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Re[84]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/01/18(Thu) 19:08:25)
| No36162のつづき
〔想像とは…‥知覚のこと〕ってどういうこと?っていうことから、わたし、 (x)〈知覚されたもの〉=〈端的な知覚〉 (y)〈知覚されているもの〉=〈(端的な)知覚〉〈記憶〉〈想像〉 っていうだいたのができて、〈(端的な)知覚〉と〈想像〉を区別することができたなか?って思ってるんだけど、
次にね、 No36131の、 「現在化/準現在化/共現在化」っていう見方・考え方から、「知覚」と「想像」を見てくことにしようと思うんだけど、タイピング間違いや、もう少し追加しとこって思って、再掲しとく。 アキュートアクセントは省略ね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (w)現在化/準現在化/共現在化 [(独)Gegenwartigung/Vergegenwartigung/Mitgegenwartigung]p119 〔直観的表象作用はその統握形式に従って、大きく現在化と準現在化とに分けられる。現在化は対象が現に在ること、有体的(lebhaft)に現前していることを表し、知覚の志向的性格であるとされる。これに対して準現在化は記憶や想像や予期を規定し、現にない対象を思い浮かべる事態であり、この意味では、再生(Reproduction)や再現前化(Reprasentation)と同義である。・・・・・・、現在化にはつねに想起と想像としての準現在化が協働している。たとえば家の知覚において、前面だけの現在化を、背後も内部も調度も住まう人も含む家そのものを構成する準現在化が支えているのである。この意味で共現在化は現在化と一体となった準現在化のことであり、知覚対象は単なる現前(Prasenz)ではなくつねに付帯現前(Apprasenz)なのである。 この現在化は、通常の語法と異なる。経験においては私に現前しているのはあくまで家そのものである。他者もまた現前しているが、現象学的にはその人格的生の付帯現前が原理的に現在化されえずに準現在化にとどまるのであり、この点で他の事物の知覚とは異なる。他者問題や精神世界解明の困難は身体的所与や情報媒介という間接的な付帯現前にとどまるこの準現在化(思い込み)ないし勝義の共現在化の謎に起因する。フッサールはここに有限な人間にとっての他者の他者性を認めたのであり、他者は私にとって永遠に思い込みとして以外に近づきえないと言うのである。〕 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに、〔家”そのもの〕とか〔他者問題〕っていうのあるよね。現象学の「現在化/準現在化/共現在化」っていうの、こういうのにも関係しているみたい。こういうのまで広げると収拾がつかなくなるから、いまはこれ、ひとまず横に置いとく。
あと、 〔付帯現前(Apprasenz)〕の〔Apprasenz〕なんだけど、統覚apperceptionとなんか似てる、って思ったんだけどネットでいろいろ検索して見たら、 file:///C:/Users/Owner/Downloads/BT004103051%20(4).pdf っていうのがあった。 このなかで、〔直接的な現前(Prasenz)〕、〔間接的現前(Apprasenz)〕ってあった。
〔フッサールはここに有限な人間にとっての他者の他者性を認めたのであり、他者は私にとって永遠に思い込みとして以外に近づきえないと言うのである。〕ってある。 これから、 No36063 の(p)の 『私が他者に対して抱くイメージに合わせるよう他者に強制しないようなコミュニケーションを確立する必要があるのです。』 に、つなげられるかも。 No36016の(d)に、 『イメージと幻覚には欺瞞が含まれて』いる、ってある。
そこはかとなく、を書いといたけど、ここのところは後でもうちょっと見てくことにする。
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