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カント沼番外地:第一版序論 2
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□投稿者/ うましか -(2021/05/31(Mon) 22:12:16)
| →No.13004 うましか →No.13011 うましか →No.13055 pipitさん →No.13240 うましか
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◇ 経験〔Erfahrung〕は、私たちの悟性〔Verstand〕が、感性的感覚〔sinnlicher Empfindungen〕*1の生まの素材を加工することによって産み出す最初の産物である。
*1 第二版序論では、文章の違いはあるが、内容が類似する箇所に「感性的印象sinnlicher Eindruecke」とある。
◇ それにもかかわらず、経験は、私たちの悟性がそこに制限される唯一の分野ではとうていありえない。
◇ 経験は、現に存在するものの何であるかを私たちに告げるが、そのものが必然的に存在せざるをえず、そうであって別様であってはならないことを告げはしない。
◇まさにこのゆえに、経験は真の普遍性を私たちに与えない。
◇だから、この種の認識*2をはげしく求める理性〔Vernunft〕は、経験によって満足させられるよりも、むしろ刺激されるのだ。
*2 「認識 Erkenntnissen」の英訳は"knowledge"、"cognitions"
→原佑訳上巻、p.77〜78参照。文中の〔ドイツ語〕は私による挿入。文中の*数字は私による挿入、*以下は私による覚え書き。
※ 「知覚 Wahrnehmung」という術語は、どうも、序論(第一版、第二版)には出てこないようだ。
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