| こんばんは! 『カントとオートポイエーシス』山下和也先生著、p27から抜粋引用するね。
『カントは人間の認識についてこう言った。「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へもたらす、より高次のものは我々のうちには見いだされない」(B355)。 (略) イメージとして言えば、感性と悟性によって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化されるのである。』 引用終了
あと、カント事典の【理性】の項目から抜粋引用するね。
カント事典p530より抜粋引用 『(略) 理性は、人間の認識のはたらきにおいて最上位に位し、思考の最高の統一をもたらす能力にほかならない。「規則の能力」としての悟性にたいして、理性は「原理の能力」と規定される。 「悟性が規則を介して諸現象を統一する能力であるとすれば、理性は諸悟性規則を原理のもとへと統一する能力である」[B359] (略)』 引用終了
違うかもだけど、今思ってること言うね。
悪魔ちゃんは、いろんなもの見て、いろんなもの知って、 そういうの全部神なんじゃないかなー、と思ってるんじゃなかったかな? (勘違いしてたらごめんね) いろんなもの見て、知って、が、感性&悟性の働きで、 それらがみんな神なんじゃないかなー、という概念のもとに体系化させる能力が理性ってかんじに カントは言ってるのかなーと今のところ思ったけど 違ったらごめんね!
|