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■33585 / inTopicNo.85)  Re[48]: 純粋理性批判B165
  
□投稿者/ pipit -(2023/09/28(Thu) 23:12:49)
    No33579, 33582, 33583, 33584 の日本語訳をまとめてみました。

    しかし、単なるカテゴリーによって現象にアプリオリに法則を規定する(知性の)純粋な能力には、
    〈自然一般が、空間と時間の現象法則への適合性として依拠する法則〉以上の法則を宣言する能力はない。

    特殊な法則は、経験的に特定な現象に関するものであるため、たとえそれらがすべてその(カテゴリーの)下にあったとしても、そこ(カテゴリー)から完全に導き出すことはできない。

    一般に後者(特殊な法則)を知るためには、経験を加えなければならない;
    しかし、経験一般について、そして経験の対象として認識できるものについては、それらアプリオリな法則のみが教示を与える。

    ============

    この箇所あたりの御子柴先生や黒崎先生の解説に目を通してみたいなと思ってます。
    今日も一日おつかれさまです!

    今日はめちゃんこ月が綺麗でした。
    おやすみなさいー(^_^)

    https://youtu.be/7Sf2E3U8EnA?si=P0-7hadKhtB3vSUv
引用返信/返信 削除キー/
■33604 / inTopicNo.86)  名月記念
□投稿者/ pipit -(2023/09/29(Fri) 23:25:28)
    2023/09/29(Fri) 23:35:47 編集(投稿者)

    今日は中秋の名月。何回か外に見に行ってるけど、めちゃんこ綺麗で光も強く感じます。
    お団子買えばよかったなー

    カントの『純粋理性批判』にも『月』が出てくるんですよ。例えばB521。
    対象は(考えているだけではなく)知覚された時に現実存在となる、みたいな記述かな?(この記述は中山先生訳の第五巻にあって、pipitが現在読んでいるのは第二巻なのでちゃんとはわからないのですが(T . T))

    引用します。『純粋理性批判5』カント、中山元先生訳、p169より引用。
    『経験の対象というものは、決してそれ自体として与えられるものではなく、経験のうちだけで与えられるのであり、経験の外にはまったく現存しない。
    月にも生命が住んでいるかもしれないし、これまで地球の人間が誰一人として月の生物に出会ったことがないとしても、その可能性は認める必要がある。
    ただし、これが意味しているのは、わたしたちの経験が進んでゆくにつれて、やがては月に生きる生物と出会うことができるかもしれないということだけである。
    〈経験の進みゆき〉の法則にしたがって、わたしたちの知覚と関連しているものはすべて現実的なものである。
    だから月に生きる生物が現実となるのは、わたしの現実的な意識と経験的な結びつきをもつようになったときのことである。
    そしてこうした生物は、このような[未来への]〈経験の進みゆき〉の外部において、そのものとして現実的なものであるわけではないのである。』
    引用終了

引用返信/返信 削除キー/
■33606 / inTopicNo.87)  Re[50]: 名月記念
□投稿者/ pipit -(2023/09/29(Fri) 23:32:31)
    おぉ、眠たすぎて、引用終了した時点で投稿してしまった

    今日は仕事内でイベントあって疲れたなぁ

    カントの勉強しなかったけど、今日はもう寝ようかな 

    おやすみなさい(-_-)zzz
引用返信/返信 削除キー/
■33645 / inTopicNo.88)  心のうた日記
□投稿者/ pipit -(2023/10/01(Sun) 17:03:49)
    ♪あーつかれたわー

    ♪コロナ明けの久しぶりの町民運動会ー

    ♪感覚を忘れていたのー

    ♪普段のお出かけ着で行ったら、スポーツウェアが超主流だったわい

    ♪まぁいいよね (^○^)

    ちなみにわが町内会、毎年勝手に各競技の出場者名が印刷されてて、出れない人は代わりの人を自分で探してください、と書かれたプログラムが事前に配布されます......

引用返信/返信 削除キー/
■33655 / inTopicNo.89)  純粋理性批判B165
□投稿者/ pipit -(2023/10/01(Sun) 21:38:40)
    2023/10/01(Sun) 21:46:22 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは(^_^)
    No33585

    (原文の英訳のpipit日訳)
    > しかし、単なるカテゴリーによって現象にアプリオリに法則を規定する(知性の)純粋な能力には、
    > 〈自然一般が、空間と時間の現象法則への適合性として依拠する法則〉以上の法則を宣言する能力はない。<

    (pipit感想)
    pipitの私見では、〈自然一般が、空間と時間の現象法則への適合性として依拠する法則〉とは、カントが言うところの《ア・プリオリな総合判断の原則》のことかな、と今の所考えています。

    まず《ア・プリオリな総合判断の原則》についての簡易な概説を西研先生の解説から、
    もう少し詳しい個々の説明を御子柴先生の解説から引用します。

    ★ 《ア・プリオリな総合判断の原則》について
    ==============
    『100分de名著 カント純粋理性批判』西研先生、NHKテキスト、p54より引用

    『この「原則」はカテゴリーと同じく四種類ですが、合計八個あります(略)。
    これらの原則がどうやって成り立つかを示すことが、数学と科学の基礎づけとなるのですが、では、具体的にどうやってこれを示すのでしょうか?
    ---感性に備わるア・プリオリな形式である空間・時間(直観)と、悟性が備えるア・プリオリな概念(カテゴリー)とを結び合わせることによって、カントはこれらの原則を導出していきます。
    つまり、共通規格として設定された二つの層を結びつけることで、どんな人にも共通な「認識のさいに働く原則」を導き出すというわけです。』

    ===============
    『カント哲学の核心『プロレゴーメナ』から読み解く』御子柴善之先生、p140.141より引用

    1「直観の公理」の原理:「すべての直観は外延量である。」(B202)

    2「知覚の予科」の原理:「すべての現象において、感覚の対象である実在的なものは、内包量つまり度をもつ。」(B207)

    3「経験の類推」の原理:「経験は、諸知覚の必然的結合の表象によってのみ可能である。」(B218)
    A.第一類推:実体の持続性の原則
      「現象のすべての変移に際して、実体は持続し、そして実体の量は自然の中で増えも減りもしない。」(B224)
      B.第二類推:原因性の法則に従った時間継起の原則
      「あらゆる変化は、原因と結果の結合の法則に従って生起する。」(B232)
    C.第三類推:交互作用あるいは相互性の法則に従った同時存在の原則
       「すべての実体は、空間の中で同時的なものとして知覚される限り、一貫した交互作用の中にある。」(B256)

    4「経験的思考一般の要請」(A218/B265-266)
       1.経験の形式的条件(直観と概念とにかんする)と一致するものは、可能的である。
       2.経験の質料的(感覚)と連関するものは、現実的である。
       3.現実的なものとの関連が、経験の普遍的条件に従って規定されているものは、必然的である。(必然的に現実存在する)。』
    引用終了
    ================
    (pipit感想)
    お勉強後にもう一度日訳を読んでみます。

    (原文の英訳のpipit日訳)
    > しかし、単なるカテゴリーによって現象にアプリオリに法則を規定する(知性の)純粋な能力には、
    > 〈自然一般が、空間と時間の現象法則への適合性として依拠する法則〉以上の法則を宣言する能力はない。<

    ふむふむ、上記「原則」の内容がアプリオリに認識できる事柄であって、知性にはアプリオリとしてはここまでしか言及できない、ということかな?

    とりあえずここまでを投稿します。
引用返信/返信 削除キー/
■33658 / inTopicNo.90)  超越論的分析論Y−8
□投稿者/ うましか -(2023/10/01(Sun) 22:26:35)
    2023/10/01(Sun) 22:27:25 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    やっぱカント先輩って変●だなーとしみじみおもいます。

    ナニをくどくど言ってるのか全然わからない( ノД`)シクシク…

    永井均もわからないけど、永井のくどさを変●の所業とは感じない

    この違いはいったいなんなのか。。。(。´・ω・)?謎沼

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて

    ■ 判 断 表 ■

    1 判断の量=kQuantitaet der Urteile.〕
    ・全称判断 〔Allgemeine〕 〔すべてのAはBである〕 
    ・特称判断 〔Besondere〕 〔あるAはBである〕
    ・単称判断 〔Einzelne〕  〔ある一つのAはBである〕

    2 〔判断の〕質=kQualitaet.〕
    ・肯定判断 〔Bejahende〕 〔AはBである〕
    ・否定判断 〔Verneinende〕 〔AはBでない〕
    ・無限判断 〔Unendliche〕 〔Aは非Bである〕

    3 〔判断の〕関係=kRelation.〕
    ・定言判断 〔Kategorische〕 〔AはBである〕
    ・仮言判断 〔Hypothetische〕 〔もしAがBなら、CはDである〕
    ・選言判断 〔Disjunktive〕 〔Aは、BであるかCであるかDであるかのいずれかである〕

    4 〔判断の〕様相=kModalitaet.〕
    ・蓋然的判断〔Problematische〕 〔AはBかもしれない〕
    ・実然的判断〔Assertorische〕 〔AはBである〕
    ・確然的判断〔Apodiktische〕 〔AはBでなくてはならない〕

    ■ カテゴリー表 ■

    1 量〔Der Quantitaet:〕
    ・単一性〔Einheit〕
    ・数多性〔Vielheit〕
    ・全体性〔Allheit.〕

    2 質〔Der Qualitaet:〕
    ・実在性〔Realitaet〕
    ・否定性〔Negation〕
    ・制限性〔Limitation.〕

    3 関係〔Der Relation:〕
    ・内属〔der Inhaerenz〕≠ニ自体存在〔Subsistenz〕 (実体と偶有性 substantia et accidens)
    ・原因性〔der Kausalitaet〕≠ニ依存性〔Dependenz〕 (原因と結果〔Ursache und Wirkung〕)
    ・相互性〔der Gemeinschaft〕=@(能動的なものと受動的なものとの間の相互作用〔Wechselwirkung zwischen dem Handelnden und Leidenden〕)

    4 様相〔Der Modalitaet:〕
    ・可能性〔Moeglichkeit〕=|不可能性〔Unmoeglichkeit〕
    ・現存在〔Dasein〕=|非存在〔Nichtsein〕
    ・必然性〔Notwendigkeit〕=|偶然性〔Zufalligkeit〕

    ◆ さて、これ〔カテゴリー〕は、綜合の全ての根源に純粋な諸概念を明示したものであり、そうした純粋な概念を悟性は自分自身のうちにア・プリオリに含んでおり、このためだけからでも悟性は純粋な悟性である。つまり、悟性はこうした純粋な概念によってのみ、直観の多様なものについて或るものを理解し得るのである。換言すれば、直観の〔対象である〕客観を思考し得るのである。
    この〔カテゴリーの〕区分は、一つの共通的な原理、すなわち判断する能力(これは思考する能力と同じものである)に基づいて、体系的に作り出されており、行き当たりばったりに純粋な概念を運を天にまかせて探し出して成立したものではなく、そのような探し方による純粋な概念の完全な列挙については、人は決して確信を持ち得ない。というのも、その列挙が完全なものかどうかは帰納によって推論する他はなく、何故悟性に内在するのが、まさしくこれらの諸概念であって他の概念でないのかは、帰納によっては決して洞察されないということを考慮しないからである。
    こうした根本概念を探し出すことは、アリストテレス≠フような明敏な人にふさわしい計画であった。しかし、彼はいかなる原理も持っていなかったので、そうした根本概念を行き当たりばったりにかき集めて、それらをはじめ10個探し出し、それをカテゴリー〔Kategorien〕 (賓辞〔Praedikamente〕)と名付けた。その後、アリストテレスは〔そうした根本概念を〕さらに5個発見したと信じ、それらを後賓辞〔Postpraedikamente〕と呼び付け加えた。
    しかしながら、アリストテレスの表は依然として欠陥を残したままであった。その上、純粋感性のいくつかの様態modi、(時間quando、場所ubi、位置situs、同じく前時prius、同時simul)、また一つの経験的な様態(運動motus)も、またそのうちには見いだされるが、これらは悟性のこの系図の内には全く見出されてはならないものであり、或いはまた、いくつかの派生的な概念(能動actio、受動passio)もまた、根源的な概念のうちにいっしょに数え入れられているとともに、根源的な概念のいくつかは全面的に欠けているのである。

    --- No. 32849,33016からの続き ---

    ◆ それ故、この根源的な概念のためになお注意しておくべきことがある。
    カテゴリーは、純粋悟性の真の基幹概念≠ニして、己の同じく純粋な派生的な概念≠も持っている。そうした派生的な概念は、超越論的哲学の完璧な体系においては断じて見落とされることはできないが、しかし私は、ここではもっぱら批判を試みているのであるから、そうした派生的な概念に関しては単に言及することで満足してよいであろう。

    ◇ こうした純粋ではあるが派生的な悟性概念を、純粋悟性の準賓辞(賓辞に対して)と名付けることを許されたい。


    † 原佑訳上巻、p.226参照。
    † その他に、中山元訳2、p.76、石川文康訳上巻、p.138を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,33016,33658

引用返信/返信 削除キー/
■33659 / inTopicNo.91)  Re[6]: 超越論的分析論Y−8
□投稿者/ pipit -(2023/10/01(Sun) 23:05:06)
    うましかさん、こんばんはー(^○^)

    No33658
    > やっぱカント先輩って変●だなーとしみじみおもいます。
    >
    > ナニをくどくど言ってるのか全然わからない( ノД`)シクシク…<

    はいー、私もほんとーに、変◯やな....とカントのことよく思います....

    pipitの先ほどの投稿(No33655)も、たった一文を読むために、右往左往....
    ある意味、読解者も変☆彡..............

    > ◆ それ故、この根源的な概念のためになお注意しておくべきことがある。
    > カテゴリーは、純粋悟性の真の基幹概念≠ニして、己の同じく純粋な派生的な概念≠も持っている。<

    カテゴリーは派生概念を持つということなのかな???

    >そうした派生的な概念は、超越論的哲学の完璧な体系においては断じて見落とされることはできないが、しかし私は、ここではもっぱら批判を試みているのであるから、そうした派生的な概念に関しては単に言及することで満足してよいであろう。<

    なんでそんな謎沼残すんですかー
    (T . T)


    > ◇ こうした純粋ではあるが派生的な悟性概念を、純粋悟性の準賓辞(賓辞に対して)と名付けることを許されたい。<

    ん?

    カント先輩は思考回路が根本的に変わってるんですかねー
    それとも???

    この先を日本語訳で見てみましたけど、けっこうな沼沼が続きますね
    おつかれさまです (/ _ ; )

引用返信/返信 削除キー/
■33668 / inTopicNo.92)   超越論的分析論Y−9
□投稿者/ うましか -(2023/10/02(Mon) 23:21:56)
    2023/10/02(Mon) 23:24:05 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー


    (=_=)ね、、眠いっす。。。


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて

    ◆ それ故、この根源的な概念のためになお注意しておくべきことがある。
    カテゴリーは、純粋悟性の真の基幹概念≠ニして、己の同じく純粋な派生的な概念≠も持っている。そうした派生的な概念は、超越論的哲学の完璧な体系においては断じて見落とされることはできないが、しかし私は、ここではもっぱら批判を試みているのであるから、そうした派生的な概念に関しては単に言及することで満足してよいであろう。

    --- No.33658からの続き ---

    ◇ こうした純粋ではあるが派生的な悟性概念を、純粋悟性の準賓辞=i賓辞に対して)と名付けることを許されたい。

    ◇ 根源的で本源的な諸概念が得られるなら、派生的で従属的な諸概念は容易に付加されることができ、純粋悟性の系譜は完全に描きあげられる。

    ◇ しかし、ここでの私の問題は、この体系の完璧さにあるのではなく、一つの体系のための諸原理にあるに過ぎないので、私はこのような補足は別の仕事として取っておく。

    ◇ しかし、人が存在論の教科書を手に取り、例えば、原因性というカテゴリーには力、能動、受動という準賓辞を従属させ、相互性というカテゴリーには現在、抵抗という準賓辞を従属させ、様相の賓辞に、発生、消失、変化その他の準賓辞を従属させるなら、その目的は、かなり達成されるのである。

    ◇ 諸カテゴリーを純粋感性の諸様態modiと結合したり、或いはまたこれらの諸カテゴリー相互を結合したりすると、多数のア・プリオリで派生的な概念が生ずる。それら多数の派生的な概念に注意し、また可能なら完璧に明示することは、有用で、不愉快ではない骨折りではあるが、ここでは必ずしもやってみる必要の無いことであろう。


    † 原佑訳上巻、p.226〜p.227参照。
    † その他に、中山元訳2、p.76〜p.77、石川文康訳上巻、p.138を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,33016,33658,33668

引用返信/返信 削除キー/
■33689 / inTopicNo.93)  Re[7]: 超越論的分析論Y−9
□投稿者/ pipit -(2023/10/04(Wed) 00:14:10)
    うましかさん、こんばんはー(^ ^)

    No33668
    > ◇ こうした純粋ではあるが派生的な悟性概念を、純粋悟性の準賓辞=i賓辞に対して)と名付けることを許されたい。
    >
    > ◇ 根源的で本源的な諸概念が得られるなら、派生的で従属的な諸概念は容易に付加されることができ、純粋悟性の系譜は完全に描きあげられる。
    >
    > ◇ しかし、ここでの私の問題は、この体系の完璧さにあるのではなく、一つの体系のための諸原理にあるに過ぎないので、私はこのような補足は別の仕事として取っておく。
    >
    > ◇ しかし、人が存在論の教科書を手に取り、例えば、原因性というカテゴリーには力、能動、受動という準賓辞を従属させ、<

    力...動き....
    「原因」という概念の下に、「力」「受動」「能動」という概念が生じる、ということかなぁ。
    力をwikiでみてみると
    『力(ちから)は、物事が変化する原因となるもの。またはその象徴を指す。』
    とありました。
    原因という文字が出てきますが、この概念が『力』という概念を下支えしているとカントは考えているのかなぁ....
    変化させる側(能動)と変化させられる側(受動)。背後に「原因」という概念...
    俗っぽく言えば、「原因」を「犯人」と換言すればわかりやすくなるかな???

    >相互性というカテゴリーには現在、抵抗という準賓辞を従属させ、<

    対等のものが2つという意味なのかなぁ。
    ネットで相互性を検索すると、
    『読み方:そうごせい
    相互関係がある性質、または相互に作用があるような状態を表す言い回し。特に、相互に他を補うような関係性などについて言われる。』とありました。

    相互関係があるから、、、なにゆえ現在???
    抵抗はまだわかるかなぁ。
    コンフリクトみたいな?

    >様相の賓辞に、発生、消失、変化その他の準賓辞を従属させるなら、その目的は、かなり達成されるのである。<

    なんで様相にこんな言葉が??(T . T)
    可能な世界で生滅変化する?全然違うかな....

    > ◇ 諸カテゴリーを純粋感性の諸様態modiと結合したり、或いはまたこれらの諸カテゴリー相互を結合したりすると、多数のア・プリオリで派生的な概念が生ずる。それら多数の派生的な概念に注意し、また可能なら完璧に明示することは、有用で、不愉快ではない骨折りではあるが、ここでは必ずしもやってみる必要の無いことであろう。<

    なんかわかりませんが、妙に面白味のある文章に思えます......
    沼ですね!!

    カント沼文章、おつかれさまです(^O^)♪
引用返信/返信 削除キー/
■33690 / inTopicNo.94)  カテゴリー☆相互性☆日記
□投稿者/ pipit -(2023/10/04(Wed) 08:53:06)
    みなさまおはようございます。
    カントが主張する純粋悟性概念(カテゴリー)の中の一つに、関係についての『相互性』という概念があります。

    J. M. D. Meiklejohnさん英訳では
    『Of Community (略 )』※アクセス禁止になるので略しました。カテゴリー表の英訳ページを載せておきます。
    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap37


    ---------------------
    ↓以下はカントの純粋理性批判の説明ではなく、一般的なCommunity 、reciprocity 、agent、patientの語句説明です。
    ---------------------
    ※参考資料@コトバンク『コミュニティー(community)』
    居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。

    ※参考資料Aコトバンク『reciprocity』
    (名)相互取引 相互性 相互関係 相互主義 互恵主義 相互作用 相互互恵 相互利益 相互依存の関係[状態] 互恵関係
    equal reciprocity&#8232;相互平等主義
    Japan-China reciprocity&#8232;日中の互恵関係

    ※参考資料Bwiki『主題役割(しゅだいやくわり、英: thematic role)』
    agent 動作主
    patient被動者
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E9%A1%8C%E5%BD%B9%E5%89%B2
    ---------------------

    上記の一般的語句説明でなんとなくイメージ出来てきたのですが、
    世界に個が同時存在すると認識するための純粋悟性概念が『相互性』という概念(認識機能)なのかなぁと思いました。

    『カント事典』p309の『相互作用』の一節に、
    『そこで問題になっているのは、われわれは何を根拠に、この世界における多数の物が、ある時点に「同時に」存在していると言えるのかという問題である。』
    とありますが、
    そのように捉える人間認識側の理由として純粋悟性概念をカントは唱え、カント的には演繹によって概念の客観的妥当性を論証した(賛否あり)ということなのかなぁと、思いました。

    岩井拓朗先生の
    『空間における同時存在のカント的理解』という論文が公開されていました。

    https://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/ron34/06-IWAI.pdf

    季節の変わり目だからなのか、めちゃ眠く、頭も働かないので、きちんと考えたり読んだり出来てないのですが
    (><)
    (-_-)zzz

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■33776 / inTopicNo.95)  超越論的分析論Y−10
□投稿者/ うましか -(2023/10/07(Sat) 10:44:28)
    2023/10/07(Sat) 10:45:19 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございますー

    今朝は久しぶりの沼浴です(;´・ω・)

    秋〜(*‘∀‘)♪

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて

    □全ての純粋悟性概念を発見する超越論的な手引き
    第三節 (第十項) 純粋悟性概念またはカテゴリーについて

    ◆ こうした純粋ではあるが派生的な悟性概念を、純粋悟性の準賓辞=i賓辞に対して)と名付けることを許されたい。根源的で本源的な諸概念が得られるなら、派生的で従属的な諸概念は容易に付加されることができ、純粋悟性の系譜は完全に描きあげられる。しかし、ここでの私の問題は、この体系の完璧さにあるのではなく、一つの体系のための諸原理にあるに過ぎないので、私はこのような補足は別の仕事として取っておく。
    しかし、人が存在論の教科書を手に取り、例えば、原因性というカテゴリーには力、能動、受動という準賓辞を従属させ、相互性というカテゴリーには現在、抵抗という準賓辞を従属させ、様相の賓辞に、発生、消失、変化その他の準賓辞を従属させるなら、その目的は、かなり達成されるのである。
    諸カテゴリーを純粋感性の諸様態modiと結合したり、或いはまたこれらの諸カテゴリー相互を結合したりすると、多数のア・プリオリで派生的な概念が生ずる。それら多数の派生的な概念に注意し、また可能なら完璧に明示することは、有用で、不愉快ではない骨折りではあるが、ここでは必ずしもやってみる必要の無いことであろう。

    --- No.33668からの続き ---

    ◇ 私はこれらの諸カテゴリーの定義を本書で定義づけたいと思うのだが、故意に省くこととする。後ほど私はこれらの諸概念を、私が論ずる方法論との連関において十分な程度まで分析するだろう。純粋理性の体系においては、そうした定義は当然私に要求され得ることであるに違いない。

    ◇しかし、本書の場合には、そうした定義は疑惑や攻撃を引き起こすことによって、その研究の要点を見失わせるだけのことであり、これらの疑惑や攻撃に答えることは、その本質的な意図からいくらかでも外れること無しに、確かに別の仕事へと振り向けられることができるのである。

    ◇ にもかかわらず、私がこの点について述べたわずかなことからも、なんとしても判然と明らかになるのは、そのために必要な全ての説明を伴った一つの完璧な辞典が可能であるのみならず、容易に感性され得るということである。

    ◇ 諸カテゴリーの区画は既に決定されている。必要なのは、その区画を充たすことだけであり、本書が示したような一つの体系的な位置づけは、それぞれの概念が属する特有の位置をやすやすと誤らせるようなことはないのと同時に、まだ空いている位置を容易に気づかしめるのである。


    † 原佑訳上巻、p.227参照。
    † その他に、中山元訳2、p.77〜p.78、石川文康訳上巻、p.138〜p.139を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節 No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,33016,33658,33668,33776

引用返信/返信 削除キー/
■33788 / inTopicNo.96)  Re[8]: 超越論的分析論Y−10
□投稿者/ pipit -(2023/10/07(Sat) 18:18:48)
    うましかさん、こんばんはー(^O^)

    No33776
    > 今朝は久しぶりの沼浴です(;´・ω・)
    >
    > 秋〜(*‘∀‘)♪<

    今日の空も秋の空でした♪
    カント先輩の今日の沼模様は、、、

    > ◇ 私はこれらの諸カテゴリーの定義を本書で定義づけたいと思うのだが、故意に省くこととする。後ほど私はこれらの諸概念を、私が論ずる方法論との連関において十分な程度まで分析するだろう。純粋理性の体系においては、そうした定義は当然私に要求され得ることであるに違いない。<

    沼ー ( ・∇・)


    > ◇しかし、本書の場合には、そうした定義は疑惑や攻撃を引き起こすことによって、その研究の要点を見失わせるだけのことであり、これらの疑惑や攻撃に答えることは、その本質的な意図からいくらかでも外れること無しに、確かに別の仕事へと振り向けられることができるのである。<

    前半は言ってることはわかるけど、後半が沼ー
    ( ・∇・)

    > ◇ にもかかわらず、私がこの点について述べたわずかなことからも、なんとしても判然と明らかになるのは、<

    うましかさんが投稿してくださった
    No 33668のことから明らかになるのは、ということかな?


    >そのために必要な全ての説明を伴った一つの完璧な辞典が可能であるのみならず、容易に感性され得るということである。<

    沼ー
    ( ・∇・)


    > ◇ 諸カテゴリーの区画は既に決定されている。必要なのは、その区画を充たすことだけであり、本書が示したような一つの体系的な位置づけは、それぞれの概念が属する特有の位置をやすやすと誤らせるようなことはないのと同時に、まだ空いている位置を容易に気づかしめるのである。<

    区画って、量、質、関係、様相、つてことかな???
    違うのかな???

    沼沼ー
    (°▽°)

    投稿ありがとうございます♪
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