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カント沼番外地:第一版序論 V−8
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□投稿者/ うましか -(2021/07/03(Sat) 16:13:17)
| pipitさん、こんにちはー おじゃまします。
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◇ 数学〔Die Mathematik〕は、どこまで私たちが経験に依存せずにア・プリオリな認識において成功しうるかという、一つの輝かしい実例を私たちに与えている。
◇ところで、たしかに数学は、対象と認識とが直観〔Anschaung〕において描出〔darstellen〕されるかぎりにおいてのみ、そうした対象と認識とにたずさわる。しかしこの事情は容易に見落とされる。というのは、前述の直観自身がア・プリオリに与えれられることができ、したがってたんなる純粋概念〔reinen Begriff〕からほとんど区別されないからである。
◇ 〔数学における〕理性の力〔Macht der Vernunft〕のこうした証明に鼓舞されて、〔認識を〕拡張しようとする衝動はいかなる限界も認めない〔*1〕。
*1 原佑訳のほかに宇都宮芳明監訳(上巻、p.51)も参照した。
◇ 軽快な鳩は自由に空気中を飛びまわって空気の抵抗を感ずるので、真空のなかではもっとずっうまく飛べると考えるかもしれない。
◇ 同様にプラトンは、感性界〔Sinnenwelt〕は悟性〔Verstande〕にきわめてさまざまな障害をもうけるため〔*2〕、感性界を捨てその彼岸へと、純粋理性という真空のうちへと、あえて理念(イデア)〔Ideen〕の翼をはばたこうとした。
*2 「さまざな障害をもうける」は、第二版序論では「窮屈な制限〔Schranken〕をくわえる」に変更された。
◇ プラトンはおのれの努力によってはいかなる道も開かれないということに気づかなかった。なぜなら、彼は、悟性を働かせるために彼がそれを頼り、また彼がそれを手がかりにおのれの諸力をふるいうる支柱としていかなる抵抗物ももっていなかったからである。
→原佑訳上巻、p.95〜p.96参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。文中〔〕内は私による挿入。
Plato、Plato、Platoon... https://www.youtube.com/watch?v=tVNhFMZP4NM&t=14s
沈むなー
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