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No37897 の記事


■37897 / )  Re[65]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/20(Sat) 07:11:14)
    2024/07/20(Sat) 15:09:52 編集(投稿者)



    時さんレスありがとうございます。

    No37886に返信(時さんの記事)

    > お手数をおかけしてすみません。ありがとうございます。

    どういたしまして。^^

    > この場合のコペンハーゲン解釈と多世界解釈の共通点は、「生きている猫と死んでいる猫という二つの状態は共存している。」という事ですが、コペンハーゲン解釈の場合は、いわば局所的な箱の中の猫だけに焦点をあてていて、多世界解釈の場合には、猫、箱、観測者だけに留まらず、いくつもの宇宙全体が共存しているという解釈でしょうか。ですので同じ猫だけに焦点をあてても、それを含む宇宙全体として別存在するという事になるのでしょう。その名の通り、多世界ですね。

    書かれているように私も理解しています。

    > コペンハーゲン解釈では、波の収縮前には生きている猫と死んでいる猫が、箱の中で重ね合わせという形で共存しているという考え方で、波の収縮後にはどちらかの状態に決定するという事であり、では、その波の収縮が起きるのだとしたらいつ起こるのか?何に起因するものなのか?という謎があったという事ですね。

    はい、そうだと思います。

    > ああ、なるほど。。宇宙全体の別世界での共存と考えれば、そのコペンハーゲン解釈の波動関数の収縮の問題はなさそうですね。

    観測されない分の波は消えてしまうのではなく、分岐した世界になっていくと考えるので波の収縮をどう考えるかについての解決が図れるということのようですね。

    > 見ていないとき、月は存在するのか?→見ていないときには存在せず、それを認識した時に月が姿を現す。。これは、コペンハーゲン解釈での捉え方ですね?

    コペンハーゲン解釈に限定されるのかな。。その、月の話というのは、多世界解釈も含めての量子力学としての物質の観測についての考え方になるのかな、と私はなんとなく考えていますが、違うかもです。

    量子力学では、人間が物体を観測していない時に、観測した時と同じ性質を持つということを保証しないですよね。
    実験において人間が観察できるのは粒子としての姿だけれど、どうもその粒子は波としての性質をもった動きをしているということがわかります。
    ここまではコペンハーゲン解釈も多世界解釈も同じだから、というのが私が上に書いたように考える理由です。

    月で言えば・・・時空間のフレームを通して人間が見る月は、月齢や天候によってその姿形を変える月ですが、人間が観測していない時の月が実際どのような姿なのかはわかりません。
    観測されておらず人間の意識に上がってきていない月というのの実在性や局所性を保証しないというのが、「人間が見ていない時には月は存在しない」という話なのだと考えています。
    一方、古典物理学だと、人間が観測するしないに関わらず月は月として存在しているとされていたのだと思います。

    > これを多世界解釈での捉え方をすると、月が存在する世界線と月が存在しない世界線、それを見ている世界線とそれを見ていない世界線の組み合わせの宇宙全体としての世界が存在するという事でしょうか。そして夫々の世界は共存しているものの、互いには干渉しあわないという事でしょう。

    箱の中の猫の生死が重ね合わせの状態にあると考えることを、箱に入れられない月を同じように思考して成り立つものなのか、わからないです。
    ごめんなさいm(_ _;)m

    それを離れて、ある日の夜空に浮かぶ満月を誰かが観測した時のことを多世界解釈で考えると・・・
    雲一つかからない輝く満月が見えている世界にいるAさん。
    曇り空で月が見えない世界にいるAさん。
    というように世界が分岐しているということになるのかもです。

    いずれにしても多世界解釈の方はやはり奇妙な世界のように私にも思えます。
    分岐した世界と言われても、人間にはそれこそ把握のしようもないですし。


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