで、その他の周囲の情報や刺激を認識できなくなる現象の事のようですが、この実験では、参加者はバスケットボールをパスする人のビデオを見ながら、一方のチームが行ったパスの数を数えるように指示されましたが、その途中で、ゴリラの着ぐるみを着た人がビデオに登場して中央に立ち、胸を叩いて画面から出て行くというものだそうです。

    結果は、参加者の約半数が、9秒間のゴリラの登場時間にもかかわらず、それを認識できなかったという事ですが・・もしかすると、ゴリラの存在を認識できなかったグループと認識できていたグループでは、その世界線が、その時違っていたのかもしれないなぁと考えていました。

    これはもしかして・・ゴリラが登場した世界線と登場しなかった世界線の2つの世界が、その時干渉したのでしょうか?(笑)

    もしもこれが、直後に非注意性盲目の実証実験だったと明かされず、そのまま参加者が解散となったのであれば、ゴリラを認識したグループと単にバスケットのビデオをみたというグループのそれぞれの参加者のその後は、並行世界としてそれぞれの世界線で進んでいくことにならないでしょうか。面白いですね。
引用返信/返信 削除キー/
■37915 / inTopicNo.10)  Re[66]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ 時 -(2024/07/20(Sat) 21:39:16)
    akaimiさんへ。こんばんは。返信をありがとうございます。

    No37897に返信(akaimiさんの記事)

    > 観測されない分の波は消えてしまうのではなく、分岐した世界になっていくと考えるので波の収縮をどう考えるかについての解決が図れるということのようですね。

    はい、そうだと思います。

    >>見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在せず、それを認識した時に月が姿を現す。。これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?

    > コペンハーゲン解釈に限定されるのかな。。その、月の話というのは、多世界解釈も含めての量子力学としての物質の観測についての考え方になるのかな、と私はなんとなく考えていますが、違うかもです。

    うーん、、どうなのでしょうかね。。

    まず、コペンハーゲン解釈の場合、月がある(観察した)ときには、その月を形どる素粒子は、波の状態から波動関数の収縮で確率的なその位置として局所的に物質化して月として観測されるという事ではないでしょうか。

    対して、多世界世界解釈の場合には、多くの月の状態(新月、満月、半月)といった各世界が分岐しているという事ですよね?

    月を見て(観察して)いない時は、コペンハーゲン解釈の場合には、その月は波の状態ですね。そして多世界解釈の場合は、月自体を見ていないのですから、その分岐する切っ掛けとしての大元の月の世界がない世界という事ではないでしょうか。そしてこの時に、月を観察していないという認識を持っていたのであれば、月があるという世界をはじめとして、多くの種類の月のある世界も多世界として存在するという事でしょうか。

    ですので、見ていないとき、月は存在するのか?という問いは、コペンハーゲン解釈の場合は、観察対象の月は波の状態で、単純に表現して”月は存在しない”となり、多世界解釈の場合も、観察対象がないのですから(あったとしても波の状態だと思っています)、”月は存在しない”となりそうですね。

    そして次にそれを観察した場合、月という物質が認識として現れますが、この場合、コペンハーゲン解釈ならば、波動関数の収縮が量子の単位で確率的に起こり、マクロな世界での月として現れたのだという事ですよね?

    そのような事は考えずに、観察した時に月を認識したのであれば、同時に多くの月の状態(新月、満月、半月)に分岐しているのだというのが多世界解釈だと思いますので・・

    >>見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在せず、それを認識した時に月が姿を現す。。これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?

    両解釈共に、見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在しない。というのは同じで、それを認識した時に月が姿を現す。というのは、両解釈共に月が現れますので、コペンハーゲン解釈に限りませんね。

    ですので、これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?というのは間違いだったように思います。

    > 量子力学では、人間が物体を観測していない時に、観測した時と同じ性質を持つということを保証しないですよね。
    > 実験において人間が観察できるのは粒子としての姿だけれど、どうもその粒子は波としての性質をもった動きをしているということがわかります。
    > ここまではコペンハーゲン解釈も多世界解釈も同じだから、というのが私が上に書いたように考える理由です。

    ありがとうございます。了解しました^^

    > 月で言えば・・・時空間のフレームを通して人間が見る月は、月齢や天候によってその姿形を変える月ですが、人間が観測していない時の月が実際どのような姿なのかはわかりません。
    > 観測されておらず人間の意識に上がってきていない月というのの実在性や局所性を保証しないというのが、「人間が見ていない時には月は存在しない」という話なのだと考えています。

    はい、ご認識は了解しました。。

    > 一方、古典物理学だと、人間が観測するしないに関わらず月は月として存在しているとされていたのだと思います。

    同じ物理の世界でも、その概念が大きく違うようですね。

    >>これを多世界解釈での捉え方をすると、月が存在する世界線と月が存在しない世界線、それを見ている世界線とそれを見ていない世界線の組み合わせの宇宙全体としての世界が存在するという事でしょうか。そして夫々の世界は共存しているものの、互いには干渉しあわないという事でしょう。

    > 箱の中の猫の生死が重ね合わせの状態にあると考えることを、箱に入れられない月を同じように思考して成り立つものなのか、わからないです。
    > ごめんなさいm(_ _;)m

    いえいえ、私が考えたのは、猫の生死が重ね合わせの状態にあるという事を、月の状態(新月、満月、半月)に重ね合わせの状態として例えて、箱の中という条件を、例えば1m四方の段ボールの紙を眼前にかざして月の方向の視界を限定すれば同じことだと考えたのですね。

    これで考えると、月の方向に段ボールをかざした瞬間から、月が存在する世界線と月が存在しない世界線等に分岐するのだろうな?という事でした。(先ほどまでは観察できていた月を、その時点から見えてはいないですが、認識は出来ていると考えました。)猫の思考実験でも、生きた猫を箱に入れてからのスタートですしね。(先ほどまでは観察できていた猫を、その時点から見えてはいないですが、認識は出来ていますね)

    > それを離れて、ある日の夜空に浮かぶ満月を誰かが観測した時のことを多世界解釈で考えると・・・
    > 雲一つかからない輝く満月が見えている世界にいるAさん。
    > 曇り空で月が見えない世界にいるAさん。
    > というように世界が分岐しているということになるのかもです。

    並行世界という事で考えると、そのようになるのかもですね。
    雲一つかからない輝く満月が見えている世界にいるAさん。
    曇り空で月が見えない世界にいるAさん。
    (満月に対して)雲一つかからない半月が見えている世界にいるAさん。
    薄く雲がかかった状態の半月を見ているAさん。。等々と、世界が分岐していくのかもですね^^

    > 分岐した世界と言われても、人間にはそれこそ把握のしようもないですし。

    私のような素人の思考実験としては、大変面白いです。

    では、適当なところで読書の方をお続けくださいね。^^
引用返信/返信 削除キー/
■37897 / inTopicNo.11)  Re[65]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/20(Sat) 07:11:14)
    2024/07/20(Sat) 15:09:52 編集(投稿者)



    時さんレスありがとうございます。

    No37886に返信(時さんの記事)

    > お手数をおかけしてすみません。ありがとうございます。

    どういたしまして。^^

    > この場合のコペンハーゲン解釈と多世界解釈の共通点は、「生きている猫と死んでいる猫という二つの状態は共存している。」という事ですが、コペンハーゲン解釈の場合は、いわば局所的な箱の中の猫だけに焦点をあてていて、多世界解釈の場合には、猫、箱、観測者だけに留まらず、いくつもの宇宙全体が共存しているという解釈でしょうか。ですので同じ猫だけに焦点をあてても、それを含む宇宙全体として別存在するという事になるのでしょう。その名の通り、多世界ですね。

    書かれているように私も理解しています。

    > コペンハーゲン解釈では、波の収縮前には生きている猫と死んでいる猫が、箱の中で重ね合わせという形で共存しているという考え方で、波の収縮後にはどちらかの状態に決定するという事であり、では、その波の収縮が起きるのだとしたらいつ起こるのか?何に起因するものなのか?という謎があったという事ですね。

    はい、そうだと思います。

    > ああ、なるほど。。宇宙全体の別世界での共存と考えれば、そのコペンハーゲン解釈の波動関数の収縮の問題はなさそうですね。

    観測されない分の波は消えてしまうのではなく、分岐した世界になっていくと考えるので波の収縮をどう考えるかについての解決が図れるということのようですね。

    > 見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在せず、それを認識した時に月が姿を現す。。これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?

    コペンハーゲン解釈に限定されるのかな。。その、月の話というのは、多世界解釈も含めての量子力学としての物質の観測についての考え方になるのかな、と私はなんとなく考えていますが、違うかもです。

    量子力学では、人間が物体を観測していない時に、観測した時と同じ性質を持つということを保証しないですよね。
    実験において人間が観察できるのは粒子としての姿だけれど、どうもその粒子は波としての性質をもった動きをしているということがわかります。
    ここまではコペンハーゲン解釈も多世界解釈も同じだから、というのが私が上に書いたように考える理由です。

    月で言えば・・・時空間のフレームを通して人間が見る月は、月齢や天候によってその姿形を変える月ですが、人間が観測していない時の月が実際どのような姿なのかはわかりません。
    観測されておらず人間の意識に上がってきていない月というのの実在性や局所性を保証しないというのが、「人間が見ていない時には月は存在しない」という話なのだと考えています。
    一方、古典物理学だと、人間が観測するしないに関わらず月は月として存在しているとされていたのだと思います。

    > これを多世界解釈での捉え方をすると、月が存在する世界線と月が存在しない世界線、それを見ている世界線とそれを見ていない世界線の組み合わせの宇宙全体としての世界が存在するという事でしょうか。そして夫々の世界は共存しているものの、互いには干渉しあわないという事でしょう。

    箱の中の猫の生死が重ね合わせの状態にあると考えることを、箱に入れられない月を同じように思考して成り立つものなのか、わからないです。
    ごめんなさいm(_ _;)m

    それを離れて、ある日の夜空に浮かぶ満月を誰かが観測した時のことを多世界解釈で考えると・・・
    雲一つかからない輝く満月が見えている世界にいるAさん。
    曇り空で月が見えない世界にいるAさん。
    というように世界が分岐しているということになるのかもです。

    いずれにしても多世界解釈の方はやはり奇妙な世界のように私にも思えます。
    分岐した世界と言われても、人間にはそれこそ把握のしようもないですし。


引用返信/返信 削除キー/
■37886 / inTopicNo.12)  Re[64]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ 時 -(2024/07/19(Fri) 16:12:49)
    akaimiさんへ。こんにちは。レスをありがとうございます。

    No37879に返信(akaimiさんの記事)
    > 『量子力学の多世界解釈』和田純夫 著に、シュレーディンガーの猫についての記述があるのでまとめてみますね。

    > 「シュレーディンガーの猫」という思考実験は、コペンハーゲン解釈が成立していた時期にそれへの疑問として登場したもの。
    > 多世界解釈で考えるなら不思議な話ではなくなる思考実験。

    > テーマは「波の収縮」で、いったいどの時点で波の収縮が起きるのかということ。
    > 電子や光子などミクロな粒子の世界では複数の状態が共存しているが、観測すると観測された状態しかなくなってしまうというのがコペンハーゲン解釈での波の収縮。

    > ミクロな信号がマクロな信号に増幅される段階で起きる説をハイゼンベルクは主張。
    > 人間が情報を認識した段階でという説をノイマンは主張。
    > ノイマンの説に疑問を投げかけたのが「シュレーディンガーの猫」の思考実験になる。

    > 波の収縮が起きるのだとしたらいつ起こるのか。
    > 波の収縮が人間の認識によって起こるならば、人間がこの箱を開けて確認するまでは、生きている猫と死んでいる猫が共存していることになる。
    > しかし、生きている猫と死んでいる猫の共存など受け入れがたいというのがシュレーディンガーの疑問だった。

    > この話を多世界解釈で考えると。
    > 多世界解釈では複数の宇宙の共存も受け入れるので、生きている猫と死んでいる猫という二つの状態は共存している。
    > その箱を人間がのぞきこんだあとでは、人間は生きている猫を見たという状態と、死んでいる猫を見たという状態が共存している。
    > しかし、共存していても違いがマクロなので、この二つの状態が互いに影響を及ぼしあうことはなく、二つの状態は互いに別世界として分岐している。

    > 以上、p212〜p217からまとめました。

    お手数をおかけしてすみません。ありがとうございます。

    この場合のコペンハーゲン解釈と多世界解釈の共通点は、「生きている猫と死んでいる猫という二つの状態は共存している。」という事ですが、コペンハーゲン解釈の場合は、いわば局所的な箱の中の猫だけに焦点をあてていて、多世界解釈の場合には、猫、箱、観測者だけに留まらず、いくつもの宇宙全体が共存しているという解釈でしょうか。ですので同じ猫だけに焦点をあてても、それを含む宇宙全体として別存在するという事になるのでしょう。その名の通り、多世界ですね。

    コペンハーゲン解釈では、波の収縮前には生きている猫と死んでいる猫が、箱の中で重ね合わせという形で共存しているという考え方で、波の収縮後にはどちらかの状態に決定するという事であり、では、その波の収縮が起きるのだとしたらいつ起こるのか?何に起因するものなのか?という謎があったという事ですね。

    ああ、なるほど。。宇宙全体の別世界での共存と考えれば、そのコペンハーゲン解釈の波動関数の収縮の問題はなさそうですね。

    見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在せず、それを認識した時に月が姿を現す。。これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?

    これを多世界解釈での捉え方をすると、月が存在する世界線と月が存在しない世界線、それを見ている世界線とそれを見ていない世界線の組み合わせの宇宙全体としての世界が存在するという事でしょうか。そして夫々の世界は共存しているものの、互いには干渉しあわないという事でしょう。

    間違いがありましたら、ご指摘ください。

    あらためて考えてみると、やはり奇妙な世界観ですね(笑)
引用返信/返信 削除キー/

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