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■37117 / inTopicNo.97)  Re[94]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/14(Sun) 21:15:00)
    ついでに、
    「党」っていうのネットで調べら、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    精選版 日本国語大辞典
    @ 郷里や利害、主義主張、信仰、学問などで、共通するところのある人々が集団をつくること。また、その集団。なかま。ともがら。
    A 血縁につながる人々の集まり。身寄り。縁者。
    B 家格や身分が同列であるものを一括するときの呼称。
    C 大勢の人々でつくる群れ。集団。
    D 平安末・中世、武士が結成した連合体。
    E 政治上の主義・主張を同じくする人々の団体、結社。政党。
    〘自サ変〙
    @ 仲間にはいって親しく交わる。仲間となる。くみする。
    A 人におもねりつく。へつらう。
    B かたよる。偏する。→不偏不党。
    C 互いに助け合って非をかくす。かばい合う。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    みたい。


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■37143 / inTopicNo.98)  Re[95]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/19(Fri) 19:24:25)
    そこはかとなく、

    難病になった超科学者?

    難病になったから超科学者?
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■37151 / inTopicNo.99)  Re[96]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/20(Sat) 17:39:34)
    No37109の(3)〜(7)、読み終わったんだけど、

    (7)は、ブレンターノの考えとフッサールの考えの違いみたいなのが書かれてあるようで、いまのわたしの関心事じゃなかった。

    (1)の『デカルト的省察』を読んで、よく分かんなかったのが「超越論的」と「モナド」っていうの。
    資料の中からなんか見えてきたのあるから、ちょっとそこんとこ書いとく。

    わたしの次の物語りのテーマどうしよっかな〜?、っていうところなんだけど。

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■37152 / inTopicNo.100)  Re[97]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/20(Sat) 17:44:32)
    ■37151のつづき
    まず、「超越論的」っていう語ね。
    これって、カントの用語みたいで、でも、フッサールのその使い方(意味)、な〜んかカントのとは違う感じがしてた。

    No37109の(3)の中に、
    「〈純粋(超越論的)自我〉」って書いてあるのね。
    あ〜、フッサールのいう「超越論的」っていうの、「純粋」っていうことだったのね、って。
    (5)の中にも、「純粋自我」っていうのが出てきてる。

    わたしが得た、カントの言う「超越論的」っていうの、次に書いとくね。

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■37154 / inTopicNo.101)  Re[98]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/20(Sat) 17:54:13)
    No37152のつづきね。

    前にも書いたと思うけど、
    中島義道さんのからなんだけど、

    ・・・・・・・・・
    「純粋」は、カントの場合、経験的(empirisch)ではないという否定的意味が基本であるが、積極的に理性だけからという意味を担って「根源的」と言い換えられることもある。例えば「純粋統覚」とはいかなる経験的なものも含まない統覚であるが、「超越論的統覚」とは「経験を可能にする諸条件」を含むような統覚である。「純粋総合」とは経験的な混入物を洗い流した純粋な線にょうな総合であるが、「超越論的総合」とは「経験を可能にする諸条件」を含む「時間」という特有の線のような総合である。

    「ア・プリオリ」(a priori)は「ア・ポステリオリ」に対する言葉であるが、カントの場合、同じように「経験的」に対立する言葉として「純粋」と重なる。しかし、違いが強調される場合もあり、「すべて変化は原因をもつ」という判断は経験に由来しないという意味「a priori」であっても「変化」という物質に関する判断だから、経験的なものが混入しており「純粋」ではないとされる。一方、「7+5=12」のような数学的判断は経験的なものが混入していなから、ア・プリオリであってかつ純粋な判断ということになる。

    だが、この用語法が常に守られているわけではない。そして、再確認すれば、「超越論的」とは単に「経験的な混入物がない」ことではなく、「経験的な混入物がない」にもかかわらず経験に適用されるのはなぜか、という問いの全体にかかわることである。

    「超越論的」という言葉(カントの原意)は「相互主観的」(intersubjektiv)とは相容れない。…‥
    ・・・・・・

    って言うことみたい。

    ひとまず、カントのはこういうのって、しとくね。
    あ、これ、出どころ忘れちゃったから、
    パニさん、著作権法でダメだったら削除しといてね。

    101になっちゃたので、このつづきはつれづれ14でする。

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