□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/24(Fri) 19:11:01)
| No35144、pipitさま、ありがと。
ちょっと探してた。
【「カント」小牧治著清水書院1967】のなかに書いてあったのを一部書き写します。 『自然科学の進歩は、いままでのような姿の信仰に、動揺を与えないではおかなかった。まして、自然学・哲学・神学など、学といわれるものにたずさわる者には、深刻な影響を及ぼした。そこで、哲学者たちは、自然科学と信仰との調和統一を考えた。すなわち、彼らは、神・霊魂・世界全体など、形而上的なもの〔われわれ人間の感性的経験では知りえないもので、経験的現象の奥にあると考えられるもの。およそこの世にあるありとあらゆるもの(形而下のもの)の上に君臨し、人間も含めてこの世のいっさいをつくり、それをすべ、それを統一しているようなもの(神的なもの)。〕を、例えば数学的な方法などを用いて、合理的に説明しようとした。そして、自然科学と矛盾しないことを示そうとした。つまり、合理的な形而上学を目指したわけである。』 みたい。
これによると、 形而下のもの=およそこの世にあるありとあらゆるもの。 形而上的なもの=われわれ人間の感性的経験では知りえないもので、経験的現象の奥にあると考えられるもの。形而下のもの上に君臨し、人間も含めてこの世のいっさいをつくり、それをすべ、それを統一しているようなもの(神的なもの)。 っていうことになるのかな。
マニュエルちゃんは1724−1804年に彼の生きられた生活世界で生きた人みたい。彼の知的欲望と、とりまく当時の状況はこういうのかどうなのかはわかんないけどね。
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