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Re[82]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/01/14(Sun) 17:04:37)
| もう少し No36015の資料のを見てく。
No36130の(u)に、 〔想像とは存在定立の排去を自然に遂行された知覚のこと〕ってあって、え?想像も知覚なの?ってわたしには分け分かんなくなっちゃうのね。 もっとも現象学では、 No36154の@だから言表としてはしょうがないのかもしれないけど。
でね、「知覚」と「想像」、どういう言表で区別しよっかな、って。いろいろ考えてみて、 〈知覚されたもの〉と〈知覚されているもの〉っていうふうにして見たのね。 な〜んか微妙に違えた言い方での区別なんだけど、 〈知覚されたもの〉っていうのは〈端的な知覚〉のこと(端的を〈まのあたりのさま〉っていう意味で)。 〈知覚されているもの〉っていうのは、知覚・記憶・想像が絡み合って出来てるもの。 って。
No36006の図の、わたしの外にあるものの部分だけを描いて見たの、添付しま〜す。 こういうのを見ながら考えて見てるよ。 〈端的な知覚〉っていうの、わたしが、「現前(現在)する現実的なもの」である「それ」を見るとき、わたしに見えてるのはこちらの側面、向こう側は見えてないよね。わたしに感覚されてるのは「それ」の「見えてるもの」で、知覚はその感覚を対象として志向して、知覚〈されたもの〉が構成されるのね。こういうのを〈端的な知覚〉って呼ぶことにした。 そして、〈知覚されているもの〉を知覚・記憶・想像が絡み合って出来てるもの、ってして見たのね。 〈端的な知覚〉っていうのは、知覚によって〈されたもの〉で、想像によって〈されたもの〉じゃない、っていうことでちょっと区別することができるかな?って。 No36130の(t)に〔物理的像〕っていうのあるじゃん、こんな感じのを〈端的な知覚〉ってして見たのね。こういうのを〈知覚像〉ってしちゃっおっかな〜、とも思ったんだけど、いまは保留。
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