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No34845 の記事


■34845 / )  Re[73]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/10/30(Mon) 19:31:31)
    “「世界」というもの”、“「世界」と呼んでるもの”、
    ハイデガーは、
    No34697の(d)のように分けてるんだと思うけど(たぶん)。わたしにはよくわかんなかった。

    ひとまず、現象学のを見ていく。

    No34813の(h)から、
    現象学がテーマとする「世界」というの、「生きられた世界」とか「生活世界」ってしていいかも。
    ハイデガーのでは、
    No34770の(f)に「平均的日常生活という地平」、
    No34697の3に「環境世界」――そしてハイデガーは「われわれは、世界という表現を述語的には3で確定された意義をあらわすために要求する」って言ってる。
    メルポンの、
    No33577の(a)の〈現実に存在するものとしての世界〉、(b)の〈世界のこれこれの一区画に隣接する地平〉というのもある。

    わたしの、
    わたしに、あるものが見え、考えるとき、メルポンの言う「地の上の図」っていうのを忘れないようにしようと思ってる。「地」っていうの、フッサールでは「地平」って言ってるのかも。「顕在的地平」「潜在的地平」っていうのあるみたいで、わたし簡単に見て、それぞれ〈見えてる背景〉、〈見えてない背景〉ともしてる。「図」をあるひとつの「対象」とも見てる。いづれにしても「図(対象)」はすべて「地(地平・背景)」をもっていて、両者の関係性によって図が見え(知覚され)隠れしている、みたいなふうに見てる。
    前に、こういういうのを、
    No29540 で絵で描いて見た。
    このように“されるもの“としての私だけじゃなくて、”するもの“としての私っていうのもあって、”するものとしての私“が、なにか”して“「したもの」が出来るとするね。この私が「したもの」を「図」ってして見るのね。そして、メルポンは『地の上に図を描いたらそれを再び地に戻してみる』みたいなことを言ってたと思う。
    「世界」っていうの、こういうよな「地(地平)」として見たらいいのかも?って。
    こんなことわたし思ってるから、
    現象学がテーマとする「世界」っていうのを、フッサールのいう「生活世界」ってしてもいいんだけど、わたしのばあい、〈日常生活という地平〉とか、私の〈生きられた生活世界〉のこと、ってした方がわたしには分かりやすい感じ。
    こういうんから、〈世界における(への)存在としての私〉の〈世界〉っていうのを、言いかえると、
    〈日常生活という地平における(への)存在としての私〉
    〈生きられた生活世界における(への)存在としての私〉
    っていうことになるのかな。

    「世界」が狭い、っていう人もいるかもね。
    でもね、・・・・・・・・ ← そういう人いたら書くね。

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