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■36880 / inTopicNo.73)  Re[70]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/22(Fri) 20:06:53)
    No36867で、メルポンのNo36016の(a)〜(p)、わたしに思われたのいろいろ書いてきたけど、まだな〜んかまとまりない感じ。

    メルポンのから、いまの時点で、

    〈端的に知覚-されたもの〉が〈現実的な/現にあるもの〉とすること、に対して、〈非現実的な/現にないもの〉としか言えないのが〈想像-されるもの〉。
    そして、
    〈非現実的な/現にない想像-されるもの〉をメルポンは“絶対的なもの”と見ていて、この〈想像-されるもの〉は、〈知覚〉に〈疑似的な感覚(感覚の変様態)〉を示す。

    こういうの、わたし言えるかな、って思ってる。

    No36016の、
    (k)にあるような、『夢や幻覚という現象があらたなかたちで解明されることが理解できます』だったり、(o)の『夢幻的意識』にはまだ触れてないけど、後でこういうのも見ていくくつもり。

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■36888 / inTopicNo.74)  Re[71]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/23(Sat) 17:07:44)
    No36880は、『想像的なもの』――わたしこれを〈非現実的な/現にない想像-されるもの〉ってしてる――についてのだけど、追加しとく。

    No36016の(k)の『想像的なものの源泉が情緒にある』っていうのを。

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■36957 / inTopicNo.75)  Re[72]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/28(Thu) 19:54:15)
    このところわたしの物語り振り返って見てるとこ。

    現象学では、No36289の(q,s)にあるように、〔想像を、‥‥知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象、つまり像あるいはイメージと見なした。〕ってうことから、「知覚されているもの」のうちに「想像」を含めて言っている場合があるんじゃないかしら?って思って、
    No36316で、「知覚」と「想像」を区別するためにわたし〈端的な知覚〉ってして〈想像〉を区別することにしたんだけど、この〈端的な知覚〉って言うの、わたしのなかでどこから出てきたのか見つかった。

    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】(訳注)に、(これ「統覚」について書いてあるんだけど)
    (「統覚」Apperzeption)
    ・・・・・・
    Apperzeption:Perzeption(もとはラテン語perceptioで、「知覚」の意)に前つづりAd-(「方向・接近・隣接・接着」の意)が付け加えられたもの。もとはライプニッツが、対象を判明に知覚するとき、その知覚作用自体にもわれわれは気づく、このことを「統覚」と呼んで哲学的概念として定着させた。その後、感性的直観の多様が悟性により結合される場合の、統一を形成する主観の根源的働きを「統覚」と呼んだ。フッサールは、カントの用法を踏まえながらも、或るものの端的な把握としての「知覚」と区別して、さまざまな把握を取りまとめて統一的に知覚することを「統覚」と呼んでいる。
    ・・・・・・

    この〔或るものの端的な把握としての「知覚」〕から、わたし〈端的な知覚〉って言うことにしたんだと思う。
    これと区別される〔さまざまな把握を取りまとめて統一的に知覚することを「統覚」〕よね。

    No36191で、でふと思ったんだけど、
    「統覚」と「準現在化」ってなんか似てない?、って。
    いまここんとことりかかってるところ。
    簡単にお喋りできるようになったら後で書いて見るつもり。

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■36969 / inTopicNo.76)  Re[73]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/29(Fri) 18:58:13)
    No36957の【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注は、
    第50節 他者経験は、「共現前」(類比による統覚)として、間接的な志向性をもつ(p195)
    のところにあったのね。ここんとこ、「他者問題」に関して書いてあるんだと思うけど、いまはそこじゃなくて。
    本文をまるまる書けばいいんだろうけど、やめといたほうがよさそうなので、

    No36191の(w)の「現在化/準現在化/共現在化」に関して書かれてある訳注のところだけを書き写しとく。
    アキュートアクセントは省略するよ。

    ‥‥‥‥‥‥‥
    (29)(準現前させる)
    Vergegenwartigungその動詞形vergegenwartgenは、ふつうは「ありありと思い浮かべる」と訳される。しかし、ここではGegenwartgungに前つづりver-(ここでは「結果」の意)がついて形として使われているので、それとの関連も考えねばならない。そのため従来は、この対語Gegenwartgung-Vergegenwartgungに対して、「現表象―表象」(山本)、「根源的呈示―創造的呈示」(船橋)、「現在化―準現在化」(『現象学辞典』)という訳語が当てられてきた。本訳書では、gegenwartgenを「現前させる」とし、それに対してvergegenwartgenを「準現前させる」(つまり、「現前してはいないが、あたかも現前しているかのように、現在に準ずるようにさせるようにする」の意)、その名詞形Vergegenwartigungを「準現前させること/働き」とした。この語でフッサールが考えているのは、過去に関わる「想起」、未来に関わる「予期」、非現実に関わる「想像」など、要するに、現在に関わる「知覚」の「変様」として、それに準じて変様された現在に関わる働きである。
    (30)(現前させる)
    Gegenwartgung:動詞vergegenwartgenを名詞化した形。Gegenwartgenは普通に使われる言葉ではない。Gegenwart(現在)、gegenwartig(現在の、現在している、居合わせている)に由来するvergegenwartgenを「現在させる」、その名詞形Gegenwartgungを「現在させること/働き」とした。因みに、このGegenwartgungという語でフッサールが考えているのは、現在に関わる「知覚」のことである。
    ‥‥‥‥‥‥…

    「ドイツ語」「英語」そしてその日本語訳、ごちゃごちゃしてるからネットで調べたのも含めて表にして見た。

    「現在化/準現在化/共現在化」って言う語と「知覚/統覚」って言う語の関係について、いまわたしなりに整理して見たの、添付しま〜す。

    (独)[Prasenz][Apprasenz]の日本語訳「直接的現前」「間接的現前」っていうのは「ハイデッガーと他者の問題-田中末男」のなかにあったのから。

    つづく

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■36979 / inTopicNo.77)  Re[74]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/30(Sat) 17:07:08)
    No36969になったいきさつね。

    「現在化」「準現在化」「共現在化」のなかに、「統覚」をどこに位置づけようかと思って、結局、「共現在化」にしたんだけど。

    No36957の「統覚」
    @〔Apperzeption:Perzeption(もとはラテン語perceptioで、「知覚」の意)に前つづりAd-(「方向・接近・隣接・接着」の意)が付け加えられたもの。〕
    A〔或るものの端的な把握としての「知覚」と区別して、さまざまな把握を取りまとめて統一的に知覚することを「統覚」と呼んでいる。〕
    ここ見て、
    @については、
    No36289に〔想像を…‥知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象、つまり像あるいはイメージと見なした〕ってある。わたしもそうすることにしてるんだけど、こういうのからわたしとまどって、現象学で言ってる語とその意味を整理して見たのね。

    No36191の(w)に、〔準現在化は記憶や想像や予期を規定し、現にない対象を思い浮かべる事態〕(w-ap)ってあって、これを「統覚appercept」ってして見て、「統覚」を「準現在化」に入れて見ようかとも思ったんだけど、(w-ap)って、「記憶」や「想像」のことよね。
    あと、Aから、
    〔或るものの端的な把握としての「知覚」〕、これ、わたし〈端的な知覚〉ってして、「想像」と区別しようとしてるなかで、
    これと区別されてる〔さまざまな把握を取りまとめて統一的に知覚することを「統覚」〕の〔さまざまな把握〕っていうのを、〈端的な知覚〉や〈記憶〉や〈想像〉ってして見たのね(こう見たとき、やっぱここでもこれらが統一されたものとして、現象学では「知覚」って呼んじゃってる)。
    こう見たから、「統覚」を「共現在化(共現前)」のこと、ってして見た。

    「語」で見て見ると、
    (a)(独)Prasenz(現前/直接的現前)≒(英)present(現在)≒(英)percept(知覚)、
    ってして、percept(知覚)を、〈端的な知覚〉=〈現実的な/現にあるもの〉=現在化、ってして、〔現在に関わる「知覚」〕のこと。
    (b) (独)Aprasenz(準現前、間接的現前)≒(英)ap-present(現れる)
    ってして、これ、〈非現実的な/現にないもの〉=準現在化、ってして、〈記憶や想像によって構成されたもの〉のこと。

    簡単な式にして見ると、
    @「準現在化」≒「統覚」ってして見たとき、
    共現在化(共現前)=〈端的な知覚〉(現在化)+〈記憶・想像≒統覚〉(準現在化)
    A「共現在化」≒「統覚」ってして見たとき、
    共現在化(共現前)≒統覚=〈端的な知覚〉(現在化)+〈記憶・想像〉(準現在化)
    ってして見たんだけど、結局、Aの方にして見た、っていうことね。

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■36984 / inTopicNo.78)  Re[75]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/31(Sun) 16:16:24)
    No36979に追加して、

    日本語の「付帯現前」(独)Apprasenzなんだけど、
    こういう言い方からすると、「共現在(現前)」や「統覚」のこと、ってして見てもいいかな、とも思ってる。

    「現在(現前)に関わる知覚」(わたしの言う〈端的な知覚〉)に〈想像・記憶によるもの〉が付帯してる、っていうような意味として見るとね。

    たまたまネットで「フッサールの他我構成論批判―小林秀樹」っていうのがあったので、読んで見てるところなんだけど、
    〔私ではない他の自我を「共に現前させる作用」をフッサールは「付帯現前化Apprasentation)と呼ぶ〕っていうのがあった。「共現在化」と「共現前」はなんか微妙に違うのかも?って思われてきた。これ、「自と他」の発生の問題になってくるから、ここんところはまた後で見てくことにしよっかな、って思ってる。

    いま見てる現象学の「現在化/準現在化/共現在化」や「統覚」っていうの、「受動的総合」(わたし、これ〈感知性〉の領域って呼んでるんだけど)でのことについてで、「能動的総合」(わたしのいう〈考知性〉)のことについてじゃなくてよ。
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■36998 / inTopicNo.79)  Re[76]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/02(Tue) 20:05:06)
    そこはかとなく、

    【ウィットゲンシュタイン著『論理哲学論考』1921矢野茂樹訳/岩波書店/2003】の、
    7「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」
    の「主語」は「語りえぬもの」でいいのかしら?

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■36999 / inTopicNo.80)  Re[77]: つれづれなるままに
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/02(Tue) 22:41:37)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    「語りえぬものについては、沈黙せねばならない]

    ドイツ語
    Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.

    英語
    What we cannot speak about we must pass over in silence.

    このman(独)やwe(英)は総称人称代名詞(不特定の人を指す人称代名詞)で、これが主語です。

    無理やり日本語に訳すと「人は」、「我々は」になると思います。
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■37004 / inTopicNo.81)  Re[78]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/03(Wed) 18:09:43)
    No36999、分かりました。ありがとございま〜す。

    ドイツ語と英語で表現できるなんて、田秋さん、さっすが〜!
    (わたしなんか日本国から出たことないからなんかすごいと思う。マジで)

    主語は、Ich(独?)、I(英?)、日本語で「私?」ではないみたいね、ウィットちゃん。




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■37006 / inTopicNo.82)  Re[79]: つれづれなるままに
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/03(Wed) 20:25:33)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    >ドイツ語と英語で表現できるなんて、田秋さん、さっすが〜!
    権威あるどっかから引っ張ってきた文章で、ボクの作じゃあっりません。自作を載せるほど自信家じゃあないよ〜。

    日本語は主語がない文章って普通にありますが、英語やドイツ語では主語がない場合は命令形になってしまいどうしても主語が必要らしいです。こういうところは日本語は融通が利いていいよね。あと語順も日本語はかなり自由が利くけれど、英独は厳格です。
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■37009 / inTopicNo.83)  Re[80]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/04(Thu) 19:24:20)
    田秋さん、勉強になります。ありがと。


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■37024 / inTopicNo.84)  Re[81]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/06(Sat) 12:12:57)
    今回のわたしの物語り、メルポンの、
    No36016をわたしに見えるようにしよっ、が始まりで、
    No36015のような資料を参考しながら、
    No36984まで来たんだけど、
    「現在化/準現在化/共現在化」と「統覚」と「付帯現前」の関係で、
    わたし、「共現在化」や「統覚」や「付帯現前」っていうのを同じようなこととして見たのね。

    わたしの、振り返って、
    No36234で見たように、
    「共現在化」っていうのを、〈現在化と準現在化が一体となっているもの〉って、わたししたなかで、
    わたしので簡単に言うと、
    〈端的な知覚〉に〈記憶や想像によるもの〉が付帯したものを「共現在化」とか「統覚」とか言ってる。
    ってして見てる。

    〈端的な知覚〉ってわたしが呼んでるのは、
    No36957からで、これを「現在化」のことして、「現在(現前)にある現実的なもの」が〈知覚-されたもの〉、〈現実的な/現にあるものの知覚〉のこと、メルポンの言い方では『現実的なものの知覚』で、物理的像みたいのなの。

    〈記憶や想像によるもの〉は、「準現在化」のこととして、とくに想像については、〈非現実的な/現にない想像-されるもの〉。

    そして、〈端的な知覚〉や〈想像〉の性格を、
    No36835のようなものとして見たのね。

    こんなようなことや、想像と情緒の関係、そして〈自〉との関係も見てきたんだけど。

    「共現在化」≒「統覚」ってしていい?って思って、ネットで「現在化/準現在化/共現在化と統覚」で検索したら、
    No36984でちょっと書いたけど、「フッサールの他我構成論批判/小林秀樹」(資料11) 7 (1).pdf
    っていうのがたまたまあって、今これ読んでるんだけど、これって、
    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の、
    「第五省察 超越論的な存在の場をモナドの間主観性としてあらわにする」
    のことについて書いてあるみたいなのね。第五省察は、
    「第42節 独我論という非難に対抗して、他者経験の問題を呈示する」
    から始まってる。
    (資料11)を参照にしながら、この「第五省察」を読み返してるところ。
    これ、「他者」や「私」、そして「間主観性」っていう現象学における見方・考え方のお話しなんだとわたし思ってるんだけど、かなり長くなりそう。

    今回のわたしの物語りで、メルポンの、
    No36016のなかにある『幻覚』『狂人の虚言』『幻想』『妄想』って言うのをメルポンはどう見てるのかな?っていうのがわたしのなかにあって、(k)にあるように、『想像的なものの源泉が情緒にあること、また夢や幻覚という現象が新たなかたちで解明されることが理解できます』って言ってるように、ここんところをわたしなりに見たのをまとめとしようと思ってたんだけど。

    話題が横道にそれるかもだけど、な〜んか結びつけられそうな感じがしてる。

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