■37915 / ) |
Re[66]: 量子力学の多世界解釈
|
□投稿者/ 時 -(2024/07/20(Sat) 21:39:16)
| akaimiさんへ。こんばんは。返信をありがとうございます。
■No37897に返信(akaimiさんの記事)
> 観測されない分の波は消えてしまうのではなく、分岐した世界になっていくと考えるので波の収縮をどう考えるかについての解決が図れるということのようですね。
はい、そうだと思います。
>>見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在せず、それを認識した時に月が姿を現す。。これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?
> コペンハーゲン解釈に限定されるのかな。。その、月の話というのは、多世界解釈も含めての量子力学としての物質の観測についての考え方になるのかな、と私はなんとなく考えていますが、違うかもです。
うーん、、どうなのでしょうかね。。
まず、コペンハーゲン解釈の場合、月がある(観察した)ときには、その月を形どる素粒子は、波の状態から波動関数の収縮で確率的なその位置として局所的に物質化して月として観測されるという事ではないでしょうか。
対して、多世界世界解釈の場合には、多くの月の状態(新月、満月、半月)といった各世界が分岐しているという事ですよね?
月を見て(観察して)いない時は、コペンハーゲン解釈の場合には、その月は波の状態ですね。そして多世界解釈の場合は、月自体を見ていないのですから、その分岐する切っ掛けとしての大元の月の世界がない世界という事ではないでしょうか。そしてこの時に、月を観察していないという認識を持っていたのであれば、月があるという世界をはじめとして、多くの種類の月のある世界も多世界として存在するという事でしょうか。
ですので、見ていないとき、月は存在するのか?という問いは、コペンハーゲン解釈の場合は、観察対象の月は波の状態で、単純に表現して”月は存在しない”となり、多世界解釈の場合も、観察対象がないのですから(あったとしても波の状態だと思っています)、”月は存在しない”となりそうですね。
そして次にそれを観察した場合、月という物質が認識として現れますが、この場合、コペンハーゲン解釈ならば、波動関数の収縮が量子の単位で確率的に起こり、マクロな世界での月として現れたのだという事ですよね?
そのような事は考えずに、観察した時に月を認識したのであれば、同時に多くの月の状態(新月、満月、半月)に分岐しているのだというのが多世界解釈だと思いますので・・
>>見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在せず、それを認識した時に月が姿を現す。。これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?
両解釈共に、見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在しない。というのは同じで、それを認識した時に月が姿を現す。というのは、両解釈共に月が現れますので、コペンハーゲン解釈に限りませんね。
ですので、これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?というのは間違いだったように思います。
> 量子力学では、人間が物体を観測していない時に、観測した時と同じ性質を持つということを保証しないですよね。 > 実験において人間が観察できるのは粒子としての姿だけれど、どうもその粒子は波としての性質をもった動きをしているということがわかります。 > ここまではコペンハーゲン解釈も多世界解釈も同じだから、というのが私が上に書いたように考える理由です。
ありがとうございます。了解しました^^
> 月で言えば・・・時空間のフレームを通して人間が見る月は、月齢や天候によってその姿形を変える月ですが、人間が観測していない時の月が実際どのような姿なのかはわかりません。 > 観測されておらず人間の意識に上がってきていない月というのの実在性や局所性を保証しないというのが、「人間が見ていない時には月は存在しない」という話なのだと考えています。
はい、ご認識は了解しました。。
> 一方、古典物理学だと、人間が観測するしないに関わらず月は月として存在しているとされていたのだと思います。
同じ物理の世界でも、その概念が大きく違うようですね。
>>これを多世界解釈での捉え方をすると、月が存在する世界線と月が存在しない世界線、それを見ている世界線とそれを見ていない世界線の組み合わせの宇宙全体としての世界が存在するという事でしょうか。そして夫々の世界は共存しているものの、互いには干渉しあわないという事でしょう。
> 箱の中の猫の生死が重ね合わせの状態にあると考えることを、箱に入れられない月を同じように思考して成り立つものなのか、わからないです。 > ごめんなさいm(_ _;)m
いえいえ、私が考えたのは、猫の生死が重ね合わせの状態にあるという事を、月の状態(新月、満月、半月)に重ね合わせの状態として例えて、箱の中という条件を、例えば1m四方の段ボールの紙を眼前にかざして月の方向の視界を限定すれば同じことだと考えたのですね。
これで考えると、月の方向に段ボールをかざした瞬間から、月が存在する世界線と月が存在しない世界線等に分岐するのだろうな?という事でした。(先ほどまでは観察できていた月を、その時点から見えてはいないですが、認識は出来ていると考えました。)猫の思考実験でも、生きた猫を箱に入れてからのスタートですしね。(先ほどまでは観察できていた猫を、その時点から見えてはいないですが、認識は出来ていますね)
> それを離れて、ある日の夜空に浮かぶ満月を誰かが観測した時のことを多世界解釈で考えると・・・ > 雲一つかからない輝く満月が見えている世界にいるAさん。 > 曇り空で月が見えない世界にいるAさん。 > というように世界が分岐しているということになるのかもです。
並行世界という事で考えると、そのようになるのかもですね。 雲一つかからない輝く満月が見えている世界にいるAさん。 曇り空で月が見えない世界にいるAさん。 (満月に対して)雲一つかからない半月が見えている世界にいるAさん。 薄く雲がかかった状態の半月を見ているAさん。。等々と、世界が分岐していくのかもですね^^
> 分岐した世界と言われても、人間にはそれこそ把握のしようもないですし。
私のような素人の思考実験としては、大変面白いです。
では、適当なところで読書の方をお続けくださいね。^^
|
|