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■33794 / inTopicNo.97)  純粋理性批判B165
  
□投稿者/ pipit -(2023/10/07(Sat) 19:43:35)
    みなさまこんばんは(^_^)
    No33585

    (カント原文の英訳のpipit日訳)
    > しかし、単なるカテゴリーによって現象にアプリオリに法則を規定する(知性の)純粋な能力には、
    〈自然一般が、空間と時間の現象法則への適合性として依拠する法則〉以上の法則を宣言する能力はない。<

    ↑ここまでは
    No33655で読みました。


    >特殊な法則は、経験的に特定な現象に関するものであるため、たとえそれらがすべてその(カテゴリーの)下にあったとしても、そこ(カテゴリー)から完全に導き出すことはできない。
    >一般に後者(特殊な法則)を知るためには、経験を加えなければならない;<


    「後者」という言葉が出ていますが、
    pipitの私見では、
    前者とは『ア・プリオリな総合判断の原則』としての[自然の普遍的法則]であり、
    後者とは『経験的に特定な現象に関する法則』であり、例えば「万有引力の法則」などの個々の法則のことを言ってるのかなと思いました。
    普遍と特殊という言葉を使うなら、カテゴリーからの特殊の法則の演繹は出来ない、ということかなぁ?(普遍とか特殊とか演繹とかよく知りませんけど...)


    >しかし、経験一般について、そして経験の対象として認識できるものについては、それらアプリオリな法則のみが教示を与える。<

    経験【一般】だから、普遍ということかな。
    普遍について何か言及できるとしたら、アプリオリな法則(ア・プリオリな総合判断の原則)のみが教示を与える、と言っているのかな?

    ※pipitは誤読してるかもしれませんが、御子柴善之先生の『カント哲学の核心『プロレゴーメナ』から読み解く』NHKブックス、p138-146を参考にしました。

    というわけで、次は、B165の
    『第二七項 知性の概念の根拠づけからえられた結論』(中山元先生訳、第二巻p172)
    の箇所!

    ふぁいとをーp(^_^)q
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■33825 / inTopicNo.98)  超越論的分析論Z−1
□投稿者/ うましか -(2023/10/09(Mon) 12:30:44)
    2023/10/09(Mon) 12:31:28 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    世間は「スポーツの日」、、私うましかはまったり休日、どっぷり沼(゚Д゚;)?

    秋〜(*‘∀‘)♪

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十一項) 

    ■ カテゴリー表 ■

    1 量〔Der Quantitaet:〕
     ・単一性〔Einheit〕
     ・数多性〔Vielheit〕
     ・全体性〔Allheit.〕

    2 質〔Der Qualitaet:〕
     ・実在性〔Realitaet〕
     ・否定性〔Negation〕
     ・制限性〔Limitation.〕

    3 関係〔Der Relation:〕
     ・内属〔der Inhaerenz〕≠ニ自体存在〔Subsistenz〕 
      (実体と偶有性 substantia et accidens)
     ・原因性〔der Kausalitaet〕≠ニ依存性〔Dependenz〕
      (原因と結果〔Ursache und Wirkung〕)
     ・相互性〔der Gemeinschaft〕
      (能動的なものと受動的なものとの間の相互作用〔Wechselwirkung zwischen dem Handelnden und Leidenden〕)

    4 様相〔Der Modalitaet:〕
     ・可能性〔Moeglichkeit〕=|不可能性〔Unmoeglichkeit〕
     ・現存在〔Dasein〕=|非存在〔Nichtsein〕
     ・必然性〔Notwendigkeit〕=|偶然性〔Zufalligkeit〕


    ◇ このカテゴリー表については、しかるべき考察が試みられ得るのであり、そのような考察はもしかすると全ての理性認識の学的形式について重大な結果をもたらすかもしれない。

    ◇ なぜならば、この〔カテゴリー〕表は、哲学の理論的な部門において、学全体を目論む計画≠、その学がア・プリオリな諸概念に基づく限り完璧に立案し、その学を数学的に一定の諸原理に従って区分する≠フに甚だしく有効であるどころか不可欠であることは、既に次のことから自ずと明白だからである。

    ◇ すなわち、それは、前述の表が、悟性の全ての基本概念どころか人間的悟性におけるそうした基本概念の体系の形式すら含んでおり、従って目論まれる思弁的学の全ての諸契機=Aいや、その上それらの諸契機の秩序≠ノ対してすら指示を与えるということに他ならない。このことについては私が他の著作〔*1〕で見本を示したとおりである。

     *1 『自然科学の形而上学的原理』(1786年)。 ちなみに『純粋理性批判』は1781年、第二版は1787年に出版されており、この第11項は、第二版で加筆されたもの。

    ◇ ここでは、これらの注解のいくつかを挙げておく。


    † 原佑訳上巻、p.228参照。
    † その他に、中山元訳2、p.79〜p.80、石川文康訳上巻、p.139を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Z−1 No.33825
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,33016,33658,33668,33776,33825

引用返信/返信 削除キー/
■33829 / inTopicNo.99)  超越論的分析論Z−2
□投稿者/ うましか -(2023/10/09(Mon) 16:26:41)
    2023/10/09(Mon) 16:28:12 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    どっぷりカント沼(/・ω・)/

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十一項〔第二版,1787年〕) 

    ◆ このカテゴリー表については、しかるべき考察が試みられ得るのであり、そのような考察はもしかすると全ての理性認識の学的形式について重大な結果をもたらすかもしれない。
    なぜならば、この〔カテゴリー〕表は、哲学の理論的な部門において、学全体を目論む計画≠、その学がア・プリオリな諸概念に基づく限り完璧に立案し、その学を数学的に一定の諸原理に従って区分する≠フに甚だしく有効であるどころか不可欠であることは、既に次のことから自ずと明白だからである。
    すなわち、それは、前述の表が、悟性の全ての基本概念どころか人間的悟性におけるそうした基本概念の体系の形式すら含んでおり、従って目論まれる思弁的学の全ての諸契機=Aいや、その上それらの諸契機の秩序≠ノ対してすら指示を与えるということに他ならない。このことについては私が他の著作〔『自然科学の形而上学的原理』(1786年)〕で見本を示したとおりである。
    ここでは、これらの注解のいくつかを挙げておく。

    --- No.33825 からの続き ---

    ■ カテゴリー表 ■

    1 量〔Der Quantitaet:〕
     ・単一性〔Einheit〕
     ・数多性〔Vielheit〕
     ・全体性〔Allheit.〕

    2 質〔Der Qualitaet:〕
     ・実在性〔Realitaet〕
     ・否定性〔Negation〕
     ・制限性〔Limitation.〕

    3 関係〔Der Relation:〕
     ・内属〔der Inhaerenz〕≠ニ自体存在〔Subsistenz〕 
      (実体と偶有性 substantia et accidens)
     ・原因性〔der Kausalitaet〕≠ニ依存性〔Dependenz〕
      (原因と結果〔Ursache und Wirkung〕)
     ・相互性〔der Gemeinschaft〕
      (能動的なものと受動的なものとの間の相互作用〔Wechselwirkung zwischen dem Handelnden und Leidenden〕)

    4 様相〔Der Modalitaet:〕
     ・可能性〔Moeglichkeit〕=|不可能性〔Unmoeglichkeit〕
     ・現存在〔Dasein〕=|非存在〔Nichtsein〕
     ・必然性〔Notwendigkeit〕=|偶然性〔Zufalligkeit〕

    ◇ 第一の注解。この〔カテゴリー〕表は、悟性概念についての四つの部類を含んでいるおり、まずは二つに区分される。その第一区分〔「量」と「質」〕は直観(純粋直観ならびに経験的直観)の諸対象へと向けられている。第二区分〔「関係」と「様相」〕はこれらの諸対象の現存〔Existenz〕(これらの諸対象相互の連関における、さもなければ悟性との連関における)へと向けられている。

    ◇ 私は前者の部類を数学的<Jテゴリーの部類と名付け、後者の部類を力学的〔dynamischen〕<Jテゴリーの部類と名付ける。表で見られるように、前者〔数学的カテゴリー〕の部類は相関者〔Korrelate〕を持たず、相関者が見いだされるのは後者〔力学的カテゴリー〕の部類においてのみである。この相違はやはり、悟性の本性のうちに根拠を持っているに違いない。


    † 原佑訳上巻、p.228〜p.229参照。
    † その他に、中山元訳2、p.80〜p.81、石川文康訳上巻、p.140を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,33016,33658,33668,33776,33825,33829

引用返信/返信 削除キー/
■33830 / inTopicNo.100)  Re[9]: 超越論的分析論Z−1
□投稿者/ pipit -(2023/10/09(Mon) 16:33:11)
    2023/10/09(Mon) 16:36:24 編集(投稿者)

    うましかさん、こんにちはー(^O^)

    No33825
    今さらながら、

    4.様相の
    >  ・現存在〔Dasein〕=|非存在〔Nichtsein〕<

    を目にして、
    『Dasein』という言葉が出てたんだーといろいろ新鮮な気持ちになりました。
    (※wikiより『Dasein (ダーザイン、ドイツ語発音:略])は、ドイツ語で文字どおりに直訳して「ここにいる」という意味である。哲学用語でもあり、現存在(げんそんざい)とも訳されている。
    ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが自分のコンセプトを説明する語として用いており、とくに著書『存在と時間』においてよく使われる言葉として知られている。実存哲学の用語であり、自己を現にそこ (da) にある (sein) ものとして自覚する存在、つまり人間的な実存のことである。』

    pipitはカテゴリーについてもまだ全然理解できてないのに、演繹論へ進むのやっぱり無謀だったかなぁ、とちょっと思ったスポーツの日でした
    (・・;)

    >◇ このカテゴリー表については、しかるべき考察が試みられ得るのであり、そのような考察はもしかすると全ての理性認識の学的形式について重大な結果をもたらすかもしれない。<
    >◇ なぜならば、この〔カテゴリー〕表は、哲学の理論的な部門において、学全体を目論む計画≠、その学がア・プリオリな諸概念に基づく限り完璧に立案し、その学を数学的に一定の諸原理に従って区分する≠フに甚だしく有効であるどころか不可欠であることは、既に次のことから自ずと明白だからである。<

    このカテゴリー表から、アプリオリな諸概念に基づく形而上学を、数学的に形成することが可能になる、とカントは言ってるのかなぁ。

    >◇ すなわち、それは、前述の表が、悟性の全ての基本概念どころか人間的悟性におけるそうした基本概念の体系の形式すら含んでおり、従って目論まれる思弁的学の全ての諸契機=Aいや、その上それらの諸契機の秩序≠ノ対してすら指示を与えるということに他ならない。このことについては私が他の著作〔*1〕で見本を示したとおりである。<

    知性機能の全てがカテゴリー表につまってる、とカント的には思ってたのかな。
    『学』は知性を経由して成り立つとすると、カテゴリー表内で表現された『学』しか人間には不可能ということかな。

    『学』が人生の全て、というわけではないですもんね。

    > *1 『自然科学の形而上学的原理』(1786年)。 ちなみに『純粋理性批判』は1781年、第二版は1787年に出版されており、この第11項は、第二版で加筆されたもの。<

    御子柴先生の『自分で考える勇気 カント哲学入門』岩波ジュニア新書の最後らへんに載っているカント年譜を見てみました。
    1786年カント62歳、第二版は87年63歳の刊行でした。なんか胸熱。

    >◇ ここでは、これらの注解のいくつかを挙げておく。<

    楽しみにしてます!
    多分沼....ですよねー(^◇^;)

    と、投稿しようと思ったら、
    No33829の新投稿が!
    読ませていただきますね、沼浴おつかれさまです(^○^)
引用返信/返信 削除キー/
■33854 / inTopicNo.101)  Re[10]: 超越論的分析論Z−2
□投稿者/ pipit -(2023/10/10(Tue) 00:09:32)
    うましかさん、こんばんはー(^O^)

    No33829

    > ◇ 第一の注解。この〔カテゴリー〕表は、悟性概念についての四つの部類を含んでいるおり、まずは二つに区分される。その第一区分〔「量」と「質」〕は直観(純粋直観ならびに経験的直観)の諸対象へと向けられている。第二区分〔「関係」と「様相」〕はこれらの諸対象の現存〔Existenz〕(これらの諸対象相互の連関における、さもなければ悟性との連関における)へと向けられている。
    >
    > ◇ 私は前者の部類を数学的<Jテゴリーの部類と名付け、後者の部類を力学的〔dynamischen〕<Jテゴリーの部類と名付ける。表で見られるように、前者〔数学的カテゴリー〕の部類は相関者〔Korrelate〕を持たず、相関者が見いだされるのは後者〔力学的カテゴリー〕の部類においてのみである。この相違はやはり、悟性の本性のうちに根拠を持っているに違いない。<

    対象の量(数学的)と、対象の動き(力学的)、かなぁ?

    カテゴリーに関する記述を数冊読み直したのですが、
    久しぶりに開いた山下和也先生の解説が私にはおもしろく、また、わかりやすくも思えたので引用します。

    『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、晃洋書房、p103〜106から抜粋引用
    山下先生の解説文章です。
    『(略)
    思惟するとは直観の多様の下に何らかの一つのまとまりを作ることなのであり、作られたこのまとまりがその客観となる。
    カテゴリーとは、表象の多様を連環させて一つのまとまりを作り出す際の普遍的な規則に他ならない。
     まず量のカテゴリーの場合、単一性とはそれを一つのまとまりとする規則、数多性とはまとまりを複数作り出す規則、総体性とは複数のまとまりを一つのまとまりとする規則である。
    したがって、直観の多様の下で、単一性のカテゴリーによって一つの客観が、数多性のカテゴリーによって複数の客観が、総体性のカテゴリーによって複雑の客観から成る一つの客観が思惟されることになる。
    (略)
    次に質のカテゴリーのうち、実在性はあるまとまりを存在するものとして、否定性はまとまりを存在しないものとして、制限性はそのまとまりを何らかの非存在すなわち欠損をもつものとして思惟させる規則である。
    関係のカテゴリーで言えば、内属性と自存性はまとまりとそれがもつ性質の間の連環、原因性と依存性は一つのまとまりが他方のまとまりの産出を引き起こすという連環を、相互性はまとまり同士の双方向の連環を作り出すという規則になる。
    最後に様相のカテゴリーは、可能性-不可能性、現存在-非存在、必然性-偶然性とも、そのまとまりがどのような仕方で作り出されるかを二項的に決める規則になっている。
    可能性ならそのまとまりは作り出されることもありうるのであり、不可能性ならありえない。現存在ならそれは現に作り出されており、非存在ならそうでない。必然性ならそれは必ず作り出され、偶然性ならそうとは限らない。
    (略)
    カントの言う形而上学的演繹は、システムの実際の作動としての連環した認識表象産出である判断から、それを可能にする概念コードの項を読み出す試みと言える。
    (略)
    アプリオリに対象に関係しうる概念には、空間、時間とカテゴリーがあるが、「それらの産出の機会原因は経験に求めることができる」、つまり「認識能力の全体をそれに関して開始し、経験を生じさせる第一の契機は感官の印象が与える」(B118)。
    要するに実際に概念としての規則が作動するのは、それが働きかける印象が与えられたときである。
    カントの言い方では、経験は「感官からの認識への質量と、純粋な直観作用と思惟作用からの、それを秩序づけるある形式」(ibid)とを含むのであり、前者が与えられることを契機として、それに対して後者が作動し、経験が成立する。
    オートポイエーシスの言葉で言えば、概念コードに従って認識表象における現れが、感覚すなわち環境からの攪乱を契機として産出されるとき、経験となる。
    (略)』
    引用終了

    しばらくカント的カテゴリー沼が続きそうですね、
    おつかれさまです!

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