TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■35229 / inTopicNo.13)  Re[12]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/01(Fri) 20:07:11)
    知性がプアーな政治家さんやその糞の言、

    もういいかな。
引用返信/返信 削除キー/
■35230 / inTopicNo.14)  Re[13]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/01(Fri) 20:08:16)
    No35201のハイデガーの――(H)
    No25556のメルポンの――(M)
    の、わたしの憶測と感想。

    (H)によると、「君タチガ『存在する』トイウ言葉ヲ使うトキ、イッタイ君タチハ何ヲ意味スルツモリナノカ、」って、プラトンは「『存在する』トイウ言葉ヲ」って言ってるみたい。
    でもハイデガーにおいてはいつのまにか『今日、「存在」という言葉を』って、「存在」になっちゃってる。

    わたしのばあい、「存在する」っていう言葉と、「存在」っていう言葉、なんか使い方(意味)が異なる感じがしてる(雰囲気的にね)。

    (M)で、メルポンにおける「哲学的問いかけ」は、
    『結局は「何があるのか」、さらには「あるとは何か」ということである。』(滝浦静雄/木田元 共訳) 
    『最終的には「何が存在するか」という問い、「あるというのはどういうことか」という問いである。』(中山元 訳)
    っていうことみたい。
    「ある」っていうの、動詞的だと見てるから、「存在する」ってなるんだと思う。「存在」っていう名詞的なんじゃなくて。
    「何があるのか」→「何が存在するのか」
    「あるとは何か」→「存在するとは何か」
    「あるということはどういうことか」→「存在するということはどういうことか」
    でいいんだと思う。
    「何が存在のか」とか「存在とは何か」とか「存在ということはどういうことか」じゃなくて。

    (1)「存在する」という言葉で何を意味するつもりなのか?
    (2)「存在」という言葉で何を意味するつもりなのか?

    プラトンの場合(1)、メルポンも(1)の方なんだと思う。
    (2)はハイデガーに聞かないとわかんない。

    わたしが「ある」っていうのを使うときは、「○○がある」みたいに、かな。
    「ある」を「存在する」として、「○○が存在する」。
    で、「○○」に、「存在」と「存在する」を入れて見るのね。
    (a)「存在が存在する」
    (b)「存在するが存在する」
    ってなるんだけど、前に書いたけど、(a)のように、「存在」っていうのがどこかに“ある”わけじゃない、ってわたし思ってる。
    (b)だと、な〜んとなく見える感じだけど。

    メルポンに倣って、幼児で見て見るね。
    幼児にとって、初めて見る「もの」ばかり。
    初めて見る「もの」を「○○」ってするね。幼児にとってはまだ「○○」がなんなのか知らない(fremd)のね。
    幼児は「○○」を見て、〈これなあに?〉って、言いかえると〈「○○」ってなあに?〉ってなってるんだと思う。
    でもね、その前に、
    幼児は「○○」に志向して(意識が向いて)、〈「○○」(何か)がある〉、ってなってるんじゃないかしら?
    簡単に、〈○○がある〉→〈○○とは何か〉っていう流れ。
    この〈○○がある〉っていう〈ある〉に問いかけてるのが、メルポンの言う「ある(存在する)ということはどういうことか」、なんじゃないかしら、って。

    「存在する」ことにかんしてのを、「存在」で見ちゃうと分け分かんなくなっちゃうのかも?わたしのばあい。

    わたしのこのごろのテーマ、〔世界における(への)存在としての「私」〕のなかの〔存在〕を〔存在する〕と言いかえると〔世界のなかに(へ)存在する「私」〕っていうことになるかな。

    なんか言葉で上手に表現できないから長くなっちゃけど、こんな感じ〜、っていうことで。

引用返信/返信 削除キー/
■35260 / inTopicNo.15)  Re[14]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/03(Sun) 17:09:46)
    No35230 の、
    〔世界のなかに(へ)存在する「私」〕っていうより、
    〔世界のうちに(へ)存在する「私」〕のほうがよかったかな。

    「存在論」っていうのあるみたい。
    ウィキペディアによると、
    〔存在論(英: ontology、独: Ontologie)は、哲学の一部門。さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論と並ぶ哲学の主要分野でもある。〕
    っていうことみたい。
    ここに〔形而上学〕っていうのあるけど、これを〈形而上(神・霊魂・世界全体)の学〉ってして見たとき、
    No34845で見たように、
    現象学がテーマとする「世界」っていうのを「生きられた生活世界という地平」のことってしたとき、
    メルポンの、「世界における(への)存在」の「存在」、そして、哲学的問いかけを「ある(存在する)ということはどういうことか」っていうこと、ってしたとき、
    メルポンのは、ウィッキにあるような「存在論」(形而上学ないしその一分野)じゃない感じがしてる。
    あと、〔認識論〕ってあるけど、わたしこの「認識」っていうのも問題ね、これはまたいつか。

    あと、
    No33030の、
    『私を世界における(への)存在として露呈する』の『露呈する』なんだけど、
    No27145で、「現象学」っていうのを見たんだけど、
    〔おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせる〕こと、とか、〔現象学とは、「己れを示すものを、それが己れを己れ自身から示すとおりに、己れ自身のほうから見させる」ことである〕
    っていう意味での、なのかも。

    そこはかとなく、いろいろ想像しちゃうのね。

引用返信/返信 削除キー/
■35276 / inTopicNo.16)  Re[15]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/04(Mon) 19:15:20)
    ウクライナ人が、ロシア人っていう殺人民族の攻撃を退けることができないのは、
    兵器不足だけかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■35284 / inTopicNo.17)  Re[16]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/05(Tue) 19:51:42)
    そこはかとなく

    「空間」と「時間」

    「空間」はある程度「所有」できるかも。っていうか所有できないと生きてけない。最小限の空間の所有は「身体」ね。「空間」は「場所」っていって言ってもいいかな。

    こういうのに比べて「時間」っていうの、所有できないんじゃないかしら?っていうか〜、あってもなくても私の生にとってはあまり関係ないのかも?
引用返信/返信 削除キー/
■35295 / inTopicNo.18)  Re[17]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/06(Wed) 18:10:56)
引用返信/返信 削除キー/
■35296 / inTopicNo.19)  Re[18]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/06(Wed) 18:13:14)
    世界のうちに(へ)存在してる「私」  
    ――わたしはこの世界をどのようにして知ってきたのかな?

    No35001の(k)についてのわたしの憶測と感想ね。

    『人間の意識という問題が決定的な形で論じられるのは、〈知覚〉や〈感覚的なもの〉の段階においてでなければならならない』
    っていうのが、「人間と世界とを理解しようとする」ときのメルポンの。
    ――わたしもこれに倣ってる。「私」や「世界」、そして、その関係性を知ろうとするときね。
    いや、そうじゃなくて、「人間の意識という問題が決定的な形で論じられるのは〈知性〉だよ」、ってしてる人もいるかもだけど。

    『ひとびとが常識の「自明さ」を最後まで問いつめた試しはいまだかつてなかった』――でも、ハイデガーはそれをはぶいてしまわない、って、メルポンは言ってるんだと思うのね。
    これって、
    No34697の(c)のようなのと似てる感じ。
    あと、
    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注に
    (q)〔フッサールは『論理学研究』においてもこう述べていた。「哲学者はまさに《自明なこと》の背後に最も困難な諸問題が隠れていることをも当然承知していなければなるまい。逆説的ではあるが、しかし深い意味をこめて、哲学とは平凡な事柄についての学であるとさえ言えるほどである」と。〕(p.318)
    ってある。
    No35201のプラトンの
    『ソレヲ君タチガトウノ昔カラ熟知シテイルノハ、明ラカナコトダカラダ。ダガワレワレハ、以前ニハソレヲワカッテイルト信ジテイタノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ』
    こういうところ、〈自明なことへの問いかけ〉に似てる感じ。

    「フッサールは、この世界を前述語的と名づけ」
    ん〜ん、そう言われるとそうかも、ってわたし思う。
    No35002の(l)、
    『森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景』って、なにも喋らないよね。
    『最初に教えた』、じゃなくても、いまだにそういうのって「前述語的」に、“そのように存在してる”んじゃないかしら。
    学者さんたちは、そのようなものを述語的に語ってる。

    最近買って少しづつ読んでる【モーリス・メルロ=ポンティ『子供の心理−社会学』ソルボンヌ講義2/松葉祥一・澤田哲生・酒井麻衣子訳/みすず書房2023】のなかに、
    (r)『子どもの場合、知覚された世界が(知性によって)理解された世界に先行します。』(p36)
    ってメルポンは言ってる。わたしもそんな感じがしてる。
    だって、一般的に、小学校に行って、科に分けて(国語・算数・理科・社会・・・)学ぶ前に、わたしは、日常生活のなかで、自然と、この世界がどのようなものであるのかを“知ってる”んじゃないかしら(ただその知が学的に見て正しいとか真なるものかどうかは別にしてもね)?そして「もの」の名を覚え、言葉を喋れるようになって、他者とのコミュニケーションをとっているのよね。こういうのって「知性によって“理解”された世界」っていうんじゃないと思う。

     メ-ル〜 ポン!

引用返信/返信 削除キー/
■35326 / inTopicNo.20)  Re[19]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/07(Thu) 20:04:59)
    再生できないほどに破壊尽くせばいいのにね。

    それができないからだらだらと問題が起こるんじゃないかしら。

    核使ってもダメ。日本国民を見てごらんなさいよ。
引用返信/返信 削除キー/
■35348 / inTopicNo.21)  Re[20]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/08(Fri) 19:56:10)
    ちょっと話題変わるけど、

    【「フーコー入門」中山元/筑摩書房1996】のなかに、

    〔精神医学の目的が、患者が社会に復帰できるようにすることだと考えると、患者が復帰する社会はどの程度に〈健全〉であり、どの程度に特殊的であるか。患者はどのように「正常」になれば、社会に復帰できると判断されるか。ここで精神医学の治療は、すぐに政治的な意味をおびるようになる。精神医学は或る意味ではその社会における政治的な実践なのである。正常と異常の判定自体が、「異常」を排除し、社会的な秩序を確保するという実践と結びつくからである。〕

    っていうのあった。

    どこかのアニメ製作所に放火した人、そしてそれによって人死んじゃった人、そしてその「裁判」、
    どこかの「議員さん」たちがパーティを開いてお金儲けした、
    みたいなのを、「マス」が言ってるのを聞いたことある。

    こういうのって、「同じ世界信念」なのかもね。


引用返信/返信 削除キー/
■35378 / inTopicNo.22)  Re[21]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/09(Sat) 17:35:29)
    そこはかとなく、

    わたしのノートに書き留めて置いたの、
    「近代の諸装置は、それを批判すると称する人々も含めて同一性の呪縛にとらわれている。」
    っていうのを想い出した。(ドゥルーズ&ガタリだったかな?ここらへん不確か)

    あ、わたしの今の物語りに戻らなくっちゃ。

引用返信/返信 削除キー/
■35379 / inTopicNo.23)  Re[22]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/09(Sat) 17:41:29)
    No35296
    「フッサールは、この世界を前述語的と名づけ」の、「前述語的」なんだけど、
    【「現象学事典」弘文堂2014】に、「述定的/前述定的」っていうのがあって、
    「フッサールが論理学の発生的考察において使用する対概念で、述定的判断(思考)と前述定的感性的経験の領域を指す。」
    ってあった。たぶん「前述語的」っていうのは「前述定的」のことなんだと思う。
    〈言葉で思考したり判断する領域〉が「述定的」、それ以前の感性的経験の領域を「前述定的」「前述語的」って言ってるのかも。
    ってすると、人(私)の「意識」の領域のことだったのかも?――でも「この世界を」って言ってるし?

    >『森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景』って、なにも喋らないよね。<
    っていうのはちょっと違っちゃた感じ。
    でも、〈私に教えた風景〉っていうの、私の感性的経験で、私のうちに「前述定的(前述語的)」に構成されてる世界、って見ることもできるかも。

    ん?
    ってすると〜、〈自然の風景〉と〈私の感性的経験〉とは、「自然」っていうことで結ばれてる、っていうことになる?
    ん〜ん、ちょっと考えすぎかな。

引用返信/返信 削除キー/
■35400 / inTopicNo.24)  Re[23]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/10(Sun) 17:57:20)
    No35379で、
    「前述語的」を「前述定的」って見て、
    「前述定的」に対(つい)して「述定的」。
    たぶん、だいたいそれでいいと思うんだけど、

    「述語」っていうのをネットで調べら、
    「○○は、△△」って言うときの「△△」が述語で、「○○」は主語っていうことみたい(ごめんね小学生レベルで)。

    でね、「述定」っていうのをネットで調べたら、
    https://information-station.xyz/2544.html
    わたしにわかりやすいところではこんなところかな。
    これ、簡単に、
    ・・・・・・・・・・
    存在「〜がある」と述定「〜である」の違い
    ギリシャ語の「ある」(esti、エスティ)という動詞には、英語で言うbe動詞と同様に、
    「〜がある」という存在を表す意味と、
    「〜である」という述定(主語に性質や状態などの属性を述語付けること)
    を表す意味の二つの意味があります。
    ・・・・・・・・
    っていとこだけ抽出して、
    で、
    No35230の、
    幼児で見た流れを少し変えて、
    (1)〈○○がある〉
    (2)〈○○とは何か?〉
    (3)〈○○は△△である〉
    ってした見た。
    (3)が「述定的」っていうことになるのかな。
    〈△△である〉、あるいはその否定〈△△ではない〉も同じ述定(述語)になるみたいだけど。

    メルポンが言う「あるということはどういうことなのか」っていう哲学的問いかけは、(1)を問題としてるんだと思うのね。

    (1)を絵にして見たのを添付しま〜す(久しぶり〜)
    Aちゃんが〈いる(ある)〉って言うとき、それはどういうことなのかしら?
    まだ、なんかそこまで行けそうなんだけど言葉で上手に表現できないでいる。
    またあとでいいのが思いつたらにする。

886×661 => 600×447

1702198640.jpg
/62KB
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -