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カント沼番外地:第一版序論 X−8
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□投稿者/ うましか -(2021/08/19(Thu) 22:05:31)
| pipitさん、皆さん、こんばんはー おじゃまします。
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◇悟性が、Aという概念の外に、この概念Aと無縁ではあるが、それにもかかわらずこの概念と結びつけられている述語をみつけだすと信ずるとき、悟性がそれに頼るあのXは、この場合なんだろうか?
◇それは経験ではありえない。
◇というのは、「生起するすべてのものは、その原因をもつ」という先述の原則は、経験が供給しうるというより、いっそう大きな普遍性をもってのみならず、必然性の表現をももって、したがって全面的にア・プリオリに、また単なる概念から、原因という第二の表象を「生起するもの」という第一のそれに付加するからである。
--- No.15588 からの続き ---
◇ところで、そうした綜合的原則、言いかえれば拡張原則に、私たちのア・プリオリな思弁的認識の全究極意図がもとづいている。
◇なぜなら、分析的原則は、なるほどこの上なく重要で必要ではあるが、しかしそれはその諸概念の判明性に達するためだけにであって、そのような判明性は、真に新しい開拓としての、確実で拡大された綜合のためにこそ要求されるものであるからである。
◇それゆえ、ここには或る種の秘密が隠されているのであって、この秘密を開くことのみが純粋悟性認識のはてしない分野における進歩を、確実で信頼しうるもの足らしめうる。
◇すなわち、そこは然るべき普遍性でもって、ア・プリオリな綜合的判断の可能性の根拠を発見し、そうした綜合的判断のそれぞれの種を可能ならしめる諸条件を洞察し、こうした全認識(これらがそれらの種自身の類をなす)を、その根源的な源泉、区分、範囲、および限界にしたがって、一つの体系のうちで、粗略な輪郭によって描くのではなく、完璧に、またあらゆる使用に対して不足なく規定することにほかならない。
◇さしあたって、綜合的判断がそれ自体でもっている特有な点については、これだけにしておく。
→原佑訳上巻、p.105〜p.108参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。
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