| しばらく、 No36093、 No36172、 で見たようなの、 〔想像について語れば、その想像・像は意識内容ではなく、志向的対象であり、〕 これについて、何度も考えてる。 ひとまず、これが書いてあるところを再掲しておく。
【「現象学事典」弘文堂2014】の「想像」っていうところに書いてあるの。
(q,s)〔フッサールは師ブレンターノを、意識はいつも「〜についての意識」であること、つまり意識の志向性を発見した点において賞揚したが、想像もまた知覚に劣らず志向的意識であると考えた。想像を知覚と認識の中間に位置づけたりせず、知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象、つまり像あるいはイメージと見なした。 [もともとブレンターノにあっては想像も知覚も表象作用としては同じでありながら、ただ表象されたもの(内容)において差異が現れるというのである。その際、表象されたものとしての表象内容と表象対象とが混同された結果、前者の意識内在性、後者の意識超越性という区別が看過された。フッサールはこの点でブレンターノを批判する。] 想像について語れば、その想像・像は意識内容ではなく、志向的対象であり、意識に超越し、意識がそれを思念し、それを狙う対象である。意識作用は一様ないしは同じであるのではなく、表象には表象作用が、想像には想像作用が対応するはずである。この作用−対象、あるいはノエシス−ノエマの相関構造が想像においても貫けれている。〕 ([ ]内は前に書き写すの省いたところね。)
No36070で見たようなのから、これをもう一度見直してるところ。 もうちょっとすっきり表現できるようになってから、後で発表しようかな?って思ってる。
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