| ここでちょっとわたしの用語、整えておく(自分でも分かんなくなっちゃうことあるから)。 現象学の意識の志向性っていうことから、「想像」って言うとき、次のよに分けてる。 ・〈するもの-想像〉 ・〈想像-すること〉――ノエシス/想像の作用 ・〈想像-されるもの〉――ノエマ/想像の対象 ・〈想像-されたもの〉――想像の内容 「現前」「現在」「現実」←これらをまとめて〈現〉 「現実的なもの」=〈現にあるもの〉=〈端的な知覚-されてるもの〉 「非現実的なもの」=〈現にないもの〉=〈想像-されるもの〉 〈自〉=意識の原初的自然な固有の領分
No36755のつづきね
@『イメージのなかでわれわれがもつ信念』 『イメージ』を、「想像」のなかの〈想像-されるもの〉=〈非現実的なもの/現にないもの〉ってして、 『われわれ』を、〈自〉ってすると、 →《〈非現実的なもの/現にないもの〉のなかで〈自〉がもつ信念》
A『想像的なものによって、私は絶対的なものとかかわることになります。』 『想像的なもの』を、「想像」の〈想像-されるもの〉=〈非現実的なもの/現にないもの〉ってして、 『私』っていうのを、〈自〉ってすると、 →(A-A) 《〈非現実的なもの/現にないもの〉によって、〈自〉は絶対的なものとかかわることになります。》
B『想像する力は、あざむく力であると同時に、意識(1)の自由の現れです。意識(2)は、想像的なものによってわれわれ(3)を現在から解放してくれますが、それは諸事物の外で自ら(4)を非現実化する力なのです。』 (1),(2)の『意識』、(3)の『われわれ』、(4)の『自ら』を、〈自〉ってして、 『想像的なもの』を、「想像」の〈想像-されるもの〉=〈非現実的なもの/現にないもの〉ってして、 『諸事物』っていうのを、私の外にある現前(現在)する現実的な「もの(それ)」ってして、 →(B-A) 《想像する力は、あざむく力であると同時に、〈自〉の自由の現れです。〈自〉は、〈非現実的なもの/現にないもの〉によって〈自〉を現在から解放してくれますが、それは「もの(それ)」の外で〈自〉を非現実化する力なのです。》
C『想像しているとき、私(1)は、知覚した諸対象を切り離している隔たりを消します、私の意識の中心(2)は消えます。』 『意識(3)は諸対象の世界で生きるのをやめ、自分(4)にもたらされた光景の中に身を「置かなければ」ならないのです。』 (1)の『私』、(2)の『意識の中心』、(3)の『意識』、(4)の『自分』を、〈自〉ってして、 『諸対象』を、〈知覚-されたもの〉=〈現実的なもの/現にあるもの〉ってして、 →(C-A)《想像しているとき、〈自〉は、知覚した〈現実的なもの/現にあるもの〉を切り離している隔たりを消します、私の〈自〉は消えます。》 《〈自〉は〈現実的なもの/現にあるもの〉の世界で生きるのをやめ、〈自〉にもたらされた光景の中に身を置かなければならないのです。》
D『われわれが本当に信じているのは想像的なものです』 『われわれ』っていうのを〈自〉ってして、 『想像的なもの』を、「想像」の〈想像-されるもの〉=〈非現実的なもの/現にないもの〉ってして、 →(D-A) 《〈自〉が本当に信じているのは〈非現実的なもの/現にないもの〉です》
わたしメルポンのを、こんなふうにして見た。
つづく
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