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■33015 / inTopicNo.25)  Re[16]: 純粋理性批判B163
  
□投稿者/ pipit -(2023/09/11(Mon) 22:55:06)
    2023/09/11(Mon) 23:15:32 編集(投稿者)
    2023/09/11(Mon) 22:58:09 編集(投稿者)
    2023/09/11(Mon) 22:56:10 編集(投稿者)

    No33013

    (pipitの読解思考路)
    時間とは、

    I base on the appearance as an inner view,

    内観としての表れの土台となるものであるけど(形式である時間の上に次々と現れる)、

    その時間の中で[総合的統一]を構想(imagine)しないと、

    that relation could not be given in a view determined (in view of the time sequence).

    総合的統一の構想なしには、その関係(対立する水と氷の関係)は(時系列から見て)規定された直観としては与えられない。

    .....

    ヒュームさんの次々と起こる知覚の束(pipitのうろ覚え)みたいなことを意識してるのかなー。
    バラバラと起こる知覚を統一するのは、ヒュームさんの場合は習慣?慣習?やったかな?
    カントの場合は、カテゴリーが総合的統一の機能だとしてるのかな??

    続き読みます、、、
    _| ̄|○



引用返信/返信 削除キー/
■33016 / inTopicNo.26)  超越論的分析論Y−7
□投稿者/ うましか -(2023/09/11(Mon) 23:48:58)
    2023/09/12(Tue) 07:52:47 編集(投稿者)
    2023/09/11(Mon) 23:49:39 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    ここのところ、カント先輩も『実践理性批判』や『実用的見地における人間学』で語った、"Solipsismus"沼にはまっておりました〜(;´・ω・)

    いろいろとネット上の情報をひろって調べていましたが、『岩波哲学・思想事典』p.1671〜p.1672の「利己主義(egoism)」の解説(川本隆史による)で、ようやくちょっとスッキリしてきました〜(/・ω・)/

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて

    ◆このように、直観一般の諸対象とア・プリオリに関わる純粋悟性概念が、先の判断表〔*1〕のうちで全ての可能的な判断における論理的機能が数えあげられたのと、まさに同じだけ生ずることになる。
    なぜなら、悟性は前述の諸機能によって完全に尽くされており、悟性の能力もそれによって全面的に測られているからである。私たちはこれらの諸概念を、アリストテレスにならってカテゴリー≠ニ名付けようと思うが、それは、私たちの意図が、たとえその遂行においてはアリストテレスの意図とは甚だしく異なっているにせよ、元をただせば、彼〔アリストテレス〕の意図と確かに同じものであるからである。

    *1 判断表
    1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕
    ・全称判断 〔Allgemeine〕 〔すべてのAはBである〕 
    ・特称判断 〔Besondere〕 〔あるAはBである〕
    ・単称判断 〔Einzelne〕  〔ある一つのAはBである〕

    2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕
    ・肯定判断 〔Bejahende〕 〔AはBである〕
    ・否定判断 〔Verneinende〕 〔AはBでない〕
    ・無限判断 〔Unendliche〕 〔Aは非Bである〕

    3 〔判断の〕関係=kRelation.〕
    ・定言判断 〔Kategorische〕 〔AはBである〕
    ・仮言判断 〔Hypothetische〕 〔もしAがBなら、CはDである〕
    ・選言判断 〔Disjunktive〕 〔Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである〕

    4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕
    ・蓋然的判断〔Problematische〕 〔AはBかもしれない〕
    ・実然的判断〔Assertorische〕 〔AはBである〕
    ・確然的判断〔Apodiktische〕 〔AはBでなくてはならない〕


    ◆ カテゴリー表〔Tafel der Kategorien〕
    1 量〔Der Quantitaet:〕
    ・単一性〔Einheit〕
    ・数多性〔Vielheit〕
    ・全体性〔Allheit.〕

    2 質〔Der Qualitaet:〕
    ・実在性〔Realitaet〕
    ・否定性〔Negation〕
    ・制限性〔Limitation.〕

    3 関係〔Der Relation:〕
    ・内属〔der Inhaerenz〕≠ニ自体存在〔Subsistenz〕 (実体と偶有性 substantia et accidens)
    ・原因性〔der Kausalitaet〕≠ニ依存性〔Dependenz〕 (原因と結果〔Ursache und Wirkung〕)
    ・相互性〔der Gemeinschaft〕=@(能動的なものと受動的なものとの間の相互作用〔Wechselwirkung zwischen dem Handelnden und Leidenden〕)

    4 様相〔Der Modalitaet:〕
    ・可能性〔Moeglichkeit〕=|不可能性〔Unmoeglichkeit〕
    ・現存在〔Dasein〕=|非存在〔Nichtsein〕
    ・必然性〔Notwendigkeit〕=|偶然性〔Zufalligkeit〕

    ◆さて、これは、綜合の全ての根源に純粋な諸概念を明示したものであり、そうした純粋概念を悟性は自分自身のうちにア・プリオリに含んでおり、このためだけからでも悟性は純粋な悟性である。つまり、悟性はこうした純粋概念によってのみ、直観の多様なものについて或るものを理解し得るのである。換言すれば、直観の〔対象である〕客観を思考し得るのである。

    --- No32849からの続き ---

    ◇ この〔カテゴリーの〕区分は、一つの共通的な原理、すなわち判断する能力(これは思考する能力と同じものである)に基づいて、体系的に作り出されており、行き当たりばったりに純粋な概念を運を天にまかせて探し出して成立したものではなく、

    ◇ そのような探し方による純粋な概念の完全な列挙については、人は決して確信を持ち得ないが、それというのも、その列挙が完全なものかどうかは帰納によって推論する他はなく、何故いったい悟性に内在しているのが、まさしくこれらの諸概念であって他の概念でないのかは、帰納によっては決して洞察されないということを考慮しないからである。

    ◇ こうした根本概念を探し出すことは、アリストテレス≠フような明敏な人にふさわしい計画であった。しかし、彼はいかなる原理も持っていなかったので、そうした根本概念を行き当たりばったりにかき集めて、それらをはじめ10個探し出し、それをカテゴリー〔Kategorien〕 (賓辞〔Praedikamente〕)と名付けた。その後、アリストテレスは〔そうした根本概念を〕さらに5個発見したと信じ、それらを後賓辞〔Postpraedikamente〕と呼び付け加えた。

    ◇ しかしながら、アリストテレスの表は依然として欠陥を残したままであった。その上、純粋感性のいくつかの様態modi、(時間quando、場所ubi、位置situs、同じく前時prius、同時simul)、また一つの経験的な様態(運動motus)も、またそのうちには見いだされるが、これらは悟性のこの系図の内には全く見出されてはならないものであり、或いはまた、いくつかの派生的な概念(能動actio、受動passio)もまた、根源的な概念のうちにいっしょに数え入れられているとともに、根源的な概念のいくつかは全面的に欠けているのである。


    † 原佑訳上巻、p.224〜p.225参照。
    † その他に、中山元訳2、p.74〜p.75、石川文康訳上巻、p.137を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−7 No.33016
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,33016

引用返信/返信 削除キー/
■33028 / inTopicNo.27)  Re[5]: 超越論的分析論Y−7
□投稿者/ pipit -(2023/09/12(Tue) 19:06:34)
    2023/09/12(Tue) 19:08:00 編集(投稿者)

    うましかさん、こんばんはー
    書き込みありがとうございます!

    No33016
    > ここのところ、カント先輩も『実践理性批判』や『実用的見地における人間学』で語った、"Solipsismus"沼にはまっておりました〜(;´・ω・)
    >
    > いろいろとネット上の情報をひろって調べていましたが、『岩波哲学・思想事典』p.1671〜p.1672の「利己主義(egoism)」の解説(川本隆史による)で、ようやくちょっとスッキリしてきました〜(/・ω・)/<

    私も興味あるのですが、純理沼に足を取られててそこまで進めなくて
    ( ; ; )

    ふと『観念論論駁』のことを思い出して、『カント事典』の『観念論論駁』の項目(p97)を読みました。
    『われわれの外なる物の存在を信仰に頼って想定しなければならないということは、哲学と普遍的人間理性のスキャンダルである』
    という文言が第二版序文にあると記述されていました。

    カントは『私自身の現存在の単なる、経験的に規定された意識は、私の外なる空間における対象の現存在を証明している』という定理を掲げたそうですけど、この観念論論駁の理屈もそのうち理解してみたいと思ってるんですよね。

    でもはやく倫理沼に進みたいかなー
    いっそ純理を飛ばすかどうかを考えてしまうのですが、
    やっぱり『超越論的演繹』読んでみたいなー
    私には、予想以上にめっちゃんこ難しくて苦戦してますけど(T . T)

    後でNo33016のカテゴリーの箇所を楽しみに読ませていただきますね。
    すごく勉強になります!

    ありがとうございます、おつかれさまです
    (o^^o)
引用返信/返信 削除キー/
■33032 / inTopicNo.28)  pipitさんへ (;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/09/12(Tue) 21:19:45)
    2023/09/13(Wed) 00:37:49 編集(投稿者)
    2023/09/12(Tue) 22:04:04 編集(投稿者)

    こんばんはー

    No.33028(pipitさん)

    >私も興味あるのですが、純理沼に足を取られててそこまで進めなくて

    すみませんm(__)m(´;ω;`)ウゥゥ
    ソリプシズムは、No.32819 にも書きましたが、私うましかの関心事の一つなのでした(;´・ω・)

    それよりも、、、、

    >ふと『観念論論駁』のことを思い出して、『カント事典』の『観念論論駁』の項目(p97)を読みました。

    (@ ̄□ ̄@;)!!

    さすがです。

    ところで中島義道を知っているpipitさん、

    No.32884 で紹介した、

    ◇ 中島義道「カントにはなぜ<他者論>がないのか?」,1994年

    http://www.showado-kyoto.jp/book/b96265.html

    において、中島はカントが他者論に接近する箇所の一つとして純理第二版の「観念論論駁」をあげています。ご存じのこととおもいますが、カントは第一版における彼の「観念論」がバークリ流の「主観的観念論」と曲解されたことに激昂し第二版で「観念論論駁」を書いたようです(中島,p.169〜p.170参照)

    この「主観的観念論」こそは、No.33016 で紹介した川本隆史の「利己主義(エゴイズム)」解説による「理論的エゴイズム」にあたり、(主観的観念論もしくは)「独我論とも呼ばれ、実在するものは自分の自我だけであると考える」もの。

    ちなみに川本の解説中に「理論的エゴイズム」は唐突にあらわれますが、「実践的エゴイズム」とセットで登場するところからみて、先にNo.32839で引用したショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』から援用したのかな(。´・ω・)?

    それはさておき、

    >『カント事典』の『観念論論駁』の項目(p97)

    ですね。石川文康による解説、その冒頭。

    >言葉の意味だけから言えば、『純粋理性批判』第二版において、外界(認識主体の外)の存在を疑ったり蓋然視するデカルト/バークリの哲学的立場に対して、カントが行った論駁のことを言う。< 

    もちろんそれを書くきっかけになったのは、ゲッティンゲン批評で、カントの観念論が、バークリらの観念論と同一視されたことでした(;´Д`A ```

    バークリの観念論と同一視されるのって、このエゴイストめがっ!!と口撃されるに等しかったのかなーとカント先輩に少しだけ同情するのでした。。。ま〜先輩は変●だから、チョーエツロンテキに乗り越えちゃったみたいですけどね(*‘∀‘)

    (/・ω・)/沼


引用返信/返信 削除キー/
■33040 / inTopicNo.29)  Re[5]: 超越論的分析論Y−7
□投稿者/ pipit -(2023/09/13(Wed) 21:50:32)
    うましかさん、こんばんはー

    No33016
    今pipitが読んでる箇所は「水の凍結」の知覚についてなので、

    判断表
    > ・仮言判断 〔Hypothetische〕 〔もしAがBなら、CはDである〕<

    からのー、

    カテゴリー表
    > ・原因性〔der Kausalitaet〕≠ニ依存性〔Dependenz〕 (原因と結果〔Ursache und Wirkung〕)<

    が気になります!


    > 〔もしAがBなら、CはDである〕<

    って、例えば、
    「もし明日が雨ならば、店は休業である。」
    みたいな判断なのかなぁ?
    この時使ってる機能が[ならば]なのかな?
    (AがB)が条件になってますよね。

    > ◆このように、直観一般の諸対象とア・プリオリに関わる純粋悟性概念が、先の判断表〔*1〕のうちで全ての可能的な判断における論理的機能が数えあげられたのと、まさに同じだけ生ずることになる。<

    [ならば]の論理的機能に対応してるカテゴリーが、

    > ・原因性〔der Kausalitaet〕≠ニ依存性〔Dependenz〕 (原因と結果〔Ursache und Wirkung〕)<

    ??
    (AがB)が原因で、(CはD)が依存性?

    私は仏教が好きなので十二因縁思い出します。
    無明に依て行が生じる。行に依て識が生じる。....

    ふむー

    「水の凍結」って何と何が原因性と依存性になってるのかなぁ?
    水と氷?温度?
    もし水温が0度なら、水は凍結する。
    ある条件下で、時間の中で対立している水と氷を、氷を結果として認識してる??

    んー?と御子柴先生の解説本を開くと、説明文がありました
    (^O^)v♪
    引用させていただきますm(_ _)m

    『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、角川選書、p230より引用
    (御子柴先生の解説)
    『 水が凍結するのを知覚する場合、私たちが実際に知覚しているのは、〈寸前まで液体であった水〉と〈現在、固体になった水〉です。
    ここには時間的な先後関係があります。
    しかし、私たちが〈固体になった水〉すなわち氷において凍結というできごとを見る場合、私たちはたんなる時間関係以上のものを見ているのではないでしょうか。というのは、〈眼前の氷は、以前は水だった〉というだけでは「凍結」というできごとを説明できないからです。
    確かにこのできごとは時間という形式によって規定されていますが、それを除いてみるなら、〈眼前の氷はなんらかの原因によって引き起こされた凍結の結果である〉という思考もまた働いていることが分かります。
    すなわち、〈現在、固体になった水〉を原因と結果という概念を用いて把握することで、それを〈寸前まで液体であった水〉の凍結というできごととして把握しているのです。こうしてみると、なるほどカテゴリーが、知覚されるできごとを規定しているのだということが分かります。
     以上のようにして私たちは、「覚知の総合」に定位して、経験的直観の多様の統一においてカテゴリーが機能していることを確認することができました。』
    引用終了

    いつもすごく勉強になっています、ありがとうございます
    (^_^)

引用返信/返信 削除キー/
■33041 / inTopicNo.30)  Re[17]: 純粋理性批判B163
□投稿者/ pipit -(2023/09/13(Wed) 23:31:26)
    2023/09/14(Thu) 18:43:36 編集(投稿者)

    次の箇所を一文だけがんばって寝ようかなと思ったら、、、

    (原文のDeedLによる英訳)
    Now this synthetic unity, as condition a priori, under which I connect the manifold of an apprehension in general, if I abstract from the constant form of my inner apprehension, time, is the category of the cause, by which I, if I apply it to my sensuousness, determine everything that happens in time in general according to its relation.

    これで一文でした...長いです。

    (原文のDeepLによる日訳) 
    しかし、この合成的統一は、私が私の内的知覚の一定の形式である時間から抽象するとき、私が一般的な知覚の多様体を接続する先験的条件として、私がそれを私の感覚に適用するとき、私がその関係に従って時間一般に起こるすべてのことを決定する原因の範疇である。

    また明日以降に読んでみようと思います。
    おつかれさまです、おやすみなさい!

引用返信/返信 削除キー/
■33053 / inTopicNo.31)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/09/14(Thu) 23:44:11)
    2023/09/14(Thu) 23:53:10 編集(投稿者)

    五十嵐涼介さんがカテゴリーについてなんかおっしゃってないかなーと検索すると、ごく短い文章が出てきました。
    ----------------------------

    時空間情報のオントロジーとしてのカント『純粋理性批判』五十嵐涼介さん

    https://phsc.jp/dat/rsm/20210620_20A3.pdf

    ----------------------------

    オントロジーとは、、_φ(・_・

    https://juniprog.com/it/ontology-virtual-currency-ai

    ----------------------------

    五十嵐さんの文の中に出てきたドメインオントロジーのインスタンス?とカテゴリー(&直観)との対応表がおもしろかったです。

    Function/
    Causality and Dependence

    Similarities/
    Quantity

    Observables/
    Quality

    Existence/
    Intuition

    などなど...

    ドメインオントロジーとか、インスタンスとか、よくわからないけど、英単語のイメージとカテゴリー(&直観)の対応を考えて、雰囲気だけでもおもしろく思いました。

    ※※※※※※※※

    純粋理性批判の一文読み進めたかったけど、眠くて寝るかもー
    (( _ _ ))..zzzZZヌマ
引用返信/返信 削除キー/
■33070 / inTopicNo.32)  Re[19]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/15(Fri) 20:54:21)
    ■33053、ちょっとひっかかったんで、

    >オントロジーとは、、<
    https://juniprog.com/it/ontology-virtual-currency-ai
    を書いた人に聞きたいのね。あ、pipitさまにじゃなくてね。

    〔オントロジーは、もともと哲学用語で「存在論」を意味していました。目の前にある具体的なモノ(存在者)の個別的な性質を超えて、そうしたモノを存在させるメカニズム(存在)を問題化し考察する形而上学の一分野がオントロジーでした。〕の、〔もともと哲学用語で「存在論」を意味していました〕っていうところ。

    その人、「存在論」について書いた誰か哲学者の本(訳本でもいいんだけど)を読んだ上での言なのかしら?って。







引用返信/返信 削除キー/
■33078 / inTopicNo.33)  Re[20]: 日記
□投稿者/ pipit -(2023/09/15(Fri) 21:59:32)
引用返信/返信 削除キー/
■33080 / inTopicNo.34)  Re[18]: 純粋理性批判B163
□投稿者/ pipit -(2023/09/16(Sat) 00:46:44)
    2023/09/16(Sat) 06:37:50 編集(投稿者)
    2023/09/16(Sat) 00:52:29 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは。原文のDeepLによる英訳をpipitが日訳してみました。
    No33041
    「さて、この総合的統一は、
    私が直観一般の多様を結合するためのアプリオリな条件であるが、
    もし私の内的な直観の常なる形式である時間を捨象するなら、
    この総合的統一とは原因のカテゴリーであり、
    もし私が原因のカテゴリーを私の感覚に適用するなら、その関係に従って時間一般の中で起こる全てのことを規定する。」

    原文からJ. M. D. Meiklejohnさんが訳された英文は、

    「Now this synthetical unity, as the a priori condition under which I conjoin the manifold of an intuition, is, if I make abstraction of the permanent form of my internal intuition (that is to say, of time), the category of cause, by means of which, when applied to my sensibility, I determine everything that occurs according to relations of time. 」
引用返信/返信 削除キー/
■33091 / inTopicNo.35)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/09/16(Sat) 22:01:09)
    ヨルシカ ♪アルジャーノン
    https://youtu.be/_9_rUFrgLI8?si=DQyp7VDplNPq5btr

    知識も、泡雪のように溶けていくのかなぁ

    言葉がないと知識は伝承されないのかなぁ

    地球がなくなったとき知識は

    心にあるのかなぁ

    ないのかなぁ
引用返信/返信 削除キー/
■33112 / inTopicNo.36)  Re[19]: 純粋理性批判B163
□投稿者/ pipit -(2023/09/17(Sun) 18:02:37)
    みなさまこんばんはー。
    No33080の続きです。

    (J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    Consequently apprehension in such an event, and the event itself, as far as regards the possibility of its perception, stands under the conception of the relation of cause and effect: and so in all other cases.

    (英訳のpipit日訳)
    その結果、そのような出来事(水の凍結)における把握およびその出来事自体は、その知覚の可能性に関して言えば、原因と結果の関係という概念の下に立つことになる。そのほかの全ての場合についても同様である。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap51

引用返信/返信 削除キー/

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