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Re[64]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/03/17(Sun) 10:03:55)
| な〜んかいま、わたしの頭の中、いろんなのがからまっちゃてて、まとまりつかなでいるところ。 振り返って、メルポンのわたしの、少し紐といて見ることにする。
No36289の(qs)で、 〔想像を・・・・知覚と並び知覚にどこまでも近いひとつの表象〕 こういうのがわたしには分かりにくくしてるもとになってるのかも。現象学における〈知覚〉と〈想像〉の区別かな。 で、〈端的な知覚〉っていうのをわたし想定して、〈想像〉と区別して見ることにした。以下、〈知覚〉って書いてあるところは、〈端的な知覚〉のことね。
No36131の「ファンタスマ」 〔知覚においてその体験された内容が感覚と呼ばれる〕 これと、現象学の「意識の志向性」っていうのを絡めて、 〈知覚〉は感覚(知覚の対象)へ志向し、それが構成されたものが〈知覚-されたもの〉(知覚の内容)。
No36141の(v) 〔知覚は現に存在するものとして定立する〕 〔定立〕ていうの、ネットでは「肯定的判断・命題を立てること」ってあるけど、わたし、〈知覚〉を感知性のうちに入れてるから、 〈肯定的に感じる〉ってして見て、 〈知覚は現にあるもとして肯定的に感じてる〉
No36016の(o) 『現実的なものの知覚のなかに信念があるとすら言えません。・・・椅子がそこにある。ただそれだけです。』 『現実的なものの知覚』っていうの、わたしの言う〈端的な知覚〉、そしてこれをNo36130の(t)ある〔物理的像〕のこと、ってして見てた。あと、『椅子がそこにある。ただそれだけです。』を、《〈現にある〉ただそれだけ》って言うことにした。
これらから簡単にまとめて見ると、 (P)「知覚」について、 (P-1) 〈知覚〉は感覚(知覚の対象)へ志向し、それが構成されたものが〈知覚-されたもの〉(知覚の内容)。 (P-2)〈知覚〉のなかに信念があるとすら言えず、肯定的に〈現にある〉ただそれだけの物理的像みたいな。
あと、 (I)「想像」については、 No36522の(A-i) にもうちょっとつけ加えることにしたよ。 No36525で見たように、 (d)『想像力はつねに知覚された対象を目ざします。想像することは、内的な場面を熟視することではなく、単一の対象を参照することです。』を、 (d-A)〈するもの-想像〉は、〈知覚-されたもの(現にあるもの)〉を“参照にしてる”。 ってしたのをつけ加えて、 (A-I)《〈するもの-想像〉は、〈知覚-されたもの〉を参照に、〈想像-されるもの(現にないもの)〉へ志向し、その内に〈想像-されたもの〉を産出する。〈するもの-想像〉は、現実世界との交通を遮断して、〈想像-されるもの(現にないもの)〉を、絶対的なものにする。〈想像-されたもの〉はそのなかで活動する。》 ってして見た。
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