| みなさまこんばんは(^_^) No35132の続きです。
(原文のDeepL英訳) that in such a case the categories would lack the necessity which belongs essentially to their concept.
For, for example, the concept of cause, which states the necessity of a result under a presupposed condition, would be false if it were based only on any subjective necessity implanted in us to connect certain empirical ideas according to such a rule of relation.
(英訳のpipit日訳) そのような(前もってカテゴリーを植え付けられているような)場合、カテゴリーにはその概念に本質的に属する必然性が欠けてしまう。
ある前提条件のもとでの結果の必然性を述べる(原因という概念)を例にすると、 もし、ある経験的な表象をそのような関係規則に従って結びつけるという、われわれに植えつけられた主観的必然性だけに基づくものであるなら、(原因という概念)は誤りになるであろう。
======== (pipit感想) 今の話題:(経験)と(経験の対象についての概念)との必然的な適合について。
両者が一致するのはどのような場合か?
もし、
世界に(たまたまカテゴリーで表されるような事象)があって、私たちの主観のアプリオリな概念と都合よく適合したなら、、、
この主観的概念(原因)に必然性は備わっていない。ということかなぁ。
カテゴリーがたまたま外部要因的にアプリオリに人間にあるだけでは、 カテゴリーが客観を規定する概念に位置付けられない、とカントは考えるのかな?
あぁ、カント読書、亀の歩み....
今日たまたま知ったカント本、
『現代の古典カント』 ヘルベルト・シュネーデルバッハ 著 / 長倉誠一、 『子どものためのカント』 S・フリートレンダー 著 / 長倉誠一
迷ったけど、『子どものためのカント』の方をまず注文しようかなー (´-`).。oO
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