TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■36759 / inTopicNo.85)  日記
  
□投稿者/ pipit -(2024/03/10(Sun) 09:30:52)
    2024/03/10(Sun) 09:45:20 編集(投稿者)

    No36756に返信(pipitさんの記事)
    > みなさまこんにちは!
    > No36685 の続きの英訳です。
    >
    > ( J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    > 略
    > https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26
    >
    > (英訳のpipit意訳.日訳)
    >
    > 私たちの判断機能の超越論的理論は2章からなる。
    >
    > 第一章は、その下でのみ純粋知性概念が使用されうる感性的な条件---すなわち、純粋知性の図式論---について論じる。
    >
    > 第二章は、そのような条件(純粋知性の図式論)のもとで、純粋知性概念からアプリオリに導かれ、他のすべての認識の基礎にアプリオリに横たわる総合的判断---つまり純粋知性の原則----について論じる。


    なるほどー、、、
    第一章で概念と直観をつなぐことを可能にする条件を描き出し、
    第二章で、概念と直観がつながることで【アプリオリな総合判断】が生じる流れ方を描くつもりかな、、、と想像しました。

    御子柴先生の解説読んでみようっと..

    わ、丁寧さにびっくり、〈原則の分析論は二つの章からなる〉として、2ページ弱のボリュームでこの箇所を解説されてました。ありがたやー(^人^)善之清水!
    (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著、角川選書、p240-242)
     
    、、、
    今読みまして、本題から外れたところがちょっとおもしろかったです、、、引用します、、、

    『「判断力の超越論的理説」すなわち「原則の分析論」は、第一章「純粋悟性概念の図式機能について」と第二章「純粋悟性のすべての原則の体系」を主要な部分としてもっています(実際には、第三章もあります)。』

    第三章もあるんですねー(^◇^;)

    と、中山元先生訳の第三章を開いてみたら、、(純粋理性批判の中では有名そうな)魅力的な文章から始まっている箇所でした!(第三巻p221-)B.294

    題名は(中山元先生訳)
    『第三章 すべての対象一般を感覚的な存在(フェノメノン)と叡智的な存在(ヌーメノン)に区別する根拠について』

    一年以内に辿り着けるかなぁ( ;∀;)
引用返信/返信 削除キー/
■36775 / inTopicNo.86)  YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/11(Mon) 18:45:37)
引用返信/返信 削除キー/
■36776 / inTopicNo.87)  Re[16]: YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/11(Mon) 18:59:02)
引用返信/返信 削除キー/
■36790 / inTopicNo.88)  Re[21]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/13(Wed) 23:35:33)
    みなさまこんばんはー
    とりあえず次のタイトルだけ....

    TRANSCENDENTAL DOCTRINE OF THE FACULTY OF JUDGEMENT OR, ANALYTIC OF PRINCIPLES

    Chapter I. Of the Schematism at of the Pure Conceptions of the Understanding

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26

    『the Schematism (図式)』論ということですね

    今日は眠いのでおやすみなさいー(( _ _ ))..zzzZZ
引用返信/返信 削除キー/
■36791 / inTopicNo.89)  Re[22]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/13(Wed) 23:38:30)
    (次の箇所)
    In all subsumptions of an object under a conception, the representation of the object must be homogeneous with the conception; in other words, the conception must contain that which is represented in the object to be subsumed under it. For this is the meaning of the expression: “An object is contained under a conception.” Thus the empirical conception of a plate is homogeneous with the pure geometrical conception of a circle, inasmuch as the roundness which is cogitated in the former is intuited in the latter.

    (DeepL日訳)
    つまり、概念には、その概念に包含される対象の中に表されているものが含まれていなければならない。これがこの表現の意味である:「対象は観念の下に含まれる」。このように、皿という経験的な観念は、円という純粋幾何学的な観念と同質である。

    上記引用箇所から読んでいこうと思います♪
引用返信/返信 削除キー/
■36803 / inTopicNo.90)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/14(Thu) 20:33:47)
    今日は90歳超えで、ネギつくってるおじさんと話した。
    明日も元気だとうれしいな


    Spotifyの無料部分をラジオみたいにして流してるんだけど、アカデミー賞とったからと思うけど、スタジオジブリ集があったので、聴いてる。

    今トトロの

    さっきナウシカのあったから、風の谷のナウシカ観たくなったなー

    映画館で観たいなー
引用返信/返信 削除キー/
■36805 / inTopicNo.91)  Re[23]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/14(Thu) 22:56:58)
    2024/03/14(Thu) 23:00:19 編集(投稿者)

    みなさまこんばんはー
    No36791の英訳をpipitが意訳・日訳してみました。

    『概念の下への対象の包摂全てにおいて、
    対象の像はその概念と同種的でなければならない;

    言い換えれば、その概念に含まれていなければならないのだ
    ---その概念に包摂される対象において表現されているものが---。

    「ある対象がある概念の下に含まれている。」という表現の意味はこれである。

    というわけで、経験的な皿の概念は、純粋な幾何学的な円の概念と同種的なのである。
    前者(皿の概念)で思考された丸みが、後者(幾何学的な円の概念)では直観されるのだから。』
引用返信/返信 削除キー/
■36806 / inTopicNo.92)  Re[24]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/15(Fri) 06:47:51)
    みなさま、おはようございます(^ ^)

    No36805
    > というわけで、経験的な皿の概念は、純粋な幾何学的な円の概念と同種的なのである。
    > 前者(皿の概念)で思考された丸みが、後者(幾何学的な円の概念)では直観されるのだから。』<

    この箇所については諸説あるようで、中山元先生はこの箇所に訳注を記されています。
    その訳注や他の方の訳や御子柴先生の解説をまた後ほど引用しようかと思っています。


引用返信/返信 削除キー/
■36815 / inTopicNo.93)  Re[25]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/16(Sat) 00:32:03)
    2024/03/16(Sat) 12:30:01 編集(投稿者)

    No36806に返信(pipitさんの記事)
    > みなさま、おはようございます(^ ^)
    >
    > ■No36805
    >>というわけで、経験的な皿の概念は、純粋な幾何学的な円の概念と同種的なのである。
    >>前者(皿の概念)で思考された丸みが、後者(幾何学的な円の概念)では直観されるのだから。』<
    >
    > この箇所については諸説あるようで、中山元先生はこの箇所に訳注を記されています。
    > その訳注や他の方の訳や御子柴先生の解説をまた後ほど引用しようかと思っています。

    みなさまこんばんは!
    遅くなってしまいました(><)

    まずは中山元先生の訳文と訳注を引用します。

    (訳文)
    『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』
    (『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)

    (訳注)
    『ここで思考と直観の関係がずれているようにみえるので、ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。多くの邦訳も同じように読むが、あえて訂正する必要はあるまい。』
    (同本p318より引用)

    、、、原文はどうなってるのかな?手持ちのKindleでは、、、(文字化けする文字は似た文字に置き換えました)

    So hat der empirische
    Begriff eines Tellers mit dem reinen geometrischen eines Zirkels
    Gleichartigkeit, indem die Rundung, die in dem ersteren gedacht wird,
    sich im letzteren anschauen laBt.

    これをDeepLで英訳すると、

    Thus the empirical
    concept of a plate with the pure geometrical concept of a circle
    similarity, in that the roundness which is conceived in the former
    can be seen in the latter.

    となりました。

    ※もう一度DeepLに英訳してもらうと違う文章になりました。もしかしたら前回は原文を私が崩してしまったかもなので、今回出た英訳もコピペします。
    Thus the empirical
    concept of a plate has the same nature as the pure geometrical concept of a circle
    similarity, in that the roundness which is conceived in the former
    can be seen in the latter.

    続き(田村一郎先生の訳と御子柴先生の解説の引用)はまた後ほど、、、

    おやすみなさいー(( _ _ ))..zzzZZ


引用返信/返信 削除キー/
■36829 / inTopicNo.94)  Re[18]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/16(Sat) 18:10:25)
    pipitさま、お邪魔しま〜す。

    >(訳文)『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』(『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)<

    カント、なんか、順番が逆になってるんじゃない?
    もっとも『考えられてる』だからカントの場合しょうがないと思うんだけど。

    わたしの経験した「皿」って呼ばれてる「物」は「まあるいの形」してるだけじゃないのね。
    あ、カントが生きた時代は「皿」って言ったら”すべて”「まあるい形」してたのかもしれないけどね。




引用返信/返信 削除キー/
■36831 / inTopicNo.95)  Re[19]: 日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/16(Sat) 19:34:04)
    2024/03/16(Sat) 20:36:15 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)

    No36829
    > >(訳文)『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』(『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)<
    >
    > カント、なんか、順番が逆になってるんじゃない?<

    @順番が逆になっている。
    A順番はこのままでよい。
    二つの考え方があるみたい。

    ファイヒンガーさんは@の意見で、↓
    >ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。<
    らしいです。

    田村一郎先生も@の意見で、ファイヒンガーさんにならって読み替えて訳されています。(『純粋理性批判 上』宇都宮芳明先生監訳、以文社、p231参照)↓
    『たとえば皿の経験的概念は円という純粋な幾何学的概念と同種の性質を持っているが、それは後者で考えられている円さが前者において直観されるからである。』

    御子柴先生はAと捉えて、↓
    『皿という経験的概念において考えられる丸さは、円という純粋幾何学的な概念において直観されるからである。(A137/B176)』と日訳されてました。(『カント純粋理性批判』角川選書、p242)

    御子柴先生の解説としては、
    『私たちは、眼前の皿をいちいち確認して、〈ほんとうに丸い〉と判断しているのではありません。むしろ眼前に知覚される経験的な皿を、私たちが「円」という純粋幾何学的概念によって把握し、その「円」を空間という純粋な意識において丸く描出して直観しているのです。』(同本p243)
    とありました。
    異論は出るかもだけ、御子柴先生は『、カントはあえて、経験的概念と純粋概念における同種性を例に挙げて、それに直観を関係づけています。カントは、概念と直観(純粋悟性概念と現象)という異種的なものが、同種性を仲立ちとしてどのように包摂関係を実現するかという問題を考えているのでしょう。』(同本p243)と考えらているようです。

    > もっとも『考えられてる』だからカントの場合しょうがないと思うんだけど。<

    考えられてる〈丸さ〉、、、

    皿と呼ばれる物体を目にしてカントは結論づける....I think that 皿とは丸いものである。


    > わたしの経験した「皿」って呼ばれてる「物」は「まあるいの形」してるだけじゃないのね。
    > あ、カントが生きた時代は「皿」って言ったら”すべて”「まあるい形」してたのかもしれないけどね。<

    どうなんやろうね?
    普通に〈考えたら〉丸だけとは思えないけどなー(ー ー;)
引用返信/返信 削除キー/
■36834 / inTopicNo.96)  Re[20]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/17(Sun) 09:59:30)
    No36831、pipitさまありがとございます。

    カントの、なんか難しそうね。

    『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』
    ここんとこ、
    自称メルポン派のわたしのをちょっと書いて見るね。

    『皿という経験』には『概念』とか『考え』っていうのは使わないのね。
    〈丸さ〉っていうのは〈感じること〉に入れてるから。

    『円に純粋に幾何学的な概念』っていうの、後からの「知識」じゃないかしら?

    子どものときには、「皿の経験」のなかで〈丸さ〉を感じてるかもだけど、「幾何学的な概念」っていうのないんじゃないかしら?って思ったから、順番逆じゃない?って思ったのね。

    頭のいい人にとっては、「円に純粋に幾何学的な概念において、皿という経験的な概念の〈丸さ〉が考えられていて、直観されてる」のかもだけど。

    ちょっと思っただけだし、カントのとは違うくなっちゃうから、スルーしておいて。



引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -