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Re[41]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/24(Sat) 15:57:41)
| No36619のつづき、
わたし、〈情〉っていうの、原初的に〈快と不快〉、って見てたけど、これも〈情(感じ)-されたもの〉について見てたのかも。
〈情〉と〈想像〉の関係なんだけど、 (k)に、 『想像的なものの源泉が情緒にある』 って、メルポンは見てるみたい。
「源泉」を「物事が発生してくるもと」ってして、 〈想像〉っていう意識の領分と〈情〉っていう意識の領分があるってして、 (h)に、『情動性は、・・・・志向性』ってあるから、 これらを簡単にまとめて、 (k-A)意識のなかに〈想像〉と〈情〉を区別して、それぞれに志向性があって、〈想像〉が発生してくもとが〈情〉。 ひとまずこう見とく。
〈情〉については、 (i)『情緒は諸事物の把握である』 (k)『情緒とは存在の仕方のこと』 ってある。 これ、わたしのばあい、 (i-A)私の外にある「もの(それ)」を捉える、その仕方として、〈情〉っていうのがある。 (k-A)〈情〉は、私の外にある「もの(それ)」の、私の内で、「それ」のひとつの存在の仕方のこと。 って、こんなふうに見た。 たとえば、 「チョコレートをあげる、チョコレートをもらう」っていう事、そこには、〈嬉しい〉っていう〈情〉があって、その〈情〉によって「その行為」が存在している、みたいな感じ。 もっとも、わたしのばあい、双方に、“ギリチョコ”だけどね。 マジの人のばあい、「お返しがもらえなかった」ら、〈悲しみ〉だったりするのかも。このばあいでも〈悲しみ〉っていう〈情〉によって「それ」は存在している、みたいな?
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