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■15960 / inTopicNo.1)  お昼でもカイダン(;゚Д゚)
  
□投稿者/ pipit -(2021/09/01(Wed) 10:32:40)
    2021/09/01(Wed) 10:34:07 編集(投稿者)

    うましかさん、こんにちは!
    おつかれさまですm(_ _)m


    No15956
    > 中山元訳1,p.57(序論)、同p.238(初版序論)を参照すると、改段落してあります。天野貞祐訳(一),p.135(緒論)も改段落してあるなー。<
    > でも私が日ごろ参照している原佑訳,p.132(上段が第一版、下段が第二版)はしていないー(;´・ω・) <

    そうなんですね !

    > ただ、どうも「唐突だなー」と私が感じるおもな原因は、私の理解力の問題を度外視すれば(・・;)、もしかしたら原佑の訳文にあるのかなあ、ともおもいはじめています。<

    諸先生方でも、分け所(?)を迷われてる可能性もありますね(^_^;)
    わたしの感想を申せば、今回中山先生訳を読んだ時も、
    そう言われればなんか唐突だなー、と思いました。

    > あと、我慢して読み進めていくと、<

    同じ気分といいたいです !! (おそらくおくたがわさんもー)


    >超越論的哲学とか、超越論的批判という言葉の説明が、純粋理性(の)批判に寄せられていくようです。第一版序論では本論に入る直前に「U 超越論的哲学の区分」というセクションが設けられており、本論の各タイトルに使用される超越論的〜(原理論とか感性論とか)の導入にもなっているのかなとおもいました。<

    わたしも、再読してそのような >>超越論的哲学とか、超越論的批判という言葉の説明が、純粋理性(の)批判に寄せられていくようです<< 感想を持ちました。

    とりあえず、再読しながらの考察をメモしたものを以下にコピペします。↓ また後でカントの本文を再読しようと思います。うましかさん、きっかけをいつもありがとうございます(*^◯^*)
    ※※※※※※※※

    【あるものをまったくアプリオリに(経験より前に)認識できる諸原理で組まれたシステム的能力が、純粋理性】A

    とする時、

    カント『純粋理性批判』は、
    【純粋理性の源泉及び範囲を判定することだけを目指す】著述

    これは、
    【純粋理性の体系のための予備学】となる。

    ================


    【あるものをまったくアプリオリに(経験より前に)認識できる】A

    という方法そのものについて考察するすべての認識を、《超越論的な認識》と呼ぶ。

    =================

    『純粋理性批判』は、まだ、超越論的な哲学と呼ぶのは誇大だ。
    『純粋理性批判』は、アプリオリな総合の原理を考察して、システムの仕組みを理解することにより、認識の拡張ではなく認識の是正(システムが適正に利用された認識か、違法利用された認識かの判定基準を明らかにする)を目的にしてるものなので、
    超越論的な〈批判〉と呼ぶことができるのみである。


引用返信/返信 削除キー/
■15956 / inTopicNo.2)  中山カントのカイダン(;゚Д゚)
□投稿者/ うましか -(2021/09/01(Wed) 02:06:05)
    2021/09/01(Wed) 02:08:18 編集(投稿者)

    こんばんはーpipitさん

    下手な冗談のつもりでカイダン(怪談、、、改段)とか書いてたら、いろいろ書いててほんとうに丑三つ時になってしまいました〜(;゚Д゚)

    *******

    >超越論的の説明、たしかに、急に??みたいな感じありますよね。
    >考えてみようと該当部分を見たのですが、、、うーん、カントはいつも思考や文章の流れ方が変わってるように感じるなーσ(^_^;)



    中山元訳1,p.57(序論)、同p.238(初版序論)を参照すると、改段落してあります。天野貞祐訳(一),p.135(緒論)も改段落してあるなー。

    でも私が日ごろ参照している原佑訳,p.132(上段が第一版、下段が第二版)はしていないー(;´・ω・) 

    ただ、どうも「唐突だなー」と私が感じるおもな原因は、私の理解力の問題を度外視すれば(・・;)、もしかしたら原佑の訳文にあるのかなあ、ともおもいはじめています。

    あと、我慢して読み進めていくと、超越論的哲学とか、超越論的批判という言葉の説明が、純粋理性(の)批判に寄せられていくようです。第一版序論では本論に入る直前に「U 超越論的哲学の区分」というセクションが設けられており、本論の各タイトルに使用される超越論的〜(原理論とか感性論とか)の導入にもなっているのかなとおもいました。


    おやすみなさーい(・ω・)ノ
引用返信/返信 削除キー/
■15953 / inTopicNo.3)  沼日記_| ̄|○
□投稿者/ pipit -(2021/08/31(Tue) 23:22:00)
    うう、読んでるけど、眠い頭では、余計にきちんとわからない。。。

    明日また考えてみようと思います _| ̄|○

    おやすみなさーい☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■15947 / inTopicNo.4)  Re[10]: カント沼番外地:第一版序論 Y−2
□投稿者/ pipit -(2021/08/31(Tue) 18:06:40)
    No.15914
    うましかさん、こんにちは(*^▽^*)
    こちらは、午後から急に涼しくなりました。

    超越論的の説明、たしかに、急に??みたいな感じありますよね。

    考えてみようと該当部分を見たのですが、、、うーん、カントはいつも思考や文章の流れ方が変わってるように感じるなーσ(^_^;)

    あとで、落ち着いたら、考えようと思います。
    おつかれさまです!



引用返信/返信 削除キー/
■15914 / inTopicNo.5)  カント沼番外地:第一版序論 Y−2
□投稿者/ うましか -(2021/08/30(Mon) 22:17:59)
    pipitさん、皆さん、こんばんはー
    おじゃまします。

    連日暑いですねー(´;ω;`)ウッ…

    お互い体調には気をつけましょう!

    *******

    ◇ ところで以上すべてのことから、純粋理性の批判〔Kritik der reinen Vernunft〕に役立ちうる或る特殊な学の理念が生ずる。しかし、なんら異種のものを混じていないあらゆる認識は純粋〔rein〕と呼ばれる。だが、総じていかなる経験ないしは感覚もそこには混入しておらず、したがって完全にア・プリオリに可能である認識は、とくに、端的に〔schlechthin〕純粋であるとと名づけられる。

    ◇ところで理性〔Vernunft〕はア・プリオリな認識の諸原理をあたえる能力である。だから純粋理性〔reine Vernunft〕とは、或るものを端的にア・プリオリに認識する〔zu erkennen〕諸原理を含んでいるような理性である。

    --- No.15783 からの続き ---

    ◇純粋理性の機関〔Ein Organon der reinen Vernunft〕は、すべてのア・プリオリな純粋認識がそれらにしたがって獲得され、また現実に成就されうるような、そうした諸原理の総括となるであろう。しかし、こうした要求はきわめて多大であり、だから、はたして総じて私たちの認識のそうした拡張が可能であるのか、またいかなる場合にそれが可能であるのかは、まだ未定であるのだから、私たちは純粋理性とその源泉と限界とを単に判定するに過ぎない学を純粋理性の体系のための予備学とみなすことができる。

    ◇そうした学は、純粋理性の理説と呼ばれてはならず、純粋理性の批判とのみ呼ばれなければならず、だからその効用は実際は消極的に過ぎないのであって、私たちの理性の拡張にではなく、その純化にのみ役立ち、私たちの理性を誤謬から遠ざけるに過ぎないであろうが、すでにこのことによって得るところは極めて多大である。

    ◇私が超越論的〔transzendental〕と名づけるのは、対象にではなく、むしろ対象一般についての私たちのア・プリオリな諸概念にたずさわる全ての認識である〔*1〕。そうした諸概念の体系は超越論的哲学〔Transzendental-Philosophie〕と呼ばれるにいたるであろう。

    *1 ここのくだりは、私うましかにとってはちょっと唐突な感じがします(;´・ω・)

    ◇しかし超越論的哲学と呼ぶのは、これまた最初のうちは過大である。なぜならそうした学は分析的認識ならびにア・プリオリな綜合的認識を完璧に含んでいなければならないはずであるから、私たちの意図に関するかぎりにおいて、その範囲が広がりすぎるからであるが、それは私たちが分析をおこなってさしつかえないのは、それのみが私たちにとっての問題に他ならないア・プリオリな綜合の諸原理を、その全範囲にわたって洞察するために、分析が不可欠的に必要であるかぎりにおいてのみであるからである。

    →原佑訳上巻、p.130〜p.133参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。文中〔〕内は私による挿入。*数字は私による覚書。


    *******

    Y−1 No.15783
    V−7 No.15588, V−8 No.15701
    V−4 No.15366, V−5 No.15456, V−6 No.15460
    V−1 No.15143, V−2 No.15340, V−3 No.15341
    W−1 No.14848, W−2 No.14849
    V−7 No.14620, V−8 No.14662
    V−4 No.14271, V−5 No.14415, V−6 No.14455,
    V−1 No.13815, V−2 No.14009, V−3 No.14097,
    U−1 No.13643 
    T−1 No.13389, T−2 No.13436, T−3 No.13576
引用返信/返信 削除キー/
■15861 / inTopicNo.6)  勘違いで購入♪
□投稿者/ pipit -(2021/08/28(Sat) 10:36:49)
    『思想』11月号 カントという衝撃
    https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/1375

    という【2018年】に岩波書店発刊の雑誌が読みたくて、Amazonでぱぱっと検索して、中古150円(送料350)で、購入。
    楽しみにしてたら、、、

    先日届いたのは、
    『現代思想』3月臨時増刊号 カント
    青土社発刊の【1994年】の雑誌でした。。。
    わたしがよく確かめず、勘違い、早合点で頼んでしまいました。
    うっかり者ですー。

    お目当ての大きな動因、御子柴善之先生の文章は届いた雑誌には載っておらず、ちょっと残念、、、ですが、若き日の黒ちゃん先生♪(黒崎政男先生)が坂部恵先生と対談してて、嬉しいです(o^^o)
    他記事もおもしろそう。

    目次のみで本文は未読ですが、石川文康先生の寄稿もある!
    石川先生は2013年にお亡くなりになられたと、別の書籍の裏書に載ってました。

    ゆっくり少しずつ読んでいこうと思います(^ ^)




引用返信/返信 削除キー/
■15805 / inTopicNo.7)  Re[13]: トートロジー
□投稿者/ pipit -(2021/08/25(Wed) 13:19:54)
    2021/08/25(Wed) 21:30:46 編集(投稿者)
    No15803に返信(restさんの記事)
    > 2021/08/25(Wed) 09:57:06 編集(投稿者)
    >
    > エフ二さんから指摘があったのですが、7+5=12の件です。数式はすべて同義反復、同一律すなわちトートロジーということのようですが、異議があります。
    >  たとえば7個のリンゴ+5個のミカン=12個のくだもの(果実)があるとすれば
    > 、必要条件は満たしていますが、十分条件は満たしていません。12個のくだものには10個のブドウ+2個のナシも含まれるのですから、前者は後者の部分集合なので集合論的には等号は使えません。数式の等号は必ずしもトートロジーではないことになります。
    >  7個のリンゴ+5個のミカンには10個のブドウ+2個のナシは含まれていないので総合的命題となるのではないでしょうか。<

    わーい、rest先輩、お久しぶりです!!

    定義の中で、定義に則した表現がアプリオリに現れることが、トートロジーとエフニさんは自トピでおっしゃられてるのかな?と思っていました。間違えてたらすみませんm(_ _)m

    ポケモンのルールを定義して、ポケモンのプレーは、ルールからアプリオリな分析判断によって行われる。
    そのようなイメージを持っていました。


    カントの場合は、定義の権利問題の根拠づけとなるのかな、と思っています。
    その定義に正当性はあるのか。を探る。

    内包量の図式が数、って、カントはなかなか上手いこと考えてると個人的には思いますよ。

    > 『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p38
    中山先生独自段落196 . B182あたり
    『しかし知性の概念としての量(内包量)の純粋な図式は数である。
    数とは、一を(同種のものとしての)一に次々に加算していくという観念である。
    だから数とは、同種な直観一般のうちで、多様なものの総合を統一することにほかならない。
    わたしは時間そのものを、直観のうちで把握しながら作りだすことによって、この総合を統一するのである』
    引用終了<

    同種のものの量、ですもんね。
    数えたい対象を分別して同種として量を処理する。
    だから、
    (大根・にんじん・バナナ・机・猫)
    と具体事象があるとき、
    人間の分別で、野菜は2 とか、家に存在するのは5 とか自由自在ですもん。
    同種の分別ののちに
    >一を(同種のものとしての)一に次々に加算していく<

    rest先輩、書き込みありがとうございます!
    お身体にお気をつけてくださいませ(*^▽^*)


引用返信/返信 削除キー/
■15803 / inTopicNo.8)  トートロジー
□投稿者/ rest -(2021/08/25(Wed) 09:51:44)
    2021/08/25(Wed) 09:57:06 編集(投稿者)

    エフ二さんから指摘があったのですが、7+5=12の件です。数式はすべて同義反復、同一律すなわちトートロジーということのようですが、異議があります。
     たとえば7個のリンゴ+5個のミカン=12個のくだもの(果実)があるとすれば
    、必要条件は満たしていますが、十分条件は満たしていません。12個のくだものには10個のブドウ+2個のナシも含まれるのですから、前者は後者の部分集合なので集合論的には等号は使えません。数式の等号は必ずしもトートロジーではないことになります。
     7個のリンゴ+5個のミカンには10個のブドウ+2個のナシは含まれていないので総合的命題となるのではないでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■15802 / inTopicNo.9)  図式は想像力・構想力の働き
□投稿者/ pipit -(2021/08/25(Wed) 07:07:30)
    No15801
    > 人間の@感性とA知性と(第一版ではB想像力・構想力)の総合で、数学などの客観に妥当する認識を人間は自らが作っている、とカントは考えたのかな、と、
    > 今の時点では思いました。<

    ちなみに、カント的【図式】は、B想像力(構想力)の働きとしてるみたい。
    第一版では、この想像力を感性・知性と別に立てた、三本柱の能力で記述してたけど、
    第二版で、想像力は知性の配下に書き換えられた。
    このカントによる書き換えをめぐって、前に悪魔ちゃんとも話してたけど、いろんな人がいろんな自説を述べてるみたいだね。
引用返信/返信 削除キー/
■15801 / inTopicNo.10)  ことば
□投稿者/ pipit -(2021/08/25(Wed) 06:57:15)
    個人が好き勝手につくれる、使える、ことば。

    直観にカテゴリーが適用された(カテゴリーに直観が包摂された?)認識は、
    共有認識にでき得る。

    カテゴリーとは、人間が自らに備わる知性から根源的に獲得する純粋概念。

    人間の@感性とA知性と(第一版ではB想像力・構想力)の総合で、数学などの客観に妥当する認識を人間は自らが作っている、とカントは考えたのかな、と、
    今の時点では思いました。



引用返信/返信 削除キー/
■15799 / inTopicNo.11)  ことば
□投稿者/ pipit -(2021/08/24(Tue) 22:10:49)
    No.15771

    >色の三原則で(不正確だったらごめんなさい)
    それぞれの内包量で色の概念が規定されるとしたら
    赤(R:255 G:0 B:0)
    緑(R:0 G:255 B:0)
    赤 に 緑 を加えると、
    黄(R:255 G:255 B:0)
    になる。<

    Windowsのワードやエクセルなどで、文字の色などを変えれるところ、みなさん、使いますか?

    RGBの数値を変更していくと、赤は赤でいられない、
    緑は緑でいられない、
    (概念の外に出る。。。を連想。。。)
    それが視覚的に体感できて、面白かったです。


    国語と算数は違う教科だから、全然別の話題となるかもですけどね。
    だから、算数のことは別にするとしても、
    パソコン上で、
    ことば、について考えながら、色を数値で変えていく操作が、面白かったです。
引用返信/返信 削除キー/
■15794 / inTopicNo.12)  黒崎先生♪
□投稿者/ pipit -(2021/08/24(Tue) 21:02:31)
    うましかさん、こんばんはー
    新しいインタビューのご紹介ありがとうございます!
    黒崎先生の解説やお話は読んでてとてもおもしろいです。

    同じ沼にはまりたいー
    けど、難しくて無理かなσ(^_^;)おぼれちゃうかもー

    AIも新しい局面に入りつつあるのかもですね。
    もはや、人間の模倣ではなく、別生命体となる可能性。。。
    都市伝説かもですけど、昔、AI同士に会話させたら途中で人間にはわからない言語?で話し始めて、実験を中止したという(作り?)話しが、今、頭の中に浮かびました。。。

    わたしの頭の中、漫画です。。。(*゚∀゚*)
引用返信/返信 削除キー/

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