□投稿者/ pipit -(2024/03/16(Sat) 19:34:04)
| 2024/03/16(Sat) 20:36:15 編集(投稿者)
悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)
■No36829 > >(訳文)『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』(『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)< > > カント、なんか、順番が逆になってるんじゃない?<
@順番が逆になっている。 A順番はこのままでよい。 二つの考え方があるみたい。
ファイヒンガーさんは@の意見で、↓ >ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。< らしいです。
田村一郎先生も@の意見で、ファイヒンガーさんにならって読み替えて訳されています。(『純粋理性批判 上』宇都宮芳明先生監訳、以文社、p231参照)↓ 『たとえば皿の経験的概念は円という純粋な幾何学的概念と同種の性質を持っているが、それは後者で考えられている円さが前者において直観されるからである。』
御子柴先生はAと捉えて、↓ 『皿という経験的概念において考えられる丸さは、円という純粋幾何学的な概念において直観されるからである。(A137/B176)』と日訳されてました。(『カント純粋理性批判』角川選書、p242)
御子柴先生の解説としては、 『私たちは、眼前の皿をいちいち確認して、〈ほんとうに丸い〉と判断しているのではありません。むしろ眼前に知覚される経験的な皿を、私たちが「円」という純粋幾何学的概念によって把握し、その「円」を空間という純粋な意識において丸く描出して直観しているのです。』(同本p243) とありました。 異論は出るかもだけ、御子柴先生は『、カントはあえて、経験的概念と純粋概念における同種性を例に挙げて、それに直観を関係づけています。カントは、概念と直観(純粋悟性概念と現象)という異種的なものが、同種性を仲立ちとしてどのように包摂関係を実現するかという問題を考えているのでしょう。』(同本p243)と考えらているようです。
> もっとも『考えられてる』だからカントの場合しょうがないと思うんだけど。<
考えられてる〈丸さ〉、、、
皿と呼ばれる物体を目にしてカントは結論づける....I think that 皿とは丸いものである。
> わたしの経験した「皿」って呼ばれてる「物」は「まあるいの形」してるだけじゃないのね。 > あ、カントが生きた時代は「皿」って言ったら”すべて”「まあるい形」してたのかもしれないけどね。<
どうなんやろうね? 普通に〈考えたら〉丸だけとは思えないけどなー(ー ー;)
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