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■37042 / inTopicNo.13)  Re[86]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/07(Sun) 20:11:25)
    No37041、なんかOKみたい。

    パニさん、ここ、いいね、ありがと。




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■37041 / inTopicNo.14)  Re[85]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/07(Sun) 20:06:44)
    新たな物語のはじまり、はじまり〜
    っていうか〜、わたしのいつも繰り返し。

    繰り返すところ(今回のわたしの物語りの始まり)、探してみたら、
    No15221
    No15252
    No15273 
    ね。

    どうかな?出て来るかしら。

    今見返して見たら、ちょっと恥ずかしかったけど、
    思い切って…送信ボタン、ポチッ!

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■37028 / inTopicNo.15)  Re[84]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/06(Sat) 17:55:02)
    No37026 で、わたしに思われたのはだいたい表現できたかも。

    No36016の(k)に、メルポンは『夢や幻覚という現象が新たなかたちで解明されることが理解できます』って言てるけど、
    ここらへん、わたしいまんとこ括弧に入れてる。

    これで今回の物語りは、ひとまず、おしまい、おしまい〜。

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■37026 / inTopicNo.16)  Re[83]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/06(Sat) 16:05:52)
    No37025のつづき
    「もの(それ)」と〈自〉と〈感覚-知覚-記憶-想像〉(感知性の領域)の関係についてね。

    〈自〉(意識の原初的自然な固有の領域)No36717は、〈自〉のもつ〈欲望(欲求・価値・要求・資質・衝動)や情〉No36861によって、外界――私の外にある「もの(それ)」――現前(現在)する現実的なもの(現実的な/現にあるもの)――へ志向するのね。
    そして、その「もの(それ)」らは、私の内(意識)で構成された〈もの(それ)〉となるのね

    私の外にある「もの(それ)」は、身体の「感覚器官」を通じて〈感知性〉の領域で〈感覚〉され、それに志向する〈端的な知覚〉によって〈端的に知覚-されたもの〉が構成されるのね。そしてこの〈端的に知覚-されたもの〉のなかには信念があるとすら言えないくて(o)、肯定的に(定立No36141 (v))〈現に“ある”〉ただそれだけの物理的像No36130 (t)のようなものとして見る。

    〈自〉は、〈知覚〉・〈想像〉・〈記憶〉へ志向し、それらが〈自〉のなかに現れるのね。
    ・〈端的な知覚〉は、「現実的な/現にあるもの」が構成されたもの。
    ・〈想像〉は、〈非現実的な/現にないもの〉へ志向し、〈想像-されたもの〉を産出。
    ・〈記憶〉によって提示されているものは、過去にかかわる想起と未来にかかわる予期・期待。
    〈知覚〉は現在化作用、〈想像〉と〈記憶〉は準現在化作用No36191 (w)。
    〈自〉において、「もの(それ)」はつねに、〈端的な知覚〉の現在化に、〈想像〉と〈記憶〉の準現在化をともなう付帯現前(共現在化)No36191 (w)となっているのね。

    通常、〈自〉においては、〈知覚〉と〈想像〉は区別され(切り離され隔てられ(n))ていて、〈自〉においては両者への問いかけ(弁証(p))が行われているのね。そして、〈するもの-想像〉は、現実世界との交通を遮断してNo36191 (w)、〈想像-されるもの〉を絶対的なものにしてる(m)。

    〈自〉が、絶対的なものとなってる〈想像-されるもの〉のうちに傾注している(想像しているとき(n))、
    〈現実的な/現にあるものの知覚〉と〈非現実的な/現にないものである想像的-されるもの〉を切り離している隔たりは消え、通常、〈現実的な/現にあるものの知覚〉とかかわっている私の〈自〉(意識の中心(n))は消える。〈自〉にもたらされた絶対的な〈想像-されるもの〉の光景のなかに身を置かなければならなくなる。(n)
    このように、〈自〉が、絶対的な〈非現実的な/現にないものである想像-されるもの〉のなかに包み込まれている(k)とき――このときでも〈知覚〉の〈感覚現実的な/現にあるもの〉への志向性がなくなったわけじゃなくて、それらも〈端的に知覚-されて〉いるのね――、〈現実的な/現にあるものの-知覚〉と〈非現実的な/現にないものの想像-されるもの〉の区別ができなくなっちゃってるみたいな感じね。絶対的な〈想像-されるもの〉ののなかにいる〈自〉は、両者に問いかける(k)ことなく、確信(b)されることになるのね。

    〈想像-されるもの〉は「知覚」にも影響を及ぼしていて、〈想像-されるもの〉によって、「知覚」に疑似的な感覚(c)(感覚の変様態No36130 (t))が示されて、それは肯定的に〈現にある〉ただそれだけの〈知覚-されたもの〉として構成されちゃうのね。そのようものも〈自〉のなかに現れてる。このように、〈想像的なもの〉が確信となっている〈自〉にとって、〈想像-されるもの〉によって、“あざむかれる”とも言えるんだけど、一方、〈想像-すること〉は、「現実的なもの」にとらわれることなく、そこから解放された、〈自〉の自由の現れでもある(m)(って、メルポンは見てる)。

    〈自〉にとって、現実の価値が下げられ(k)、現実的なものへのよりどころが失われるようになると(m)と、〈自〉の外界への志向性は低下して、〈現実的な/現にあるものの端的な知覚〉への志向性より、〈非現実的な/現にないものの想像-されるもの〉への志向性がより強まって、現実の世界のなかで生きることをやめて、想像の世界で生きるようになっちゃたのが「幻覚にとらわれてる人」なのかもしれない、って。

    こういうのって、程度もあるとも思うし、いつも、ってうことじゃないと思う。

    No36016のメルポンのから、わたしにこんなようなのが思われたんだけど、「幻覚」っていうの、人のもつ一つの能力、「想像力」によるものなのかもしれない。そして「幻覚」っていうの、〈考知性〉――物事を正しく理解し判断する能力である認識――の領域に問題があるんじゃなくて、〈感知性〉の領域にそのもとが潜んでるように思えるのね。

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■37025 / inTopicNo.17)  Re[82]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/06(Sat) 12:18:45)
    No37024のような次第で、わたし今、【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の「第5省察」に関心が移ってきてるので、つぎのわたしの物語りをこれしようと思ってる。
    で、
    今回のわたしの物語り、メルポンの、
    No36016から、わたしに思われたのをそろそろまとめて置くことにする。
    わたしの想像-されるものは非定立のまま保持されながらも。

    まとめたの、次に書くね。

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■37024 / inTopicNo.18)  Re[81]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/06(Sat) 12:12:57)
    今回のわたしの物語り、メルポンの、
    No36016をわたしに見えるようにしよっ、が始まりで、
    No36015のような資料を参考しながら、
    No36984まで来たんだけど、
    「現在化/準現在化/共現在化」と「統覚」と「付帯現前」の関係で、
    わたし、「共現在化」や「統覚」や「付帯現前」っていうのを同じようなこととして見たのね。

    わたしの、振り返って、
    No36234で見たように、
    「共現在化」っていうのを、〈現在化と準現在化が一体となっているもの〉って、わたししたなかで、
    わたしので簡単に言うと、
    〈端的な知覚〉に〈記憶や想像によるもの〉が付帯したものを「共現在化」とか「統覚」とか言ってる。
    ってして見てる。

    〈端的な知覚〉ってわたしが呼んでるのは、
    No36957からで、これを「現在化」のことして、「現在(現前)にある現実的なもの」が〈知覚-されたもの〉、〈現実的な/現にあるものの知覚〉のこと、メルポンの言い方では『現実的なものの知覚』で、物理的像みたいのなの。

    〈記憶や想像によるもの〉は、「準現在化」のこととして、とくに想像については、〈非現実的な/現にない想像-されるもの〉。

    そして、〈端的な知覚〉や〈想像〉の性格を、
    No36835のようなものとして見たのね。

    こんなようなことや、想像と情緒の関係、そして〈自〉との関係も見てきたんだけど。

    「共現在化」≒「統覚」ってしていい?って思って、ネットで「現在化/準現在化/共現在化と統覚」で検索したら、
    No36984でちょっと書いたけど、「フッサールの他我構成論批判/小林秀樹」(資料11) 7 (1).pdf
    っていうのがたまたまあって、今これ読んでるんだけど、これって、
    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の、
    「第五省察 超越論的な存在の場をモナドの間主観性としてあらわにする」
    のことについて書いてあるみたいなのね。第五省察は、
    「第42節 独我論という非難に対抗して、他者経験の問題を呈示する」
    から始まってる。
    (資料11)を参照にしながら、この「第五省察」を読み返してるところ。
    これ、「他者」や「私」、そして「間主観性」っていう現象学における見方・考え方のお話しなんだとわたし思ってるんだけど、かなり長くなりそう。

    今回のわたしの物語りで、メルポンの、
    No36016のなかにある『幻覚』『狂人の虚言』『幻想』『妄想』って言うのをメルポンはどう見てるのかな?っていうのがわたしのなかにあって、(k)にあるように、『想像的なものの源泉が情緒にあること、また夢や幻覚という現象が新たなかたちで解明されることが理解できます』って言ってるように、ここんところをわたしなりに見たのをまとめとしようと思ってたんだけど。

    話題が横道にそれるかもだけど、な〜んか結びつけられそうな感じがしてる。

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■37009 / inTopicNo.19)  Re[80]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/04(Thu) 19:24:20)
    田秋さん、勉強になります。ありがと。


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■37006 / inTopicNo.20)  Re[79]: つれづれなるままに
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/03(Wed) 20:25:33)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    >ドイツ語と英語で表現できるなんて、田秋さん、さっすが〜!
    権威あるどっかから引っ張ってきた文章で、ボクの作じゃあっりません。自作を載せるほど自信家じゃあないよ〜。

    日本語は主語がない文章って普通にありますが、英語やドイツ語では主語がない場合は命令形になってしまいどうしても主語が必要らしいです。こういうところは日本語は融通が利いていいよね。あと語順も日本語はかなり自由が利くけれど、英独は厳格です。
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■37004 / inTopicNo.21)  Re[78]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/03(Wed) 18:09:43)
    No36999、分かりました。ありがとございま〜す。

    ドイツ語と英語で表現できるなんて、田秋さん、さっすが〜!
    (わたしなんか日本国から出たことないからなんかすごいと思う。マジで)

    主語は、Ich(独?)、I(英?)、日本語で「私?」ではないみたいね、ウィットちゃん。




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■36999 / inTopicNo.22)  Re[77]: つれづれなるままに
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/02(Tue) 22:41:37)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    「語りえぬものについては、沈黙せねばならない]

    ドイツ語
    Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

    英語
    What we cannot speak about we must pass over in silence.

    このman(独)やwe(英)は総称人称代名詞(不特定の人を指す人称代名詞)で、これが主語です。

    無理やり日本語に訳すと「人は」、「我々は」になると思います。
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■36998 / inTopicNo.23)  Re[76]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/02(Tue) 20:05:06)
    そこはかとなく、

    【ウィットゲンシュタイン著『論理哲学論考』1921矢野茂樹訳/岩波書店/2003】の、
    7「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」
    の「主語」は「語りえぬもの」でいいのかしら?

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■36984 / inTopicNo.24)  Re[75]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/31(Sun) 16:16:24)
    No36979に追加して、

    日本語の「付帯現前」(独)Apprasenzなんだけど、
    こういう言い方からすると、「共現在(現前)」や「統覚」のこと、ってして見てもいいかな、とも思ってる。

    「現在(現前)に関わる知覚」(わたしの言う〈端的な知覚〉)に〈想像・記憶によるもの〉が付帯してる、っていうような意味として見るとね。

    たまたまネットで「フッサールの他我構成論批判―小林秀樹」っていうのがあったので、読んで見てるところなんだけど、
    〔私ではない他の自我を「共に現前させる作用」をフッサールは「付帯現前化Apprasentation)と呼ぶ〕っていうのがあった。「共現在化」と「共現前」はなんか微妙に違うのかも?って思われてきた。これ、「自と他」の発生の問題になってくるから、ここんところはまた後で見てくことにしよっかな、って思ってる。

    いま見てる現象学の「現在化/準現在化/共現在化」や「統覚」っていうの、「受動的総合」(わたし、これ〈感知性〉の領域って呼んでるんだけど)でのことについてで、「能動的総合」(わたしのいう〈考知性〉)のことについてじゃなくてよ。
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