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Re[44]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/02/25(Sun) 16:03:37)
| No36634のつづき
〈情〉と〈想像〉の関係なんだけど、いろいろ考えて見た。
(k)『想像的なものの源泉が情緒にある』。(h)『こうした見方をするなら、感情とは、対象を志向し、それを疑似−現前させる方法のことです。』 ってして見た。 『疑似−現前』っていうの、「準現在化」のことかな。 そして、 (h)に、 『情動性は、もはや「状態」ではなく、「志向の仕方」ないしは志向性によって定義されうるのです』 ってある。『定義されうる』っていうのはどうかと思うけど、 これ、 (h-1)「情動性は志向の仕方」 って見た。
・@〈想像〉は、『疑似-現前させる』(準現在化させる)。 ・A〈情〉は〈想像〉の源泉。 ってするよ。
でね、 (h-1)「情動性は志向の仕方」ってなんかヘン。 これ、どう見たらいいのかな?・・・・なんか抜けてる? 「〈情〉は○○への志向の仕方」かな?ってしたとき「○○」に入るのはなに?で、たぶん〔私の外にある「もの(それ)」――現前(現在)する現実的なもの。ってすると、「〈情〉は、現前(現在)する現実的なものへの志向の仕方」ってなる。ん〜ん、これならヘンじゃないかな?ってすると、「〈情〉は志向の仕方」を「〈情〉の志向の仕方」って見てもいいかな? ってすると〜、その仕方はどのようにして?ってなってくる。 で、 〈情〉が〈想像〉の源泉となってるわけだから、〈情〉を主体にして、
(h-A)〈情〉は、「疑似-現前させる」〈想像〉を使って(という仕方で)、私の外にある「もの(それ)」(「対象」)を捉えてる。
ってして見た。 だいぶ歪曲してる?・・・・いいのよ、わたしの物語りは、メルポンのを正しく解説することじゃなくて、メルポンに倣ってだけど、それは見方の方向まででであって、それを手がかりにして、わたしの見方をつくりだすことだから。
意識のうちの一つに〈情〉がある、ってして、 No36619で、〈情〉を〈感じること〉ってして、〈感知性〉の領域に入るのかな? って思ったんだけど、〈感知性の領域〉じゃない別のところに置いて見よっかな?って。 〈情〉の居場所、どこにしよっかな〜?っていうのもわたしには浮かんできてる。
〈情〉について、そして〈情〉と〈想像〉との関係は、だいたいこんな感じに見とく。
(k)には、『幻覚にとらわれた人』のことについても書いてあるけど、こういうのは後にする。
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