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■36280 / inTopicNo.25)  Re[8]: 超越論的分析論[−5
  
□投稿者/ pipit -(2024/01/24(Wed) 23:45:33)
    ものすごく説明を端折ってみえるカントの文章を、田村一郎先生が丁寧に解説してくださっていたので読書の参考に引用させていただきます。m(_ _)m

    『純粋理性批判 上』カント、宇都宮芳明先生監訳、以文社、p226.227より引用

    (田村一郎先生の解説文)
    『「一般論理学」はたんに形式的な論理学であるから、思考一般の形式だけを論ずる。それはわれわれの高次の認識能力である「悟性・判断力・理性」によって区分され、その分析論は、それぞれの能力に対応する「概念・判断・推理」を扱うことになる。ここでは「理性」は最後の「推理」のみにかかわることになるが、思考一般とのかかわりからたんに形式的に処理されることになる。
     ところが「超越論的論理学」は、経験的な認識とはかかわりなしに、ア・プリオリな純粋な認識だけを扱う。したがって「理性推理」も、可能的経験の枠を超えて用いられることもありえ、「仮象の論理学」としての「弁証論」に陥ることにもなりかねない。
     しかし悟性と判断力に関しては、真理としての客観的妥当性を解明する「分析論」が可能であり、その「原則」を求めることもできる。「原則の分析論」はもともと、悟性の純粋な概念であるカテゴリーを感性の対象に適用する際の規則の解明をめざす部門であるが、そうした適用を可能にするものとしての「判断力」の分析を中心に据えるので、「判断力の理説」とも呼ばれる。』
    引用終了。

    ---------------------
    (pipit感想)
    よくこんなに補われて解説されるなぁ(^人^)助かります....

    今日第二版序文読んでた時に再会したカントの文章
    『(わたしはこの明快さという才能は恵まれていないようである)』(中山元先生訳・独自番号V17)
    を思い出しました。
    記述の明快さという才能に恵まれていないみたいなので、後輩よ、よろしくー(pipit超意訳)みたいな....

    天然人たらし文章....(※個人の感想です)

    みなさま、おやすみなさい ☆彡

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■36281 / inTopicNo.26)  純粋理性批判B170-171
□投稿者/ pipit -(2024/01/25(Thu) 11:43:12)
    2024/01/25(Thu) 11:43:49 編集(投稿者)

    みなさまこんにちは。「原則の分析論」箇所の読書続けます。
    まだ原則論の序部分です。(ーー;)

    Understanding and judgement accordingly possess in transcendental logic a canon of objectively valid, and therefore true exercise, and are comprehended in the analytical department of that logic. But reason, in her endeavours to arrive by a priori means at some true statement concerning objects and to extend cognition beyond the bounds of possible experience, is altogether dialectic, and her illusory assertions cannot be constructed into a canon such as an analytic ought to contain.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap53

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■36282 / inTopicNo.27)  Re[15]: 純粋理性批判B170-171
□投稿者/ pipit -(2024/01/25(Thu) 11:52:11)
    2024/01/25(Thu) 12:05:30 編集(投稿者)

    No36281の英訳をpipitが意訳・日訳しました。

    それゆえ悟性と判断力は、
    超越論的論理学の中に客観的妥当の規準を備えており、
    したがって(悟性と判断力における)真の行為規準を備えており、
    超越論的論理学の分析部門に含まれる。

    しかし理性は、
    アプリオリな方法によって対象に関しての何らかの真なる言明に到達しようと、また経験的可能の範囲を超えて認識を拡張しようと努める中では、
    総じて弁証法的(※ カントはこの語を、推論だけで認識を生み出すかのように思わせる仮象の論理として用いた。
    https://kotobank.jp/word/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95-131205#goog_rewarded
    )となり、
    その(理性による)幻惑の言明は、
    分析論が含むべき規準に構成されることは出来ない。

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■36323 / inTopicNo.28)  純粋理性批判B171
□投稿者/ pipit -(2024/01/28(Sun) 19:24:22)
    みなさま、こんばんは(^ ^)
    No36282の続きの箇所のJ. M. D. Meiklejohnさんの英訳です。

    Accordingly, the analytic of principles will be merely a canon for the faculty of judgement, for the instruction of this faculty in its application to phenomena of the pure conceptions of the understanding, which contain the necessary condition for the establishment of a priori laws. On this account, although the subject of the following chapters is the especial principles of understanding, I shall make use of the term Doctrine of the faculty of judgement, in order to define more particularly my present purpose.

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■36324 / inTopicNo.29)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/01/28(Sun) 19:33:15)
    純粋理性批判のゴテゴテ文に触れながらも思い出すのは、

    世界って実際はスカスカなんやなーって、って次男の言葉

    pipitの中では、

    pipitの世界からいろいろ落ちれば、スカスカの超越論的ナニカが残される、、、


    のかな????


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■36325 / inTopicNo.30)  Re[10]: 日記
□投稿者/ pipit -(2024/01/28(Sun) 20:51:46)
    仏教の瞑想では、思考を止める、みたいなんもあるみたいやから

    そうしたら、概念(純粋悟性概念も)が無い世界、かぁ


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■36327 / inTopicNo.31)  Re[17]: 純粋理性批判B171
□投稿者/ pipit -(2024/01/28(Sun) 22:30:18)
    こんばんは♪英訳を意訳・日訳してみました。

    「したがって、原則の分析論は、判断という機能のための規準---
    アプリオリな法則を確立するための必要条件を含む悟性の純粋概念を、現象に適用する際の、判断機能のインストラクションとしての規準---
    にすぎない。

    そういうわけで、以下の章は悟性の特別な原理であるが、私の目下の目的をより明確に定義するために、判断力の理説という用語を用いることにする。」



    No36323に返信(pipitさんの記事)
    > みなさま、こんばんは(^ ^)
    > No36282の続きの箇所のJ. M. D. Meiklejohnさんの英訳です。
    >
    > Accordingly, the analytic of principles will be merely a canon for the faculty of judgement, for the instruction of this faculty in its application to phenomena of the pure conceptions of the understanding, which contain the necessary condition for the establishment of a priori laws. On this account, although the subject of the following chapters is the especial principles of understanding, I shall make use of the term Doctrine of the faculty of judgement, in order to define more particularly my present purpose.
    >
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■36328 / inTopicNo.32)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/01/28(Sun) 22:38:44)
    ふと思い出した。

    昔の数学の先生のパネルで、数学は言語のようなもの、みたいなのを見たことある。

    その先生は、自然を数学という言語で万人に伝えるというイメージだったんかなぁ
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■36329 / inTopicNo.33)  Re[12]: 日記
□投稿者/ pipit -(2024/01/28(Sun) 22:48:37)
    No36328に返信(pipitさんの記事)
    > ふと思い出した。
    >
    > 昔の数学の先生のパネルで、数学は言語のようなもの、みたいなのを見たことある。
    >
    > その先生は、自然を数学という言語で万人に伝えるというイメージだったんかなぁ

    自然の内容がスカスカになってんのか
    自然の豊かさがぎゅっと濃縮されてるのか
    復元は可能なのか
    豊かさは切り捨てられてるのか

    いろいろ想像するとおもしろいなぁ
    (数学全然わからないけど)
引用返信/返信 削除キー/
■36336 / inTopicNo.34)  純粋理性批判B171
□投稿者/ pipit -(2024/01/29(Mon) 23:10:22)
    みなさまこんばんは!

    No36327の次に進みまーす

    INTRODUCTION. Of the Transcendental Faculty of judgement in General
    If understanding in general be defined as the faculty of laws or rules, the faculty of judgement may be termed the faculty of subsumption under these rules; that is, of distinguishing whether this or that does or does not stand under a given rule (casus datae legis).

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap53

    あれ??
    これからINTRODUCTION(序)!?

    じゃあここまでは、序の序??

    (´-ω-`).....
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■36337 / inTopicNo.35)  Re[19]: 純粋理性批判B171
□投稿者/ pipit -(2024/01/29(Mon) 23:50:13)
    2024/01/30(Tue) 00:03:42 編集(投稿者)

    よくわからないけどとりあえず日訳してみました...
    ---------------------

    序.超越論的な判断の能力一般について

    もし悟性一般が、法則や規則の能力と定義されるなら、
    判断の能力は規則のもとに包摂する能力と言えるだろう。

    つまり、与えられた規則の下にそれがしたがうかしたがわないか(与えられた規則の事例かどうか)を判別する能力である。






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■36343 / inTopicNo.36)  「原則の分析論」pipit的「序」
□投稿者/ pipit -(2024/01/31(Wed) 10:54:55)
    2024/01/31(Wed) 11:02:56 編集(投稿者)

    みなさまこんにちは。
    今読み出してる箇所は、超越論的論理学の分析論の第二篇『原則の分析論』です。

    ---------------------

    カントはB169で、一般論理学は@概念A判断力B推論を考察する、としていました。
    No36184
    ---------------------

    カントの超越論的論理学は、
    【分析論】と【弁証論】に分かれていて、
    【分析論】は1.[概念論]と2.[原則論]に分かれています。
    これを一般論理学になんとなくで対応させてみると、、、

    【超越論的分析論】1.[概念の分析論]※純粋悟性概念の演繹(根拠づけ)などについて記述される---@概念

    【超越論的分析論】2.[原則の分析論]※図式論、原則論などについて記述される---A判断力

    【超越論的弁証論】(仮象の論理学)※二律背反などについて記述される---B推論

    という対応関係なのかな?と解説書なども読んでそう考えました。

    ---------------------

    今から読む[原則の分析論]とは、、、
    No36327
    >したがって、原則の分析論は、判断という機能のための規準---
    アプリオリな法則を確立するための必要条件を含む悟性の純粋概念を、現象に適用する際の、判断機能のインストラクションとしての規準---
    にすぎない。<
    とのことで、、、、

    純粋悟性概念に、なにかあるもの が包摂される と知性が判断する際の機能の規準についてカントが記述していくということかなと思いました。(与えられた規則の事例かどうか・の判断の規準)

    ちなみに規準の定義を純粋理性批判(A796/B824)でしてるらしく、
    (カントの文章)
    『私の言う規準とは、なんらかの認識能力の正しい使用一般のア・プリオリな諸原則の総体のことである』
    で、
    (御子柴先生の解説文)
    『つまり、規準(カノン)とは、認識能力をどのように使用するのが正しいのかを指示する、ア・プリオリな原則なのです。』
    とのことです。
    ※(御子柴善之先生解説本『カント純粋理性批判』p236参照)
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