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■36664 / inTopicNo.73)  Re[12]: 超越論的分析論\−5
  
□投稿者/ pipit -(2024/02/26(Mon) 20:08:18)
    うましかさん、こんばんはー

    No36657
    > やっぱり訳者ごとに解釈、理解が異なるということなのかな…当たり前かもしれないけど(-_-;)<

    カント自身でさえ、その時々で揺れてたりして、とふと思ってしまいました
    厳密なのかラフなのか....カントファジー沼.....

    > ◇しかしながら、私たちは、これらの諸概念についても、全ての認識〔allem Erkenntnis〕についてと同様、それらの可能性の原理〔das Principium ihrer Moelglichkeit〕を探し出すのではない場合には、それらの産出の機会因をやはり経験において探し出すことができる。<

    時間、空間、カテゴリーのことですかね?
    それらの可能性の原理でないのなら、その産出の機会因を経験の中に見出すことは可能?


    > ◇ その時には感官の印象が、これらの諸概念に関する全認識能力〔ganze Erkenntniskraft〕を活動せしめ、経験をせしめる最初の機縁を与える。<

    像や音?、、あるいはその前の例えば神経に触れることで起きる変化?、、、が、時間空間カテゴリーに関する全認識能力を活動させ、経験させる最初の機縁を与える?

    > ◇ この経験は、二つの極めて異種的な要素、すなわち、感官に基づく認識のための実質〔質料〕≠ニ、純粋な直観〔作用〕及び純粋な思考〔作用〕の内的源泉に基づきこの実質〔質料〕を秩序づける或る種の形式≠ニを含んでいる。<

    感官に基づく認識のための実質と純粋な直観を区別してるのか、同一視してるのか、どうなのかなぁ、、、

    > ◇ こうした純粋な直観〔作用〕と純粋な思考〔作用〕は、実質を機会としてまず活動をはじめ、そして概念を産み出すのである。<


    産み出した概念は純粋悟性概念のことなのかなぁ??


    ???????(・・?)メイロヌマ

    カント沼おつかれさまです!(^ ^)

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■36665 / inTopicNo.74)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/26(Mon) 20:10:37)
    悪魔ちゃん、こんばんはー(^○^)

    No36661
    > 「エピステーメー」っていう語が出てきたので、
    >
    > 【「フーコー入門」/著者中山元/発行者喜人冬子/発行所筑摩書房/1996年】のなかに、<

    ありがとう!
    あー、中山元先生だー

    > 「新しいまなざしが新しい物の秩序を開く。存在する物の秩序を認識するためには物の認識に先立って一つの知の枠組みが必要である。<

    一つの知の枠組みがあるとき 存在する物の秩序を認識できる。

    一つの知の枠組みに依て、かぁ。


    >フーコーはこれを、ギリシア語で「知」を意味するエピステーメーという用語で呼ぶ。<

    エピステーメー に依て 秩序を認識する

    >この知の枠組みは哲学的な理論よりもはるかに強固であり、さまざまな学問の基盤にあって、学問そのものを可能にする条件であり、しかも学問自体には不透明な前提である。」(p077)<

    エピステーメー が滅すると 秩序の認識も滅する

    秩序の認識を可能にするものが(フーコー的な?)エピステーメーなのかな?
    前提、かぁ....

    >っていうのがあったよ、参考までに。<

    ありがとうー (^O^)


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■36666 / inTopicNo.75)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/02/26(Mon) 20:31:05)
    知る は 捏造 というような言説を思い出したなー

    エピステーメーかぁ...



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■36673 / inTopicNo.76)  YouTube日記
□投稿者/ pipit -(2024/02/28(Wed) 00:15:12)
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■36678 / inTopicNo.77)  Re[17]: 純粋理性批判B 174
□投稿者/ pipit -(2024/03/01(Fri) 09:51:27)
    みなさまこんにちは!
    前回の英訳をアップします_φ(・_・
    ・・・アクセス禁止なので英訳は略します(^◇^;)

    No36612に返信(pipitさんの記事)
    B174
    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26
    > (pipit日訳)
    >
    > しかし超越論的哲学は以下のような特殊性がある。
    > 悟性の純粋な概念の中で与えられる規則を示すこと、あるいはむしろ・・・規則のための普遍的な条件を示すこと、
    > 同時に、アプリオリにそれが適用されるべき場合を示すことができること、である。
引用返信/返信 削除キー/
■36679 / inTopicNo.78)  純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/01(Fri) 09:55:42)
    今回読みチャレンジするB175の英訳です(°_°)

    The cause of the superiority which, in this respect, transcendental philosophy possesses above all other sciences except mathematics, lies in this: it treats of conceptions which must relate a priori to their objects, whose objective validity consequently cannot be demonstrated a posteriori, and is, at the same time, under the obligation of presenting in general but sufficient tests, the conditions under which objects can be given in harmony with those conceptions; otherwise they would be mere logical forms, without content, and not pure conceptions of the understanding.
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■36685 / inTopicNo.79)  Re[19]: 純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/02(Sat) 11:33:08)
    みなさまこんにちはー
    No36679英訳を意訳日訳してみました (*_*) 間違えてたらスミマセン

    超越論的哲学が、数学を除く他のすべての学より優れている原因は、この点にある。
    超越論的哲学は、アプリオリにその対象に関係すべき概念 を取り扱う。
    したがって、取り扱う概念の客観的妥当性をアポステリオリに証明することはできない。
    と同時に超越論的哲学は、その下でそのような概念と調和するような対象が与えられる条件 を 一般的に、しかし十分な試金石として、明示する義務の下にある。
    さもなければ、それら(アプリオリに対象に関係すべき概念)は単なる論理的な形式となり、内容を欠き、悟性の純粋な概念ではなくなるのである。

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■36688 / inTopicNo.80)  B 175 を考えてみた日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/02(Sat) 15:45:28)
    みなさまこんにちは。
    No36685の箇所、、、
    難しくてわかりませんが、考察してみました(T ^ T)

    今読んでる箇所の一つ前の『純粋悟性概念の演繹』の箇所で、【純粋悟性概念に客観的妥当性がある】と証明できたとカントは考えていそうです。

    ということは、純粋悟性概念の中に既に、客観内容と対応できる規則を含んでいて、対象に適用可能な条件も提示できる、ということになると思います。

    そして、このようなアプリオリ性の中で何かを述べることのできる学問は数学を除いては超越論的哲学だけだとカントは言ってるのかな?と思いました。

    『演繹』で概念としての客観的妥当性が証明されても、その概念に対象物が〈いかなる条件によって〉包摂されるのか、を超越論的哲学のうちで明らかにしなければ、、、
    単なる論理的な形式となり、内容を欠き、純粋悟性概念として存せない、ということかなと思いました。

    ・・・違うかもで、難しいー!!

    解説本など再読してみます(T . T)

引用返信/返信 削除キー/
■36724 / inTopicNo.81)  文章の見える化にチャレンジ
□投稿者/ pipit -(2024/03/05(Tue) 14:37:19)
    2024/03/06(Wed) 06:36:43 編集(投稿者)

    みなさま、こんにちは!
    図式論に入る前にもう一度、カント的考え方を振り返ってみたいなと、いらすとやさんのフリーイラストを使ってワードで作成してみました。(なんやかんやでJPEG化)

    No36622
    > 【諸表象様式の段階】という記述で、表象の側面から定義してる箇所はB376.377にあるので、引用しますね。
    >
    > ----------------------------
    > カント純粋理性批判B376.377
    >
    > 『以下は、諸表象様式の段階である。
    > 類は表象一般(repraesentatio)である。
    > 表象の下に、意識を伴った表象(perceptio)が属している。
    > 知覚は、主観の状態の変様としてもっぱら主観に関する場合、感覚(sensatio)であり、客観的知覚は、認識(cognitio)である。
    > 認識は、直観か概念のいずれか(intuitus vel conceptus)である。
    > 直観は直接に対象に関係し、個別的であるが、概念は、いくつかの事物に共通でありうる徴表を介して、間接的に対象に関係する。
    > 概念は、経験的概念か純粋概念のいずれかである。
    > そして純粋概念は、それがもっぱら悟性のうちにその源泉を有するかぎり(感性の形象のうちにではなく)、悟性概念[Notio]と呼ばれる。
    > 悟性概念から生じ、経験の可能性を超える概念が、理念もしくは理性概念である。』
    >
    > 『純粋理性批判 上』カント、宇都宮芳明監訳、以文社、p403、鈴木恒夫先生訳
    > ----------------------------

    全然違うかもなのだけど、意識を伴った、って、有名な「私は考える」が伴い得なくてはならない・の意識でしょう?

    (客観的)認識行為とは、一つの意識に該当表象を統一する行為と捉え、その統一機能(統覚)を悟性が担っているとしたとき、
    同時の作業として、純粋悟性概念を通して直観を統一させる行為も悟性により機能している、とカントは考えているのかなあ?って、今の段階では思いました。

    表象(直観)をすべて純粋悟性概念の下に配置する作業を悟性が行っている、ゆえに、認識は純粋悟性概念と一致するのは必定、というか…

    『一つ』という概念が先にあるので、私は自然の対象に『一つ』を認識する、って感じかなぁ
    全然間違えてたらすみません!

    勉強を続けたいと思っています( ..)φ
1286×402 => 600×187

ruihahyoushouippan.jpg
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■36750 / inTopicNo.82)  作ってみた2
□投稿者/ pipit -(2024/03/09(Sat) 00:13:53)
    みなさま、こんばんはー。
    ワードで作ってみた2です。

    No36622
    > 【諸表象様式の段階】
    > ----------------------------
    > カント純粋理性批判B376.377
    >
    > 『以下は、諸表象様式の段階である。
    > 類は表象一般(repraesentatio)である。
    > 表象の下に、意識を伴った表象(perceptio)が属している。
    > 知覚は、主観の状態の変様としてもっぱら主観に関する場合、感覚(sensatio)であり、客観的知覚は、認識(cognitio)である。
    > 認識は、直観か概念のいずれか(intuitus vel conceptus)である。
    > 直観は直接に対象に関係し、個別的であるが、概念は、いくつかの事物に共通でありうる徴表を介して、間接的に対象に関係する。
    > 概念は、経験的概念か純粋概念のいずれかである。
    > そして純粋概念は、それがもっぱら悟性のうちにその源泉を有するかぎり(感性の形象のうちにではなく)、悟性概念[Notio]と呼ばれる。
    > 悟性概念から生じ、経験の可能性を超える概念が、理念もしくは理性概念である。』
    >
    > 『純粋理性批判 上』カント、宇都宮芳明監訳、以文社、p403、鈴木恒夫先生訳
    > ----------------------------
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ruihyoushoukaisou.jpg
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■36756 / inTopicNo.83)  純粋理性批判B 175
□投稿者/ pipit -(2024/03/10(Sun) 08:50:36)
    2024/03/10(Sun) 09:44:41 編集(投稿者)

    みなさまこんにちは!
    No36685 の続きの英訳です。

    ( J. M. D. Meiklejohnさん英訳)

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#linknote-26

    (英訳のpipit意訳.日訳)

    私たちの判断機能の超越論的理論は2章からなる。

    第一章は、その下でのみ純粋知性概念が使用されうる感性的な条件---すなわち、純粋知性の図式論---について論じる。

    第二章は、そのような条件(純粋知性の図式論)のもとで、純粋知性概念からアプリオリに導かれ、他のすべての認識の基礎にアプリオリに横たわる総合的判断---つまり純粋知性の原則----について論じる。

引用返信/返信 削除キー/
■36757 / inTopicNo.84)  Re[21]: 純粋理性批判B 175・英訳
□投稿者/ pipit -(2024/03/10(Sun) 08:52:07)
    2024/03/10(Sun) 08:52:49 編集(投稿者)

    No36756

    Our transcendental doctrine of the faculty of judgement will contain two chapters.

    The first will treat of the sensuous condition under which alone pure conceptions of the understanding can be employedーthat is, of the schematism of the pure understanding.

    The second will treat of those synthetical judgements which are derived a priori from pure conceptions of the understanding under those conditions, and which lie a priori at the foundation of all other cognitions, that is to say, it will treat of the principles of the pure understanding.
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