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カント沼番外地:第一版序論 V−5
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□投稿者/ うましか -(2021/06/25(Fri) 00:00:07)
| pipitさん、こんばんはー おじゃまします。
No.14271 V−4 No.14097 V−3 No.14009 V−2 No.13815 V−1 No.13643 U−1 No.13576 T−3 No.13436 T−2 No.13389 T−1
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◇ 経験という地盤を捨て去るやいなや、その由来を知らずに所有している諸認識でもって、また、その起源〔Ursprung〕がわかっていない諸原則を信頼して、その基礎を慎重な研究によってあらかじめ確かにしておくことなしに、すぐさま一つの建物を建てるのではなく、それゆえ、いったいいかにして悟性はあらゆるこうしたア・プリオリな諸認識へと達しうるのか、またいかなる範囲〔Umfong〕、妥当性〔Gueltigkeit〕および価値〔Wert〕をそれらのア・プリオリな諸認識はもちうるのか、という問題がいち早く投げかけられているということ。
◇ 以上のことはたしかに自然的〔natuerlich〕であるとおもわれる。
◇ 事実また、(この自然的〔natuerlich〕という言葉を、)正当かつ当然行われるべきはずのものと理解するならば、これ以上自然的なことは何ひとつとしてない。
◇ しかし、この言葉を通例おこなわれているものと理解するならば、これまた、こうした研究が長くなおざりにされざるをえなかったということ以上に自然的で明白なことは何ひとつとしてない。 ◇ なぜなら、こうしたア・プリオリな諸認識の一部、すなわち数学的認識は、昔から信頼をかちえており、だから、このことによって他の諸認識に対しても、たとえこれらの諸認識が、その本性をまったく異にするものであるかもしれないにせよ、好都合な期待がかけられているからである。
→原佑訳上巻、p.92〜p.93参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。文中〔〕内は私による挿入。
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