■36512 / ) |
Re[24]: つれづれなるままに
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/11(Sun) 16:45:56)
| わたしの区別の仕方、 No36507のようなのから、
今回のわたしの物語りのメインテーマ、 No36016を見てくことにする。
(a)『イメージは弱体化した知覚ではありません。それは「観察され」うるものではないのです。』
この『イメージ』っていうのを『想像的なもの』〈想像的イメージ〉のことってして見た。 この『知覚』を、〈端的な知覚〉ってして見た。 〈知覚されてるもの〉(=単一な「もの(それ)」の全体的なイメージ(感じ)=共現在化)、って見るのはちょっと違うと思う。
『「観察され」うるものではない』っていうところ、(l)にも、『イメージは、決して観察可能ではない』ってある。この『イメージ』も『想像的なもの』〈想像的イメージ〉のことってしてもよさそう。そして、『イメージは、決して観察可能ではないという点で、知覚とは区別されます。』ってある。これ、わたしので見ると「〈想像的イメージ〉は、決して観察可能ではないという点で、〈端的な知覚〉とは区別されます。」ってなる。
わたし、〈端的な知覚-されるもの〉を「現実的なもの」(現にあるもの)ってしてるから、「現実的なもの」っていうのは観察可能だから、それに比べて観察可能ではない〈想像的イメージ〉とは区別される。こんなことをメルポンは言ってるのかな。
でもね、ちょと考えて見たのね。『観察可能ではない』っていうの、〈見ることができない〉、っていうことだと思うんだけど、〈想像-されたもの〉って、それを表現することによって、〈見ることができる〉ようになるよね。ってすると〜、この『イメージ』っていうの、『想像的なもの(想像的イメージ)』のうち、〈想像-されるもの〉(想像の対象)=非現実的なもの(現にないもの)のことを指してるんじゃないかしら、って。 こういうのから、(a)、わたしの見方は、
(a-A)〈想像-されるもの(現にないもの)〉は弱体化した〈端的な知覚〉ではありません。それは〈見えるもの〉ではないのです。
みたいな感じになるかな。
|
|