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■36170 / inTopicNo.13)  日記
  
□投稿者/ pipit -(2024/01/17(Wed) 12:57:18)
    年末年始終わってまあまあ一息.....

    カントの文章を読む気力がなかなか起きない.....

    近所の温泉に久しぶりに行こうかなと....

    光のあみあみ見られるかな...

    癒されて今日また読むぞー*(^o^)/*(仮)
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■36184 / inTopicNo.14)  純粋理性批判B169
□投稿者/ pipit -(2024/01/18(Thu) 00:30:16)
    2024/01/18(Thu) 00:30:49 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは。
    「純粋悟性概念の超越論的演繹」に続きまして、
    超越論的分析論第二篇「原則の分析論」(B169-)の英訳に目を通して行きたいと思います。
    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳をpipitが意訳・日訳しています。

    BOOK II. Analytic of Principles

    第二篇.原則の分析

    General logic is constructed upon a plan which coincides exactly with the division of the higher faculties of cognition.

    一般論理学は、認識の高次の能力の区分に正確に一致する計画に基づいて構築されている。

    These are, understanding, judgement, and reason.

    高次の認識能力の区分とは、悟性/判断力/理性である。

    This science, accordingly, treats in its analytic of conceptions, judgements, and conclusions in exact correspondence with the functions and order of those mental powers which we include generally under the generic denomination of understanding.

    従ってこの学は、概念/判断/帰結(推論)の分析を扱う。
    知性(悟性)一般という総称の下に含まれる心の機能と秩序に正確に対応した分析として。


    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap53

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■36186 / inTopicNo.15)  Re[9]: 純粋理性批判B169
□投稿者/ pipit -(2024/01/18(Thu) 00:48:24)
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■36206 / inTopicNo.16)  Re[9]: 純粋理性批判B169
□投稿者/ pipit -(2024/01/18(Thu) 23:00:25)
    みなさまこんばんはー。
    No36184 の次の箇所....

    一般論理学について述べてるみたいで、ゆっくり考えながら読んでみたいけど、今日は寝ますー
    (*_*)

    まずは英訳と、その英訳のDeepL日訳を引用します。

    ※英訳略(後で投稿してみます)

    (DeepL日訳)
    この単に形式的な論理学は、純粋なものであれ経験的なものであれ、認識のすべての内容を抽象化し、単なる思考の形式(言説的認識)に専念するのであるから、その分析には理性の公準が含まれていなければならない。なぜなら、理性の形式にはその法則があり、それは、理性が用いられる認識の特殊な性質を考慮することなく、理性の作用をその運動量に単純に分析することによって、アプリオリに発見することができるからである。

    おやすみなさいー(_ _).。o○

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■36207 / inTopicNo.17)  Re[10]: 純粋理性批判B169英訳
□投稿者/ pipit -(2024/01/18(Thu) 23:01:21)
    As this merely formal logic makes abstraction of all content of cognition, whether pure or empirical, and occupies itself with the mere form of thought (discursive cognition), it must contain in its analytic a canon for reason.
    For the form of reason has its law, which, without taking into consideration the particular nature of the cognition about which it is employed, can be discovered a priori, by the simple analysis of the action of reason into its momenta.
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■36229 / inTopicNo.18)  Re[11]: 純粋理性批判B169英訳
□投稿者/ pipit -(2024/01/20(Sat) 10:40:58)
    2024/01/21(Sun) 07:39:03 編集(投稿者)
    2024/01/20(Sat) 16:09:39 編集(投稿者)
    2024/01/20(Sat) 10:46:49 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちはー(^ ^)
    No36207の英訳をpipitが意訳・日訳してみました。

    (英訳の日訳)
    この単に形式的な論理学は、純粋なものであれ経験的なものであれ、認識のすべての内容を抽象化し、
    単なる思考(直接的ではなく、推論的な認識)の形式に専念するのであるから、
    その分析には理性の基準(canon)が含まれていなければならない。

    というのは、理性の形式には理性自らの法則があり、
    それは、
    理性が用いられる認識の特殊な性質を考慮することなく、理性の作用をその契機に単純に分解・分析することによって、
    アプリオリに発見することができるからである。

    ----------------------------

    (pipit感想)
    理性(推論能力)の働きによる「思考」の形式のみに専念する一般論理学には、理性のカノン(基準)が含まれている。
    その時に感受された内容などの特殊な個別性を取り除き抽象化するということは、理性の作用に働く基本的な、経験によらない(理性由来の)要素の解析ということになる。
    、、、ということを述べてる文章なのかな?と思いました。
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■36237 / inTopicNo.19)  純粋理性批判B170英訳
□投稿者/ pipit -(2024/01/20(Sat) 16:16:40)
    2024/01/20(Sat) 16:18:33 編集(投稿者)

    みなさまこんにちはー。
    No36229は一般論理学についてのカントの記述の英訳の意訳・日訳ですが、続きの今回は超越論的論理学について述べているようです。
    まずは英訳を引用します。

    Transcendental logic, limited as it is to a determinate content, that of pure a priori cognitions, to wit, cannot imitate general logic in this division. For it is evident that the transcendental employment of reason is not objectively valid, and therefore does not belong to the logic of truth (that is, to analytic), but as a logic of illusion, occupies a particular department in the scholastic system under the name of transcendental dialectic.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap53


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■36238 / inTopicNo.20)  Re[13]: 純粋理性批判B170英訳
□投稿者/ pipit -(2024/01/20(Sat) 16:31:43)
    2024/01/20(Sat) 16:34:53 編集(投稿者)

    No36237
    むむむー 文意がまだよくわからないなりに、冒頭の原文が、おくたがわさんのトピでの話題にリンクしてそうな...

    冒頭のドイツ語原文です。文字化けする箇所は似たアルファベットに置き換えます。

    Die transzendentale Logik, da sie auf einen bestimmten Inhalt, namlich bloB der reinen Erkenntnisse a priori, eingeschrankt ist, kann es ihr in dieser Einteilung nicht nachtun.

    上記文章のDeepL英訳
    「Transcendental logic, since it is limited to a certain content, namely only pure a priori knowledge, cannot follow it in this division.」
    上記文章のDeepL日訳
    「超越論的論理学は、ある特定の内容、すなわち純粋な先験的知識のみに限定されているため、この分類において超越論的論理学に追随することはできない。」

    まんま、おくたがわさんの意見を思い起こすんですけど....
    (内容を度外視するのではないのが超越論的論理学ではないか、みたいな)
    pipitが勘違いしてたらすみません!
引用返信/返信 削除キー/
■36266 / inTopicNo.21)  超越論的分析論[−5
□投稿者/ うましか -(2024/01/24(Wed) 00:24:28)
    2024/01/24(Wed) 00:28:13 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    ようやく、、、ようやく、次回から「概念の分析論 純粋悟性概念の演繹について」へ入れます(´;ω;`)ウッ…

    長かった…そして、今回もまったく意味が分からなかった(;´・ω・)

    なんだかもう、正直、何を言ってるのかさっぱり分からない原佑訳を何とか自分が読める文章にするためにいくつ翻訳を投入するか、
    という作業になってしまっています。。。(;´д`)トホホ

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十二項) 

    ◇ 最後に、第三には、完全性≠ェある。この完全性は逆にこの数多性がひっくるめてその概念の単一性へと還元され、いかなる他の概念にでもなく、この概念に完全に一致するということにあるのであって、これは質的完璧性=i総体性)と名付けられ得る。このことから次のことが明らかとなる。すなわち、認識一般の可能性を示すこれらの論理的な諸標識〔基準〕は、量をうみだす時の単一性がそこでは一貫して同種的と想定されなければならない量の三つの〔一、真、善という〕カテゴリーを、ここでは、意識の内での異種的≠ナすらある諸認識要素を結合しようとだけ意図しており、原理としての認識の質によって変容させるということである。

    --- No.36127 からの続き ---

    ◇ だから、概念の(概念の客観のではなく)可能性の標識〔基準〕は、
    その概念の単一性≠ニ、
    その概念から先ずもって導出され得る全てのものの真理性≠ニ、
    最後に、その概念から引きだされたものの完璧性≠ニが、
    そこでは、その全概念の成立のために、その概念が必要とするものを成すような定義である。

    ◇或いはまた、仮説の標識〔基準〕≠焉A
    想定された説明根拠≠フ理解しやすさ、
    もしくはその説明根拠の単一性(補助仮説無しの)、
    そこから導出されるべき諸帰結の真理性(それらの諸帰結相互の、及び経験との合致)、最後には、それらの諸帰結に対するその説明根拠の完璧性≠ナあって、
    それらの諸帰結は、その仮説において想定されたより以上のものにも、以下のものにも、帰着することなく、
    ア・プリオリに綜合的に思考されていたものを、ア・ポステリオリに分析的に再び提供して、それに合致するのである。

    ◇ それ故、単一性、真理性、完全性という諸概念によって、
    カテゴリーの超越論的表は、あたかもそれが欠けているところでもあるかのように補足されるのではなく、これらの諸概念と客観との関係が全面的に除外されることによってのみ、これらの概念をもってする手続きが、認識のそれ自身との合致という、一般の論理学的規則のもとにもたらされるのである。

    † 原佑訳上巻、p.234参照。
    † その他に、中山元訳2、p.89〜p.90、石川文康訳上巻、p.143〜p.144、熊野純彦訳 p.130を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266


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■36273 / inTopicNo.22)  Re[7]: 超越論的分析論[−5
□投稿者/ pipit -(2024/01/24(Wed) 11:00:18)
    2024/01/24(Wed) 14:59:20 編集(投稿者)
    2024/01/24(Wed) 11:08:43 編集(投稿者)

    うましかさん、こんにちはー(^O^)

    No36266
    > ようやく、、、ようやく、次回から「概念の分析論 純粋悟性概念の演繹について」へ入れます(´;ω;`)ウッ…
    >
    > 長かった…そして、今回もまったく意味が分からなかった(;´・ω・) <

    おつかれさまです!
    幾人の人間が、この箇所で、「?」を浮かべたのでしょうね
    (^◇^;)アマタ?

    次は演繹論とのこと、楽しみですー
    (#^.^#)

    > ◇ だから、概念の(概念の客観のではなく)可能性の標識〔基準〕は、
    > その概念の単一性≠ニ、
    > その概念から先ずもって導出され得る全てのものの真理性≠ニ、
    > 最後に、その概念から引きだされたものの完璧性≠ニが、
    > そこでは、その全概念の成立のために、その概念が必要とするものを成すような定義である。<

    概念の成り立ちを言ってるのかなー
    あ、最終行に
    「その全概念の成立のために、その概念が必要とするものを成すような定義である。」
    とあるから、、、
    概念の成立のために、単一性と真理性と完全性がその概念に関して定義されていることが必要ということかなぁ。

    外してるかもだけど、文中の「概念」を、「神・概念」と「りんご・概念」とにそれぞれ置き換えてみよう。

    (置き換え1)
    ★だから、「神・概念」の(「神・概念」の客観のではなく)可能性の標識〔基準〕は、
    その「神・概念」の単一性≠ニ、
    その「神・概念」から先ずもって導出され得る全てのものの真理性≠ニ、
    最後に、その「神・概念」から引きだされたものの完璧性≠ニが、
    そこでは、その全「神・概念」の成立のために、その「神・概念」が必要とするものを成すような定義である。★

    (置き換え2)
    ★だから、「りんご・概念」の(「りんご・概念」の客観のではなく)可能性の標識〔基準〕は、
    その「りんご・概念」の単一性≠ニ、
    その「りんご・概念」から先ずもって導出され得る全てのものの真理性≠ニ、
    最後に、その「りんご・概念」から引きだされたものの完璧性≠ニが、
    そこでは、その全「りんご・概念」の成立のために、その「りんご・概念」が必要とするものを成すような定義である。★



    > ◇或いはまた、仮説の標識〔基準〕≠焉A<

    pipitの中では、ちょうどおくたがわさんのトピでの話題とリンクします。
    No36260
    pipitは、「純粋理性批判」の挑戦は、自然科学の手法に倣って仮説を立ててから立証していくという構図を採用しているのではないかと考えています。
    第二版の序文にいろいろ記述はありますが、一部分を引用します。序文]]T
    (中山元先生訳『純粋理性批判 1』p165.166より引用。中山独自番号V12n2
    (カントの文章の日訳。[]は中山先生による補足)
    『(注二)天体の運動に関する中心的な法則は、コペルニクスが最初はたんなる仮説として示したものが完全に確実なものであったことを示したし、宇宙の構造を結合している不可視な力(ニュートンの引力)が存在することも証明したのである。
    もしコペルニクスが、観察された[天体の]運動を[説明する原理を]、天空にみられる対象のうちにではなく、観察者のうちに探すという、(感覚には反するものの)正しい方法を採用しなかったならば、この引力というものも永久に発見されなかったことだろう。
    わたしはこの序文においては、[本文の]批判のところで記述される思考方法の変革について(それはコペルニクスの仮説に比すべきものである)、たんなる仮説として示すにとどまる。
    ただし本文[の批判のところ]では、空間と時間というわたしたちの[直観の]像の特性と、知性のさまざまな基本的な概念に基づいて、この思考方法の変革[の正しさ]が仮説としてではなく、必然的なものとして証明されるのである。』
    引用終了。

    > 想定された説明根拠≠フ理解しやすさ、
    > もしくはその説明根拠の単一性(補助仮説無しの)、
    > そこから導出されるべき諸帰結の真理性(それらの諸帰結相互の、及び経験との合致)、最後には、それらの諸帰結に対するその説明根拠の完璧性≠ナあって、
    > それらの諸帰結は、その仮説において想定されたより以上のものにも、以下のものにも、帰着することなく、
    > ア・プリオリに綜合的に思考されていたものを、ア・ポステリオリに分析的に再び提供して、それに合致するのである。<

    経験より前に総合判断するものが 経験よりあとに分析判断するもの と合致する仕組みのものが仮説?
    でも合致しない仮説もありますよねぇ。
    カントの文意が(いつもながら)わからないなぁ。


    > ◇ それ故、単一性、真理性、完全性という諸概念によって、
    > カテゴリーの超越論的表は、あたかもそれが欠けているところでもあるかのように補足されるのではなく、これらの諸概念と客観との関係が全面的に除外されることによってのみ、これらの概念をもってする手続きが、認識のそれ自身との合致という、一般の論理学的規則のもとにもたらされるのである。<

    ...もう、気力が......

    カント先輩の、◯◯.......

    うましかさん、おつかれさまです!

引用返信/返信 削除キー/
■36277 / inTopicNo.23)  純粋理性批判B170
□投稿者/ pipit -(2024/01/24(Wed) 23:08:28)
    みなさまこんばんは♪

    No36237
    の箇所の原文をDeepLで英訳したものです。
    Transcendental logic, since it is limited to a certain content, namely, only the pure knowledge a priori, cannot follow it in this division.
    For it turns out that the transcendental use of reason is not objectively valid at all, and therefore does not belong to the logic of truth, i.e. the analytic, but, as a logic of appearance, requires a special part of the scholastic doctrinal structure, under the name of transcendental dialectic.

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■36278 / inTopicNo.24)  純粋理性批判B170
□投稿者/ pipit -(2024/01/24(Wed) 23:10:08)
    2024/01/24(Wed) 23:14:22 編集(投稿者)

    No36277
    (英訳のpipit意訳・日訳)

    超越論的論理学は、特定の内容
    ---すなわちアプリオリで純粋な認識---
    に限定されているので、
    この区分(一般論理学に見られる概念/判断/推論という知性一般を分析した区分)に従うことはできない。

    というのは以下のことが明らかだからだ。
    ---理性の超越論的使用は全く客観には妥当せず、分析的な真理の論理学にも属さず、仮象の論理学に属するもので、超越論的弁証論の名の下に、スコラ哲学的体系の特別な部分を要求する---
    から。


    (pipit感想)

    内容を問わない一般論理学と違って、
    超越論的論理学は、認識におけるアプリオリの内容と客観との関係を問題とする。
    カントは理性(推論の能力)の超越論的使用に客観妥当性を認めない〔悟性(理解能力)の超越論的使用の客観妥当性は認めるのかな?〕。
    超越論的論理学の区分は、
    超越論的分析論(真理の論理学)と
    超越論的弁証論(仮象の論理学)に区分される。
    ....と言ってるのかなぁ?と思いました。


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