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Re[68]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/20(Wed) 10:19:11)
| No36861の「投影(投射)」、心理学、精神医学、精神分析理論での見方はまた後で見て見ることにして、
No36825 のつづきする。
No36774 の、 (C-A) 《想像しているとき、〈自〉は、知覚した〈現実的なもの/現にあるもの〉を切り離している隔たりを消します、私の〈自〉は消えます。》 《〈自〉は〈現実的なもの/現にあるもの〉の世界で生きるのをやめ、〈自〉にもたらされた光景の中に身を置かなければならないのです。》 これどう見ようかな〜、って。
これ、〈想像〉と〈知覚〉と〈自〉の関係性、って見たのね。
でね、こう考えて見たのね。 〈自〉は、〈知覚(現実的なもの/現にあるもの)〉と〈想像(非現実的なもの/現にないもの〉の両方に志向してて、それらが〈自〉なかに現れる、って。 で、 ふつう、〈自〉のうちではこの二つは区別されてるのね。
No36016の(p)の『想像的なものと現実的なものとのあいだには弁証法があり』の『弁証』を「対話」、簡単に「問いかけ」ってして、〈自〉はこの二つに問いかけてるのね。たとえばね、夢見てて、目が覚めたとき、「あれ?これ、夢だったのね?」みたいに問いかけることあるじゃん、こんな感じに。
「区別されてる」っていうのは「隔てられて切り離されてる」って見ることもできよね。 だから、〈自〉のうちでは、〈知覚〉と〈想像〉は隔てられてて切り離されてる、ってして見るのね。 《想像しているとき》を、〈自〉が〈想像-されるもの(非現実的な/現にないもの〉に傾注(物事に心を集中すること、一つのことにうちこむこと)しているとき、ってして見るよ。 こういうのから、 (C-A)《想像しているとき、〈自〉は、知覚した〈現実的なもの/現にあるもの〉を切り離している隔たりを消します》 のところは、 〈自〉が〈想像〉へ傾注しているときには、〈知覚〉と〈想像〉とを切り離している隔たりが消えちゃう。 って見るのね。 (C-A)《私の〈自〉は消えます。〈自〉は〈現実的なもの/現にあるもの〉の世界で生きるのをやめ》 は、 〈自〉が〈想像〉へ傾注しているときには、〈自〉は〈想像〉の世界になってるのね。〈自〉はふつう〈現実的なもの/現にあるもの〉の〈知覚〉の世界にいるんだけど、そういう〈自〉は消える、ってして見るのね。 (C-A)《〈自〉にもたらされた光景の中に身を置かなければならないのです。》 の《〈自〉にもたらされた光景》っていうのは、「〈自〉にもたらされた〈想像(非現実的なもの/現にないもの〉の光景)」って見て、 あと、『置かなければならない』ってあるのは、 No36835で、 (A-I)〈するもの-想像〉は、現実世界との交通を遮断して、〈想像-されるもの〉を絶対的なものにする。 のように、絶対的なものとなってる〈想像-されるも〉のなかに身を置いている〈自〉になってるから、って。
(C-A)はこんなふうに見て見たよ。
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