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Re[21]: カント先生のせいや日記
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□投稿者/ おくたがわ -(2021/06/22(Tue) 11:17:58)
| 2021/06/22(Tue) 12:29:59 編集(投稿者) 2021/06/22(Tue) 11:37:17 編集(投稿者)
■No14327に返信(pipitさんの記事) こんにちは。
> 当然、、、べき、を価値と表現することもあるんだなーと面白いです。 > 哲学用語なのかな? > > そうかぁ、事実、と、価値、、、
「ヒュームの法則」で出てきたりします。 //pyrabital.hatenablog.com/entry/20180826/1535288851 > ヒュームの法則とは、事実判断から価値判断を導くことはできない、という法則だ。わかりやすくいうと、「〜である」という事実に基づく前提から、「〜すべきである(でない)」とか「〜はよい(悪い)」といった価値評価を含む結論を導くことはできない、論理が飛躍している、ということだ。 (このページは引用部分しか読んでません)
//plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/humes_law.html > 「〜は自然である」「〜は不自然である」といった主張によって、 「だから〜をすべきである、すべきでない」 と続けて主張(あるいは含意)されることがしばしばあるが、 ヒュームによればこれは間違った推論である。 何かが自然であるとか不自然であるということのみからは決して「〜すべきだ、 すべきでない」という結論を導き出せない。
.。o0 カントのあの部分は両方とも「自然だ」と表現してるようなのが面白いかな。 あの部分は一方から他方を導いていないのでヒュームの言う誤謬とは関係ないけれど。
なお、このページで > なお、ヒュームは、学生のレポートによく見られる「だ・である」調から 「です・ます」調への問題のある移行についてもつとに指摘しており、 今日ではこれは「ヒュームの第二法則」として知られている。
これはジョークですね。この先生(児玉聡准教授)アホです(褒めてます。最上級です。 =面白い)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E8%81%A1 > 児玉 聡(こだま さとし、1974年 - )は、日本の倫理学者。京都大学大学院文学研究科准教授。功利主義を中心とした英米道徳哲学史と生命・医療倫理学の研究を専門とする。
**** 私は長く、「自然主義的誤謬」を上記のヒュームの法則と混同していまして、ネット検索でも混同しているページもヒットします。(Wikiはさすがに区別している。) 上にあるように「〜は自然である」に触れているためなのかな…。
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