| >移り気な?私がここのところ気になっている"Erfahrung"、"empirisch"についても、考える材料になってくれるんじゃないかと期待しています\(^^)/
山口によれば、
>「エンペイリアー:経験」というギリシア語は、英語に入って「empiric:経験主義者」や「empirical:経験的」、「empiricism:経験主義」などの言葉になっている。< →山口裕之『語源から哲学がわかる事典』、p.77
すぐ前の「学問知と経験知」の解説で、山口は「エンペイリアー:経験」の語の「組み立て」について、「エン:〜中に」「ぺイラ:試してみること(英語では、trial、attempt、experiment)」とし、経験知とは「要するにトライ&エラーでいろいろやってみた結果得られた知識」(同書p.75〜p.76参照)だと解説しています。
調べたところ、ドイツ語"erfahren"とか"Erfahrung"も「エンペイリアー」からの翻訳らしいです。
ところで御子柴によれば、カントは学生時代に師のクヌッツェンからイギリスの経験論哲学者ロックの思想を学んでいるとのこと(御子柴善之『カント純粋理性批判』、p.54)で、こうした下地があってかはわかりませんが、『純粋理性批判』には、"Empirismus"、つまり、"empiricism"という言葉が何度がでてきます。"empirisch"という言葉をカントが使用しているとき、当時の日常語レベルで使用していたのかな?、それともイギリス経験論(経験主義)を意識して使っているのかな?、それとも、、、?などとついつい考え、気がつくとおぼれています(´;ω;`)ウゥゥ
ちなみに、興味本位でしらべてみたところ、『純粋理性批判』の文中で"Erfahrung"は当然ながらまあまあ頻出するのですが、"erfahren"(経験する)はほぼ出てきませんでした(※私がしらべたかぎりでは、、、1回?(;゚Д゚))。
つかれた〜
それでは〜
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