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■15730 / inTopicNo.25)  180°は花のように(・∀・)
  
□投稿者/ うましか -(2021/08/21(Sat) 14:32:38)
    pipitさん、こんにちはー


    >主語『三角形の内角の和』、は、述語『180度』。
    >主語概念に述語概念が含まれてる、という時、含まれてる在り方の原因は何なのでしょうか?

    >私たちの外に存在するこの世界の掟、なのでしょうか?

    >作図すれば、補助線を引けば、180度が必然的に現れてくる。


    >種から芽が出て花が咲くように。

    → No.15706 (pipitさん)

    *******

    フレーゲという方の『算術の基礎』(1884年)という著作の第88節(見出しは[カントは分析判断を過小評価した])(邦訳『フレーゲ著作集2』、p.151〜p.152)に、pipitさんの「種から芽が出て〜…」と似た言葉があったことを思い出しました。

    pipitさんの言葉がフレーゲと同じ意図によるのかどうかまでは分かりませんけど。 (;´・ω・)

    ※私はフレーゲを理解しているわけではないので、関心のある方はお手数ですが上記の著作で直接しらべてみてくださいませm(__)m


    ところで、

    最近、『純粋理性批判』第一版序論を通読したあと、どんなことしようかなーと思案しております


    (-ω-;)ウーン










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■15719 / inTopicNo.26)  日記
□投稿者/ pipit -(2021/08/20(Fri) 19:26:52)
    flowerちゃん(ボーカロイドのキャラクター)の声(音)って、ちょっと独特だけど、
    つい聞いてしまう曲もある。


    死んでしまったのだろうか
    Guiano

    https://youtu.be/_xXenYRkbKs


    個人的にはなんとなく輪廻イメージを思い起こすんだよね

引用返信/返信 削除キー/
■15707 / inTopicNo.27)  Re[10]: 日記
□投稿者/ pipit -(2021/08/20(Fri) 07:10:21)
    数学 は 何に依存して 必然 となるのか ?


    依存してるなら、必然 は 本当の意味での 必然 ではないけど、

    依存してしか生が無いなら、

    認識が生に依存するのなら、

    依存で成り立つ世界の内側では、必然 が 条件により 成り立つ。

    、、、

    モード変えますー 

    できるだけ感覚の世界に注目しながら時間過ごせたらいいな!

    仕事の用意しまーす
引用返信/返信 削除キー/
■15706 / inTopicNo.28)  日記
□投稿者/ pipit -(2021/08/20(Fri) 07:03:47)
    算数の考察はつづけるけど、大枠に思うこと書きます。

    主語『三角形の内角の和』、は、述語『180度』。
    主語『5 + 7 』、は、述語『12』。

    主語概念に述語概念が含まれてる、という時、含まれてる在り方の原因は何なのでしょうか?
    私たちの外に存在するこの世界の掟、なのでしょうか?

    作図すれば、補助線を引けば、180度が必然的に現れてくる。
    種から芽が出て花が咲くように。
    数式を分解して、組み立て直せば、要素が元から含まれててその手持ち要素で如何様にも組み替えられる。レゴでいろんな形を作れるように。
    これは(自分に関係なく、自分の外にある世界の法則に数学も従うものである。)とても常識的な考え方と思うし、、、、今のわたしの段階では、、、幸せな考え方に思える。気持ちは変化するかもだけど。

    カントは、
    知識結果として、述語概念が主語概念に含まれる原因は、
    『180度』の場合、ハイライトされるのは、人間の感性の形式となる、純粋直観である〈空間〉で、(時間はいつも関わってくるけど)

    数式の場合、ハイライトされるのは、同じく人間の感性の形式となる、純粋直観としての〈時間〉
    と言ってるのかなと
    今の時点では思いました。
    もちろん、勘違いしてるかもしれません。

    数学 は 必然 なのか ?
    必然 であるならば 何ゆえ必然 なのか ?

    そんなこと考える必要はないのか 考える益はあるのか 益の関係ではなく知りたい本能なのか

    そんな感想がとりとめもなく浮かびました。

引用返信/返信 削除キー/
■15702 / inTopicNo.29)  日記
□投稿者/ pipit -(2021/08/19(Thu) 23:17:38)
    うましかさん、こんばんはー、読解おつかれさまです(^_^)

    今日は、わたしは、、、サボってしまいますー
    ので感想日記を。

    カント的図式で、わたしはディープラーニングなどの話題を思い起こしました。
    幼稚園レベルですが、そこらへんもからめて、見ていけたらおもしろいかも、と思っています。
    人工知能のマンガ開いたら、『特徴量』という言葉が目につきました。

    いやー、おもしろい。

    みなさまおやすみなさーい ☆彡

引用返信/返信 削除キー/
■15701 / inTopicNo.30)  カント沼番外地:第一版序論 X−8
□投稿者/ うましか -(2021/08/19(Thu) 22:05:31)
    pipitさん、皆さん、こんばんはー
    おじゃまします。

    *******

    ◇悟性が、Aという概念の外に、この概念Aと無縁ではあるが、それにもかかわらずこの概念と結びつけられている述語をみつけだすと信ずるとき、悟性がそれに頼るあのXは、この場合なんだろうか?

    ◇それは経験ではありえない。

    ◇というのは、「生起するすべてのものは、その原因をもつ」という先述の原則は、経験が供給しうるというより、いっそう大きな普遍性をもってのみならず、必然性の表現をももって、したがって全面的にア・プリオリに、また単なる概念から、原因という第二の表象を「生起するもの」という第一のそれに付加するからである。

    --- No.15588 からの続き ---

    ◇ところで、そうした綜合的原則、言いかえれば拡張原則に、私たちのア・プリオリな思弁的認識の全究極意図がもとづいている。

    ◇なぜなら、分析的原則は、なるほどこの上なく重要で必要ではあるが、しかしそれはその諸概念の判明性に達するためだけにであって、そのような判明性は、真に新しい開拓としての、確実で拡大された綜合のためにこそ要求されるものであるからである。

    ◇それゆえ、ここには或る種の秘密が隠されているのであって、この秘密を開くことのみが純粋悟性認識のはてしない分野における進歩を、確実で信頼しうるもの足らしめうる。

    ◇すなわち、そこは然るべき普遍性でもって、ア・プリオリな綜合的判断の可能性の根拠を発見し、そうした綜合的判断のそれぞれの種を可能ならしめる諸条件を洞察し、こうした全認識(これらがそれらの種自身の類をなす)を、その根源的な源泉、区分、範囲、および限界にしたがって、一つの体系のうちで、粗略な輪郭によって描くのではなく、完璧に、またあらゆる使用に対して不足なく規定することにほかならない。

    ◇さしあたって、綜合的判断がそれ自体でもっている特有な点については、これだけにしておく。


    →原佑訳上巻、p.105〜p.108参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。


    *******

    V−7 No.15588
    V−4 No.15366, V−5 No.15456, V−6 No.15460
    V−1 No.15143, V−2 No.15340, V−3 No.15341
    W−1 No.14848, W−2 No.14849
    V−7 No.14620, V−8 No.14662
    V−4 No.14271, V−5 No.14415, V−6 No.14455,
    V−1 No.13815, V−2 No.14009, V−3 No.14097,
    U−1 No.13643 
    T−1 No.13389, T−2 No.13436, T−3 No.13576
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■15690 / inTopicNo.31)  Re[21]: カントの文章みっけ♪
□投稿者/ pipit -(2021/08/18(Wed) 22:00:52)
    あとでこれらの引用を参考にして、私見述べる予定してます!

    『純粋理性批判3』p35
    中山先生独自段落194、B180あたり
    『図式そのものは、つねに想像力の産物であるにすぎない。
    しかし想像力の総合は、個別の直観に適用されるべきものではなく、感性における規定の統一を目指すものであるために、図式は形象(ビルト)とは区別しなければならない。
    [形象と図式の違いはどこにあるかというと]わたしが五つの点を●●●●●のように並べるならば、これは五という数の形象である。
    これにたいしてわたしがある数一般を考えようとするならば、それが五であっても百であっても、その思考はある方法によって思い浮かべること、すなわちある特定の概念にしたがって、ある量(例えば千)を形象において思い浮かべることであって、その数の形象そのものではない。
    千のような大きな数になると、形象の全体を見通して、その概念と比較するのは困難なことだろう。
    だから想像力が概念にその形象を作りだすために利用する一般的な手続きを、わたしはその概念の図式というイメージで考えているのである。』
    引用終了
引用返信/返信 削除キー/
■15689 / inTopicNo.32)  Re[20]: カントの文章みっけ♪
□投稿者/ pipit -(2021/08/18(Wed) 21:42:03)
    んー、おもしろすぎだー

    『純粋理性批判3』p30
    中山先生独自段落190 、B177あたり
    『(略)それでは直観を純粋な知性の概念のもとに包摂することは、どのようにして可能となるのだろうか、すなわちカテゴリーはどのようにすれば現象に適用することができるのだろうか。
    (略)
    さて[この問いに答えるためには]第三のものが必要とされるのは明らかであり、この第三のものは、[たがいに異質な]カテゴリーと現象の両方と同種のものであり、これによってカテゴリーを現象に適用できるようになるのである。
    媒介の役割をはたす第三のものは、[現象と同質なものであるから]心に思い描かれた像[=表象]でなければならない。
    そしてその像は[カテゴリーと同質なものであるから]純粋なものでなければならない(すなわちいかなる経験的なものも含んではならない)。
    そして同時に、[現象と同質なものであるから]感覚的なものでなければならない。
    これが超越論的な図式と呼ばれるものである。』
    引用終了
引用返信/返信 削除キー/
■15687 / inTopicNo.33)  カントの文章みっけ♪
□投稿者/ pipit -(2021/08/18(Wed) 21:13:51)
    みなさま、こんばんは(^ ^)
    カントの考え方を知るための資料として、見つけたカントの文章を引用します。


    『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p38
    中山先生独自段落196 . B182あたり
    『[ここでカテゴリーの第一部門である〈量〉について検討するならば]外的な感覚器官が知覚するすべての量(外延量)の純粋な形象は空間である。
    しかし[内的な感覚器官を含めた]感覚器官一般が知覚するすべての対象の純粋な形象は時間である。
    しかし知性の概念としての量(内包量)の純粋な図式は数である。
    数とは、一を(同種のものとしての)一に次々に加算していくという観念である。
    だから数とは、同種な直観一般のうちで、多様なものの総合を統一することにほかならない。
    わたしは時間そのものを、直観のうちで把握しながら作りだすことによって、この総合を統一するのである[後に示すように、これらのカテゴリーは時間系列にかかわるものである]。』
    引用終了

    同本、段落番号236、B205あたり
    『(略)七+五=一二という命題は、分析的な命題ではない。わたしは七という数の像においても五という数の像においても、両方の数の合成という像においても、一二という数の像をもっていないからである(わたしは両方の数の和において一二という数を考えるべきだと指摘されるかもしれないが、それはここではかかわりのないことである。ある命題が分析的な命題であるかどうかは、わたしが主語の像のうちで述語の像を実際に考えているかどうかによって決まるからである)。』
    引用終了

引用返信/返信 削除キー/
■15682 / inTopicNo.34)  ちょっとよりみち
□投稿者/ pipit -(2021/08/18(Wed) 13:22:43)

    ※※※※※※※※

    虚数って、やっぱり、対応する直観はないのかなー
    と思ってたけど

    wikiには
    『虚数(きょすう、英: imaginary number)とは、実数ではない複素数のことである。すなわち、虚数単位 i = √−1 を用いて表すと、
    z = a + bi(a, b は実数、b ≠ 0)
    と表される数のことである。
    実数直線上にはないため、感覚的には存在しない数ととらえられがちであるが、実数の対、実二次正方行列、多項式環の剰余環の元として実現できる(複素数#形式的構成を参照)。』 
    wikiより抜粋引用

    とあり、まったくちんぷんかんぷんだけど、直観的に考えることもできるのかなー(裏技的にかもしれないけど?)と思いました。

    わたしは学生時代に虚数を授業で習った覚えがないですけど
    。・゜・(ノД`)・゜・。
引用返信/返信 削除キー/
■15674 / inTopicNo.35)  Re[17]: 算数のこと考えてみた。のメモ
□投稿者/ pipit -(2021/08/17(Tue) 22:16:58)
    計量数と順序数について

    高木貞治先生著、講談社ブルーバックス
    『数の概念』p20より引用

    『日常、我々が数というのは、物の数1、2、3、・・・、即ち計量数(cardinal number)であるが、数は又順序を示すためにも用いられる、即ち順序数(ordinal number)でもある。我々が、一つ、二つと物を数えるとき、それらの物の間に、おのずから順序が附けられるのだから、数の本性は、先ず順序、しかして後に計量であるとも考えられる。さて、順序は、順と逆と両方面にわたって考えられる。今日の次にあす、あすの次にあさってがある。逆にいえば、今日の前にきのう、きのうの前におとといである。数でいえば、1の次に2、2の次に3、・・・と限りなくつづくが、逆に1の前に0、0の前に−1、−1の前に−2、・・・と、これ又限りなくつづく。これら0及び±1、±2、・・・を総括して整数という。計量数として前に述べた1、2、3・・・を学問上では自然数(natural number)という。計数量と順序数とは、概念上同一ではないが、我々は順序、計量といった用途の差別を抽象し去って、自然数を整数の一部分と見なす。
     我々は習慣によって、自然数を最も基本的なる数と考えるけれども、数学的に数の理論を構成するには、整数を基本とすることが、却って簡明であると考えられる。(略)』
    引用終了

    ↓うましかさんがご紹介してくださった論文もすごく参考になりそう!(難しくて理解できないかもだけど)
    ありがとうございます

    No.14865
    https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BO/0085/BO00850L025.pdf

    >田山令史『数学的帰納法 − そのカント判断論との関連 −』

    https://ci.nii.ac.jp/naid/110006473060

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■15673 / inTopicNo.36)  Re[16]: 算数のこと考えてみた。のメモ
□投稿者/ pipit -(2021/08/17(Tue) 21:35:37)
    ちょっと考え方がひろがってしまうかもですが、
    少し別の捉え方なども考えてみます。

    >1 の 概念は、(◯)
    5 の 概念は、(◯◯◯◯◯)
    7 の 概念は、(◯◯◯◯◯◯◯)<

    この見かけだと、量のイメージになるかな?
    1 が 量 を体現してる、という捉え方をする他に、
    1 が 順序 を体現してる、という捉え方もある。

    また、( )を統一、という見方をすることもできる。

    5 は、要素の量、ではなく、要素の統一体の名前、として考える。
引用返信/返信 削除キー/

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