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■36746 / inTopicNo.49)  Re[52]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/08(Fri) 18:36:39)
    No36717のつづきする。
    〈自〉が登場してると思われるところを、
    No36016の(l)〜(p)の中から抜き出して見たよ。

    (m)から、
    @『イメージのなかでわれわれがもつ信念』
    A『想像的なものによって、私は絶対的なものとかかわることになります。』
    B『想像する力は、あざむく力であると同時に、意識の自由の現れです。意識は、想像的なものによってわれわれを現在
    から解放してくれますが、それは諸事物の外で自らを非現実化する力なのです。』

    No36575で再掲した
    (n)から、
    C『想像しているとき、私は、知覚した諸対象を切り離している隔たりを消します、私の意識の中心は消えます。』
    『意識は諸対象の世界で生きるのをやめ、自分にもたらされた光景の中に身を「置かなければ」ならないのです。』

    (o)から、
    D『われわれが本当に信じているのは想像的なものです』
    E『推測的で両義的な部分』
    F『共通の両義性』
    G『混合領域』
    H『両義的領域』

    No36063で再掲した
    (p)から、
    I『想像的なものと現実的なものとのあいだ』この『二つの領域のあいだ』

    わたしの〈自〉の自由の現れ、と同時に、非現実化になるのかな。

    つづく〜

引用返信/返信 削除キー/
■36720 / inTopicNo.50)  Re[51]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/04(Mon) 19:03:05)
    「死」がハッピーエンドだったいいのにね。

    あ、ハッピーエンドの「死」って言ってるんじゃないからね。


引用返信/返信 削除キー/
■36717 / inTopicNo.51)  Re[50]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/03(Sun) 18:31:17)
    No36709のつづき
    〈自〉についてね
    もうだいぶ前に書いたから、それ探し出すの大変だった(探し出したところ、あってるかちょっと不安だけど)。

    No33644で描いて見たような〈自〉ね。

    この〈自〉っていうの、【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の〔第50節他者経験は、「共現在」(類比による統覚)として、間接的な志向性をもつ〕のなかに、『私の原初的な固有領分の内部で構成された私自身』(p198)っていうのがあるのね。こういうのから、わたし、意識のなかには〈原初的自然な固有の領分〉みたいなのがある、ってして見て、それに〈自〉って名づけたのね。
    〈固有の〉っていうのは、〈このわたしの〉とか〈そのひとの〉っていうような、その人固有の、っていう意味でね。

    そして、ラカンの鏡像段階を見たとき、わたし思った、
    No31867で見たような、
    赤ちゃんは大きくなるにしたがって、〈自〉(意識の原初的自然な固有の領分)は分化していく、ってして、分化した〈自〉を〈自分〉って呼ぶことにしたのね(いわゆる大人になった意識ね)。

    何か“そのようなもの”がある、って思ったとき、“それ”に名前をつけると、より分かりやすくなる感じ。
    No27469だったかな?メルポンのをちょっと想い出してる。

引用返信/返信 削除キー/
■36709 / inTopicNo.52)  Re[49]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/03(Sun) 16:34:25)
    いま、
    No36016のメルポンの(a)〜(p)を見てるところなんだけど、

    No36681で、〈情〉(情動・感情・情緒)、そして「対象」・〈知覚〉・〈想像〉・〈情〉の関係がわたしのうちでなんとなく出来てきたところで、
    いよいよ(l)〜(p)のところを見ていくんだけど、
    その前に、現象学のから、これまでにわたしに思われたのを簡単に振り返って見る。

    No36289の(qs)にあるように、現象学では、
    〔想像を知覚と認識の中間に位置づけたりせず、知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象、つまり像あるいはイメージと見なした。〕
    ということから、わたしのばあい、
    この〔知覚〕っていうのを〈端的な知覚〉ってして、〔想像〕と区別して見た。
    この〔認識〕っていうのは〈物事を正しく理解し判断する〉っていう〈認識〉こととして、〈考知性〉の領分ってして、
    現象学で〔知覚と並び知覚にどこまでも近い〕ってしてる〔想像〕と、〈端的な知覚〉の両方を、〈感知性〉の領分ってして見た。
    で、いまのわたしのテーマは、〈考知性〉じゃななくて、〈感知性〉の方ね。

    現象学では、〔知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの〈想像〉〕ってしてることから、現象学で「知覚」って言うなかに、〈想像〉を含めてる場合もあるんじゃないかしら?ってわたし思ったのね。
    たとえば、
    No36130の(u)の〔想像とは存在定立の排去を自然に遂行された知覚のこと〕みたいに、「想像とは・・・・知覚のこと」ってしてたり、
    No36016の(o)の『現実的なものの知覚』っていうように、わざわざ『現実的なものの』っていうのを知覚に付けてるようなのを見たなかでね。
    ここんとこを気をつけて見るために、
    No36507のような分け方をして見た。

    No36425で、
    〔想像について語れば、その想像・像は意識内容ではなく、志向的対象〕(qs)を、
    「想像について語れば、その想像・像は意識の内容ではなく、意識の対象」(A-qs)ってわたしして見て、
    この〔意識〕っていうの、ひょっとしたら〔想像〕っていう意識のことじゃなくて、〈別の意識〉のこと指してるのかも?って思って、
    この〈別の意識〉っていうのを、わたしが〈自〉って名づけた意識のある領域ってしてみたらどうかしら?って。
    この〈自〉を使って(A-qs)を言いかえると、
    「想像について語れば、その想像・像は〈自〉の内容ではなく、〈自〉の対象」
    ってなるのね。

    わたし前から意識の分節の仕方で、〈感覚〉〈知覚〉〈想像〉〈記憶〉〈思考〉っていうのとは別のもう一つの意識のある領分を想像してて、それに〈自〉って名前をつけて見てる、っていうことになるのかな。
    で、わたしの言う〈自〉っていうのを次に書いとく。

引用返信/返信 削除キー/
■36681 / inTopicNo.53)  Re[48]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/01(Fri) 18:30:13)
    No36655で、
    (h-A)〔〈情〉は、「疑似-現前させる」〈想像〉を使って(という仕方で)、私の外にある「もの(それ)」(「対象」)を捉えてる。〕
    ってして見たんだけど、もう一度見直して見たよ。
    これ、意識の志向性っていうのから言い変えて、
    (h-A-1)〔〈するもの-情〉は、〈想像-すること〉(疑似-現前させる)という仕方で、「対象」を捉えてる。〕
    ・・・・・・〔捉えてる〕ってして見たけど、これでいいのかな?って。
    〈知覚〉を仲間入りさせて、「対象」と〈知覚〉と〈想像〉と〈情〉の関係で見て見ることにした。
    「対象」っていうの、〔私の外にある「もの(それ)」〕ってして、簡単に「それ」って表現することもあるよ。

    No36016の(j)に、『たとえば怒りのなかで問題の直接解決を探しますが、解決できないのでその問題を抹消し否定しようとする』とか『敵を説得できないとき、われわれは激怒のうちに敵を仮想的に破壊します』とか『私に対して解決されます』ってある。
    これ見て見た。

    〔〈情〉の発動〕っていうのあると思う。「それ」に〈情〉が発動する、っていうこと。これ、発動しない場合もある、っていうこと。〈情〉が発動しない場合、「それ」は〈情〉にとっては志向的「対象」となっていない、って見ることもできるかな。こういうのもちょっと考えといて。

    意識のなかで、〈情〉の〈対象〉は〈知覚-されたもの〉、ってする。
    私の外にある「それ」−―現前(現在)するもの/現実的なもの――が、意識のなかで構成されたもの――〈知覚-されたもの〉を〈それ〉って表現して区別するね。
    〈するもの-情〉は、〈知覚-されたもの〉へ志向し、〈それ〉が〈情〉を発動させるものとなってるとき、〈情-されたも〉(情の内容)が出て来るのね(たとえば喜怒哀楽って呼ばれてるもの)。こういう〈情-すること〉(情の作用)がある、ってする。

    (j)では、この先のことを言ってるのかも。
    で、(j)を次のように見た。
    (A-j)私の外にある「それ」は〈知覚-されたもの〉となり、〈情〉はそれを参照にして、〈怒り〉という〈情-されたもの〉が発動され(感じられ)たとき、私のうちで発生した〈怒り〉を鎮める(直接解決)しようとするとき、でも、それが解決できないとき、私の内で発生した〈怒り〉を仮想的に破壊する。こういうふうにして『私に対して解決されます』。
    って。
    「それ」に〈怒り〉を感じているのは「私」なんだけど、その怒りを「それ」に向けて「それ」を破壊する場合もあるかもけど、(j)の場合、それができない場合なのかな。

    こう見たとき、
    (h-A-1)の〔「対象」を捉えてる〕っていうよりか、〔かかわってる〕ってした方がいいかな。
    で、
    (h-A-2)〈するもの-情〉は、〈想像-すること〉(疑似-現前させる)という仕方で、「対象」にかかわってる。
    ってなった。
    そして、
    (h-A-3)〈情〉は、〈想像〉を携えてる。
    ともして見た。

    簡単にまとめると、
    (A-h)〈情-すること〉(情の作用)には、
    @〈するもの-情〉は、〈知覚-されたもの〉を参照にして、〈情-されたもの〉を発動する。
    A〈するもの-情〉は、携えてる〈想像〉の〈疑似-現前化させる〉働きを使って、〈情-されたもの〉に志向して対処している。
    この2つの働きがある、って見た。

    Aのように見ることによって、
    (h)の『感情とは、対象を志向し、それを疑似−現前させる方法のこと』
    っていうのが見えてくるような〜?
    いずれにしても、
    (k)『想像的なものの源泉が情緒にある』
    っていうことからは、意識において、〈想像〉は〈情〉ではないっていうこと、そして、〈想像〉と〈情〉は区別して見るっていうことは、言えるかも?

引用返信/返信 削除キー/
■36672 / inTopicNo.54)  Re[47]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/27(Tue) 19:03:48)
    ある国会議員さんを殺した人、日本国の法ではどうなってってるのかしら?

引用返信/返信 削除キー/
■36671 / inTopicNo.55)  Re[46]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/27(Tue) 18:55:58)
    選挙で、投票率が50%以下のなかで、当選した人の主張って、
    民意を表しているのかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■36662 / inTopicNo.56)  Re[45]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/26(Mon) 18:57:43)
    そこはかとなく、

    前からちょっと思ってたんだけど、
    ニークラに、フーコー論者みたいな人がが登場しないのはどうしてなのかな〜、って。
引用返信/返信 削除キー/
■36655 / inTopicNo.57)  Re[44]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/25(Sun) 16:03:37)
    No36634のつづき

    〈情〉と〈想像〉の関係なんだけど、いろいろ考えて見た。

    (k)『想像的なものの源泉が情緒にある』。(h)『こうした見方をするなら、感情とは、対象を志向し、それを疑似−現前させる方法のことです。』
    ってして見た。
    『疑似−現前』っていうの、「準現在化」のことかな。
    そして、
    (h)に、
    『情動性は、もはや「状態」ではなく、「志向の仕方」ないしは志向性によって定義されうるのです』
    ってある。『定義されうる』っていうのはどうかと思うけど、
    これ、
    (h-1)「情動性は志向の仕方」
    って見た。

    ・@〈想像〉は、『疑似-現前させる』(準現在化させる)。
    ・A〈情〉は〈想像〉の源泉。
    ってするよ。

    でね、
    (h-1)「情動性は志向の仕方」ってなんかヘン。 これ、どう見たらいいのかな?・・・・なんか抜けてる?
    「〈情〉は○○への志向の仕方」かな?ってしたとき「○○」に入るのはなに?で、たぶん〔私の外にある「もの(それ)」――現前(現在)する現実的なもの。ってすると、「〈情〉は、現前(現在)する現実的なものへの志向の仕方」ってなる。ん〜ん、これならヘンじゃないかな?ってすると、「〈情〉は志向の仕方」を「〈情〉の志向の仕方」って見てもいいかな?
    ってすると〜、その仕方はどのようにして?ってなってくる。
    で、
    〈情〉が〈想像〉の源泉となってるわけだから、〈情〉を主体にして、

    (h-A)〈情〉は、「疑似-現前させる」〈想像〉を使って(という仕方で)、私の外にある「もの(それ)」(「対象」)を捉えてる。

    ってして見た。
    だいぶ歪曲してる?・・・・いいのよ、わたしの物語りは、メルポンのを正しく解説することじゃなくて、メルポンに倣ってだけど、それは見方の方向まででであって、それを手がかりにして、わたしの見方をつくりだすことだから。

    意識のうちの一つに〈情〉がある、ってして、
    No36619で、〈情〉を〈感じること〉ってして、〈感知性〉の領域に入るのかな?
    って思ったんだけど、〈感知性の領域〉じゃない別のところに置いて見よっかな?って。
    〈情〉の居場所、どこにしよっかな〜?っていうのもわたしには浮かんできてる。

    〈情〉について、そして〈情〉と〈想像〉との関係は、だいたいこんな感じに見とく。

    (k)には、『幻覚にとらわれた人』のことについても書いてあるけど、こういうのは後にする。

引用返信/返信 削除キー/
■36637 / inTopicNo.58)  Re[43]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/24(Sat) 20:01:05)
    神が受肉したその肉の名前がキリスト。
引用返信/返信 削除キー/
■36636 / inTopicNo.59)  Re[42]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/24(Sat) 19:56:09)
    主体客体っていう見方、あると思うけど、
    主観客観っていう見方はありえないと思う。
引用返信/返信 削除キー/
■36634 / inTopicNo.60)  Re[41]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/24(Sat) 15:57:41)
    No36619のつづき、

    わたし、〈情〉っていうの、原初的に〈快と不快〉、って見てたけど、これも〈情(感じ)-されたもの〉について見てたのかも。

    〈情〉と〈想像〉の関係なんだけど、
    (k)に、
    『想像的なものの源泉が情緒にある』
    って、メルポンは見てるみたい。

    「源泉」を「物事が発生してくるもと」ってして、
    〈想像〉っていう意識の領分と〈情〉っていう意識の領分があるってして、
    (h)に、『情動性は、・・・・志向性』ってあるから、
    これらを簡単にまとめて、
    (k-A)意識のなかに〈想像〉と〈情〉を区別して、それぞれに志向性があって、〈想像〉が発生してくもとが〈情〉。
    ひとまずこう見とく。

    〈情〉については、
    (i)『情緒は諸事物の把握である』
    (k)『情緒とは存在の仕方のこと』
    ってある。
    これ、わたしのばあい、
    (i-A)私の外にある「もの(それ)」を捉える、その仕方として、〈情〉っていうのがある。
    (k-A)〈情〉は、私の外にある「もの(それ)」の、私の内で、「それ」のひとつの存在の仕方のこと。
    って、こんなふうに見た。
    たとえば、
    「チョコレートをあげる、チョコレートをもらう」っていう事、そこには、〈嬉しい〉っていう〈情〉があって、その〈情〉によって「その行為」が存在している、みたいな感じ。
    もっとも、わたしのばあい、双方に、“ギリチョコ”だけどね。
    マジの人のばあい、「お返しがもらえなかった」ら、〈悲しみ〉だったりするのかも。このばあいでも〈悲しみ〉っていう〈情〉によって「それ」は存在している、みたいな?

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