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■33462 / inTopicNo.61)  Re[38]: 純粋理性批判B164
  
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 00:52:33)
    みなさま、こんばんは。

    No33413に返信(pipitさんの記事)
    > 同箇所のカントの原文をDeepLに英訳してもらったのはこちら↓
    >
    > Now that which connects the manifold of sensual perception is imagination, which depends on the understanding of the unity of its intellectual synthesis, and on the sensuality of the manifold of apprehension.

    (pipit日訳)
    さて、感覚的直観の多様を結合するのは想像力(構想力)である。
    想像力は、知的合成の統一を知性に頼り、
    把握の多様を感性に頼る。

    ========

    (pipit雑感)
    多様と訳した『manifold』が今更ながら気になってます…

    多様って、全然詳しくないんだけど、数学の『多様体』みたいなイメージも含んでカントは使ってるのかなぁ
    無量の、たくさんの、様々な、という意味もあるんだと思うんだけど、
    感性的な場面での多様(manifold)って、空間(広がり)みたいなイメージも持ってるのかなぁって、ボヤボヤと気になってます。

    想像力が感性に依存して把握(覚知)の多様を行う....

    空間&かたち・を作る、みたいなイメージあるのかなぁ、ないのかなぁと気になってます。
    そういえば、想像力が行うのは[形象的総合]やったような...


    『カント事典』p328に『多様』が載ってて、以下のような記述がありました。(執筆者:岡村信孝先生)

    『(略)悟性は感覚を空間・時間において秩序づけながら、空間・時間を秩序づけの形式として、したがってまた一つの全体として対象化して把握するのである。
    この対象化された空間・時間はもちろん無限に小さく取ることのできる部分から成っており、これらの空間・時間の可能的部分に対してもカントは多様という名を当て、それを「感性のアプリオリな多様」[B102]とか「純粋直観の多様」[同]と呼ぶ。
    (略)』
    引用終了。


    沼....(( _ _ ))..zzzZZ
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■33464 / inTopicNo.62)  apprehension
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 07:33:08)
    2023/09/24(Sun) 07:35:06 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます。
    apprehension(覚知、把握、把捉)という単語も再び気になったので掲示板を検索すると、過去のpipitの投稿記事がでてきました。
    内容を覚えてなかったけど、読み直すと、
    [覚知]という単語に、(意識されていない直観から形のある対象物を構成して、顕在意識に配置する意味を付加してカント文を読んでも、いいかな?)と思えてきました。
    全然誤解してるかもですけど、、、

    以下No10287再掲(第一版での記述について、です。)
    ↓投稿タイトルは『純粋悟性概念の演繹(初版)・Apprehension』


    ============
    私見で進んでみます。



    三様の総合
    1.直観における把握(アプレヘンジオン)による総合について
    2.
    3.


    上記1は、中山元先生の訳。
    御子柴善之先生は、直観における覚知の総合、と、訳されてます。

    御子柴善之先生の『カント純粋理性批判』p162.163より引用します。かなり大胆に略しています。御子柴善之先生の伝えたい意図を誤読して、変な略仕方してたらすみません。
    引用開始
    『(略)幅をもたない瞬間においては、ひとつの表象が得られるだけです。(略)、そもそも多様が成立するには時間の区切りが必要です。(略)時間における多様としてまとめられます。カントは、このような働きを「目を通したものをまとめる」と表現して、それに「覚知の総合」という名称を与えます。「覚知」とは耳慣れない用語ですね。これは、もっぱら受動的な「知覚」(表象の意識)に対して、その知覚内容を自発的に把握する働きを表現するために「覚知」という訳語が採用されたと見ることもできます。「知覚」と「覚知」では、こころの働きの方向が反対になっているのです。』
    引用終了

    『純粋理性批判』においては、覚知・把握・把捉などと訳されている【Apprehension】についての私見書きます。
    ちなみに、apは、対する、という意味があるみたいです。

    それで、どうもカントは、少なくとも初版のこの箇所では、例えば今みなさまがこの画面を見てる時に得られる映像、や、耳に入る音、などを、【こころの変容】と捉えてるみたいなんです。(御子柴善之先生本p160参照)
    三様の総合の論説に入る前の注意の一部として、

    『私たちの一切の認識もこころの変容としてはつまるところやはり内官の形式的条件に、すなわち時間に従っている。私たちの表象がそこで総じて秩序づけられ、結合され、関係づけられねばならないような、時間に従っている。』
    (カントのA98fを御子柴善之先生が訳された文章)

    とあります。

    わたしたちは、一瞬、一瞬、を次々と体験してますよね。
    この、次々に起こる、という性質が、もう時間の形式と考えていいのじゃないかとわたしは思っています。
    覚知、は、次々と起こる一瞬、を、複数まとめて捉える機能だと思っています。

    一瞬、だけだと、そこには、ただその一瞬があるだけで、区別も何もないですよね。
    そのことを表現したのが、

    『(略)一瞬に含まれるものとしては、いずれの表象も絶対的統一以外のものであることができないからである。(略)』
    (カントのA99を御子柴善之先生が訳されたもの。御子柴先生本p162より引用)

    だと思いました。

    わたしたちが、多様、というものを手に入れるためには、認識上の形式である【時間】が必要ということではないかと。

    そして、多様、という認識のための材料準備をしてくれているのが、
    三様の総合の第一番目、直観における覚知(把捉)の総合、ではないかと。

    このような総合を行う能力が、人間にはアプリオリに備わっている、と、カントはこの初版では言ってるのかな?と今のところ考えました。
    もちろん、めっちゃ誤解している可能性も大有りです。

    が、進みたいので、

    とりあえずは、これが認識に必然的にあらわれる三様の総合の一つ。残りは二つ。
    =======
    再掲終了
引用返信/返信 削除キー/
■33465 / inTopicNo.63)  岡村信孝先生の論文
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 07:42:14)
    『盲目の 直観 ーーーカン ト直観論への一考察ーーー』
    岡村信孝先生

    https://core.ac.uk/download/70325145.pdf

    1987年の論文です_φ(・_・

    まだ全部読めてないけど、pipitには参考になりそう!
引用返信/返信 削除キー/
■33469 / inTopicNo.64)  manifold(多様)日記
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 08:24:42)
    結果としての「多様」と、可能性としての「多様」、、、

    アプリオリな多様を前提とした、リアルの多様

    No33462に返信
    > (pipit日訳)
    > さて、感覚的直観の多様を結合するのは想像力(構想力)である。
    > 想像力は、知的合成の統一を知性に頼り、
    > 把握の多様を感性に頼る。
    >
    > ========
    >
    > (pipit雑感)
    > 多様と訳した『manifold』が今更ながら気になってます…
    >
    > 多様って、全然詳しくないんだけど、数学の『多様体』みたいなイメージも含んでカントは使ってるのかなぁ
    > 無量の、たくさんの、様々な、という意味もあるんだと思うんだけど、
    > 感性的な場面での多様(manifold)って、空間(広がり)みたいなイメージも持ってるのかなぁって、ボヤボヤと気になってます。
    >
    >
    > 『カント事典』p328に『多様』が載ってて、以下のような記述がありました。(執筆者:岡村信孝先生)
    >
    > 『(略)悟性は感覚を空間・時間において秩序づけながら、空間・時間を秩序づけの形式として、したがってまた一つの全体として対象化して把握するのである。
    > この対象化された空間・時間はもちろん無限に小さく取ることのできる部分から成っており、これらの空間・時間の可能的部分に対してもカントは多様という名を当て、それを「感性のアプリオリな多様」[B102]とか「純粋直観の多様」[同]と呼ぶ。
    > (略)』
    > 引用終了。

引用返信/返信 削除キー/
■33470 / inTopicNo.65)  Pipitさん
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/09/24(Sun) 08:35:32)
    No33465に返信(pipitさんの記事)
    > 『盲目の 直観 ーーーカン ト直観論への一考察ーーー』
    > 岡村信孝先生
    >
    > https://core.ac.uk/download/70325145.pdf
    >
    > 1987年の論文です_φ(・_・
    >
    > まだ全部読めてないけど、pipitには参考になりそう!


    はい、おはようございます。

    この論文は面白そうです ( ´∀` )
引用返信/返信 削除キー/
■33472 / inTopicNo.66)  マジモンさんへ
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 08:54:39)
    マジモンさん、おはようー(^_^)

    No33470
    > この論文は面白そうです ( ´∀` )<

    あら、興味持ってもらえました?

    まだ最初の数ページしか目を通してなかったんですけど、後で最後まで読んでみようかなーと、マジモンさんが書き込んでくれたからそう思いました。

    ありがとうね!
引用返信/返信 削除キー/
■33493 / inTopicNo.67)  宇宙通信日記
□投稿者/ pipit -(2023/09/24(Sun) 16:52:06)
    『【ストリートピアノ】羽田空港でディズニーの名曲を弾いてみた!【星に願いを】』
    まーくんピアノ さん

    https://youtu.be/EZ77S03M7Uk?si=bZW2IlBtybQBaKmh

    羽田空港ってのもいいよね!

    空(そら)、おもしろいよねー (*^ω^*)

    ※ちなみにタイに行ってみたい....
引用返信/返信 削除キー/
■33535 / inTopicNo.68)  今日の宇宙通信日記
□投稿者/ pipit -(2023/09/26(Tue) 12:23:49)
引用返信/返信 削除キー/
■33538 / inTopicNo.69)  Re[39]: 純粋理性批判B164
□投稿者/ pipit -(2023/09/26(Tue) 20:33:49)
    みなさまこんばんは♪
    No33462の続きです。
    アクセス禁止になるので、長ーーーい一文(カント原文のDeepL英訳)を少しずつ分けて投稿してみます。

    Since all possible perception depends on the synthesis of apprehension,

    (pipit日訳)
    全ての可能的知覚は覚知の総合に依拠するから、

    --------------

    perceptionと英訳されてる元の単語は、Wahrnehmung(知覚)
    apprehensionの元単語は、Apprehensionでした。



引用返信/返信 削除キー/
■33541 / inTopicNo.70)  Re[40]: 純粋理性批判B164
□投稿者/ pipit -(2023/09/26(Tue) 20:50:28)
    No33538の続きです。

    and since this empirical synthesis itself depends on the transcendental synthesis, i.e., on the categories,

    そしてこの経験的総合それ自体が超越論的総合、つまりカテゴリーに依拠してるから、

引用返信/返信 削除キー/
■33542 / inTopicNo.71)  Re[41]: 純粋理性批判B164
□投稿者/ pipit -(2023/09/26(Tue) 21:33:51)
    No33541の続きです♪

    all possible perceptions, i.e., everything that can always reach empirical consciousness, i.e., all phenomena of nature, must, according to their connection, be under the categories,

    すべての可能的知覚、すなわち、経験的意識に常に到達が可能なすべてのもの、すなわち、自然のすべての現象は、その結合に関しては、そのカテゴリの下になければならず、

引用返信/返信 削除キー/
■33543 / inTopicNo.72)  Re[42]: 純粋理性批判B164
□投稿者/ pipit -(2023/09/26(Tue) 21:54:53)
    No33542
    長い一文の最後です。

    on which nature (considered merely as nature in general) depends as the original ground of its necessary lawfulness (as natura formaliter spectata).

    (単に自然一般として考えられる)自然は、(形式から見られた自然としての)その必然的法則性の根源的根拠をカテゴリーに依拠している。
引用返信/返信 削除キー/

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