□投稿者/ pipit -(2021/08/23(Mon) 01:12:35)
| すっごく前に、悪魔ちゃんと、ロープを『蛇』と見間違えることについて話した記憶がある。 この時、『蛇』を分類語とすると、見たもの、は、蛇だと判断したわけだけど、 この、見たもの と 『蛇』という概念 を橋渡ししてるものが、カント流『図式』なんだと思ってる。(図式にも、経験的図式と純粋な図式の2種があるかもやけど)
それで、カント的に言えば、図式って双方向に働くことができて、上記の場合、見たもの を 蛇という概念に包摂させたんやけど、 蛇という概念から現実的にお絵描きする時にも図式が媒介してる感じだと思ってる。 色形(感性)→図式→ 概念(知性・理解)だけでなく、 概念(知性)→図式→ 色形(感性)に書き出せるということ。
言葉にイメージがついてる感じかな。そのイメージを介して知性と感性がつながる。
カント的には 5 (知性)→ 図式(数)→ 直観として描かれる5(感性) なんじゃないかなーと。
カントは数学とは、概念を構成することで、概念を構成するとは、その概念に対応する直観をアプリオリに示すこと、と言ってる(B741あたり) 『純粋理性批判7』中山元先生訳、p25
概念をアプリオリに直観的に示すことができるので、数学は必然性と普遍性を確保できると思ったんだね。(かな?)
卑近な例として、カントの考え方のいくらかの模倣と思うものを書きます。 カントは【内包量】の図式が数と言ってましたが、 色の三原則で(不正確だったらごめんなさい) それぞれの内包量で色の概念が規定されるとしたら 赤(R:255 G:0 B:0) 緑(R:0 G:255 B:0)
赤 に 緑 を加えると、 黄(R:255 G:255 B:0) になる。
カントの文脈では、『赤』『緑』『加える』という概念には、『黄』は含まれていないから、赤に緑を加えると黄色になる。は、知識が拡大したことになるんですね。 内包量が言葉を規定してるので、あくまでも、1対1の内容的対応になる。
まあ、5+7=12は、普通に考えると分析判断となるのかなと思いますが、 カントは直観を知識作成のキーポイントにしたかったんだと思います。
概念の構成を直観的に描ける。 5+7=12 は、概念と図式と直観のコラボにより、数式としての普遍性を持つに至る。(ただし人間の経験の届き得る範囲において)
まだパラパラ読みの状態なので、これからちゃんとカントの言ってることを聞いて理解できたらいいなと、思いました。
おやすみなさーい ☆彡
|
|