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Re[63]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/16(Sat) 15:17:09)
| No36798のつづき つぎに、 No36774 の (B-A) 想像する力は、あざむく力であると同時に、〈自〉の自由の現れです。〈自〉は、〈非現実的なもの/現にないもの〉によって〈自〉を現在から解放してくれますが、それは「もの(それ)」の外で〈自〉を非現実化する力なのです。 なんだけど、
この「あざむく」っていうの、前に、 No36555で、 (c)『イメージと幻覚には欺瞞が含まれており、それらは疑似的な視覚として示されます。』 から、 (c-8)「想像的なもの」のもつ「あざむく力」は、〈疑似的な感覚(感覚の変様態)〉を、知覚に示す。 (c-9)「想像的なもの」のもつ「あざむく力」によって、〈疑似的な感覚(感覚の変様態)〉が、知覚される。 ってして見た。 いま思うと、(c)の『欺瞞』を「あざむく」ってして、『視覚』を「感覚」ってして、 〈イメージと幻覚には「あざむく」が含まれており、それらは疑似的な「感覚」として示される〉ってしてもいかな、って。 あと、(c-8)(c-9)を、〈想像〉と〈知覚〉の関係だけで見て、 (c-A)〈想像-されるもの(非現実的なもの/現にないもの)〉によって、〈疑似的な感覚(感覚の変様態)〉が、知覚に示される。 ってしてしてもいいかな。 そして、No36574で、 「想像する力」って、「何」をあざむいているのかしら? 「あざむかれてる」のは」「知覚」? ってなって、 No36603 で、メルポンのいう「知覚」っていうの、 No36016の、 (o)『現実的なものの知覚のなかに信念があるとすら言えません。・・・椅子がそこにある。ただそれだけです。』 から、〈知覚は「あざむかれてる」とすら言えない〉ってして見て、もし、「あざむかれてる」のが「知覚」じゃないとすると、「想像する力」は、何をあざむいているのかしら?別の意識が?ってなったんだけど、今はこの別の意識を〈自〉ってして見てるところね。 こういうんから、〈想像-されるもの〉 によって、〈自〉があざむかれてる、ってして見て、(B-A) は結局、 (mB-A)想像する力は、〈自〉をあざむく力であると同時に、〈自〉の自由の現れです。〈自〉は、〈非現実的なもの/現にないもの〉によって〈自〉を現在から解放してくれますが、それは「もの(それ)」の外で〈自〉を非現実化する力なのです。 ってなった。
もっともこれ、(B-A)のように見たときに、だけどね。 (c-A)だけからは、あざむかれてるのは〈知覚〉って見てもいいけどね。
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