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Re[79]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/01/13(Sat) 18:15:32)
| わたしなりに簡単にしちゃう作業にとりかかるんだけど、 現象学における「想像」と「知覚」。
まず、 No36053の(q) にあるように、 @現象学では、〔想像を知覚と認識の中間に位置づけたりせず、知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象、つまり像あるいはイメージとみなした。〕ってある。 現象学の「想像」の位置づけとしてはこういうのが基本となってる。(そうじゃない見方・考え方もあると思うけど、わたしのばあい現象学的なんで見てくことにする。) わたしので見ると、 〔認識〕っていうのは〈考性(一般的には「知性」って呼んでるもの)〉のことってして、意識の二種類の〈知性〉として〈考性〉と〈感性〉ってしたとき、想像は〈感性〉のなかに入れてる、っていうことになるかな。 ってすると、次に知覚と想像の違いが問題となるのね。 で、 No36141の(v)にあにあるように、 A〔現象学は、知覚と想像とは意識の対象に対するかかわり方が本質的に異なることを明らかにした。〕 そして、 No36131の「現在化/準現在化/共現在化」にあるように、 B〔直観的作用はその統握形式に従って、大きく現在化と準現在化とに分けられる。〕
こういうのから、わたしのばあい 〈感性〉=感覚・知覚・統覚・想像 っていうことになるんだけど、Bの〔統握〕っていうのがひっかてるのね。
「統覚」については、 No11393で見たように、 わたしフッサールが見ている2種類の統覚っていうのを、「統覚Apperzeption」と「統握Auffassung」ってして見てる。 〔直観的〕は〈感性〉のうちで、っていうふうに見てるから、〔統握〕じゃなくて「統覚」の方になるんじゃないかしら?そして〔・・・大きく現在化と準現在化とに分けられる〕ってあって、〔現在化〕は知覚によって、〔準現在化〕は想像によって、ってして見たとき、〈統覚形式に従って、大きく(現在化する)知覚と、(準現在化する)想像と分けられる〉、もっと簡単に、〈統覚は知覚と想像とに分けられる〉って見て、わたし想像って記憶と関連してるようにわたし思えるから、 〈感性〉=感覚・知覚・統覚(知覚・記憶・想像)って見たりもしてる。 「統覚」っていうのうは知覚と記憶と想像によって出来てる、みたいな感じ。
あ、これ、いまんとこ、“かな?”っていう程度で、ではない、のかもだけど、ちょっと書き留めて置くことにした。
ひとまずここでは@っていうことをおさえといて。
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