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■34919 / inTopicNo.25)  超越論的分析論Z−5
  
□投稿者/ うましか -(2023/11/04(Sat) 19:25:35)
    2023/11/04(Sat) 19:27:57 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    >うましかさん、カント文章おつかれさまです!

    この辺り、正直分からな過ぎて挫けそうです〜( ノД`)シクシク…

    (;´・ω・)沼深くうましか溺れる秋

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十一項) 

    ◆第二の注解=Bあらゆる部類のカテゴリーは、全て同数、つまり三つであるが、このことも同じく熟考を促すことである。というのも、一般に、概念による全てのア・プリオリな区分は二分法でなければならないからである。その上しかも、それぞれの部類の第三のカテゴリーはどこでも第一のものと第二のものとの結合から生ずるということが、付け加わる。

    ◆ というわけで、
    全体性 (総体性)は、単一性と見なされた数多性以外の何ものでもなく、
    制限性≠ヘ、否定性〔と結合した実在性以外の何ものでもなく、
    相互性≠ヘ、他の実体と相互に規定し合う実体の原因性であり、
    最後に、必然性≠ヘ、可能性自身を通じて与えられている現存以外の何ものでもない。
    しかし、だからといって、第三のカテゴリーは純粋悟性の単なる派生的な概念であって、基幹概念ではないとは、決して考えてならない。というのも、第三の概念を産み出すためには、第一の概念と第二の概念との結合は悟性の或る特殊な活動を必要とし、この活動は、第一および第二の概念の際に行使されるものとは同一ではないからである。
    そういうわけで、数 (これは全体性のカテゴリーに属する)の概念は、多数と単位という概念があるからといって、必ずしも可能ではなく(例えば無限なものの表象のように)、或いは、私が原因≠フ概念と実体≠フ概念との両者を結合するということからは、その限りではまだ、影響=A換言すれば、いかに或る実体が他の実体のうちの或るものの原因となり得るかは、理解することはできない。このことから明白なのは、そのためには悟性の或る特殊な活動が必要であるということであり、そして残余の場合についても同様である。

    --- No.34795,34874 からの続き ---

    ◇ 第三の注解=Bただ一つのカテゴリー、すなわち、第三の部類のうちに見出される相互性≠フカテゴリーについては、論理的機能の〔カテゴリー表に対応する判断〕表において、このカテゴリーと対応する選言判断〔「Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである」〕の形式との合致は、残りの場合におけるほど目立ってはいない。

    ◇ この合致を確かめるためには人は次のことに注意しなければならない。すなわち、全ての選言判断においては、その圏域(その選言判断のもとに含まれている全てのものの集まり)は、諸部分(諸下位概念)に分割された一つの全体と見なされる。だから、それらの諸部分の一つは、他の部分のもとに含まれていることはあり得ないので、それらの諸部分は、互いに並存的なもの≠ニして考えられ、従属的なもの≠ニしては考えられず、従って、一つの系列≠ノおけるように、一方的に′ンいを規定しあっているのではなく、一つの集合≠ノおけるように、相互的に′ンいを規定しあっている(区分の一項が定立されると、その他全てのものは排除され、またその逆も同様である)と考えられるのである。


    † 原佑訳上巻、p.230〜p.231参照。
    † その他に、中山元訳2、p.83〜p.84、石川文康訳上巻、p.141を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,34874,34919

引用返信/返信 削除キー/
■34927 / inTopicNo.26)  Re[5]: 超越論的分析論Z−5
□投稿者/ pipit -(2023/11/04(Sat) 20:33:40)
    うましかさん、こんばんはー(^O^)

    No34919
    > (;´・ω・)沼深くうましか溺れる秋<

    深すぎですよねー(;o;)

    > ◇ 第三の注解=Bただ一つのカテゴリー、すなわち、第三の部類のうちに見出される相互性≠フカテゴリーについては、論理的機能の〔カテゴリー表に対応する判断〕表において、このカテゴリーと対応する選言判断〔「Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである」〕の形式との合致は、残りの場合におけるほど目立ってはいない。
    >
    > ◇ この合致を確かめるためには人は次のことに注意しなければならない。すなわち、全ての選言判断においては、その圏域(その選言判断のもとに含まれている全てのものの集まり)は、<

    ふむふむ、圏域は、

    >諸部分(諸下位概念)に分割された一つの全体と見なされる。<

    圏域においての分割パートそれぞれに下位概念が当てはめられる


    >だから、それらの諸部分の一つは、他の部分のもとに含まれていることはあり得ないので、<

    排他的な在り方、、、

    >それらの諸部分は、互いに並存的なもの≠ニして考えられ、従属的なもの≠ニしては考えられず、<

    実体と偶有性ではなく、
    実体と実体として断絶している

    >従って、一つの系列≠ノおけるように、一方的に′ンいを規定しあっているのではなく、一つの集合≠ノおけるように、相互的に′ンいを規定しあっている(区分の一項が定立されると、その他全てのものは排除され、またその逆も同様である)と考えられるのである。<

    a と 非a

    非b と b

    、、、沼ですねー 

    どこまで潜れる秋の沼  (´-`).。oOヌマ

引用返信/返信 削除キー/
■34942 / inTopicNo.27)  Re[16]: 純粋理性批判B166
□投稿者/ pipit -(2023/11/05(Sun) 23:35:32)
    みなさまこんばんは。
    No34784の続きで、純粋理性批判B166の原文をDeepLで英訳したものです。

    But this knowledge, which is merely limited to objects of experience, is therefore not all borrowed from experience, but, as far as both pure views and pure concepts of understanding are concerned, are elements of knowledge that are found in us a priori.
引用返信/返信 削除キー/
■34943 / inTopicNo.28)  Re[17]: 純粋理性批判B166
□投稿者/ pipit -(2023/11/05(Sun) 23:45:43)
    No34942の英訳をpipitが日訳しました。

    経験の対象に限定されたこの認識は、

    しかしながら、全てを経験から借り受けたのではなく、

    純粋直観と純粋悟性概念の両方に関する限りは、

    私たちの中にアプリオリに見出される認識の要素である。
引用返信/返信 削除キー/
■34944 / inTopicNo.29)  Re[18]: 純粋理性批判B166
□投稿者/ pipit -(2023/11/05(Sun) 23:51:14)
    次の箇所の原文のDeepL英訳です。

    Now there are only two ways in which a necessary correspondence between experience and the concepts of its objects can be conceived: either experience makes these concepts, or these concepts make experience possible.

    また明日以降に考えて日訳したいです。

    おやすみなさいー (_ _).。o○
引用返信/返信 削除キー/
■34952 / inTopicNo.30)  Re[19]: 純粋理性批判B166
□投稿者/ pipit -(2023/11/06(Mon) 18:46:49)
    2023/11/06(Mon) 18:48:05 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは。No34944を日訳しました。


    さて、経験と経験の対象についての概念との間に必然的な対応関係が考えられる場合、次の2つの道しかない:
    経験がこれらの概念を作るか、
    またはこれらの概念が経験を可能にするか、である。

    ---------------------
    (pipit感想)

    経験-------対応-------概念

    という関係が成り立つとき、
    「経験によりて概念が生じてる」のか、
    「概念によりて経験が生じてる」のか。

    ですね。
    昔、目の前のコップを見ながら、(わたしはなんでこれを ひとつ・1 とみてるのかな)と思ったことあるけど、純粋理性批判的には、量という概念によりて一つのコップを経験している、となるのかなと思いました。

    続きを読んでいきます。

引用返信/返信 削除キー/
■34954 / inTopicNo.31)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/06(Mon) 20:47:54)
引用返信/返信 削除キー/
■34956 / inTopicNo.32)  Re[7]: 日記
□投稿者/ 花火田ドン -(2023/11/07(Tue) 20:08:24)
    No34954に返信(pipitさんの記事)
    > 世界で一番浅いスクワットがんばるぞ 」^_^)」
    >
    > https://youtu.be/hge3fr50o0o?si=gvhtGYWgQSrrNkIo
    >
    > なかやまきんに君
    > 世界で一番楽な筋トレ&有酸素

    世界で一番浅いスクワット (爆笑)
    俺もやろう (笑)
引用返信/返信 削除キー/
■34958 / inTopicNo.33)  Re[8]: 日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/07(Tue) 21:23:31)
    花火田ドンさん、こんばんはー 」^_^)」

    これならなんとか続けられるかなと(^◇^;)

    少しだけでも運動すると気持ちいいですね!
引用返信/返信 削除キー/
■34976 / inTopicNo.34)  Re[9]:純粋理性批判B166
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/09(Thu) 18:45:50)
    お邪魔するね、pipitさま。
    No34952
    > さて、経験と経験の対象についての概念との間に必然的な対応関係が考えられる場合、次の2つの道しかない:経験がこれらの概念を作るか、またはこれらの概念が経験を可能にするか、である。<

    ちょっと質問。
    >次の2つの道しかない:経験がこれらの概念を作るか、またはこれらの概念が経験を可能にするか<
    の、カントの、
    >これらの概念<の、>これら<っていうの、>経験の対象<っていうことでいいと思う?

引用返信/返信 削除キー/
■34981 / inTopicNo.35)  Re[10]: :純粋理性批判B166
□投稿者/ pipit -(2023/11/09(Thu) 20:42:12)
    悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)

    No34976
    > No34952
    > ちょっと質問。
    > >次の2つの道しかない:経験がこれらの概念を作るか、またはこれらの概念が経験を可能にするか<
    > の、カントの、
    > >これらの概念<の、>これら<っていうの、>経験の対象<っていうことでいいと思う?<


    うん、いいんじゃないかとpipitは思うんだけど...

    @みかんの経験 が 概念「みかん」を作るか、
    A概念「みかん」が みかんの経験 を作るか。

    みかんの場合は、@と思うんだけど、

    概念が純粋悟性概念の場合は、

    経験の対象として含まれている純粋悟性概念 が 経験 を可能にしてる、ってカントは言ってるのかなーと思ったよ。

引用返信/返信 削除キー/
■34984 / inTopicNo.36)  Re[11]: :純粋理性批判B166
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/10(Fri) 19:43:23)
    pipitさま、
    ■34981、ありがと。

    >「経験と経験の対象についての概念」<
    は、「経験」と、「経験の対象」と、その「概念」、に分けられてるようにわたしには見えるんね。
    こういうんで、
    カントの、
    >経験がこれらの概念を作るか、またはこれらの概念が経験を可能にするか<
    を、見ちゃううとね、

    (1)「経験」が「経験の対象」の「概念」を作るのか?
    または、
    (2)「経験の対象」の「概念」が、「経験」を可能にするのか?

    っていうことになるんだとわたし思うんだけど、
    こういうカントの自問、カントのどうなるのか、ちょっと興味ある。









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