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Re[49]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/03(Sun) 16:34:25)
| いま、 No36016のメルポンの(a)〜(p)を見てるところなんだけど、
No36681で、〈情〉(情動・感情・情緒)、そして「対象」・〈知覚〉・〈想像〉・〈情〉の関係がわたしのうちでなんとなく出来てきたところで、 いよいよ(l)〜(p)のところを見ていくんだけど、 その前に、現象学のから、これまでにわたしに思われたのを簡単に振り返って見る。
No36289の(qs)にあるように、現象学では、 〔想像を知覚と認識の中間に位置づけたりせず、知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象、つまり像あるいはイメージと見なした。〕 ということから、わたしのばあい、 この〔知覚〕っていうのを〈端的な知覚〉ってして、〔想像〕と区別して見た。 この〔認識〕っていうのは〈物事を正しく理解し判断する〉っていう〈認識〉こととして、〈考知性〉の領分ってして、 現象学で〔知覚と並び知覚にどこまでも近い〕ってしてる〔想像〕と、〈端的な知覚〉の両方を、〈感知性〉の領分ってして見た。 で、いまのわたしのテーマは、〈考知性〉じゃななくて、〈感知性〉の方ね。
現象学では、〔知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの〈想像〉〕ってしてることから、現象学で「知覚」って言うなかに、〈想像〉を含めてる場合もあるんじゃないかしら?ってわたし思ったのね。 たとえば、 No36130の(u)の〔想像とは存在定立の排去を自然に遂行された知覚のこと〕みたいに、「想像とは・・・・知覚のこと」ってしてたり、 No36016の(o)の『現実的なものの知覚』っていうように、わざわざ『現実的なものの』っていうのを知覚に付けてるようなのを見たなかでね。 ここんとこを気をつけて見るために、 No36507のような分け方をして見た。
No36425で、 〔想像について語れば、その想像・像は意識内容ではなく、志向的対象〕(qs)を、 「想像について語れば、その想像・像は意識の内容ではなく、意識の対象」(A-qs)ってわたしして見て、 この〔意識〕っていうの、ひょっとしたら〔想像〕っていう意識のことじゃなくて、〈別の意識〉のこと指してるのかも?って思って、 この〈別の意識〉っていうのを、わたしが〈自〉って名づけた意識のある領域ってしてみたらどうかしら?って。 この〈自〉を使って(A-qs)を言いかえると、 「想像について語れば、その想像・像は〈自〉の内容ではなく、〈自〉の対象」 ってなるのね。
わたし前から意識の分節の仕方で、〈感覚〉〈知覚〉〈想像〉〈記憶〉〈思考〉っていうのとは別のもう一つの意識のある領分を想像してて、それに〈自〉って名前をつけて見てる、っていうことになるのかな。 で、わたしの言う〈自〉っていうのを次に書いとく。
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